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藤井聡太が棋聖のタイトルを取った。彼の強さが話題を呼んでいるので、その強さの秘密に迫ろう。
第4局の棋譜は、下記にある。
→ 2020年7月16日 五番勝負 第4局 渡辺明棋聖 対 藤井聡太七段
棋譜全体を見ると、終盤まで手に汗を握る感じだ。終盤は、双方とも特にミスはなく、これと言って指摘するようなところもない。すばらしい名局だったと言える。
着目するべき点は、渡辺二冠の解説が的確だ。
→ 棋聖戦第4局。 - 渡辺明ブログ
これを読むだけでも、いろいろとわかる。藤井の異次元の強さが窺える。
ただし、それで済ませては話がつまらない。本サイトの読者も、詳しい解説を望んでいるだろう。そこで私の話を書こう。
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渡辺の解説は、8六桂に、6八金左と逃げたところ。だが、この点ではすでに桂を利かされていて、不利になっている。渡辺は「受かっている」と言っているが、受かっているかどうかではなく、こんなふうに桂を利かされるということ自体が不利になるので、この時点ではすでに作戦負けだ。

では、分岐点は、どこにあるか? その前の9五歩だろう。この手は、桂を攻めることで、桂を跳ねさせて、うまくあしらうつもりだ。ところが、うまくあしらうつもりが、あしらえていない。逆に、この手を指させることで、敵の強力な攻めを呼び込んでしまった。
つまり、9五歩の一手はまるで無駄である。黙っていても敵は桂を跳ねてくれるはずなのに、あえてそれを促したとしても、この9五歩は何の効果もなかった。あとになって何か有利さが生じたわけでもない。これでは、相手に有効な手を指される間に、自分は何もしなかったも同じだ。一手パスに等しい。高段者でこれは致命的にも近い大損だと言える。
この9五歩が分け目になって、以後は渡辺が不利になったと考えられる。
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別の点もある。
この時点では、銀は5五にあった。その銀が、4六に下がってから、また5五へ戻った。

行って戻ったので、2手損だ。その間に、銀で4六の一歩を取ったが、一歩を取るかわりに2手損となった。
その間に、後手はどうしたか? 金を進出させた。2手の手得によって、金で先手陣を圧迫することができた。(金を大幅に支出するためには、8六の桂も犠牲にしたが、後手も2六の桂を取ったから損得なしだ。)
そして、先手の銀が5五に逃げた直後に、後手の8八歩が出る。これをどうにもしのぐことができないので、この時点で先手の敗北は決まったと言っていい。
つまり、先手にさんざん無駄な手を指させたあとで、自分は有効な手を打ち、その直後に、勝負を決める楔(くさび)となる一手を打った。
( ※ このあと、渡辺もさんざん攻撃の手を放って、手に汗を握る攻撃を見せたが、その攻撃は致命的になるものではなく、しのげるものだった。一方、藤井は8六桂を打ったが、これが渡辺の息の根を断つ、致命的な一手だった。藤井は、渡辺の手を見切って、すべてを紙一枚の差でかわしたが、渡辺は、藤井の放った、かわしきれない致命的な一手を浴びてしまった。これはもはや剣の達人同士の果たし合いに似ている。)
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話を戻そう。
渡辺は9五に無駄な一手を費やした。
藤井は、渡辺に無駄な二手をあえて費やすように仕向けた。
それが以上でわかったことだ。
では、その意味は? こうだ。
「藤井は常に有効な手を指す。無駄な手を指さずに、有効な手ばかりを指す。つまり、手の効率(有効性)を考えている。ここが独特だ。コンピュータ将棋ふうではあるが、単に局面を評価関数で評価するだけでなく、手の効率というものを考えている」
「さらに、自分が手の効率を高めるだけでなく、相手には手の効率を下げさせる。相手に無効な手を指させて、その間に自分ばかりが有効な手を指す。そのことで自分ばかりが有利になるようにする」
こういう方針が見て取れる。そして、それが本局の勝敗を左右した。
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これとちょっと似た例が、他にも見られる。名人戦・第1局の、渡辺・豊島の対戦だ。渡辺が豊島に、時間を無駄にさせたことで、優位に立った。
→ 勝負の分かれ目 第78期将棋名人戦七番勝負 第1局第7譜:朝日新聞
図の局面で、豊島の長考の読みを外すことで、豊島の長考した時間をすべて無駄にさせてしまった。それが豊島の持ち時間を削って、終盤で思考量を減らさせて、そのことで、豊島のポカを誘った。
ここでは、時間の効率というものを考えていた。持ち時間という人間的な要素を考慮したことで、渡辺が勝利した。
一方、藤井は(時間でなく)手の効率を考えている。それはちょっとコンピュータの方法に似ていると言えそうだ。
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なお、前回の記事もある。
→ 藤井の妙手△3一銀
そのコメント欄では、こう追記しておいた。
45手目で、5七銀は、銀が低く下がってしまうので、これまでの手が無駄になって、大損だ。おまけに敵の桂の進出も許した。この手が敗着だったと思える。
( → 藤井の妙手△3一銀: Open ブログ )
ここでもやはり、「手の効率」というものに言及している。そういう言葉は使わなかったが、「これまでの手が無駄になって」というふうに述べている。この将棋では、銀が行ったり下がったりすることで、先手(渡辺)の手が無駄になっているわけだが、そういうふうにさせたことで、藤井は相手の手の効率を下げているわけだ。
つまりこの将棋でも、「相手が無駄な手を指している間に、自分は有効な手を指す」という形で、先手陣を圧迫して、自己の有利さを確立しているわけだ。
本局(第4局)と同じ傾向が、この将棋(第2局)にも見られるわけだ。
[ 補足 ]
ついでに、オマケふうの話題。
<藤井七段の師匠、杉本昌隆八段の話>
よくぞ、ここまで成長したな、と思います。いつか必ずタイトルを取ると確信していましたが、最年少記録の更新は想像以上の早さでした。最近の藤井七段は、まるで羽生善治九段(49)のような柔軟な思考も出来るし、谷川浩司九段(58)のような一直線の寄せも出来る。現代将棋の粋を集めたような強さです。
( → 藤井棋聖、新時代 コロナ禍「将棋見つめ直した」:朝日新聞 )
これは、私も感じていたことだ。(多くの人が同じように感じていただろう。)
ついでに私が言うなら、本局は桂馬の使い方がうまかった。その点では、中原名人並みだった。
また、以前にも述べたように、「受けつぶし」がうまい。この点では、大山名人並みだ。
→ 藤井聡太の特徴(将棋): Open ブログ
藤井は結局、羽生、谷川、中原、大山の長所を、すべてもっている。その上で、「手の効率を重視する」というコンピュータ将棋の特徴も持っている。
万能だね。すごすぎる。脱帽するというよりは、驚いて、口あんぐりというありさまだ。
[ 付記1 ]
藤井は近いうちに王位を取って、二冠となるだろう。すると、昇段規定によって八段となるはずだ。だが、その時点ではすでに「藤井二冠」または「藤井棋聖・王位」と呼ばれるので、「藤井八段」と呼ばれることはない。その先では、九段になる日も近い。
したがって、「藤井八段」という言葉は、永久に使われる機会がないことになるだろう。
また、「藤井七段」という言葉も、今後は使われなくなるだろう。かわりに「藤井棋聖」という言葉が使われる。
[ 付記2 ]
藤井は歴代最強と思えるが、もう一人、藤井並みに強かった人がいる。三浦九段だ。あの年に限り、竜王戦では無敵だった。実力的には、百戦百勝に近い実力だった。
ただし、百連勝のような記録はできなかった。なぜなら、弱小戦では、弱小棋士相手に負けていたからだ。たぶんわざと負けて、百連勝のような記録を作るまいとしていたのだろう。実力的には、当時のコンピュータ将棋と同等の実力があったと言える。
人々は、「羽生の次は藤井だ」と言っているようだが、あの年の三浦だって、羽生や渡辺を圧倒するだけの、神がかった強さを持っていたのだ。藤井を称賛するなら、「三浦も今の藤井と同じぐらい強かった」と称賛するべきだろう。
[ 付記3 ]
次のサイトがある。
→ 藤井聡太は『頭の中に将棋盤』が無いらしい…行方八段もドン引き「筆算無しで答え出せるみたいな?」「常識が崩れた」 - Togetter
これを不思議に思っている人が多いようだが、本人の解説がある。
「詰将棋の場合、見た瞬間に解けることがあります。意識的な思考を始める前に、バックグラウンドというのか、そこで既に読んでいて、ひらめきにつながるのかなと」
( → 朝日新聞 )
似た話は、下記にもある。
→ 叡王戦の棋士インタビューで、「わかる!」と共感した藤井聡太七段らの思考法(遠山雄亮)
わかりやすく言うと、明白に駒を動かして試行錯誤するのではなく、駒を動かさないまま漠然と可能性を多様に考える。
似たことは、数学の問題を解くときにもある。数学の問題を見て、凡人はいちいち数式を変形させたりする手間をかけて、あれやこれやと試行錯誤したすえに、かろうじて最終的な正解にたどり着く。
数学の才能がある人は、違う。問題を見た瞬間に、最後までの行程が一挙に閃く。どういうふうに式を変形するべきかが、すべて一挙にわかる。あとは、その理解に従って、具体的に数式を書いていくだけだ。その課程は、すでにわかっていることを、具体的な数式に書き落とすだけだから、特に頭を使うわけでもない。
モーツァルトも同じようなことを言っている。作曲するとき、いちいち頭の中で音を鳴らして試行錯誤するのではない。初めから完成された曲の全貌がすべてわかっている。あとはその全貌を楽譜の形で書き落とすだけだ。それは、すでにわかっているものを書き落とすだけだから、特に頭を使うわけでもない。
まあ、私だって、日々のブログ項目を書くときは、そうだ。書くべきことは最初にすべてがわかっている。あとはそれを一つ一つ言葉に書き落とすだけだ。
【 追記 】
「コンピュータ将棋に似ている」と述べたが、具体的にはどういうことか? 考えてみたが、次のように言えそうだ。
普通の人間的な思考とは、次のようなものだ。
・ 局面の有利・不利をおおざっぱに判断する。
・ 詰みが見つかるかを探る。
一方、コンピュータ将棋ふうの思考とは、次のようなものだろう。
(1) 終盤までは、「詰みが見つかるかどうか」を考えない。
(2) 局面の有利・不利を、細かく精密に考える。
後者の (2) は、次のようなものだ。
「コンピュータ将棋では、評価関数を使う。それは、多数の部分評価関数を重みづけしたものだ。部分評価関数では、さまざまな局面を細かく評価する。陣形の有利さとか、攻撃力とか、持ち駒の数とか」
さらに、その上で、次のようにする。
(3) 詰み筋を見つけることを目的とせず、その時点で少しでも評価関数を高めることを目的とする。つまり、少しでも局面を自分にとって有利(相手にとって不利)になるように、局面を変えようとする。
この (3) の方針を取ったときに、
「手の有効さを高める」
という手法が有効だとわかる。自分だけが有効な手を指して、相手が無効な手を指すように仕向ければ、局面の評価関数を高めることができるとわかる。
こうして、最終的な勝敗よりも、今現在の評価関数を高めることに熱中して、少しでも相手よりも有利な状況になるように局面を誘導する。言葉で言えば「じわじわと圧迫する」という感じだ。……これが、コンピュータ将棋の特徴だろう。(私見です。)
※ 似たことは前にも書いた。
→ 藤井聡太はなぜ強いか?: Open ブログ の (2)
【 関連項目 】
→ 藤井聡太の特徴(将棋): Open ブログ
→ 藤井の妙手△3一銀
→ 藤井聡太はなぜ強いか?: Open ブログ
【 関連サイト 】
来年、棋聖戦で防衛→九段昇段
となれば、10代で九段になってしまいますね。
三浦九段への不正疑惑を強く主張されている記事が残されていますが、電子機器の使用が取り締まられた後の2017年に高い勝率を維持し、76期順位戦で三浦九段がA級残留し、渡辺二冠がB1に落ちた結果を受けても今もその主張を変えていないのでしょうか?
その後、この件について全くなかったことのように記事に書かれていないので、どのように思われているか気になりコメント致しました。
電王戦で、最後の大将であった三浦の戦いについて書いた記事もあります。ずっと高評価でした。
渡辺二冠がB1に落ちたのは、私の記事とは関係ないでしょう。
また、離れたところにある駒も結局戦いに参画して重要な意味を持つ(持たせてしまう)、という感じがします。見ていて、面白いです。
実際にはこちらが知覚できないものすごい読みが内在しているはずなのですが。
三浦九段、abemaTVトーナメントの戦いっぷりを見るにつけ、強いですよね。
2手前の8五歩はどうか? これも渡辺が長時間考えた手だったので、この段階では他の正着はなかったようだ。となると、この手以前で別の手を指す必要があった。
私の考えでは、もうちょっと前の、5五銀と逃げた手がまずかったと思う。ここでは銀を逃げずに、3四桂と金を取るべきだった。次に後手が銀を取ったら、今度は角を取ればいい。銀を取られる間に、金と角を取れる。角が逃げれば、銀が5五に逃げることができる。これなら、3四の金を取れる分、実戦よりも有利だ。3四の金を取ってしまえば、敵の攻撃力は大幅にそがれるからだ。
というわけで、敗着は5五銀で、正着は3四桂だ、というのが、私の判断だ。
藤井さんとやってみてほしいです。
ソフトで14億局面、62手まで解析しましたが、後手8八歩時点ではまだまだ先手優性です。
次の75手目で▲7八玉と逃げれば、△8九歩成、▲同飛と、攻め込んできた8八歩は仕留められます。そのまましばらく指し続けても先手の勝勢が継続します。
勝敗の分かれ目は77手目の▲5三桂馬だったようです。▲6五桂馬、△8九歩成ときてさらに▲5三桂馬として王手をかけたのがまずかった。△8九歩成ときた時点で▲7八玉と逃げればまだ先手勝勢。▲5三桂馬で王手をかけたせいで、一気に後手優勢になったようです。
私の考えでは、もうちょっと前の、5五銀と逃げた手がまずかったと思う。ここでは銀を逃げずに、3四桂と金を取るべきだった。次に後手が銀を取ったら、今度は角を取ればいい。
ソフト11億局面56手まで解析しましたが、▲3四桂は△同銀とただで桂馬を取られて一気に後手に勝勢が傾きます。そして▲5五銀とどのみち逃げることになります。