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棋聖戦第2局▲渡辺明棋聖−△藤井聡太七段については、渡辺棋聖がすぐにブログで振り返った。ブログから一部抜粋しよう。
△31銀は全く浮かんでいませんでしたが、受け一方の手なので、他の手が上手くいかないから選んだ手なんだろうというのが第一感でした。50分、58分、29分、23分という時間の使い方と△31銀という手の感触からは先手がいいだろう、と。
5分くらい眺めたところでは▲79玉で互角はある、▲25銀で決まってたりしないかな、と思ってましたが、読み進めていくうちに▲79玉△46歩は少し悪いのか、▲25銀は△46桂で負けだ、となって28分考えて▲79玉とした時点では「形勢は悪いけど持ち時間の差でひと勝負」という気持ちでした。
△87歩と垂らされたところで「あれ、全然粘れない」となって、あと数手指したら、もう大差になっていました。
( → 棋聖戦第2局。 - 渡辺明ブログ )
「気づいたら大差になっていた」ということで、藤井の底知れぬ強さが窺われる、と話題になった。
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一方で、「これはソフトでは6億手目で見つかる難解な手だ」というふうにも言われている。
本日の棋聖戦の藤井七段の58手目3一銀は,将棋ソフト(水匠2)に4億手読ませた段階では5番手にも挙がりませんが,6億手読ませると,突如最善手として現れる手だったようです。
— たややん@水匠(COM将棋) (@tayayan_ts) June 28, 2020
7七同飛成が藤井七段のソフト超えの手として有名ですが,ソフト側からすれば,今回の3一銀発見の難易度はそれ以上ですね! pic.twitter.com/vMkHvK9rlp
これについては、次の解説記事がある。
どういうことでしょうか。
ざっくりいえば、最強ソフトが最初はベスト5にも入らないと判断した候補手が、6億手(局面)以上を読んでようやく最善手として浮かび上がった。そんな手を藤井七段は23分で指した。
これは藤井七段が23分で6億手を読んだことを意味するわけではありません。(たぶん・・・ですが)
ではなぜ最強ソフトが6億手を読んだ末に最善と判断できる手が指せるのか。
これはまさに「大局観」という、将棋界における伝統的な概念で理解するよりなさそうです。
将棋の達人はそれほど多くの手を読まなくても、脳内に蓄積されたいくつかの判断基準から、自然と最善手が思い浮かびます。これが大局観です。
( → 藤井聡太七段(17歳)最強将棋ソフトが6億手以上読んでようやく最善と判断する異次元の手を23分で指す(松本博文) )
言っていることは普通だが、要するに、
「コンピュータは大量の計算で到達する結論に、将棋の達人は直感ですぐに到達する」
と言っているにすぎない。「直感」が結論なのだから、これではほとんど何も説明していないのも同然だ。
素人ならば「プロってすごいなあ」と思って感心して済ませるだろうが、将棋マニアにとっては「中身がスカスカの記事だな」と感じるだろう。「もっとまともなことを書け」と思うだろう。
そこで、将棋マニア向けに、私の考えを記そう。(私見だが。)
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すぐ上の記事では、(別ソフトによる)候補として、次の5手が示されていた。
1 △4六桂
2 △3二金 −1%
3 △3一銀 −4%
4 △5五桂 ー8%
5 △3三桂 −11%
( → 藤井聡太七段(17歳)最強将棋ソフトが6億手以上読んでようやく最善と判断する異次元の手を23分で指す(松本博文) )
△4六桂と△3二金が通常の最善手と見なされる。ではなぜ、藤井はその手を指さなかったのか? そこがポイントだ。
上記記事では、「通常の判断では△4六桂と△3二金を取るべきだが、6億手目までを見ると△3一銀だから、藤井はその手を取った」ということになっている。しかし私は、違うと思う。藤井が△3一銀を取ったのは、その手が最善手だからではない。
通常ならば、△4六桂か△3二金を取るだろう。ただし、これらの手を取ると、その後は攻め合いになる。攻め合いになると、優位を保つことはできる(評価値のリードを保てる)としても、リスクを負う。次のように。
「藤井の側は、ソフトと違って人間であるので、ひょっとしたらポカをする危険がある」
「ソフトならばポカをするということはないが、ソフトであっても、ひょっとしたら読み抜けがあるかもしれない。相手側には、とんでもない妙手が、突発的に生じるかもしれない。同様の危険は、人間である藤井にとっても当てはまる」
上の二点のリスクがある。だから、攻め合いのリスクを負うのをやめて、「優勢のまま相手を圧迫する」という方針を取ったのだ。つまり、「相手の攻めを封じる」(受けつぶす)という方針だ。その方針に基づく手が、△3一銀だ。
こうなると、先手の攻めは封じられる。先手からは早い攻めがないが、その一方で、後手には△4六桂という早い攻めがある。こうなると、もはや先手はお手上げ状態だ。
だから、安全策を取って、藤井は△3一銀を選択したのだ。これが「6億手目の最善手と一致した」というのは、偶然に過ぎまい。どうして偶然かというと、6億手目で見つかったという先手の妙手を、藤井が発見していたとは思えないからだ。仮に△4六桂か△3二金を取っていたなら、先手はかなり先の方で、とんでもない妙手を出して、形勢を一挙に接近させることができるのだろう。しかし、そこまで藤井が読んでいたとは思えない。藤井はあくまで「そういう危険があるかもしれない」と予感して、その危険を避けただけだ。
つまり、藤井は「6億手目までを読んで(相手の妙手をきちんと予想して)△3一銀を選んだ」のではなく、「先の方までは読まないまま、将来のリスクを回避するために、安全策として△3一銀を選んだ」のである。
こういうふうに「安全策をとってリスクを回避する」(受けつぶす)という方針は、大山流とも言われる。途中で「まぎれる」ことがない。相手の攻めを完封した状態で、常に優勢のまま圧迫して、そのまま押し切る。……これは、私も昔から「最強の勝率を取れる方法」だと思っていたのだが、実行する棋士は少ない。しかるに藤井は、若くしてすでに円熟の境地に達しており、大山流を実行できるのだ。だから際立って高い勝率を達成できる。
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さらに言えば、△8七歩も重要だ。これによって先手の▲7九玉は無効化するので、先手は▲7九玉を無駄に指した(1手パスをした)というのも同然となる。
この△8七歩が非常に強力なのだが、先手はこれを読み落としたも同然であったようだ。この手を指されて愕然としたようだが、この手の強力さをうまく理解しなかった(一方で藤井は理解していた)ということで、(読みの深さという)棋力の差が出てしまったようだ。藤井恐るべし。
その意味で、この将棋はまさしく、藤井の高い棋力を証明していると言えるだろう。
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だが、「藤井は強い」ということで片付けてしまうのでは、面白くない。将棋マニアならば、もっと詳しい話を求めるだろう。そこで私見を述べる。
藤井が△3一銀という受けの手を取ったのは、自陣の防御が非常に弱いからである。
藤井は△5四金から金を繰り出して、中央を制圧し、飛車と合わせて圧倒的な優位を構築した。こういう大胆な戦略を取った。しかし、この大胆な戦略は、「自陣の防御を弱める」というデメリットと裏表の関係にある。攻めばかりをやっていれば、貧弱な自陣を攻められて、あっという間に崩壊しかねない。
だから、下手に攻め合いに転じることは、非常にまずいのだ。むしろ、「自分だけが攻めて、相手の攻めを封じる」という方針を維持することが重要なのだ。そして、そのための方策が、「弱点を封じる」「敵の攻めを許さない」という方針に基づく「自陣の守りの整備」だったのである。そのための手が△3一銀だ。
△3一銀という手には、そういう大局観に基づく意味があったのだ。
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では、先手はどうすればよかったか?
もともとが「金銀を低く並べる」という守備重視の方針だった。しかしそれだと、中盤を制圧されて、相手の攻勢を招いた。
こういう場合には、有効な方針は、こうだ。
「相手の攻めが上ずっているときには、空いている守備陣の穴を突く」
本項の方針で言えば、相手の右翼(7,8筋)が弱点なので、ここを角で攻めるべきだった。そのあと、馬を自陣に引けば、鉄壁だっただろう。
しかるに渡辺は、角を自陣に打った。(57手目、▲6六角)この時点で敗勢が確定したと思える。(次の手が△3一銀だ。)
どうせなら、▲6一角(打ち)から、▲3四角成を狙う方が、大局的には優れていたと思う。仮に後手がこの馬を飛車で取ったとしたら、先手は交換して得た飛車を、敵陣に打つことができる。そうなったら、先手圧勝で一挙に試合終了となるだろう。(後手陣はスカスカで、飛車の打ち込みには非常に弱いからだ。)
だから後手は、3四の馬を取ることができない。ならば、3四の馬の威力で、先手が中盤を制圧することも可能になったかもしれない。
この勝敗は、後手の読みがソフトの6億手よりも深かったというよりは、先手と後手の大局観の差が出たせいだ、と言えるだろう。
※ 細かな話。
[ 付記 ]
「この△8七歩が非常に強力なのだが、先手はこれを読み落としたも同然であったようだ」
と文中で書いた。これについては、「△8七歩は手筋なので、読み落とすはずがないだろ」と思う人が多いだろう。
確かに、読み落とすことはないだろう。だが、▲7九玉と指したことで、結果的には、読み落としたも同然となっている。▲7九玉なら、まだしも▲7七桂の方がマシだったかも。そもそも△8七歩を金で取るのなら、▲7九玉は不要だった。玉は8八よりも7八にいる方が安全だったからだ。
[ 余談 ]
渡辺明の強さとは何か? ……と思って考えたが、すぐには思い浮かばない。ネットを調べたら、次のページが見つかった。
→ トップ棋士に15連勝 二冠狙う渡辺明棋王、復調の要因とは?
これはたぶん、自宅での研究量の多さが理由だろう。本人も「将棋上達にはどうすればいいか?」という質問に「勉強してください」と答えたそうだ。真面目にコツコツ勉強する秀才タイプであるようだ。
その点、切れ味の良さが売りだった升田・米長・谷川とは違う。圧倒的脳力パワーを誇る羽生・藤井とも違う。
ただ、全盛期には竜王戦で、羽生・谷川を越えていた。すごい才能の持ち主であることは確実だ。ただ、せっかく羽生・谷川のあとで将棋界を制覇するかと思われたら、藤井に追われてしまって、ちょっと不運かも。羽生に追われた谷川の悲運に重なる。
【 追記 】
後日、藤井棋聖の自己解説が出た。△3一銀の場面について。
「候補手としては3通りあって、他の手は攻め合いの手ですが、相手の攻めをいったん受け止めて反撃に移ろうという、ちょっと方針の違う手で、自分の特徴が出た手といえるかもしれません」
( → 序盤・中盤の精度、上がった 藤井聡太棋聖、インタビュー:朝日新聞デジタル )
これは、本項で述べたことと、ピッタリと合致する。本項の解説の妥当性が裏付けられたと言えるだろう。
※ なお、他の手というのは、 △4六桂 と △3二金だろう。本項の本文を参照。
【 関連サイト 】
→ 棋聖戦・第2局・棋譜(盤面)
【 関連項目】
→ 藤井聡太の特徴(将棋): Open ブログ
※ 本項の続編。
序盤については以前から、特にタイトル戦における作戦勝ちに定評がありました。あの三連敗から四連勝した竜王戦の勝った試合はいずれもそうです。中終盤は私は渡辺棋聖の将棋を見ると必ず相手の玉に対して、布石というか嫌味をつけているようにしていると思います。今回の藤井戦はそれすら出来なかったので驚いていますが、感想戦で述べていた、狙いの25銀はまさに渡辺流の手と思いました。終盤力は羽生さんより上なのかもしれず最強説もありましたが、藤井聡太には圧倒的に抜かれました。豊島名人には終盤の非常に難解な局面からの渡辺棋聖の敗戦を何度か見て驚いてますが、これが年齢による衰えなのか、偶然なのか、もともと難解な局面にこそ豊島名人の強みが発揮出来るのかは良く分かりません。
あ、バレちゃった。わかっていたけど、書かないでおいたんだ。
61角で先手優勢が成立するなら、感想戦でその手が出ていたはずなので、実際には先手優勢になる手はなかったのでしょう。本当はもっとずっと前の手で分岐するべきだったようだ。直前では、代替策はなかった模様。(※)
61角は、それが成立するかどうかよりは、発想法の一例と見ておいてください。それが本項の趣旨。
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渡辺さんが研究で勝ってきたということには、私も同感です。本文でもその趣旨がある。
今回も、そうなりそうだったので、藤井さんはあえて研究の範囲を超えるように、5四金という独自の戦法をとったのでしょう。これなら渡辺さんの研究にはないので、研究をはずせる。
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(※)代案としては 45手目で、5七銀のかわりに、5五銀右とするのがよさそうだ。棋譜解説によれば、
> 先手が▲5五銀右とぶつけていれば大戦争でしたが、後手も△4五銀を自重した事でお互いに一旦は回避した事になります。味が良い急戦矢倉の手筋ながら腰が引けた感のある▲5七銀左なので、自然に右桂を起用しつつ『引かば押せ』の呼吸を示しました。
とのことだ。
45手目で、5七銀は、銀が低く下がってしまうので、これまでの手が無駄になって、大損だ。おまけに敵の桂の進出も許した。この手が敗着だったと思える。
ただし5三の歩を先に延ばさなかったという後手の作戦が卓抜だったね。角が行き来したので、フェイントになって、狙いが見えにくかった。藤井が心理的な作戦勝ち。フェイントを使う将棋なんて、あまりない。
なお、▲5五銀右のあと、コマを全部交換すると、陣形の差で、先手は固くて、後手は緩い。先手が一歩損になるが、手数の分で、先手の方が得をしそうだ。