「種淘汰」という概念は、進化論として間違っているだろうか?
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「種淘汰」という概念は、進化論として間違っている……という説がある。
それを主張するのは、ダーウィニズムの人々だ。彼らの主張によれば、進化とはこうだ。
・ 1塩基変異によって小進化が起こる。
・ 小進化が蓄積して大進化が起こる。
しかしこの説は、前項で否定された。だから、
「ダーウィニズムが正しいから、種淘汰は間違っている」
という主張は、論理的に成立しないわけだ。なぜなら、ダーウィニズムそのものが間違っているからだ。
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とはいえ、ダーウィニズムが間違っているからといって、「種淘汰という概念が正しい」ということにはならない。こちらの検証は、また別の観点からなされる必要がある。
そこで新たに考え直すと、私は次のように結論する。
「種淘汰は、進化(種の誕生)を説明することはできないが、種の絶滅を説明することはできる」
実際、「種の絶滅」という点で考えると、「種淘汰」という概念は有益なのである。
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そもそも、進化と絶滅とは、別のことである。
ダーウィニズムだと、進化と絶滅は区別しがたい。旧種の絶滅と新種の誕生は、ほぼ一体化されているからだ。
「旧種と新種がともに併存しているときに、旧種がどんどん減っていって、新種がどんどん増えていく。こうして旧種から新種へと交替する」
というふうに。
しかし現実に起こるのは、そうではない。旧種のなかに、あるとき突発的に新種が誕生する。その後、両者は併存するが、あるとき急激に旧種が減少して、ついには絶滅する。
たとえば、ネアンデルタール人がいたなかに、あるとき突発的にホモ・サピエンスが誕生する。両者はしばらく併存していたが、あると急激にネアンデルタール人が減少して、ついには絶滅した。
ここで、ホモ・サピエンスの誕生には、進化の理論が必要だ。
一方、ネアンデルタール人の絶滅には、進化の理論は必要ない。ネアンデルタール人は遺伝子変異によって絶滅したわけではないからだ。ここに必要なのは、絶滅の理論だ。それは「種淘汰」という概念を使うと説明しやすい。
※ 具体的には下記。
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これ以外に、種の絶滅には、「種淘汰」という概念が有益であることが多い。
たとえば、サンゴ礁が減少していく。これは、地球環境の変化に対する、種レベルの不利さが理由だ。これを、個体レベルの「生存競争で不利だから」という説では説明できないのだ。個体レベルであれば、同じ種内で有利なものと不利なものが生じるだけであり、種レベルで減ることを説明できない。
種の絶滅については、種レベルの議論が必要だ。すると、特定の種が有利で、特定の種が不利だということはある。
たとえば、高温への耐性が強い種のサンゴが生き延びて、高温への耐性が弱い種のサンゴが絶滅する。
同様に、蜂の仲間では、スズメバチへの抵抗力が強い種が生き延びて、スズメバチへの抵抗力が弱い種が絶滅する。ここでも、種レベルで絶滅が決まる。個体レベルで決まるのではない。
とにかく、種の絶滅は、種単位で起こる。個体のレベルで不利だから個体が減るのではない。種のレベルで不利だから種が個体数を減らして絶滅していく。
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以上でわかることは、「進化も絶滅も同じ原理で説明するダーウィニズムは正しくない」ということだ。
たいていの進化論者は、こう考えている。
「ダーウィニズムは全能である。進化も絶滅も、ともにダーウィニズムで説明できる」
しかし、そんなことはないのだ。ダーウィニズムは、科学的に証明された「正しい理論」ではなく、いまだに実証されていない「仮説」であるにすぎない。しかも、きわめて疑わしい「仮説」である。そのことを理解するべきだ。
【 関連項目 】
本項の話と似た話を、前に述べたことがある。
→ 種の絶滅は不適者絶滅(適者生存)?: Open ブログ
2019年11月30日
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