「適者生存は弱者抹殺を意味する」という主張があるが、妥当ではない。
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やたらと市場原理を信奉するような人は、社会においても「適者生存」「優勝劣敗」を主張する。そのような主張を採用すると、社会的な弱者が排除されてしまう……という見解がある。
これはまあ、ありがちな見解である。
たしかに、これを「弱者抹殺」として理解することは、間違いとは言えない。ただし、その抹殺の対象は、会社だけである。市場において劣者となる会社は、市場から退場してもらって構わない。つまり、倒産させるのが合理的だ。
( ※ たとえば JDI のような大赤字を垂れ流す会社は、さっさと倒産させるのが合理的だ。)
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とはいえ、それは、会社には当てはまるが、人間という生物には当てはまらない。人間には誰しも生きる権利がある。「能力が劣るから死なせてしまえ」というようなことにはならない。
では、どうしてそうなのか? 会社は倒産させてもいいのに、どうして人間は死なせてはいけないのか?
それに答えよう。
理由の一つは、人間には生命があるからだ。生命があるものを死なせるのは、殺すことである。それは、他の生物はいざ知らず、人間については「絶対悪」である。(これを否定する人は、さっさと殺されてしまえばいい。)
もう一つの理由がある。それは「人は誰しも劣者である」からだ。なぜか? 一見して「優者」と見える人もいるが、そういう人でも、何らかの欠点をかかえているものだ。「どのような面でもすべての面で最善であるような、完璧な人」など、この世に一人もいない。人は誰しも、長所と短所を持つ。「長所だけ」という人もいないし、「短所だけ」という人もいないのだ。
ここで、「短所のある人は淘汰されてしまえ」ということになったら、あらゆる人がすべて淘汰されてしまうことになる。それは成立しない。
一般に、多少の短所があるとしても、そのことを理由に淘汰されるとは限らない。なぜなら、どの個体も、それぞれ少しずつ短所をかかえているからだ。
このように、それぞれの個体にはさまざまな短所があるせいで、たがいに優劣が付きにくくなって、単純な淘汰が怒りにくくなっている。……この現象を「ノイズ効果」と呼ぶ。
この件は、前に別項で説明した。そちらを参照。
→ 遺伝子集合淘汰: Open ブログ
→ ほぼ中立説/ノイズ効果: Open ブログ
2019年11月30日
過去ログ
弱者生存、適者抹殺ですね。
弱者をFランク大学、
適者をノーベル賞受賞者
に置き換えてもらえば、しっくりくると思います。