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たとえば、朝日新聞の「社説」の別館みたいな記事がそうだ。
《 (社説余滴)電柱大国の汚名、返上の時 》
日本は先進国で突出して電柱の多い国だ。
9月に首都圏を直撃した台風 15号では、倒れたり損傷したりした電柱が約2千本にのぼった。長期の停電は住民生活に不便を強い、病院の診療などにも深刻な影響をもたらした。
ぜひ無電柱化を柱に据え、具体策を深めてほしい。
この論議にはコスト問題がつきまとう。地中化の工事費は1キロあたり約5億円と、電柱の10倍かかるという。電気料金にはね返ってしまう、という主張だ。だが、これは災害発生を前提にしない場合で、相次ぐ大規模倒壊による損失や社会が受けた被害を計算にいれないと意味をなさない。
( → 前田史郎:朝日新聞 )
もっともらしいが、難点がある。
「都市部の電柱被害は、比較的早期に解消した。いつまでも解消しなかったのは、山間部である。しかし、山間部で無電柱化をするのには、すごくコストがかかる。ほんの少数の住民のために、山間部で延々と無電柱化を推進したら、1世帯あたりのかかる費用が 100万円を上回りそうだ。下手をすると 1000万円にもなる。それでいて電気代は月に5千円〜2万円ぐらいだろう。(老人家庭が多いので。)……とすると、コスト的にまったく割に合わない」
これが常識的な発想だ。だから、結論としては、こうなる。
「都市部では(低コストで済むので)無電柱化を推進していい。一方、山間部については、電柱のままでいい」
これについては批判が来るだろう。
「では山間部の住民を見捨てるということか? 台風で風害に遭ったら、数週間も電気がないという生活を強いられるのか?」
これに対しては、「イエス」と答えるしかない。
そもそも、山間部というのは、あらゆる意味で文明に遠ざかっている地域なのだから、そこで文明生活を求めるというのは、あまりにも贅沢なのである。ま、その贅沢を自腹でまかなうのなら構わないが、国や自治体の税金でまかなってもらおうというのは虫がよすぎる。電力会社にまかなってもらおうというのも同様だ。(他の消費者に負担を押しつけているからだ。一種の泥棒だ。)
山間部の住民は、次のいずれかを選択するべきだ。
・ 現状維持。電柱のままだ。いざというときには長期の停電。
・ 無電柱化する。コストは自腹でまかなう。1世帯、数百万円。
・ 太陽光発電と蓄電池を自腹で備える。いざというときのために。
・ 非常用電源を自腹で備える。数万円程度。
・ 山間部を脱して、地方都市に移住する。
上記のどれであってもいい。それは本人の勝手だ。
一方、次のことは許されない。
「無電柱化を推進するが、そのコストは、他の人々に押しつける。つまり、他の人々の財布から金を盗む」
こんなのは泥棒と同じだから、倫理的に許されない。ところが、朝日新聞は、この方針を推進しているらしい。泥棒の推進だね。(まるで、ふるさと納税みたいだ。これも、泥棒の推進だ。)
《 注記 》
「無電柱化」は「電線の地中化」とも言う。
【 関連サイト 】
朝日新聞は、やたらと「無電柱化」を社説で主張する。あまりにも多いので、呆れるほどだ。
→ (社説)無電柱化 推進法が泣いている:朝日新聞
→ (社説)無電柱化計画 「歴史を転換」するには:朝日新聞
→ (社説)無電柱化 技術革新で加速させよ:朝日新聞
→ (社説)無電柱化 防災の観点から本腰を:朝日新聞
どうしてこんなに熱心なのか? それも、「他人の金を盗む」という悪徳行為について、これほどにも熱心になるというのは? 朝日新聞というのは本質的に泥棒体質なのか? やたらと金を盗むことばかり考えているのか?
そうではあるまい。理由はただ一つ。こうだ。
「朝日新聞の頭には、コストという概念がない。何らかの政策を実行しようとするとき、それによって得られる便益のことばかり考えていて、それにかかるコストのことをまったく見失っている」
これは、別に、不思議ではない。たいていの子供というのは、そういうものだ。
「お父さん、これ買って、あれ買って」
とねだるばかりだ。なぜか? 自分では金を稼がずに、親の金を食いつぶすことばかりを考えているからだ。
朝日新聞記者に、何とよく似ていることか。「好き勝手なことを社説に書いているだけで、金をもらえる」という、お子様みたいな境遇にあるからだ。普通の記者ならば、汗水垂らして、あちこちを取材するのだが、社説の記者だけは、夏にも冷房の効いた部屋で、パソコンのキーを1時間ほど打つだけで、年収 1000万円以上になる。週5時間労働で、年収 1000万円以上。こういう連中であれば、子供と同様に、「金を稼ぐ」という概念も倫理もないのは、当然だろう。
だから「無電柱化」という莫大な浪費を、さも善行であるかのごとく推進する。
経済観念のない連中というのは、まことに度しがたい。
《 加筆 》
朝日新聞社は、「いや、都市部だけの話で、山間部は除く」というかもしれない。しかし、都市部だけなら、停電は3日間ぐらいで解消した。いつまでも停電が残っていたのは、山間部だけだ。つまり、都市部だけだったら、停電に関しては、特に無電柱化を急ぐ必要はないのだ。(電柱には、風害の被害よりも、美観の問題があるにすぎない。)
一方、都市部では急ぐべき対策がある。それは水道管の老朽化だ。ひどく老朽化していて、地震にも耐えられそうにないので、数十年をかけて全部取っ替える必要がある。一度に全部をやるわけには行かないのだから、毎年着実に実行する必要があり、今すぐにでも着手する必要があるのだ。なのに、放置されている。(金がないという理由で。)
また、橋などのインフラの劣化もひどい。崩壊の危険性のある橋も多いのだ。
これらの方が喫緊の課題なのに、無電柱化にばかりこだわる朝日は、物事の重要性をまともに理解できていない、と言える。
ま、「都市部の金を奪って地方に回せ」(→ ふるさと納税 )という自民党よりはマシだが。
[ 余談 ]
ついでだが、「太陽光発電の補助制度」というやつもある。朝日新聞はかつてこの方針を大々的に推進するキャンペーンを張っていた。
そのせいでだろうが、菅直人首相が自らの首を差し出すのと引き替えに、「太陽光発電の補助制度」(FIT)を導入した。
その負担金は、当初はごくわずかだったが、今ではかなり多額になっている。
2019年度の賦課金単価は、1kWh当たり2.95円と決定しました。目安として一ヶ月の電力使用量が260kWhの需要家モデルの負担額を見ると年額9,204円、月額767円となります。
( → FIT制度における2019年度以降の買取価格・賦課金単価等を決定しました (METI/経済産業省) )
年に1万円近くもふんだくられるわけだ。これは一種の増税である。人々は、消費税増税のことばかりにとらわれているが、こっち(FIT)でも別途余計な税みたいものを取られているわけだ。ひどいものだ。
で、どうしてこういうことになったかというと、「太陽光発電の発電量が増えたから」ではなくて、「初期にやたらと高コストの太陽光発電があったから」である。最近の建設の分ならば、たいしてコストはかからないのに、初期にやたらと高額で新設を推奨したから、そのころの分のせいで、「少量の発電量を得るために、莫大なコストがかかる」というふうになっている。
しかも、太陽光発電の業者は、初期には権利だけをもらって、実際の建設は数年後にした。そのせいで、莫大な差益をかっさらっていることになる。(低いコストで建設して、高い売電駅を受け取る。)
これはもう詐欺みたいなものだが、こういう詐欺みたいな業者に金を渡すせいで、国民は多額の金をふんだくられるわけだ。
詐欺師みたいな悪徳業者の利権のために、国民が毎月莫大な金を献上する。……まったく、ひどいものだ。
で、こういうことになったのも、朝日新聞に経済観念がない(コスト概念がない)せいだ。自分たちの理想ばかりを唱えていて、コストのことをまったく考えないから、国民は莫大な金を奪われるハメになるのだ。
【 追記・訂正 】
上記の記述には重大な誤りがあったので、訂正する。
無電柱化のコストを「1戸あたり数百万円」と想定したが、これはヤマカンで述べた数値。よく考えると、全然違っていた。
千葉の例で言うと、村の戸数は 20戸ぐらいで、都市部からそこまでの距離は 20km ぐらい。だとすると、「1戸あたり数百万円」で済むわけがない。「1戸あたり数億円」というのが妥当だろう。(無電柱化のコストが。)
また、折れて倒れた電柱を、新たに敷設し直すだけでも、「1戸あたり数千万円」の費用がかかりそうだ。
「多額のコストがかかる」という私のコスト観念は間違いではなかったが、それでさえも細かな数値計算はできていなかった。訂正して、お詫びします。
ついでに、厳密なデータを紹介すると、次の通り。
次世代新方式のコストは5.6億円/km (従来方式は6.8億円/km)
( → 無電柱化の低コスト化を実現するための新手法提案 | 無電柱化の独立系企業―株式会社ジオリゾーム )
20km で 20戸 ならば、1戸あたり 6.8億円となる。
※ 平地でなくて山中であることも考慮すると、10億円ぐらいになるかも。