2019年10月27日

◆ 司法の屈従(独裁化)

 海外の途上国では、独裁者に司法が屈従することが多いが、日本もそうなってきた。

 ──

 司法が政府に屈従するというのは、自民党政権下ではしばしば見られるが、またも同様のことが起こった。辺野古埋め立てへの裁決だ。
  → 辺野古訴訟、沖縄県の訴え却下=埋め立て承認撤回めぐり−高裁那覇支部

 推移は、次の通り。
  ・ 国が辺野古の埋め立ての方針を決めた。
  ・ 県が認可した。
  ・ 海底に軟弱地盤が広がっていることが発覚した。
   (莫大な工費がかかり、工期も長く、自然破壊に)
  ・ それを受けて県が認可を取り消した。
  ・ それを阻止しようと、防衛省が訴えた。
  ・ 訴えた先は、国交省。国交省が裁決した。
  ・ 政府が裁決するのだから当然、県の敗訴。
  ・ 政府が訴えて政府が裁決するのは茶番だ。
  ・ そこで裁決は無効だと県が司法に訴えた。
  ・ その理由は行政不服審査法を使ったこと。
  ・ 司法は県の敗訴を判決した。( ← 今ココ )


 「政府が訴えて政府が裁決する」というのでは、政府が万能となってしまうので、どんなメチャクチャでもやり放題となる。実際、「軟弱地盤で辺野古の埋め立てをする」というメチャクチャをやっている。これを阻止しようとする県の訴えを却下したのが、政府の一員である国交省だから、こんな横暴を司法が認めたら、司法の存在意義がなくなる。
 これすなわち、司法が独裁政権に屈従しているということだ。途上国でならともかく、日本で司法が無効化されるとは思わなかった。司法の自殺だね。ひどいものだ。

 あまり話題になっていないようなので、話を整理して、上にまとめておいた。

 ──

 なお、もうちょっと詳しい事情は、朝日の社説にある。
  → (社説)辺野古判決 「脱法行為」許した司法:朝日新聞 2019-10-23

 一部抜粋すると、下記の通り。
 法の趣旨を踏みにじる政府の行いを、法を守らせるべき裁判所が追認する。とうてい納得できない判決だ。
 沖縄・辺野古の埋め立て工事をめぐり県と国が争っている訴訟で、福岡高裁那覇支部は県側敗訴の判決を言い渡した。
 防衛当局は直ちに、埋め立て法を所管する国土交通相に対し県の措置の取り消しを求め、望みどおりの裁決を得て工事を強行した。
 このとき使われたのが、行政の誤った処分などから国民の権利・利益を守るために定められている行政不服審査法だった。まさに「奇策」というべきで、多くの行政法の研究者らから批判や疑問の声があがった。
 県側も、この法律に基づいて不服申し立てができるのは、個人や企業などの私人に限られると主張した。
 県側は、同じ内閣の一員である国交相に公平中立な審査は期待できず、裁決は違法だと訴えていた。
 今回の政府の手法が認められれば、この先、外交・防衛やエネルギー政策などの国策に関して国と地方が対立した際に、同じことが繰り返される恐れがある。決して沖縄だけの問題ではない。
( → (社説)辺野古判決 「脱法行為」許した司法:朝日新聞

 上記は一部抜粋なので、詳しくはリンク先を読んでほしい。ただし、わかりにくい文章だ。先に本項( Openブログ)を呼んで、事情を整理しておくといい。

posted by 管理人 at 22:41| Comment(2) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
海外の途上国では、独裁者に司法が屈従すことが多いが、日本もそうなってきた。
って書いてありますが、裁判所が統治行為論とかいう理論を使ってた時には、もう既に完全に服従しちゃっていると思うのですが。
Posted by 名無し at 2019年10月28日 07:07
 自衛隊の合憲性というような問題については、問題が大きすぎるので、裁判所が遠慮するというのも、まだ理解できなくもない。あくまで例外的な事例だと見なせなくもない。これを認めても、政府が独裁国家になるというわけでもない。

 しかし今回のような小さな問題にまで裁判所が遠慮するようだと、あらゆる事例で、何もかも政府のやり放題だ、ということになる。独裁国家になってしまう。
Posted by 管理人 at 2019年10月28日 07:13
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