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リチウムおよび正極材料までは決まったが、負極材料が決まらなかった。そこで負極材料を決めて、一気に実用化させたのが、吉野彰さんだ。
素材メーカーの旭化成にいたことが、吉と出た。社内で別の研究グループが特殊な炭素材料を開発中だと聞きつけ、材料を使わせてもらった。ポリアセチレンの時の3分の1の大きさの電池ができた。
正極にコバルト酸リチウム、負極に炭素材料。この組み合わせで85年に新型電池の基本的な特許を出願。
( → 開発も実用も日本人研究者が貢献 リチウムイオン電池:朝日新聞 )
社内で別の研究グループが特殊な炭素材料を開発中だと聞きつけ、直接乗り込んだ。材料を使わせてもらい試作すると、ポリアセチレンのときの3分の1の大きさの電池ができた。
( → 開発も実用も日本人研究者が貢献 リチウムイオン電池:朝日新聞 )
社内にうまく材料があったことが幸運だった。ただし個人としては幸運もあったが、日本企業がそれを開発していたという基礎的な研究が実を結んだと言えるだろう。もともとリチウムイオンのために研究していたわけではないのだが、それが別分野で花開いたわけだ。
「選択と集中」なんていう馬鹿げたことをしていなかったからこそ、別分野で花開いたと言える。
そう言えば、ノーベル物理学賞をもらったカミオカンデは、別の目的(陽子崩壊)のための施設だった。それがニュートリノ検出という画期的な業績に結びついた。さらにその延長で、スーパーカミオカンデがニュートリノ振動を検出し、そのことでニュートリノの質量を証明した。かくて別分野で大きな花を咲かせることができた。
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記事にはこうある。
旭化成によると、同社は電池に使われる絶縁材料で世界トップシェアという。
( → 吉野氏ノーベル賞 リチウムイオン電池開発 スマホ・EV活用 化学賞:朝日新聞 )
ところが新しい記事には、こうある。
日立化成は、EV用電池の負極材で世界有数のシェアを誇る。宇部興産は、電気の通り道になる電解液で、耐久性を高める独自の技術を持ち、こちらも世界有数のシェアだ。
( → リチウムイオン電池、市場急拡大 競争激化で撤退企業も:朝日新聞 )
おやおや。トップかと思ったら、世界有数だって。では何位なんだ? 正確な順位は? 調べたら、こうだった。
負極材の世界市場シェアランキング
世界No.1 日立化成:32%
世界No.2 BTR(中国):21%
世界No.3 JFEケミカル:15%
世界No.4 三菱化学:14%
世界?? 昭和電工:NA
正極材の世界市場シェアランキング
世界No.1 日亜化学工業:17%
世界No.2 L&F新素材(韓):14%
世界No.3 ユミコア(ベルギー)13%
世界No.4 戸田工業:6%
世界?? 住友大阪セメント:NA
バインダーの世界市場シェアランキング
世界No.1 クレハ:50%
世界No.2 JSR:30%
その他:日本ゼオンなどあり
電解液の世界市場シェアランキング
世界No.1 宇部興産:23%
世界No.2 三菱化学:17%
その他:パナックス(韓)、第一毛織(韓)など
( → リチウムイオン電池材料(セパレータ・電解液・正負極材)の世界シェア )
負極材と電解液を含め、他の材料でも、いずれも日本企業がトップシェアだ。それを「世界有数」だと? 朝日の記事は何を書いているんだ。「誤報でした」と訂正記事を書くべし。
※ 論理的には「トップ5以内」というような意味だから、「間違ってはいない」と強弁することはできるだろう。だが、あくまで強弁だ。日本語の使い方を間違っている。新聞としては「表現のミス」と言っていいだろう。
[ 余談 ]
もう一人、受賞してもおかしくなかった人がいる。グッドイナフ氏の共同研究者である、水島公一さんだ。
リチウムイオン電池の開発に貢献した研究者に与えられた今年のノーベル化学賞で、3人の受賞者枠に届かなかった日本人がいる。電池の正極にコバルト酸リチウムを使うことを最初に思いついた、東芝エグゼクティブフェローの水島公一さん(78)だ。
( → 電池開発、最初の発案者は受賞逃す でも「光栄」と談話:朝日新聞 )
正極にコバルト酸リチウムを使うことを最初に思いついたのは、グッドイナフさんと、当時その元で研究していた東芝エグゼクティブフェローの水島公一さん(78)だ。
オイルショック後まもない時期、オックスフォード大に移ったばかりのグッドイナフさんは、燃料や電池などエネルギー関連の研究をテーマに据え、東大助手だった旧知の水島さんに声をかけた。物質の性質を調べる物性物理学の研究者だった水島さんに与えられた課題は、繰り返し使える二次電池の電極の開発。
( → モバイル時代、呼んだ コバルト酸リチウムと炭素材料、着目 吉野さんノーベル化学賞:朝日新聞 )
【 追記 】
水島公一さんの業績をもう少し追ってみる。
水島さんは1977年、研究の行き詰まりを感じて体調を崩したこともあり、気分転換を兼ね渡英した。水島さんを招いたのは当時米マサチューセッツ工科大から英オックスフォード大に転じたグッドイナフさん。2人は石油ショック直後で、研究資金が得やすかった充電池をテーマに据えた。
当初は難航したが、それまでの研究で「土地勘があった」(水島さん)という酸化物を選ぶと、コバルトとリチウムの組み合わせが飛び抜けて良い性能を出した。水島さんは成果を論文にまとめて79年に帰国したが、「リチウムイオン電池が実用になるとは思わなかった」という。
( → リチウム電池、水島氏も貢献=米国人受賞者と共同研究−ソニーが製品化に成功|ニフティニュース )
「土地勘があった」と水島さんが言っているのだから、水島さんの主導で研究が進んだと見なせる。
ぜひみなさんに知ってもらいたいのは、グッドイナフさんとともに研究に取り組んだ水島公一さん(78)です。1980年にコバルト酸リチウムが正極になるということを示した最初の論文の筆頭著者です。論文は筆頭筆者の寄与が大きい。実験で実際に手を動かした人がなることが多いです。
( → 科学史の高い山脈、支える山麓あるから 福岡伸一さんと吉野彰さん、電話対談 ノーベル賞:朝日新聞 )
筆頭著者になっていたことから、まさしく主導していたとわかる。
ノーベル賞の選考委員会がグッドイナフさんの方を選んだのは、「研究生よりも指導教授の方が重要」という認識からなのだろう。しかし指導教授がやった役割とは何か? 「この分野を研究する」とおおざっぱに決めたことだけだ。それなら、世界で何十人もの人がやっていただろう。ただし、グッドイナフさんには、部下に水島さんがいた。そこだけが決定的に異なっていた。つまり、「運が良かった」のである。
グッドイナフさんがノーベル賞を受賞したことの理由は、「この分野を研究する」というふうに決めた小さな役割と、「部下に水島さんがいた」という大きな幸運があったことだ。
ノーベル賞の受賞委員会は、前者の「小さな役割」を過大に評価して、グッドイナフさんに授賞したのだろう。しかし、後者の「大きな幸運」こそが本質であったことをかんがみると、授賞するべきは水島さんの方だった、と判断するべきだった。私はそう考える。
水島さんが受賞できなかった最大の理由は、たぶん、欧米人ではなかったことだろう。仮に、グッドイナフさんがアジア人で、水島さんが欧米人であったなら、水島さんの方が受賞していたと思われる。
( ※ 根拠は、筆頭筆者であったことだ。二人の本人が「こっちが主体だ」と認識しているのだから、第三者であるノーベル賞の選考委員会が逆転した評価を出すのは、どう考えてもおかしい。)
水島公一さんの業績の話。