──
表現の不自由展が再開された。しかしこれは、ひどいことになっている。
人数の問題
人数は1日にたったの 60人だ。本来の1%ぐらいだろうか。これでは 99%ぐらいが入場できないままなのだから、実質的には再開していないのも同然だ。「名目的に1人だけに見せました」というのと大差ない。形はあるが、実はない。見せかけだけの再開とも言える。
こんな馬鹿げたことをするよりは、私の提案のようにすれば良かった。すなわち、こうだ。
「2作品だけは別会場で展示して、他の作品は通常通りに展示する」
これなら 60人だけということもないから、実質的に再開できることになる。
* *
なお、大無か県知事は、このような(見せかけだけの)再開をしたことで、恥じ入っているのかと思ったら、大威張りであるそうだ。
大村秀章・愛知県知事は、「こういう形で中止に追い込まれたものが、全面再開する例はないと聞いている」と胸を張った。
( → SNS拡散対策・憲法で論陣 貫いた不自由展再開の意欲 [「表現の不自由展」中止]:朝日新聞 )
形ばかりの再開なんだから、胸を張るところではないだろう。見せかけだけで人をだまそうというのだから、詐欺師も同然だな。おまけに、「全面再開する」などと、堂々と嘘をつく。閻魔様もびっくりの嘘つきだ。
言論の抑圧
再開しただけかと思ったら、とんでもない付随条件が付いていた。「ツイッターで発言することを禁止する」そうだ。つまり、「言論の自由」「表現の不自由」を抑圧するわけだ。自分自身が「表現の不自由」の抑圧者になってしまうわけだ。あまりにものひどさに、くちあんぐりである。
出典は、下記記事。
→ 「表現の不自由展・その後」ついに再開| ハフポスト
→ 東京新聞:不自由展、きょう再開 あいちトリエンナーレ
いずれの記事でも「SNSの拡散禁止」というふうに記している。これは「ツイッターでの発言を禁じる」ということだろう。
実は、そうではないかも、と推測したこともあった。記事では、「動画撮影の禁止」と並べて掲載しているので、静止画については「撮影した画像を拡散してはいけない」(著作権の問題で)ということかな……と思ったのだ。
だが、そうではなかった。どうやらガチで「発言禁止」「言論の自由の抑圧」をやっているようだ。
その典拠は、二つある。
一つは、「写真撮影の禁止」だ。(ハフポストの記事に記してある通り。)……このことから、写真でなく文章の拡散禁止が意味されているとわかる。
もう一つは、次の記事だ。
→ 【表現の不自由展】大村知事「SNSで拡散されたことが今回の事態に繋がった。SNS投稿禁止は最初の条件でやってた」
つまり、大村知事は「SNSで拡散されたことが今回の事態に繋がった」と認識しており、それゆえ、安全対策という名分で「SNS投稿禁止を条件とする」というふうにしているのだ。
ここでは、県知事自身が先頭に立って、「発言禁止」「言論の自由の抑圧」をやっているわけだ。ガチで。
これじゃ、ナチス並みである。香港に対する中国政府並みである。ヒトラーにたとえられた安倍首相よりも、はるかにひどい。
大村知事は、日本で最悪の弾圧者だね。で、こういう人物が、はてなブックマークでは絶賛されているのだから、日本はもはやヒトラーを賛美するドイツ国民も同然だな。
【 関連項目 】
→ 愛知美術展を総括する: Open ブログ
過去記事への言及や一覧もある。いずれも大村知事の弾圧体質を批判している。
【 追記 】
問題となっているのは、こういう過激な作品に「表現の自由を認めるか」ではない。「公的団体が支援するべきか」だ。
公的な自治体が支援しない形で、私的・自主的に開催するのならば、何も問題はない。それを妨害する人はいないだろう。問題は、公的な団体が公金で支援するかどうかだ。福島の被災者へのヘイト活動を公金で支援するかどうかだ。……そこが問われている。(慰安婦像や天皇放火作品の転じもまた同様。)
* * *
なお、彼らのやっていることがただの「政治プロパガンダ」にすぎないことは、そこには「朝鮮人を差別するヘイト作品」が展示されていないことからもわかる。
彼らが本当に「反社会的な作品について、表現の自由を唱える」ことを目的とするのなら、次の作品も展示するべきだった。
・ 朝鮮人を差別するヘイト作品
・ アイヌを差別するヘイト作品
・ ユダヤ人を差別するヘイト作品
・ ナチスを賛美するヘイト作品
こういうものをすべて展示したなら、彼らの狙いは達成したと言える。しかし現実には、そうしなかった。彼らの展示したものは、極左の過激派の好むものばかりだった。
このことからして、今回の企画展がただの「政治プロパガンダ」にすぎないことは明らかだろう。
自民党が保守の仮面をかぶっているだけの政党であることが良くわかります。
左翼商売をしている男を引っ張ってくるのだから、
大村は確信犯でしょうし、反省なんかしてないでしょう。