2019年09月26日

◆ 愛知美術展を総括する

 愛知美術展(あいちトリエンナーレ2019)の騒動が、検証委員会で批判された。私はどう考えるか?

 ──

 検証委員会で批判されたことは、下記報道にある。
  → 「津田氏が個人的野心を優先させた可能性」検証委の見解:朝日新聞
 「ジャーナリストとしての個人的野心を芸術監督としての責務より優先させた可能性」などの項目別に批判。「あいちトリエンナーレの期待水準に達しない、『芸術の名を借りた政治プロパガンダ』と批判される展示を認めてしまった」などと厳しい言葉で断罪した。
( → 表現の不自由展中止、津田監督を厳重注意処分 判断などで「背信とのそしり免れない」 愛知知事 - 毎日新聞

 企画展の展示方法に多くの欠陥があったと指摘した上で、津田氏の責任に言及し、リスクを回避する仕組みが芸術祭実行委や愛知県庁に用意されていなかったと批判している。
 「政治的テーマだから『県立や市立の施設を会場としたい』という芸術監督(津田氏)や不自由展実行委員会のこだわりは、公立施設が想定する使用目的から逸脱している」と批判した。
  報告は、不自由展の展示方法を問題視した。慰安婦を表現した少女像や昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品などに抗議が集中したことについて、「作者の制作意図等に照らすと展示すること自体に問題はない作品だ」とするが、「制作の背景や内容の説明不足」を指摘。「政治性を認めた上で偏りのない説明」が必要で、「すなわちキュレーション(企画の実施手法)に失敗」したと批判した。
( → 津田大介氏を検証委員会が厳しく批判。表現の不自由展について「混乱と被害をもたらした最大の原因は芸術監督」 | ハフポスト

 ざっと見たところ、私の考えにかなり似ている。ここで改めて私の考えを述べると、次の通り。
  ・ 2作品は政治性が強すぎるので、排除はやむを得ない。
  ・ 2作品は、展示中止でなく、別会場で展示すべきだ。
  ・ 他の作品はすべて公開するべきだ。
  ・ 他の作品を展示中止にした責任は、大村県知事にある。
  ・ 企画展の実行委は、あまりにも政治性を帯びていた。
  ・ 実行委はトラブルメーカーで、諸悪の根源。
  ・ 実行委には口出しできない契約になっていた。
  ・ ならば実行委とは契約解除するべきだった。
  ・ 企画展は県の独自企画にするべきだった。
  ・ そうしなかった津田は、あまりにも能力不足だ。
  ・ 問題が起こった責任は、無能な津田にある。


 問題を整理しよう。
 今回、騒動が起こったのは、2作品があまりにも政治性を帯びていたからだ。美術作品としての企画ではなく、「美術に政治を持ち込むな」というポリシーを批判するための政治活動であったからだ。これは、政治性を帯びた美術作品ではなくて、美術の名を利用した政治活動であるにすぎなかった。
 仮に津田が本当に「表現の不自由」ということをテーマとするのであるならば、ヒトラー賛美や、ネトウヨ賛美のような、対極の政治活動の作品も展示するべきだった。ところが、そうしなかった。津田や企画委は、あくまで自己の左翼的な主張を貫くために、美術展を政治的に利用しようとした。
 結局、実行委と津田は、自分たちの政治的アピールのために美術展を利用した。(一種の私物化である。安倍首相が花見の会のために血税を私物化するのと同様だ。 → 記事
 つまり、これは「美術展の問題」ではなくて、「政治活動の問題」になってしまったのである。そしてそれは、「慰安婦像の形で、政治問題を美術の場に持ち込もう」という韓国側の勢力に利用されることになった。
 そういう真実を理解したから、国民の多くは批判した。一方、だまされた人々は、「これは表現の自由の問題だから、一切の検閲を許すな」というふうに主張した。国民の多くはだまされた。(はてなブックマークでも、善人ヅラして、だまされた人が圧倒的に多い。)
 しかし、検証委はだまされなかった。「美術展として展示したいのであれば、公共施設に限定することなく、他の施設で展示してもいいはずだ。あくまで公共施設での展示にこだわったのは、政治性にこだわる実行委と津田だ。そこがよくない」と見抜いた。つまり、「実行委と津田の本心は、美術ではなく政治アピールだ」と見抜いた。
 ここを見抜くかどうかが、核心だ。はてなブックマークの人々は、見抜けなかった。国民の多くも、見抜けなかった。やまもといちろうも、見抜けなかった。彼らはいずれも、「表現の自由を守れ」と主張した。一方、検証委は、そこを見抜いた。これは表現の自由の問題ではなく、政治的アピールの問題だった。展示するかどうかではなくて、公的施設での展示にこだわったことで、美術展よりも政治的アピールを重視した、ということを見抜いた。そこで、そういう連中(実行委と津田)の責任だ、と批判した。

 結局、今回の問題は、「羊の皮をかぶったオオカミ」のように、「表現の自由という皮をかぶった政治活動」であるにすぎなかった。人々はその皮ばかりを見て、皮の問題だと信じて、だまされた。検証委は、皮の内側にあるものを見抜いて、その本質が何かを見抜いた。
 仮に、実行委や津田が真に「表現の不自由」をテーマとするのであれば、ヒトラーやムッソリーニを賛美するような右翼的な作品も展示するべきだった。それでこそ「表現の不自由」の美術展となる。なのに彼らは、そうしようとしない。彼らの本音があくまで左翼的な政治活動であるからだ。つまり、この美術展の本質は、美術ではなく政治なのである。そこを見抜くかどうかが、だまされないかだまされるかの違いとなる。
 


 [ 付記1 ]
 そもそもこの企画は、県の独自企画ではなく、「表現の不自由展・実行委」という団体の固有の企画だった。それも、何回目かの展示だ。(二番煎じか三番煎じだ。)
 こんなふうに他人の企画を採用して、丸投げするなんて、とんでもないことだ。トリエンナーレという大きな企画の目玉企画にするには、あまりにも無責任すぎる。こんなものを採用するという津田の基本方針が、あまりにもひどかった。
 自分では独自企画ができないから、目に付いた他人の独自企画をとって、丸投げする……というわけ。その上で、口出しすらも禁じられて、言うなりになるしかない。無能にもほどがある。
 このようなトラブルは、起こるべくして起こったと言える。それというのも、津田というど素人に全権を委ねた、愛知県(その実行委員会会長である県知事)が馬鹿すぎた。
 きちんとした専門家に委ねようとしないで、自分自身が実行委員会会長になったという、県知事こそが最大の根源だと言えるだろう。
 まして、展示の中止まで決めたのだから、県知事の責任はきわめて大きい。

 [ 付記2 ]
 私は検証委に全面同意するわけではない。
 抗議を受けた中止は、「危機管理上の正当な理由に基づく」もので、「やむなしと考えられる」と認定した。
( → 津田大介氏を検証委員会が厳しく批判。表現の不自由展について「混乱と被害をもたらした最大の原因は芸術監督」 | ハフポスト

 これにはまったく同意しない。中止するのなら、2作品だけで足りた。他の作品までいっしょに中止にするのは、理屈になっていない。ただの「連帯責任」または「巻き添え」だ。メチャクチャすぎる。知事の方針もひどいが、それを容認する検証委もひどい。
 こういう形で一律に「展示中止」することこそ、「表現の不自由」であろう。もしかして、自分たちの行動自身を、愚かな行動として作品に従ったのだろうか? あまりにも馬鹿げている。ミイラ取りがミイラになったように、作品を展示するつもりで自分たち自身が(馬鹿な)作品になってしまった。



 【 関連項目 】

 大村県知事の責任が大きいことについては、下記項目でも論じた。
  → 慰安婦像は芸術なのか?: Open ブログ
  → 慰安婦像は芸術なのか? 2: Open ブログ
  → 慰安婦像・その後: Open ブログ
  → 慰安婦像の設置を受け入れる?: Open ブログ



posted by 管理人 at 21:35| Comment(1) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
世界一醜い民族 日本人 の代表として 某国の動画に大村の顔出てましたね この問題の前からです
Posted by k at 2019年09月28日 01:48
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