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これは現状では認められていない。だが、この方針をいくらか変えて、欧米のように認めようという動きがある。
→ 着床前診断の研究、9月にも開始 期待の声と倫理的課題:朝日新聞
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一部抜粋しよう。
体外受精した受精卵の染色体を調べて、不妊治療の成功につなげる「着床前診断」の臨床研究を、日本産科婦人科学会(日産婦)が9月にも各地の医療機関で本格的に始める。「命の選別につながる」として、国内ではこれまで原則禁止とされていた。
受精卵の染色体の変化は、不妊の一因とされる。通常の体外受精は受精卵を見た目で評価するが、着床前診断はある程度成長した受精卵から一部の細胞をとりだし、すべての染色体を調べてから異常がないものを子宮に移植することで、不妊治療の成功率を上げることをめざす。
国内では「命の選別につながる」という懸念から、重い遺伝病の可能性があったり、染色体の構造異常で流産を繰り返したりする場合以外は、原則禁止されてきた。しかし、欧米では、高齢妊婦の流産率を下げる効果が期待できることなどから、不妊治療に関する検査の一つとして実施されている。
記事の全文を見たが、これを実施すると、流産の率の高い高齢者の妊娠で、無駄な妊娠と流産をあらかじめ防ぐことができる。(不良な受精卵をあからじめ排除することで。)
メリットだけがあり、デメリットはないのだから、「さっさと導入すべし」と思える。なのに日本では原則禁止されてきたのは、「命の選別につながる」とされてきたからだ。
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ここで私は論理的に考える。
「命の選別につながる」とされてきたが、その認識は論理的におかしい。
そもそも、「命の選別につながる」のがダメだ、というのは、「良い遺伝子のものを選別しようとする、デザイナーベビーが、人造人間もどきになって、自然の摂理に反する」ということだった。それはそれで道理が通る。
しかし今回話題になっているのは、「良いものを選ぶ」というのではなく、「不良なものを排除する」というだけだ。これは「病気を排除する」という医学の方針そのものである。ただし、手法が「外科手術や薬物投与ではなくて、遺伝子チェックによる受精卵の選別である」という点だけが違う。
つまり、外科や内科でなく「新時代の新技術である」という点だけが違う。
で、それをもって、「そういう医学を排除しよう」というのでは、医学の進歩そのものを否定するに等しい。ナンセンスである。
日本の医学界は、「命の選別につながる」という言葉を非論理的に使っている。そのせいで、次の二つを区別できない。
・ 特別優れたものを選ぶデザイナーベビー。
・ 特別に悪いものを排除する着床前診断。
区別できないせいで、後者を前者だと混同している。しかし、そのような認識は、医学というものそのものを否定するに等しい、というのが私の判断だ。
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ちなみに、着床前診断と比すべきものとして、人工妊娠中絶 がある。これは、着床前に受精卵を捨てるのではなく、着床後に成長した胎児を捨てるものだ。こちらの方がはるかに倫理的な問題は大きい。
にもかかわらず、日本は世界でもまれに見るほど、人工妊娠中絶が簡単にできる。(経済的理由だけでいい。)その一方で、着床前診断は特別に制限されている。……これでは話が逆だろう、というしかない。こんな本末転倒・主客転倒みたいな状態を続けるなんて、日本の医学界には論理や倫理というものがないのか、と呆れるしかない。
このような論理的な難点を指摘することが、本項の意図だ。
( ※ 事の良し悪しを主張するのではないし、特定の方向から法律を動かそうとしているのでもない。論理のメチャクチャさを指摘しているだけだ。……本サイトではよくある話。)
[ 付記 ]
妊娠中絶手術については、興味深い話が二つあるので、紹介する。
(1) 件数の多さ
妊娠中絶の件数は非常に多い。現在では違うが、十数年前では、死因の1位の「癌死」よりも多い数の妊娠中絶があったので、「隠れた死因1位」とも言われたほどだ。
( ※ 現在では、少子化にともなって、妊娠件数が減っているせいで、妊娠中絶件数も減っているので、「癌死」よりも少なくなっている。)
それでも、妊娠中絶の件数は非常に多いので、これをなるべく減らすことで、少子化対策となりやすい。
なお、妊娠中絶の理由は、「十代の未婚の母で、子供を産んでも育てることができない」というような理由が多いらしい。
(2) 妊娠中絶手術の意義
「だったら妊娠中絶手術を法的に禁止してしまえ」
というふうに唱える人もいる。特に、保守派の人はそうだ。(カトリックであればなおさらだ。)
とはいえ、無理に産ませようとすると、それはそれで問題が起こりがちだ。妊娠中絶手術を医者に断られた妊婦が、前途を悲観して自殺してしまうこともある。
( ※ 手術は、一定の条件を満たさないと許可されないので、病院で拒否されることもある。特に、相手の男の署名を必要とするところが、ハードルが高い。妊娠中絶を望む女は、たいていは男に逃げられているからだ。逃げられて、音信不通のことも多い。)
というわけで、妊娠中絶手術は「必要悪」みたいなものである。それは、ないに越したことはないが、無理になくそうとすれば、かえって大きな被害が発生してしまうのである。(荷婦の自殺など)
これについて、ある医者の言葉が興味深い。人工妊娠中絶手術(アウス)とは、
「いつか望んだとき、またちゃんと妊娠できるようにするための手術だ」
という。だからこそ、そのときに備えて、現時点における中絶の手術を、なるべくていねいにやるように心がけている、とのことだ。
つまり、今回の中絶は、将来の出産のためにあるのだ、ということだ。なかなか含蓄に富む言葉だ。
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なお、上の (1)(2) は、NHK ドラマ「透明なゆりかご」から得た情報である。「ある医者」というのは、ドラマの登場人物(ヒーロー役)のことである。その言葉は、ドラマ中の台詞である。 (1) は第1回、(2) は第6回。
ドラマ評は:
(ヒロインの清原果耶は)2018年7月から放送の『透明なゆりかご』(NHK総合)でドラマ初主演を務め、重いテーマを扱った作品で独特の感受性と真っ直ぐな心根を持つキャラクターを演じて透明感溢れる演技が高評価を得る。
同作品は平成30年度(第73回)文化庁芸術祭賞テレビ・ドラマ部門で大賞を受賞し、自身も「コンフィデンスアワード・ドラマ賞年間大賞 2018」で新人賞を受賞する。
( → 清原果耶 - Wikipedia )
原作の漫画は下記。
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【 補説 】
人工妊娠中絶について、私の見解を言おう。
医学界では「受精した瞬間に生命が誕生する」という認識を取るので、「以後の妊娠中絶は殺人に等しい」というふうに判断しがちだ。
しかし私はそういう立場は取らない。かわりにこう考える。
「受精した瞬間に生命が誕生する、と言えるが、そこで誕生した生命は、原始的な生命であるにすぎない。その後、個体発生が進むにつれて、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類の時期を経て、人間らしい時期に至る。そして、人間らしい時期に至る前に妊娠中絶をしたとしても、それは、殺人ではなくて、動物殺しに等しい。ゆえに、それを殺人と見なすのは誤りだ」
この考え方に従えば、妊娠初期の中絶は何ら問題がないことになる。それは「殺人」ではなくて、「下等生物殺し」であるにすぎない。これを悪だと見なすのであれば、魚や鳥や牛豚を殺して食べることすら悪となる。(馬鹿馬鹿しい。)
同様に、着床前診断の受精卵は、単細胞生物レベルのものであるにすぎない。それを選別するとしても、「命の選別」にはなるが、「人間の選別」にはならない。こんなことを理由に「命の選別はいけない」なんて言い出したら、魚や家畜の養殖さえ禁止されてしまう。(馬鹿馬鹿しい。)
要するに、「受精した時点で生命が始まる」という認識は、それ自体は間違っていないのだが、その「生命」を「人間の生命」であると見なしている点で、決定的に勘違いをしていることになる。(人間の受精卵は、人間ではなくて、「人間になりつつあるもの」「まだ人間になっていないもの」なのである。)
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なお、胎児が少しずつ成長していく過程が、生物の進化の過程に似ていることは、「個体発生は系統発生を繰り返す」という有名な言葉で示されている。この件は、下記でも論じた。
→ ヘッケルの反復説は間違い?: Open ブログ
参考:
→ ヘッケルの反復説 - Google 画像検索
