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「表現の自由」の名の下で、慰安婦像を公開するべきだ、という意見表明が出た。
美術評論家連盟(会長=南條史生・森美術館長)は7日、「『表現の自由』という民主主義の基本理念が根本から否定された」とし、「開始当初のすべての展示が取り戻される社会的状況が整えられることを望む」とする意見表明を発表した。
( → 「表現抑圧、あってはならぬ」 美術評論家連盟が表明 「表現の不自由展」:朝日新聞 )
「開始当初のすべての展示が取り戻される」ということは、2作品も展示する、ということだ。しかし、これは妥当ではない。
(1) 少女像
少女像は、芸術作品ではなく、ただの政治的プロパガンダであるにすぎない。(前述)
また、そもそも「表現の不自由」というテーマにそぐわない。なぜなら慰安婦像は、世界で最も広く公開されているからだ。報道の文字量でも、画像の掲載量でも、一般への認知度でも、世界最大クラスだ。ミロのビーナスやダビデ像を上回っているとさえ言えるぐらい大量に公開されている。
なのに、これを「表現の不自由」と名付けるのはおかしい。現在、阻害されているのは、「表現することの阻害」ではなく、「政治的プロパガンダとして利用されることの阻害」だけだ。これを「表現の不自由」と呼ぶことは、言葉のまやかしだ。ペテンだ。
(2) 天皇動画
天皇動画は、芸術性という面では、立派な芸術性があると見えそうだ。非常に高い批評性があるからだ。下記に作品の鑑賞の報告がある。
→ 愛知トリエンナーレと「表現の不自由展」に行ってきた|瀬川深
読めばわかるが、天皇を批判しているのではなく、官公庁による「焚書」を批判している。この意味で、「天皇への侮辱」ないし「不敬罪」みたいな主張する右翼の主張は妥当ではない。この点からの「展示中止」は妥当ではない。
しかし、である。相手が天皇であるかどうかにかかわらず、個人の写真を利用して、それを焼却するというのは、名誉毀損に該当する。つまり、これが天皇ではなくて、一般個人だとしても、このような作品は許されない。
たとえば、能年玲奈(のん)とか、白石麻衣とか、滝川クリステルとか、これらの人物の写真を掲げて燃やすという動画があるとしたら、それも名誉毀損になるので、許されない。
ここでは、この人たちが「皇族」であるから「不敬罪」になるのではない。どんな市民が相手であっても、市民への「名誉毀損」になるような作品は許されないのだ。当然ながら、「写真を靴で踏みにじる」というような行為も、同様である。
また、仮にこういう作品が違法性という点で「ぎりぎりセーフ」になる可能性があるとしても、公的な美術館という場で個人への名誉毀損となるような作品は許されない。それは一種の「いじめ」と同様だからだ。こんなことが許されるのなら、小学校で「同級生の写真を燃やす」「同級生の写真を踏みにじる」というようないじめも許されることになる。とんでもないことだ。
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結論。
芸術家はやたらと「表現の自由」を主張して、自分たちの表現の自由を脅かされまいとする。それはそれで当然かもしれない。
しかし、それを言うのなら、作品の意義についても十分に理解するべきだ。それは純粋に「自分の内的な感情を形にした芸術表現」であるのか? それとも、「芸術よりも政治的効果を狙った一種のパフォーマンス」であるにすぎないのか? あるいは、「他人を傷つけて不快感を催すことで『これは芸術です』と表現するようなエセ芸術」であるにすぎないのか?
「芸術」と名付ければ何でも許される、というような立場は、芸術家の世間知らずであるにすぎない。その作品に、どれほどの芸術的な意図が込められていようと、その作品自体が犯罪的なものであるのならば、自分自身が犯罪によって傷つけられるようになるのも当然のことなのだ。「自分は人を傷つける権利がある」というふうに主張するような芸術は、真の芸術ではない。そんなものを自治体が支援するべきではないのだ。
なるほど、そのような芸術にも、表現の自由はある。だから、場末で公開する権利はある。とはいえ、それを自治体が大々的に支援するべきではないのだ。
それはいわば、「いじめを助長するような作品が、芸術の名で許容されることはない」というのと同様だ。ここでは、何よりも「社会的良識」が大切なのである。そして、それを自覚している芸術家は、多くはない。たいていは、自己のエゴを貫くばかりで、責任も良識もないのである。……芸術家に責任は良識を求める方が筋違いなのかもしれないが。
( ※ だとしても、公職にある身分の人は、自己の責任を自覚してもらいたいものだ。「表現の自由」の名の下で、横暴を許容するようなことがあるなら、もはや公職者には責任も良識もないことになる。)
[ 余談 ]
能年玲奈(のん)とか、白石麻衣とか、滝川クリステルとか、これらの人物の写真を掲げて燃やすという動画があるとしたら
という話を書いたが、「なぜこれらの例を示したのか?」という疑問に答えよう。
これらの三人は、美女であり、美女の表紙のついた本を販売している。特に、能年玲奈と白石麻衣は、写真集を出している。
これらの美女の本は、売れ残ることがある。
・ 能年玲奈は、事務所騒動があった。
・ 白石麻衣の本は、発行部数が超巨大。
・ 滝川クリステルは、結婚で、ファン離れ。
かくて、本が売れ残る可能性がある。そうなったら、本が焼却処分を受けるかもしれない。そして、写真付きの本が焼却処分になるとしたら、そのことで、「美女の写真が焼却処分にされたぞ。これを撮影して、芸術作品にしてやれ」と思う美術家が出てくるかもしれない。
ま、その程度のことだ。天皇の写真の燃える動画というのも、その程度の(エセ)芸術にすぎないのである。批評性はあるが、独りよがりな二級品。本人が意気がっているだけだ。
ま、そこが津田好みなんだろうけどね。
→ https://m.facebook.com/masaaki.takayasu/posts/2440104432721507