2019年08月05日

◆ 慰安婦像は芸術なのか? 2

 前項に引きつづき、この問題を扱う。(愛知県の芸術祭が中止に追い込まれた問題)

 ──

 本項では、前項の続きとして、2点を扱う。

 表現の自由 (作品展示)


 表現の自由については、前項で詳しく述べたとおり。
 要するに、「表現の自由」というのは、公的権力がその力によって民間の発表を規制することだ。たとえば、「香港で市民が逮捕されて監獄に入れられる」という例だ。
 一方、今回は、「主催者である県が、主催者としての権限を行使して、芸術祭そのものを中止した」ということだ。ここでは、公的権力はまったく行使されていない。単に私的な権限を行使しただけだ。
 仮にこれが「表現の自由の侵害」であるとしたら、「作品の発表を自主的に取りやめた」という私企業がみんな「表現の自由を侵害している」ということになる。
  ・ 客が少ないので途中で開催を中止した展覧会
  ・ 客が少ないので途中で上映を中止した映画
  ・ 世相に配慮して番組内容を変えたテレビドラマ


 最後の例では、テレビ番組の「監察医朝顔」というドラマがある。22日の放送では、放火犯の犯罪ドラマを放送するはずだったが、直前に京アニの放火事件があったので、急遽、放送を中止した。(かわりに過去の番組のダイジェスト版を放送した。)
 1週間後の 29日には、元の番組を編集して放送したが、その番組では、放火の場面が完全に削除されていた。放火犯の犯罪ドラマなのに、放火の場面(肝心の犯罪の場面)がまったく放送されていないのだから、まるで「黄身のない目玉焼き」みたいに物足りない感じとなった。
 この例では、民間企業が自主的に放送内容を変えたわけだ。では、これは「表現の自由の侵害」なのか? もちろん、違う。なぜならそこでは、公権力の行使はなされていないからだ。(主宰者が自発的に変更・削除しただけだからだ。)

 今回の芸術祭も同様である。そこでは、公権力の行使(法律による権能の行使)は、なされていない。単に主催者としての権限を行使しただけだ。それは「表現の自由」とは何の関係もないのである。

 ※ ここを誤解して「表現の自由の侵害だ」と言っている人は多い。法律のことを何も知らない、法律音痴の見解だ。たとえば、下記。
  → 「表現の不自由展・その後」をめぐって起きたこと――事実関係と論点の整理(明戸隆浩)

 ※ なお、憲法における「基本的人権」の項目は、すべて、公権力が個人の権利を侵害することを禁じている項目だ。これは国家の権能について規定する条項である。ただのビジネスの内容を規定する条項ではない。お間違えなく。

 表現の自由 (意見発表)



 ただし、ここでは「表現の自由」がまったく侵害されていないかというと、そうでもない。次の点が問題となる。
 今回、市長が「少女像の展示の中止を」と県知事に申し入れた。
  → 「平和の少女像」展示中止を要請へ。あいちトリエンナーレを河村たかし・名古屋市長が視察

 このあと、県知事は「脅迫を受けたから」という理由で、芸術祭そのものを全面的に中止した。そのあとで、河村市長のことを「表現の自由を侵害するので憲法違反だ」と批判した。
  → 大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」

 しかし、ここには、三重の意味の問題がある。

 (1) 真犯人

 芸術祭の開催中止については、市長は口先で意見を言っただけだ。実際に開催中止を決めたのは、県知事である。
 これを殺人事件でなぞらえれば、前者は殺人を口先で頼んだ教唆犯であり、後者は殺人を実行した実行犯である。どちらが真犯人であるかは自明だろう。
 今回の「開催中止」の主犯は、県知事なのである。なのに、県知事を批判しないで、市長を批判する人が多い。これでは真犯人を取り違えている。

 しかも、この真犯人(県知事)は、罪がきわめて大きい。脅迫者は「少女像を展示中止にしろ」と脅迫しただけなのに、作品全体を展示中止にしてしまった。これを比喩で言うなら、教唆犯が「ぶん殴ってくれ」と頼んだら、実行犯がナイフで刺し殺してしまった、というようなものだ。あまりにもひどい過剰反応である。被害の規模を圧倒的に大きくしたのは、実行犯の方なのだ。その真犯人を見逃すのはとんでもない。それどころか、この真犯人の方を「すばらしい」と称賛する人が山のようにたくさんいる。
  → はてなブックマーク
 しかしこれでは、大規模な被害をも垂らした京アニの放火犯を「すばらしい」と称賛するようなものだ。狂気の沙汰である。
 繰り返していう。今回の展示中止をもたらした真犯人は、県知事である。本来ならば、次のいずれかにするべきだった。
  ・ 2作品だけを展示中止にする
  ・ 2作品だけを場末の会場で無償公開する

 常識的には、前者であろう。(市長もそうだ。)
 私としては、後者を推奨した。(前項)
 ところがこの県知事は、一挙に「全作品の展示中止」という途方もない暴挙に出た。とんでもないことだ。こいつこそが大規模災害をもたらした真犯人だと言える。
 そして、こういう大量殺害放火犯みたいな真犯人を「すばらしい」と称賛するのが、はてなブックマークの人々なのだ。呆れるしかないね。

 (2) 表現の自由の侵害

 真犯人は判明した。県知事だ。
 では、市長はどうか? 市長に責任はないか? 
 なるほど、県知事の言うように、市長はそういう意見を言うべきではなかっただろう。「日本にとって不都合な作品を展示中止にしろ」というふうに言うべきではなかっただろう。
 しかし、である。ここは日本なのだ。表現の自由があるのだ。とすれば、どれほどけしからん意見であろうと、そのような意見を語る自由はあるのである。それが「表現の自由」という意味だ。
 ところが、県知事は市長の意見を封殺しようとしている。「そんな意見は憲法違反だ」というふうに述べて、市長の意見を封殺しようとしている。
 ここでは、「憲法」という権力(および自己の県知事という肩書き)を、虎の皮のように利用して、権力によって個人の意見発表を咎めようとしているのだ。こういうことこそ、「権力による表現の弾圧」であるから、これこそまさしく、「表現の自由の侵害」であると言える。
 つまり、今回の騒動では、市長の側には「表現の自由の侵害」はなかったが、県知事の側には「表現の自由の侵害」はあったのだ。「意見封殺」という形で。……なのに、それに気づかずに、犯人と被害者を逆に認識しているのが、(はてなーなどの)大多数の人々である。

 ここでは、推理ドラマのような前半のような大逆転が起こっている。世間の人々が「真犯人だ」と思っているのは、実は被害者であり、逆に、世間の人々が「被害者だ」と思っているのは、実は真犯人であるのだ。
 真犯人と被害者は、こう語ってもいい。
 「わたしたち」
 「もしかして」
 「入れ替わってる〜」

 (3) 嘘

 県知事が展示中止を決めた理由として、「ガソリン携行缶を持ってお邪魔しますね」という脅迫があったからだ、と述べた。これは真っ赤な嘘である。よくもまあ、こうも堂々と嘘を付けるものだ。
 なるほど、「ガソリン携行缶を持ってお邪魔しますね」という脅迫はあった。それは事実である。ただしそれは、「全面的な展示中止」を要求してのことではない。「少女像の展示中止」を要求してのものだ。
 だから、「全面的な展示中止」の理由として、脅迫犯のガソリン缶の話を持ち出したのは、事実に反する。つまり、虚偽である。
 では、真実は? もちろん、「知事の独断」である。単に2作品の展示中止(つまり河村市長が申し入れたことこと)だけを実行すればいいのに、「それではテロに屈したことになる」と思ったので、勝手に「全面的な展示中止」を決めてしまった。ここでは、「全面的な展示中止」の真犯人は県知事なのに、その事実を隠蔽して、嘘をついている。(「真犯人は脅迫者だ」と責任転嫁している。)
 これを比喩で言えば、脅迫者から「京アニのビルの玄関をぶち壊せ」と言われた実行犯が、勝手に暴走して、ガソリン缶をぶちまけて、34人を殺害させたようなものだ。ここでは、犯罪規模を圧倒的に大きくしたのは、あくまで実行犯なのだ。脅迫者が「京アニのビルの玄関をぶち壊せ」と言ったとしても、その脅迫者は、決して放火殺害の実行者ではないのである。つまり、真犯人ではないのである。

 なのに実行者は「脅迫者が真犯人だ」と言う。これは明白な嘘だ。真っ赤な嘘だ。
 展示の全面中止を決めた真犯人は、県知事である。そこを勘違いしてはならない。真犯人の真っ赤な嘘(責任転嫁)に だまされてはならない。詐欺師の口上に だまされてはならない。

( ※ 今回の全面中止では、県知事が圧倒的に悪玉である。このひどい悪玉を褒め称える人が多いのだから、呆れるしかない。ま、詐欺師が善人のフリをすると、善人だと思い込んでしまうので、裏の顔を見抜くことは難しいのだろうが。)



 【 関連項目 】
 本項の続編
  → 慰安婦像の設置を受け入れる?: Open ブログ (2019年08月07日)



 [ 余談 ]
 今回の騒動に関しては、余談として、伊東乾という人の意見を紹介する。かなり長いツイート集。
  → Ken ITO 伊東 乾(@itokenstein)/2019年08月03日 - Twilog

 津田という素人に芸術監督を任せたのが最大の失敗だった、という趣旨。
 さすがに芸術家だけあって、深い洞察がなされている。共感するところが多かった。一部抜粋しよう。
 津田さんという方とは1,2度やりとりがあり、個人的には他意はありません。しかし芸術監督という職掌に経験も覚悟もない素人であるのはもとから明らかだし、このたびの所作や対応は、展覧会主催者として芸術家と作品をキュレートする1の1がわかっていない。政治のアイコンとしか考えていない風情

 津田さんが悪いとは あまり思いません 素人さんなんだから 無理です。動員や話題性念頭で そういう人事を考えた主催者がダメダメだと思うし また 身の丈に余るものを引き受けたのは、間違いだったといわねばならないでしょう アマチュアにできる仕事ではないのだから。

 例えばオペラの芸術監督というのは 演出家が「宙乗りをさせたい」といったとき、それにかかわるリスクや、保険の掛け金、万が一楽器など棄損した場合は大変ですから 飛行のエリア制限とかあらゆる実務をやる職掌なんですが お客さんは知らないでしょそういうの。同じことで人形の首の素人では不可能

 よろしいか? 海外からアーチストを招いて、作品を一つ展示する というのがどういうことか。そこでなにか瑕疵があったり、批判があったというようなとき、主催者や芸監はどのような腹をくくっていなければならないか。 何一つないではないか。こういうウソ、偽物を通用させてはいけない。

 表現の不自由 という展覧会を打ったわけでしょう 二発目で、もう何が起こるか分かっていた。で、問題になりそうだ となったら すぐひっこめることも含めて検討 って なんですかそのド素人の無胆力な無責任ぶりは。やらないほうがよかったとおもいます 芸術や表現のためにはこの偽トリエンナーレ

 こういう 素人が勢いだけでなんかやるの 本質的に大嫌いなんですが いまや電通などに入社した20代の素人がこどもが少なくない金額動かしたりして もう終わり切ってしまっているわけで

 なにが「芸術」だ。なにも関わりのない素人が平気でそういう御託をならべ かつ 内容は全く理解していない という以上に腹がすわっていない 他でも見る風景だが シャレで芸術のなんのというの迷惑だからやめてもらいたい また国内情勢が悪くなるのが確定的。責任とれず縁が切れて終わりでしょう


 下記もある。
  → Ken ITO 伊東 乾(@itokenstein)/2019年08月05日 - Twilog
 私がトリエンナーレ関連に手厳しいのは、かつてBゼミで教えていた縁から横浜トリエンナーレ初回立ち上げの時期を記憶しており、僕自身はコミットしないことにした経緯など含め、危機管理の出来ない行事などありえないからに他なりません。

 この人は「津田さんを個人攻撃しないでください」と何度も繰り返している。「こんなど素人に任せた方が悪い」という立場だ。

 言葉で言うと、津田を「詐欺師」と読んでいる私の方が、よほど手厳しいね。だけど、「さっさと辞任しろ」とか言っているこの人の方が、追及の内容はずっと手厳しいかもね。KO パンチぐらいにはなっている。私の方はジャブぐらいだけどね。

posted by 管理人 at 21:58| Comment(1) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 最後に示した伊東乾という人が、大きな記事を書いて、話題を呼んでいる。
  → https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57247

 同意の声が多い。
  → https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jbpress.ismedia.jp/articles/-/57247

 津田の未熟さをきつく批判しているが、その点では、本サイト(前項)と似た判断であると言えるだろう。
 津田をきつく批判しているのは、この人と私ぐらいかもね。
Posted by 管理人 at 2019年08月08日 07:19
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