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京アニの死亡者については、死者の氏名を公開するべきかどうか、ということが話題になっている。今回、遺族の了承を得た 10人について、警察が氏名を公開した。
→ 京アニ 被害者の名前10人のみ公表 その背景にあるもの | NHK
ここで、NHK はマスコミとして(遺族の意に反しない限り)「なるべく氏名を報道したい」という意向を示したが、これにたいしては、はてなブックマークで批判が嵐のように起こった。「死者の名前を報道するのはマスコミのエゴだ!」というふうに。
→ はてなブックマーク
しかし、死者の名前を公開するということは、決して「マスコミの横暴」なんかではない。なぜなら、「死者を社会で悼む」ということのためには、死者の名前を公開することが必要だからだ。
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そもそも、人々は葬儀ということの意味を理解できていない。葬儀とは、決してただの形式ではない。ただの無意味な儀礼行為ではない。それは、形式を通じて、人々のつらい心を癒すためのものなのだ。
なるほど、葬儀というものは、形式的な儀礼としてなされる。しかしそれは決して無意味なものではない。ここでは、形式的な儀礼が悲しみを癒すために役立つのだ。遺族への慰めとなるし、友人や親戚や知人への慰めともなる。人々が一堂に集まって、そろって頭を垂れて、故人への悼みを捧げることで、故人を大切にすることが出来る。そして、故人を大切にすることで、遺された人々への癒しになるのである。
だから、葬儀というのは、決して遺族や知人のエゴイズムによってなされるものではない。むしろ、エゴイズムを捨てることによって癒しを得られるのだ。(それはボランティア活動の充実感に似ている。自分でなく他人のために役立つことで充実感を得る。)
ひるがえって、「遺族に対しては何も語らずに放っておいて上げるのがいい」というのは、引きこもりの発想だ。なるほど、他人や社会との関連をもたない人ならば、「つらいときには自室に引きこもる」という発想を取りがちだろう。
しかし、社会に生きる人々であれば、「つらいときにはともに悲しむ」ということで、癒しを得るのである。それは決して自分自身のエゴイズムによるのではなく、故人への深い愛情によるのだ。深い悲しみは深い愛情ゆえに起こるが、同時に、深い悲しみへの癒しもまた深い愛情に基づく行為によって起こる。
それが「鎮魂」という行為だ。そして、そのために、葬儀はある。
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だからこそ私は提案しよう。「合同慰霊祭を催すべきだ」と。これこそが死者を悼む最善の手段であり、また、遺族を慰める最善の手段であるからだ。
ちなみに、長崎には被爆者を悼むため、平和公園があり、平和祈念像もある。
京アニの被害者のために、われわれが何を出来るかを考えるといい。それは決して、「悲しんで自宅に引きこもること」「世間との関係を断つこと」なんかではないのだ。もっと何か、別のことが出来るはずなのだ。
そもそも今回の実名云々の騒動の原因は、マスコミが遺族に無断で実名報道を行ったのが発端ですから、その点についても考えた方がいいかと。
合同慰霊祭を催すことを決めたあとで、遺族には個別に参加・不参加を問い合わせればいい。それでOK。
> 遺族に無断で実名報道
誤解ですよ。冒頭の記事(リンク先)には、ちゃんと「遺族の承諾を得られた」と書いてあるでしょ。無断のわけがない。少なくとも、今回の 10名は。
ならば葬儀が合同でなければならない理由は何なのでしょうか?
慰霊祭を行うかも当事者が決めることかと。個別葬がいい場合は対応しないといけませんし。
それと、「死者を社会で悼む」のに実名の公開は必要とは言い切れないのでは無いかと思います。
>誤解ですよ。冒頭の記事(リンク先)には、ちゃんと「遺族の承諾を得られた」と書いてあるでしょ。無断のわけがない。少なくとも、今回の 10名は。
10名の件は存じています。
その前の報道が、遺族への確認や許可も取らずに行っていたので、その流れも残っているんですよね、はてブの反応は(はてブ以外も同様かと)。
それとNHKの記事の最後の内容は、自分は賛同しかねます。
合同慰霊祭は、葬儀とは別に、華やかな感じの行事として大々的になされます。「祭」の字がつく感じ。まつりごと。
時期はかなり時間を置いたあとのことです。準備もあるので、数カ月はかかるでしょう。半年後か1年後が目途かも。
なお、葬儀に参列できるのは関係者だけですが、合同慰霊祭には誰もが参加できます。京アニ事件で心を痛めた誰もが、鎮魂の儀式に参加することができるし、そのことで自分の心を少しは癒すことができます。
本項は「公開が必須だ」と述べているのではなく、「公開はしてはならない」という意見を否定しているだけです。
>しかし、死者の名前を公開するということは、決して「マスコミの横暴」なんかではない。なぜなら、「死者を社会で悼む」ということのためには、<<死者の名前を公開することが必要>>だからだ。
これだと「公開は必須」と受け取られてしまいます。
それと、この表現は問題があるかと。
>ひるがえって、「遺族に対しては何も語らずに放っておいて上げるのがいい」というのは、<<引きこもりの発想>>だ。なるほど、他人や社会との関連をもたない人ならば、「つらいときには自室に引きこもる」という発想を取りがちだろう。
反対意見を「引きこもり」と揶揄するような述べ方は、レッテル貼りと同義に見られかねず、反発を招きやすいですよ。
話が変わりますが、
>京アニの被害者のために、われわれが何を出来るかを考えるといい。それは決して、「悲しんで自宅に引きこもること」「世間との関係を断つこと」なんかではないのだ。もっと何か、別のことが出来るはずなのだ。
このようなご自身の考えを広めるならば、なぜtwitterやfacebook、はてなブックマークなどで積極的に発信されないのですか。
「死者を社会で悼む」ということのためには……と書いてあるでしょ。読めないの?
社会で悼むことを拒否している遺族は、名前を出さないことが可能です。しかしその場合は、社会で悼むことがなされません。
あなたもしかして、日本語がわからないのだろうか?
> twitterやfacebook
こんなものを使うと、馬鹿になるからです。しかも、そんなことをやるほど、暇人じゃない。
私はブログを使っています。これで十分。
はてブは使っています。いちいち名前を出さないだけ。(ブクマに絡んでくる人を避けたいから。)
> このようなご自身の考えを広めるならば
別に広めるつもりはありません。私は政治家じゃないし。社会を動かそうという意図はありません。真実を探求したいだけです。
私は名前を出さずとも社会で悼むことは可能かと思いますが。葬儀や慰霊祭をやるだけで十分でしょう。
もちろん、公開を希望した方は公開して構わないとは思います。
>こんなものを使うと、馬鹿になるからです。
よろしければ、どのような流れで馬鹿になるのかを説明していただきたいかと思います。
原因があったとしても、対策をとってうまく使えばいいだけのことでしょうし、私は書き込みを行わず、ブログと連動させるだけで十分だとは思います。
(twitterとの連動)
http://faq.seesaa.net/article/428322520.html
(facebookとの連動)
おそらくココ↓
http://faq.seesaa.net/article/460987270.html
>真実を探求したいだけです。
でしたらなおのこと、twitterやfacebookを利用した方がいいかと。
自身が考えた「真実」についても、正しいとは限りませんから、多くの人に判断してもらう必要があるでしょう。
それに、玉でも石でも「意見は多い方がいい」でしょうから。
それと、他人との切磋琢磨も常に必要です。
論点が定まらず申し訳ないのですが、冒頭のはてなでマスコミが叩かれていた理由としては、「部外者である」マスコミが「実名報道が必要」と断言していたことに起因するものと思われます。
私の個人的な方針ですから、私が勝手に決めれば良く、説明は不要でしょう。
ただしこのテーマで書いたことはあります。
http://openblog.seesaa.net/article/435849914.html
> 多くの人に判断してもらう必要があるでしょう。
コメントに応対するだけでも面倒臭いのに、これ以上の対応をするのは無理。
twitter をやっている有名人は、ブログのコメント欄は閉じているか、ブログコメントには一切返信をしないのが普通です。
> 私は名前を出さずとも社会で悼むことは可能かと思いますが。
名前が出ていない人は生死不明なのですから、勝手に死者扱いするのは失礼すぎます。
たとえば、山田花子という人がいて、生死不明なのに、勝手に死者扱いして悼むなんて、とんでもない非礼でしょう。
遺族だって、名前を出されないまま「名無しの権兵衛」として慰霊されても、それで本当に慰霊された気になる人はいないでしょう。
自分でも書いた内容が把握できなくなるかもしれないのでその対策に。
1:SNS関連について
昔よりは教育や対策などの情報が出回っているので、結局は「適切な使い方」を覚えて実践すれば大丈夫かと思います。
やりすぎがNGなのは承知です。
2:コメント応対云々について
何も一つ一つに反応せずとも、書いてある内容をざっくりと見るだけでも十分でしょう。
その中で、気になった内容について調べたり、面白いと感じたコメントをした人にのみ反応すればよろしいかと。
管理人様が無理とおっしゃるなら、これ以上は何も言いません。
3:匿名での慰霊云々について
すみません、コメントの意図がわかりかねます。
私は「亡くなられた35名の方に対してご冥福をお祈りします」といった、抽象的なイメージで書いたのですが、なぜ勝手に死者扱いなどとの論になるのでしょうか。
それと、遺族が積極的に社会から慰霊されたいと考えているとは限りません。「そっとしてほしい」と考えておられる方もいらっしゃるでしょうし。名前を出さずに慰霊祭を行おうとも、慰霊祭を行わず個別葬のみ行おうとも、何よりも当事者の意思が一番です。それで遺族が満足するならそれで十分と思われます。
それと慰霊祭以外にも、献花や売り上げへの貢献など、方法は様々あると思います。もちろん、結果的に京アニや遺族に迷惑や不利益を被らないようにしなければならないのは当然です。
たとえば、どの家のお墓にも、家の名前と故人の名前がある。これが「無名の墓」なんていうふうになったら、誰の墓かもわからないし、本人が慰霊されたとは思えない。
また、香典などがたくさん送られるだろうが、それを受け取る権利もないでしょう。そこに正式に参加していないのだから。(参加はしないが香典の金だけ寄越せ、というような、さもしい人がいるはずがないし。)
合同慰霊祭に名を連ねるのは栄誉なのだから、引きこもる必要はない、と教えるべきです。遺族は堂々と胸を張って参列するべきなのです。「悲しいから引きこもりたい」という気持ちはわからなくはないが、いつまでもそれに寄り添ってばかりいると、かえって遺族の心を傷つけます。
立ち上がれずにいる遺族には、「それでいいよ」と同調するよりは、優しく手を差し伸べて、立ち上がるための支えを与えるべきなのです。
本文で、「もっと何か、別のことが出来るはずなのだ」と書いたとおり。
この辺は、遺族の考え次第です。
たとえ匿名でも、「被害者を慰霊している」ことに変わりはないと私は考えますが、これも違う可能性は十分考えられます。私は当事者ではありませんので。
同様に、管理人様が申し上げる「匿名だと慰霊祭を行っても無意味、実名で慰霊祭を行わなければ意味はない」というのも正しいとは限りません。管理人様も当事者ではありませんから。
>たとえば、どの家のお墓にも、家の名前と故人の名前がある。これが「無名の墓」なんていうふうになったら、誰の墓かもわからないし、本人が慰霊されたとは思えない。
個人の墓と、仮に行うとした場合の慰霊碑は異なります。仮の慰霊碑には、「これは今回の事件で亡くなられた35名の冥福を祈るものである」との情報が付与されるでしょうから、「無名の墓」とは違います。
それが十分かどうかはわかりませんが、当事者の判断や考えを尊重します。
>合同慰霊祭に名を連ねるのは栄誉なのだから、引きこもる必要はない、と教えるべきです。遺族は堂々と胸を張って参列するべきなのです。「悲しいから引きこもりたい」という気持ちはわからなくはないが、いつまでもそれに寄り添ってばかりいると、かえって遺族の心を傷つけます。
当事者でもないのに遺族の考えを断定するのはよろしくないですよ。「〜すべき」と言って、遺族の考えを無視しないでください。
それに遺族が望んでいないのに慰霊祭を行うと、また逆に傷つく可能性だってあります。本人たちが望んでなければ意味がないでしょう。
>立ち上がれずにいる遺族には、「それでいいよ」と同調するよりは、優しく手を差し伸べて、立ち上がるための支えを与えるべきなのです。
本文で、「もっと何か、別のことが出来るはずなのだ」と書いたとおり。
はっきり申し上げます。遺族が望んでなければ「ありがた迷惑」です。
慰霊祭を行うかについても、当事者が決めること、部外者が企画し、催す権限はありません。
遺族が望んでいない状態で慰霊祭を行っても、慰めどころか過剰なストレスになります。
いくら管理人様が「慰霊祭を行わなければならない」とおっしゃろうとも、実施するかを決めるのは京アニと遺族であることには変わりありません。
別に押しつけじゃないですよ。「望んだ遺族だけに限定」というふうに最初の方で示しています。
見つかりません。冒頭は
>>京アニの死亡者については、合同慰霊祭を催すことが望ましい。
と、慰霊祭が必要なのが前提の内容でした。
また、その次の項や本文中のどこにも「望んだ遺族にだけ」と明確にわかる箇所が見当たりません。
もし違うのでしたら、記述箇所を提示していただきたいと存じます。
> 合同慰霊祭を催すことを決めたあとで、遺族には個別に参加・不参加を問い合わせればいい。それでOK。
※ 本文でなくコメント欄の最初。
> 全員の名前を公開する必要はありません。公開を希望した遺族の分の名前だけが公開されます。
こんなにはっきり書いてあるのに、わからないのかなあ? そもそも、それを認めて反応した返答を書いたでしょ。自分の書いたことを忘れちゃったの?
改めて、自分の考えをまとめさせていただきます。
・一つの手段として合同慰霊祭はありだと思うが、それが絶対とか限らない
・合同慰霊祭を行うにあたって、名前が非公開でも「亡くなられた被害者を弔うために行われた」という目的がはっきりしているので、十分慰霊になる
・慰霊祭を行うかを含めて、当事者が決めること
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京アニ側は7月22日、「プライバシーが侵害され、ご遺族が甚大な被害を受ける可能性がある」として、実名公表を控えるよう文書で府警に要望。ただ、時期について、代理人弁護士は今月7日、「実名報道を控えていただきたい旨を希望しているのは、もっぱら開示される時期の問題」「永久にお控えいただくよう、お願いしているものではない」と説明している。
府警幹部は「警察庁とも協議しながら遺族に丁寧に説明し、その心情に配慮しながらタイミングを決めたい」と話している。
https://www.asahi.com/articles/ASM8700MJM86PLZB018.html