2019年08月01日

◆ 三万年前の日本人渡来 2

 三万年前の日本人渡来を再現するため、台湾から丸木舟で出発する、というプロジェクトの、続報。朝日新聞の記事。

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 三万年前の日本人渡来を再現するため、台湾から丸木舟で出発する、というプロジェクトについて、私は先に次の項目を書いた。
  → 三万年前の日本人渡来: Open ブログ

 「丸木舟が出現したのは、縄文時代半ばのことなので、それよりはるかに古い時期である三万年前という時点では、丸木舟が存在していたはずがない。ゆえに、丸木舟で日本人が渡来したという想定は無効」

 こう書いたのだが、ネットでもこういう見解は私以外には見つからないまま、無視されていた。

 ところが朝日新聞が私の見解を追っかけた形で、より詳しく調べている。そして本日の記事が出た。
  → 「3万年前の航海」残る謎 本当に丸木舟?伐採は?:朝日新聞

 ネットでは有料の記事だが、紙の新聞では全文が読める。そこから重要な点を抜粋しよう。
 国内の丸木舟は縄文時代の約 7500年前が最古とされ、3万年前とは隔たりがある。海部さんも当初「丸木舟の可能性は極めて小さい」と言っていた。
 丸木舟の製作も難題続きだった。縄文時代の舟を超えない性能と規模でつくることになったが、5人が乗るには直径1メートルほどの大木が必要。台湾では適当な木が見つからず、結局、石川県のスギを伐採することになった。
 木をくりぬいて舟にする作業も難航。航海実験に間に合わなくなると心配されたため、作業しやすい工夫を施した。首都大学東京の山田昌久特任教授は「旧石器時代の石斧や作業を復元できておらず、丸木舟をどうつくったのかの解明は途上だ」と話す。
 そもそも旧石器時代に、そうした石斧が伐採や木の加工に使われたのかはっきりしない。台湾や琉球列島の大半では出土例もない。実験に立ち会ってきた早稲田大の長崎潤一教授は「国内の確実な南限は鹿児島県の種子島。徳之島より南の琉球列島では石器自体がほとんど出ていない」と語る。

 ポイントを指摘すると、次の通り。

 (1) プロジェクトの丸木舟には、直径1メートルほどの大木を使った。だが、こんな大木は、当時の台湾や南洋諸島にあったとは思えない。
 (2) たとえそういう大木があったとしても、それを丸木舟に加工することができたとは思えない。その方法もわからない。
 (3) そもそも当時は旧石器時代で、丸木舟を作れるような鋭利な石器(つまり新石器)があったはずがない。根本的に無理だ。

 以上の諸点のような問題がある、というわけだ。朝日新聞はそういうふうに問題点を指摘した。それはそれで立派だ。
 
 ※ 他に、年代の矛盾もある。最古の丸木舟が出土したのは 7500年前なので、3万年前という時点で丸木舟があったはずがない。

 ──

 さて。以上はおおむね、「3万年前の時点で丸木舟があったとは言えない」という主張だ。これは、「肯定を否定する」という形で、弱い否定である。
 一方、強い否定もある。「丸木舟はなかった」というふうにはっきりと存在を否定するものだ。これは「悪魔の証明」に似ているので、証明は困難に思えるが、実は、うまい証明の仕方を見つけた。(状況証拠の形。)
 以下で示そう。

 ──

 直径1メートルほどの大木があったかどうかは、はっきりとしたことは言えないので、これについては不問としよう。一応、「あった」と仮定する。
 では、そういう大木があったとして、それを丸木舟に加工することは可能だろうか? これについては「否」という返答を出せる。理由は次の通り。
 
 (A)作業の不可能さ

 大木を丸木舟に加工するには、道具的な問題と人的な問題がある。
 道具的な問題は、「その当時はまだ旧石器時代であって、鋭利な新石器はなかった」ということだ。
 人的な問題は、「そのためには大量の作業工程が必要だが、そのための言語がなかった」ということだ。三万年前という時点では、(石器加工の)ろくに知識がなかったことからしても、言語が未発達であったことは間違いない。一方、大量の作業工程を実施するには、発達した言語が必要である。
  ・ 作業工程の計画
  ・ 各人の分担
  ・ 衣食住をまかなう仕事(本業)との関係

 これらを調整するには、高度な知性と高度な言語が必要だ。単に思いつきで行き当たりばったりでは高度な加工品はできないからだ。
 これらのことから、「丸木舟のように多大な工程を必要とする作業は、三万年前の人類(言語が未発達な人類)にはできない」と結論できる。
  
 (B)住居との関係

 では、日本列島の先住民が十分な作業をなせるようになった時期は、いつごろだろうか? それについては、「最も必要度の高い作業物」がいつできたかを考えればいい。
 では、「最も必要度の高い作業物」とは何か? もちろん、家である。家こそが人間にとっては最重要のものとなる。たとえば、孤島に漂流したロビンソン・クルーソーも、まずは家を作ることを最優先とした。それによって雨風を防がないことには、まともに生きることができないからだ。

 では、家はいつごろから出来たのか? これについては、遺跡を見てはっきりとした証拠が見つかっている。Wikipedia から引用しよう。
 日本の旧石器時代の人々は、台地上に住むことが多かった。しかし、岩陰や洞窟に住むことも特殊な場合としてあった。
( → 竪穴式住居 - Wikipedia

 旧石器時代の人々は、更新世の末まで、キャンプ生活・遊動生活を営みながら頻繁に移動生活を繰り返してきた。旧石器時代から縄文時代への移行期である草創期には一時的に特定の場所で生活する半定住生活を送るようになっていた。縄文早期になると定住生活が出現する。鹿児島市にある加栗山遺跡(縄文時代早期初頭)では、16棟の竪穴住居跡、33基の煙道つき炉穴、17基の集石などが検出されている。この遺跡は草創期の掃除山遺跡や前田遺跡の場合と違って、竪穴住居跡の数の大幅な増加、住居の拡張、重複した住居跡、これらの住居跡やその他の遺構が中央広場を囲むように配置されている。

tateana.JPG

( → 縄文時代 - Wikipedia

 3万年前から 1.4万年前ぐらいまでは、定住しなかった。洞穴などに半定住することはあったらしい。これはつまり「家がなかった」ということだ。「家を作る技術がなかったからだ」とも言える。
  1.4万年前ぐらいからは、定住して、竪穴式住居(写真)のような家が作られるようになった。これは「ようやく家を作れるようになった」ということだ。「家を作る技術をもつようになったからだ」とも言える。その根源は、新石器という道具だろう。この道具のおかげで、やや高度な木材加工が出来るようになった。
 丸木舟が出土するのは 7500万年前だ。実際に初めて丸木舟を作るようになったのは、それよりも少し早い時期だろうが、いくら早いとしても、1.4万年前よりも前になるということはありえない。このころはようやく新石器によって粗末な家を作れるようになっただけだ。加工できる木材も直径数センチ程度だろう。一方、丸木舟というと、直系 60センチ以上が必要だから、かなり高度な石器技術が必要となる。初めて家を作った時代よりは、かなり新しい時代になってからのことだ、と推定できる。
 ごくおおざっぱに数字を出すなら、次のように見当をつけることが出来る。
  ・ 最初の住居 ……… 1.4万年前のころ
  ・ 最初の丸木舟 …… 1.0万年前のころ
  ・ 丸木舟の遺跡 …… 0.75万年前

 おおむね、こんな感じだろう。
 というわけで、3万年前の時点で大きな丸木舟があったということは、完全に否定される。「丸木舟よりも簡単に作れる住居が出現したのが、はるか先の時代になってからのことだから」という理由で。

 ──

 結論。

 三万年前の祖先が丸木舟を使って日本に渡来した、という説は、完全に否定される。考古学的な遺跡という証拠に完全に矛盾するからだ。(推理によって論証される。)



 [ 付記1 ]
 では、真相は? 祖先はいかにして日本列島に渡来したのか? それは、先の項目似記したとおり。「帆船イカダ」というのが、私の推測だ。
 西風の強い日に、帆船イカダを使えば、台湾から渡来することは可能だろう。

 なお、帆船イカダのスピードを上げるには、船体を細長くすると水の抵抗が少なくなる。一方で、船体を細長くすると安定性が下がる。この問題を解決するには、「双胴船」みたいに、細長いイカダを並行して結ぶ形にするといいだろう。
 また、イカダの先端は、カバーをつけてとがらせることで、水の抵抗を下げることが出来る。
 ここまで来ると、単純なイカダというよりは、イカダふうの船と言ってもいいぐらいだ。単純なイカダしか思いつけないような(頭の固い)現代人よりも、頭が柔らかかったかも。

 [ 付記2 ]
 人類が太平洋の諸島に進出したのは、紀元前 500年ごろだった。このように海洋を渡れたのは、ダブル・アウトリガー・カヌーという、自転車の補助輪みたいな腕木を横に備えることで安定性を増したカヌーを発明したおかげだった。
  → 文明の歴史(銃・病原菌・鉄): 知的な書評ブログ

 これは、作成するのは大型の丸木舟よりも簡単だが、船としての性能は、大型の丸木舟を上回っていたようだ。非常に長い距離を渡っていけた。
 とはいえ、それが出現したのは紀元前 500年ごろだ。三万年前の人類に、それが出来たはずがない。ダブル・アウトリガー・カヌーよりも、もっと工作が困難な「5人乗りの大型の丸木舟」なんてものを想定したのが、今回のプロジェクトだった。あまりにも歴史を無視していると言える。
 まったく、何考えているんだか。自分のメチャクチャな思いつきを実証しようとしているが、最初から「砂上の楼閣だ」と気づくべきだった。(最初の前提が非現実的な虚構だった。以後は何を実証しても、すべては虚構。)
 
posted by 管理人 at 23:35| Comment(1) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
余談
文化財の修復に必要な巨木の枯渇問題
https://www.isan-no-sekai.jp/report/5742
薬師寺には、樹齢1000年の台湾ヒノキが使われた
その後輸出禁止(伐採禁止?)にされたので、今回の実験には使えなかったんだろう
(あるいは予算的に無理だった)
2073年の式年遷宮を最後に伊勢神宮の社殿に用いられる無節で材の直径が1mを超える日本産のヒノキ材は無くなるらしい
名古屋城の木造再建には同じ山の木が使われるらしい(巨木の枯渇を早める)
Posted by 建築士の老人 at 2019年08月02日 03:15
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