2019年07月22日

◆ 京アニ火災の防火体制

 火災のあった京アニについて「防火対策は十分だった」と消防局が表明した。これは妥当か?

 ──

 死者 34名が出たような火災については、「防火対策は十分ではなかった」と考えるのが普通だろう。これは別に火災に限らず、自動車事故であれ、航空事故であれ、船舶事故であれ、大量の死者が出た事例では、「対策は十分ではなかった」」と考えるのが普通だ。
 ところが奇妙なことに、今回の京アニについては、「防火対策は十分だった」と消防局が表明した。
 京都市の「京都アニメーション」のスタジオが男に放火された事件で消火活動に当たった京都市消防局が22日、市議会で状況を報告し、現場の建物では十分な防火対策がとられていたと説明しました。消防局はそれでも大きな被害が生じた詳しい状況を検証し、今後の取り組みに反映させるとしています。
現場の建物の防火対策については、去年の査察でも法令違反はなく、防災訓練も適切に行われていて、十分な対策がとられていたと説明しました。
 建物内部にはらせん階段がありましたが、煙が上がるのを防ぐ「垂壁」と呼ばれる設備が法令に基づいて、設置されていたということです。
 平成26年には防火対策をしっかり行っているとして、消防から表彰されたこともあるということです。
( → アニメ会社放火「現場は十分な防火対策」京都市消防局 | NHK

 これを受けて、はてなブックマークでは、「それ見たことか」とばかりに得意がって、本ブログを当てこする意見が多く掲載された。
 「消防署のお墨付きが出たんだから、京アニは悪くないんだ。京アニが悪いと言ったブログはお詫びをしろ」
 という趣旨。
  → はてなブックマーク

 これぞ「誤読の典型」というものだろう。先に「誤読だよ」と解説したとおりだ。
  → ガソリン火災とスプリンクラー: Open ブログの [ 余談 ]

 要するに本サイトは、「京アニが悪い」と言っているのではなくて、「法制度が悪い」と言っている。「京アニを責めよ」と言っているのではなく、「(不備な)法制度を改めよ」と言っている。
 なのに、はてなーたちは、「京アニが悪い」と言っている、と誤読する。その誤読に基づいて、「本サイトは誤りだから、非常階段を設置しろという意見は誤りだ」と決め込む。
 かくて、本サイトを否定することによって、法制度の改正を拒む。要するに、京アニを守ろうとして、法制度の不備を守る。てんで見当違いのことをしていると言える。
( ※ 誤読したことが根源だ。)

 世の中では、誤読する人間というのは、こういう見当違いのことをするものだ。比喩で言うと、こんな感じ。
 「私は乃木坂46の齋藤飛鳥が大好きだ。齋藤飛鳥は焼き肉が大好きだ。なのに、Open野郎は『野菜が大事』と言って、焼き肉好きを批判する。しかし焼き肉はタンパク質が豊富で、とても有益なんだ。タンパク質の摂取を否定する Open野郎は、栄養学について無知であることを認めて、お詫びしろ」





 いやいや。「野菜が大事」だと言ったからといって、「焼き肉大好き」な齋藤飛鳥を批判したことにはならないでしょう。私は別に誰かを攻撃したいわけじゃない。
 なのに、はてなーは、私が「非常階段を設置することが大切だ」と言うと、「非常階段を付けていなかった京アニを非難するのはけしからん!」と息巻く。
 いやいや。私は京アニを非難しているんじゃなくて、現在の法制度を批判しているんだが。そして、現在の法制度を正すべきだ(非常階段を付けよ)と言っているんだが。
 もう、誤読する人というのは、手に負えないね。

 で、この風潮に乗っているのが、消防局だ。消防局まで、誤読に取り込まれてしまったようだ。そのせいで、メチャクチャな論旨を出している。以下、列挙しよう。

 ──

 (1) 防煙垂壁

 先に「らせん階段が吹き抜けになって火災をひどくしたようだ」という推測が出たのに、それを否定する言葉を出している。「らせん階段はあったが、防煙垂壁があった(から十分だ)」というふうに。
 しかし、これは二重の意味でおかしい。

 第1に、防煙垂壁なんてのは、天井から高さ 50cm ぐらいしかないので、大量の煙には無効だ。さらに、らせん階段の部分だけだったら、1立方メートルにもならないので、ほとんど無効である。こんなものがあろうとなかろうと、らせん階段の危険性を解消しない。

 第2に、らせん階段が危険なのは、吹き抜けになるからだ。このことで、火の回りを早くするし、煙を通らせる。今回も、次の報告が出た。(前出
 まもなく、らせん階段からきのこ雲のような煙が上がって来たといいます。
 煙は墨汁のような黒さで、あっという間に近くにあるものも見えなくなり、……
( → アニメ会社放火 「けがするか 死ぬかの選択」避難男性が証言 | NHK

 こういう状況をもたらしたのが、らせん階段だったのだ。らせん階段とはそれほどにも危険なのだ。
 なのに、「らせん階段については、防煙垂壁があったから、防火対策は十分でした」だと? 頭がおかしいのではないか? 火災の被害拡大の原因分析がまったく理解できていないのではないか? 
 ひょっとして、消防局は、京アニファンであるせいで、まともな分析能力をなくしているのだろうか? まったく信じがたいメチャクチャだ。

 (2) らせん階段の危険性

 そもそも、らせん階段というものは、防災面からは危険であることが判明している。こんなことは建築家ならばすぐにわかることだ。引用しよう。
 われわれのような建築設計者が気をつけなければならないのは、階段のデザインである。高度成長期に建設されたマンションには屋外避難階段を螺旋階段にデザインしているものをよく見かける。しかし、考えてみればわかることだが、地上10数階からこの螺旋階段を降りていくと当然目が回ってしまう。螺旋階段はせいぜい3階〜5階くらいが限度である
 われわれ建築家やデザイナーは、こうした緊急時に使用されるような階段を観念的にデザインすると、いざというときに迷惑をかけてしまいかねない。現在、階段の基本は、通常のビルであれば、中間に踊り場を設けて直進する昇り、降り、または、われわれが「行って来い階段」と呼ぶ、踊り場を介して180度回る階段である。こうした階段であれば、避難階段として大きな問題になることはない。
 デザインをするときには、具体的に様々な行為、事象を想像しながら行われなければならない。デザインで遊んでよいところは、いざという時に人の行動に不都合が起こることのないような場所を選定した上でなされるべきである。

*東京都条例では、直通階段を螺旋階段とすることを禁止している。
( → 避難階段 : Archiscape

 東京都条例というのは、次のことだ。
(らせん階段の禁止)
第十条の七 特殊建築物に設ける直通階段は、らせん階段としてはならない。
( → 東京都建築安全条例

 この禁止項目は、特殊建築物に限定されているので、京アニは直接的には条例違反とはなっていない。とはいえ、禁止されることもあるような、安全性の低いものなのである。安全性を考えるのならば、できる限り排除するべきだ、と言えるだろう。京アニ(および設計者)は、あまりにも安全性をないがしろにしていた、と言える。(違法ではないが。)

 以上のことからして、らせん階段は原則として禁止するべきだ、と言える。火災のときに吹き抜け効果が出ることが、今回の事件ではっきりとしたからだ。京アニを「違法だ」と批判することはできないが、今後の法改正では「欠陥法だ」と見なして、「らせん階段は原則禁止」というふうに法改正するべきだろう。

 そもそも、らせん階段を導入する意義は、ほとんどない。京アニの事例(下記の画像)を見ればわかる。
  → 全焼した京アニスタジオの間取りがエグい!
 大部屋の中にらせん階段があるが、通る人を下から見上げると、スカートの中が見えてしまう。だから、女性には使えないのだ。らせん階段というよりは、セクハラの道具となるエロ階段だ、と言えそうだ。こんなものを設置する意義がないのである。
 らせん階段が便利なのは、客船の船室のような、空間が非常に狭い場合だけである。こういう場合には、狭い面積だけで階段を設置できるので、らせん階段は便利だ。
 しかし、一般の建物であれば、同時に利用できるのが1名だけ(それ以上だとすれ違うのも危険である)というらせん階段は、ほとんど意味がないのである。特に、多数の人が利用するような大部屋では。
 というわけで、「らせん階段は原則禁止」というふうに法改正するべきなのだ。
 一方、「防煙垂壁があるから、らせん階段があっても、防火体制は十分だ」という消防局の主張は、メチャクチャであるとしか言いようがない。

( ※ らせん階段を禁止すると、リフォームのために工費がかかる」という不満が出そうだが、やむを得ない。ヘボな設計を選んだ自分が悪い。自業自得だろう。そのくらいのリフォーム工費は出すべきだ。)
( ※ なお、らせん階段を撤去したあとは、階段を付けるのではなく、ただの物置にしてしまえばいい。かわりに、屋外階段を新規で設置すれば、それで足りるだろう。……こういう改革を容認するといい。階段は二つが必要だが、一つは屋外階段であってもいい、というふうに。)

 (3) スプリンクラー

 スプリンクラーはとても有益であるのだが、京アニにはスプリンクラーがなかった。
  → ガソリン火災とスプリンクラー: Open ブログ
 にもかかわらず、「スプリンクラーのない京アニは、防火対策が十分だった」と述べる消防局。頭が狂っているのではないか? 「スプリンクラーがない」というのが「十分」であるのだとすれば、スプリンクラーの設置義務をすべてなくしてしまえばいいだろう。「スプリンクラーなんて、あってもなくても、どっちにしても十分だ」というのであれば、設置するだけ金の無駄だ。今後はスプリンクラーの設置義務をすべてなくしてしまえばいい。
 しかし、そんなのは暴論だ。スプリンクラーというのは、火災においては非常に有効なのである。

 消防局は、今回の火災で、「スプリンクラーではガソリン放火には対処できない」と思ったのだろう。なるほど、それは正しい。しかし、「ガソリン放火には対処できない」としても、「ガソリン放火のあとの火災には対処できる」のである。
 消防局は、その区別ができていないのだろう。そしてまた、今回の多大な死者をもたらしたのは、「ガソリン放火そのものではなく、ガソリン放火のあとの火災なのだ」ということを、理解できていないのだろう。
 だから「スプリンクラーのない施設であっても、防火体制は十分だ」なんていうメチャクチャを言うのだ。そして、はてなーのような無知な素人たちが、「スプリンクラーがなくても防火体制は十分なんだ」と唱和するのだ。
 まったく、デタラメをひろめる はてなー というのは、トンデモぞろいだな。

 (4) 非常階段とベランダ

 防火対策としては、非常階段が有効だ。
  → 京アニ火災の謎: Open ブログ
 また、ベランダも有効だ。
  → 火事では誰が助かったか?(京アニ): Open ブログ

 仮に、非常階段やベランダが十分に設置されていれば、死者は大幅に減ったはずだ。しかるに、京アニには、非常階段もなく、ベランダも不十分だった。とすれば、京アニの防火体制は決して「十分」ではなかったはずだ。
 これを「十分だ」と評価する消防局は、目が節穴だとしか思えない。

 (5) 防火と避難

 防火対策というのには、二種類がある。次の通り。
  ・ 火の手が回るのを防止する
  ・ 避難がたやすくできるようにする。

 前者は、耐火壁やスプリンクラーだ。
 後者は、非常階段やベランダや縄ばしごだ。
 京アニでは、後者の面ではほとんど何もないと言っていいほど、不十分だった。なのに、「十分だ」と評価する消防局は、目が曇っているとしか言えないね。
 とにかく、現状では避難対策が不十分なのだから、今後は避難対策を充実させる方向で、法改正をするべきだろう。つまり、非常階段やベランダや縄ばしごの設置を義務づける方向での、法改正だ。(特に、準耐火建築で。)

 (6) 耐火建築と準耐火建築

 京アニをあえて容認するとしたら、「京アニは違法ではなかった」ということだ。前にも述べたが、京アニには違法行為をしたのではなくて、現行の法制度が不備なのである。悪いのは、京アニではなく、現行の法制度を認めている政府なのだ。
 その意味で、京アニは悪くはない。(つまり、違法ではない。)
 しかし、「違法ではない」というのは、「十分だ」ということではない! スプリンクラーが設置されていないが、これは、「スプリンクラーを設置していなくても違法ではない」ということであって、「スプリンクラーなんてものは無意味だから設置しない」という意味ではない。だから、「スプリンクラーを設置していなくても十分だ」とは言えないのだ。「十分だ」という消防局の評価は、妥当ではないのだ。

 これはどういうことか? スプリンクラーというものは、本来は、なるべく設置するべきものなのである。ただし、小規模建築や、不特定多数が利用するのではない施設では、スプリンクラーを設置しなくても違法ではない。つまり、設置が免除されている。
 ここでは、「なるべくならやるべきことを免除されている」というだけであって、「スプリンクラーの設置が無意味だ」ということではない。
 とすれば、スプリンクラーを設置していない京アニは、「違法ではない」とは言えるが、「防火体制が十分だ」ということにはならないのだ。
 比喩で言おう。自動車ブレーキテストで「落第ギリギリ」となるような低性能のブレーキを付けた車は、違法にはならないが、決して「ブレーキ性能は十分だ」とは言えない。「ギリギリで不合格にならなかった」ということは、「十分な性能がある」ということにはならないのだ。
 ここを根本的に勘違いしているのが、消防局だ。

 このことは、「耐火建築」と「準耐火建築」という概念を理解すればわかる。不特定多数が利用する大きな施設は、十分な防火対策を取ることが要求されて、耐火建築が義務づけられる。一方、不特定多数が利用しない中小の施設は、十分でない防火対策を取るだけでも済むような、準耐火建築となる。ここでは、「準耐火建築の法規定に合致しているから違法性はない」とは言えるが、「準耐火建築の法規定に合致しているから防火対策は十分だ」とは言えないのだ。言えるのは「防火対策は十分であることが免除されているので、違法性はない」ということぐらいだ。
 今回の消防局は、その区別ができていない。「京アニは準耐火建築として法律違反はなかった」と言うべきところを、「京アニは(耐火建築のように)防火対策が十分だった」と述べた。
 これでは、プロとして概念の区別ができていない、と言われても仕方ないだろう。メチャクチャすぎる。

 なお、特にスプリンクラーについてなら、次の趣旨で法改正したい。
 スプリンクラーの設置は、準耐火建築では免除されている。しかし、多人数が使うビジネス用の大部屋においては、準耐火建築でも義務づけるべきだ。(免除をやめるべきだ。)
 どうしても費用の面でスプリンクラーの設置が困難だというのであれば、大部屋をやめて、いくつもの小部屋に分割するべきだ。(壁は厚い耐火壁とする。)
 このように「小部屋にする」というのは、個人住宅ならばできている。だから、個人住宅ならば、スプリンクラーの設置は義務づけられない。
 一方、ビジネス用の大部屋では、スプリンクラーの設置を義務づけるべきだ。たとえ準耐火建築であっても、だ。
 この方向で法改正をするべきだろう。

 ──

 結論。

 以上の (1)〜(6) で、いろいろと述べた。要するに、「京アニの防火体制は十分だ」ということは成立しない。そこで、今後は、この点を是正するように、法改正するべきだ。それが本サイトの主張である。

 なのに、消防局は京アニの防火体制を「十分だ」と評価する。だとすれば、「非常階段もスプリンクラーも不要」となる。それは、今後の防火体制の充実させようという法律改正を阻む。困ったことだ。

 本サイトで言っているのは、誰が良いとか悪いとかではない。「今後の火災被害を減らすにはどうすればいいか?」ということだ。いったいどうすれば、火災被害を最小化できるか? そう考えて、あれこれと論じてきた。それは科学的な視点である。
 しかし、こういう科学的な視点をとることは、難しいことであるようだ。たいていの人は感情的になるあまり、「京アニの悪口を言うな」といって、科学的な思考を拒否する。そのあげく、「非常階段もスプリンクラーも不要だ」「非常階段やスプリンクラーが必要だと言ってはならない」というふうに息巻く。困ったことだ。

 ただ、こういうふうに科学的な視点をとりにくいということは、他の分野でも生じる。
 似た例がある。航空事故だ。航空事故があったあとで、事故の原因が判明すると、航空会社の責任がわかる。すると、航空会社が不利になる。だから、航空会社は原因の究明を拒む。自分かわいさのあまり、「批判されたくない」「罪を免除されたい」と思うので、真実の解明よりも、自分の保身が優先される。かくて、真相の隠蔽が起こる。
 そこで、これを改めて、責任の追及よりも、真実の解明を優先しよう、という発想が生じた。それでできたのが、警察による原因解明のかわりとして、事故調による原因解明という方式だ。
 事故調査機関は、事故の再発防止とは別の目的を持っている機関や規制の影響力を受けてはならない。もしも刑事、行政、民事等の責任追及を目的とした調査であれば、事故を起こした当事者は自らを守るために証言が取りにくくなって有益な情報の提供を受けることができなくなる。
( → 事故調査 - Wikipedia

 かくて、「責任の追及よりも、真実の解明をめざす」という事故調の方式が普及するようになった。

 ところが、はてなーは違う。「京アニが大切だ」と思うあまり、「京アニの責任を追及されたくない」と思う。そこで、「京アニの責任を探って、真相の解明をするのはイヤだ」と言い張る。本サイトが真相の解明をしようとすると、「真相の解明をするなんて、京アニをいじめるつもりか。この人でなし!」と怒り狂う。
 つまり、「京アニは悪かった」と思われたくないので、真相の解明を拒否する。これは要するに、「真相を探るという科学的視点で調査することを阻止する」という立場だ。何が何でも「京アニが大事」ということで、京アニの責任が問われそうになりそうな真相解明を阻止するのだ。
 だから、本サイトが「京アニを責めているんじゃない。事故の再発を防ぐために、法律改正をしたいだけだ」と言っても、頑として受け入れない。
 かくて、「避難階段の設置」「ベランダの設置」「スプリンクラーの設置」「らせん階段の禁止」というような提案が阻止されるわけだ。

 で、どうなる? 次に大震災が起こったときに、これらの法改正がなされなかったせいで、多大な死者が発生するだろう。……法律改正が阻止されるせいで。つまり、はてなーのような感情的な人々のせいで。
 
 つまり、京アニ火災の犯人は 34人を殺したが、はてなーのような感情的な人々は、34人を圧倒的に上回る多大な数の火災被害者が発生させるのだ。その数は、何十人だか、何百人だか。

 今回の火災被害のあとで、法律改正が起これば、次の震災の被災者の数が大幅に減る。それだったら人々は、感謝を捧げて頭を垂れることになっただろう。
 「あなたたちの犠牲を教訓として、法制度を変えたので、私たちの命は助かりました。あなたたちの命のおかげで、私たちの命は救われたのです」
 というふうに。それだったら、今回の被害者も少しは浮かばれたかもしれない。
 
 ところが、はてなーのような人々は違う。誤読したあげく、「京アニの悪口を言うな」とだけ主張して、あらゆる法改正を拒む。
 げに恐ろしきものは、誤読なりけり。ガソリン爆発よりも、圧倒的に多くの人命を奪う。



 [ 余談 ]
 はてなブックマークでは、非常階段の設置のかわりに、「警備を増やせ」と主張する人もいる。しかし、これは無効だ。
 一般に、警備員は、建物の出入口にはいない。(玄関のそばの)ロビーと奥とを仕切る、ゲートのところに警備員がいる。
 で、今回の犯人は、どうやらゲートの前まで来てから、ゲートの向こうにガソリンをバケツでぶちまけたらしい。
 これでは「犯人はゲートを通っていない」のだから、警備員がいても無効だ。また、「ゲートでチェックする」という方針そのものが無効だ。
 犯人はすでに近辺を何度も事前チェックしたことが判明している。(防犯カメラに写っていた。)とすれば、
  ・ ゲートの前までなら容易に来られること
  ・ ゲートの先にバケツでぶちまけることはできること
 を、事前に理解していたはずだ。
 とすれば、「警備を強化すること」というのは、テロ対策としては無効なのである。

 前にも言ったが、テロそのものを阻止することはできない。しかし、テロのあとの被害を軽減することはできるのだ。それが本サイトの方針である。

posted by 管理人 at 21:45 | Comment(2) | 安全・事故 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 報道記事から。
 以下、引用。

  ̄ ̄

設計にも関わった八田社長は「なぜ非常階段を付けなかったのか悔やんでいる」と声を絞り出した。……「ざんきに堪えない」と話した。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019071901100&g=soc

  ̄ ̄

 これは、リーダーとしての責任を痛感しての発言だろう。立派だ。
 一方、はてなーは、社長の言葉のような方針(本項の方針と同じ)を批判している。リーダーの責任なんかはない、というふうに。
 これでは、せっかくの社長の言葉を貶めるようなものだし、社長の人格を批判するのも同然だ。
 はてなーのやっていることは、「ひいきの引き倒し」に近い。せっかく社長は反省しているのだから、その気持ちに寄り添うべきなんだが、逆に、社長の気持ちを否定するような言動ばかりをしている。ひどいものだ。
Posted by 管理人 at 2019年07月23日 12:44
 同じ記事に、次の話もある。

  ̄ ̄
正面玄関は普段からシャッターを閉めており、社員らは裏側の従業員用玄関から出入りしていた。しかし、出火した18日午前は来客があり、シャッターを開けていたという。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019071901100&g=soc

  ̄ ̄

 この来客というのが NHK だった、というふうにネットで騒がれている。だが、そんなことはどうでもいい。次の間取り図を見ればわかる。

 → https://togetter.com/li/1377842

 裏側の従業員用玄関というのは、らせん階段に近くて、建物の中央に近い。ここから入ったら、被害はいっそう大きくなっていたはずだ。
 「正面のシャッターを閉じていれば、犯人は入らなかっただろう」
 と思う人が多いのだろうが、そうではない。入らないのではなくて、裏口から入る。そうなったら、被害はいっそう大きくなっていたはずなのだ。
 この意味では、正面玄関を開けていたのは、まだマシであったと言えるだろう。もし正面玄関を閉めていたら、34人ではなく 40人以上が死んでいたかもしれない。

 ※ 裏口を施錠しておけば大丈夫、と思うかもしれないが、さにあらず。施錠していても、ときどき誰かは通るので、ときどき開く。そのとき押し入れば、どうにでもなるのだ。何しろ、包丁6本も用意していたのだし。
 
 https://www.asahi.com/articles/ASM7Q4HK2M7QPTIL00H.html
Posted by 管理人 at 2019年07月23日 12:57
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ