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京アニの犯人については、境遇が報じられた。
青葉真司容疑者(41)は、茨城や埼玉で住居を転々とし、各地でトラブルを重ねていた。
青葉容疑者は2010年ごろ、ハローワークのあっせんで茨城県常総市の築約30年の集合住宅に単身で住んでいた。管理人の男性(70)によると、月約4万円の家賃はほとんど滞納していたという。男性が家賃を徴収するために部屋を訪ねても無言でドアを閉められ、「ぶぜんとした様子だった」と当時を振り返る。
警察官の立ち会いで、部屋に入ったこともあった。目を引いたのは壁に開けられた2カ所の穴。室内にはハンマーが落ちていて、まわりの壁がぼこぼこになっていた。室内のノートパソコンの画面は粉々になっていて、ベランダの窓ガラスも割れていたという。
電気は止められ、冷蔵庫は開けっ放しだった。食べ残されたカップ麺や缶詰が散乱し、「腐った臭いが充満していた」という。
( → 容疑者、各地でトラブル 騒音や部屋破壊 京アニ放火事件:朝日新聞 )
これからして、「生活無能力者」であったことがはっきりとわかる。まともな収入もなく、将来を悲観していたものと思える。
本人は「小説を盗まれたからやった」などと(わけのわからぬことを)言っているので、統合失調症っぽいところもあるが、根源的には、「金のない貧困者が将来を悲観した」というのが本質的だと思える。
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そこで思い出すのが、川崎市・登戸カリタス小学校殺傷事件だ。こちらも似た事情にあった。
・ 女子小学生という最も弱者を狙った。
・ 相手に特に恨みもないのに、攻撃をした。
・ 自分は、中卒であり、社会的落伍者だった。
最後の点については、次のページが参考となる。
→ 岩崎隆一カリタス学園を狙う理由!犯行動機は生い立ち!
→ 川崎殺傷事件の犯人(岩崎隆一)の動機や顔画像は?
こちらも、51歳になりながら、まともな収入もなく、将来を悲観しての凶行だったと思える。
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このような社会的落伍者(底辺貧困層)による凶行だったということは、動機が「社会への復讐」であったことを意味する。特定の誰か(女子小学生や京アニ)を攻撃したかったわけではあるまい。そもそも、殺した相手の顔さえ知らなかったはずだ。相手の顔も知らずに殺したというのだから、憎悪の対象は殺した相手(被害者)ではなくて、社会全体であったと見なせる。
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では、これを防ぐには、どうするべきか? この問題については、次のツイートが参考となる。
京アニの事件、こうなる前に犯人を社会が救済できなかった事が悔やまれる。「犯人をかばう余地がない」と大声で叫ばれてしまう世の中がまだまだ辛いものだと痛感する。ワシはアニメが好きで、動画を見て感動して、アニメーションも作るしそういう漫画を描いていると同時に、精神疾患等の社会的
— 大童 澄瞳 SumitoOwara (@dennou319) 2019年7月20日
これへの感想もある。
sima_pan こういう精神疾患を抱えた人を支援するのは一見無駄に見えて実際は犯罪を未然に防ぐ事になる。事件が起きないと気づけないことだが。事件が起きないと無駄にみえるからね
( → はてなブックマーク・コメント )
人生に悲観して、社会に恨みを抱いて、社会に復讐しようとするような人がいる。底辺貧困層だ。こういう人には、犯行を起こしたあとで死刑にするよりは、犯行を起こす前に「救いの手」を差し伸べる方がいいのだ。その方がよほど賢明である。
今回の事件のあとで、「死刑にしろ」「死刑でも物足りない」というような意見が渦巻いている。しかしそんなことをしても、何の予防効果もないに等しい。相手はそもそも人生に絶望しているのだから。
本件で最もふさわしいフレーズがあるとしたら、こうだ。
「情けは人のためならず」
底辺貧困層に救いの手を差し伸べるのは、単に他人への人助けとなるだけではない。他人を救うことで、自分自身(社会自身)を救うことになる。復讐の憎しみを解きほぐすことで。
逆に言えば、そういうことがないまま、底辺貧困層を苦しめてばかりいるから、今の日本では、底辺層からの逆襲となる凶行が続発するのである。
カリタス事件のあとで京アニ事件が起こったというのは、決して偶然ではないのだ。
[ 付記 ]
日本の福祉制度がひどいことは、次の例でもわかる。児童の一時保護施設が、とんでもない惨状となっている。ここでも、最も苦しんでいる人に、救いの手が差し伸べられないでいる。
→ 虐待被害児らの一時保護所で人権侵害 都の第三者委指摘:朝日新聞
→ http://www.mutyun.com/archives/77843.html
教育を施すことによる格差の是正や犯罪の減少など、日本は教育についておそろしいほど金かけていませんが、教育はその人個人の問題でなく、社会全体の問題として考えるべきものと思います。