──
記事は下記。
日本列島に最初に住んだ「日本列島人」はどうやって黒潮が流れる海を渡ったのか。この謎の解明を目指す丸木舟が7日午後1時38分(日本時間午後2時38分)、台湾を出発した。国立科学博物館による「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」の実験航海で、沖縄県・与那国島を目指す。直線で約200キロ離れた与那国島までは、少なくとも 30時間かかる予想だ。
( → 3万年前、最初の日本人の旅再現 丸木舟が台湾出航:朝日新聞 )
速報は、下記でツイートしている。
→ 3万年前の航海 徹底再現プロジェクト(@koukaiprj)さん | Twitter
本日の午後6時の時点で、「まだまだかかる」とのことなので、予定の 30時間ではとうてい到達しないようだ。
とはいえ、下記のツイートもある。
日本時間7月8日0時40分、スギメはこの位置を航海中!右上の島がゴールの与那国島です!!
— 3万年前の航海 徹底再現プロジェクト (@koukaiprj) 2019年7月7日
(与那国陸上本部) pic.twitter.com/kPmoJqQVA0
これから概算すると、50時間ぐらいで到達しそうだ。到達予定時刻は、9日の正午ごろだろう。
( ※ ただし、それは不眠不休の場合。交替で眠るとしたら、もっと時間がかかって、9日の夕方頃に到着するかもしれない。しかし、あまり時間がかかりすぎると、黒潮に流されて島の北に行ってしまうので、航海失敗となる。それはまずいので、無理をしてでも急ぎそうだ。となると、9日の朝には到達するかもしれない。)
ともあれ、予定の 30時間を大幅に上回る時間がかかったことになるが、それでもともかく、距離的には到達したので、「試験航海は成功」というふうに発表することになりそうだ。(予想)
──
では、私はこれをどう評価するか? 「成功したので、立派だ」と肯定的に評価するか? いや、否定的に評価したい。
実は、前回の試験航海のときに、失敗したのを見て、私は否定的に評価した。
→ 縄文人のルーツ(本土・沖縄): Open ブログ 【 補説 】
ここでは、次のように述べた。
どうせ失敗するだろう、と思っていたら、案の定だ。
・ 草舟なんかは、つくりが粗雑すぎる。
・ 黒潮に逆らって横断するなんて、無理。
と思っていたら、実際にそうなった。
・ 草舟は水を吸って、動きが鈍くなった。
・ 黒潮が早すぎて、北方に流されてしまった。
私の予想したとおりの、大失敗。
今回は、そのような大失敗はしなかったことになる。その意味では、上記の批判は当たらない。
とはいえ、私は「丸木舟」という代案を認めなかった。かわりに、次のように述べた。
私の想像では、古代人は、次のようにして台湾から渡来した。
・ 草舟ではなく、イカダを使った。
・ 手こぎではなく、帆を使った。(帆船)
・ 北西の風の吹く冬季に渡来した。
私としては、このような形での航海があった、と推定している。それゆえ、今回のような丸木舟での航海は、もともと無意味であると考える。
なるほど、丸木舟を使えば、海峡を渡ることは可能だろう。しかし、丸木舟というのは、工作がかなり困難なのだ。丸太を丸木舟にまで削るには、高度な新石器を要する。それをうまく入手できたとは限らないし、年代がかなり遅い年代に限定されてしまう。これな歴史的事実に合致しない。
日本の先史時代の丸木舟の出土例の多くは縄文後・晩期のものであるが、縄文早期や前期の出土例もある。
縄文前期には人々は、丸木舟に乗って島々に出かけていたと推測される。
( → 丸木舟 - Wikipedia )
縄文前期というのは、かなり遅い時期である。
縄文時代は、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6期に分けられる。
( → 縄文時代 - Wikipedia )
6期のうちの3期目になって、丸木舟が出現する。それ以前の草創期・早期には、丸木舟はなかった。そのころはまだ原始人っぽかったので、ろくに文化もなかった。たぶん言語もまだ未発達だったと思える。
そんな大昔(3万年前)に、古代人が丸木舟を使ったはずがないのだ。とすれば、「丸木舟を使えば、海峡を横断できる」という発想は、「21世紀のモーターボートを使えば、海峡を横断できる」というのと、大差はないのである。どっちみち、その時代にはないものを使うからだ。
( ※ 丸木舟を「ドラえもんのポケットから取り出したんだ」とでも言うつもりか?)
ま、ともあれ、今回の試験航海は、初めから無意味である。成功しても失敗しても、どっちみち意味がない。その時代に存在しないものを使っているからである。……それが私の見解だ。
どうせやるなら、帆船イカダを使うべきだった。前に述べたとおり。
→ 縄文人のルーツ(本土・沖縄): Open ブログ 【 補説 】
【 追記 】
私は「帆船イカダ」という見解だったが、零のプロジェクトでは帆を使おうとしない。不思議に思っていたら、次の見解があった。
帆は縄文・弥生時代ですら使われていた証拠がないので、旧石器時代の舟は漕ぎ舟であったはずです。
( → 3万年前の航海徹底再現プロジェクトとは )
この見解(★)が理由であったらしい。
しかし、丸木舟ならともかく、帆の証拠なんかが残るわけがない。帆は、動物の皮か、竹の皮か、樹皮であるはずだ。それらはいずれも腐敗しやすい。そんななものが、3万年の昔から現在まで、残るはずがないのだ。
それはいわば、3万年前の草や果物や昆虫の痕跡が残っていないのと同様である。それらのものは腐敗しやすいから、痕跡は残らない。化石にもならない。だからといって、それらのものが当時は存在しなかったとは言えない。
衣服についても同様であって、獣皮を利用した衣服なら、何万年も前から使っていたはずだ。ただしそれらはすぐに腐敗してしまうから、今日までは残らない。が、今日までは残っていないからといって、何万年も前の人類が獣皮の衣服を使っていなかったとは言えないのだ。
要するに、上の見解(★)は、成立しないのだ。
そもそも、「帆は縄文・弥生時代ですら使われていた証拠がない」という理屈に従うのなら、「帆は縄文・弥生時代ですら帆は使われていなかった」という結論になるはずだ。
しかし、そんなことはありえない。縄文・弥生時代には、丸木舟を使っていた証拠がある。ならば、丸木舟よりもずっと製作が容易な帆を使っていたに決まっている。このことからしても、上の見解(★)はおかしいとわかる。
さらにもう一つ。「帆を使っていた証拠がない」というが、「イカダを使っていた証拠もない」と言えるはずだ。
・ 木や竹などを結びつけるヒモは、腐敗しやすい。
・ イカダは、利用後は、流されるか解体される。
いずれにせよ、今日までイカダが残っているはずがない。とすれば、先の見解と同じ理屈によって、「イカダの証拠がないから、イカダを使うわけには行かない」となるはずだ。なのに、そういうふうに考えないのは、自己矛盾になる。(帆について当てはめた理屈を、イカダには当てはめないから。)
※ なお、正しくは、「帆についてもイカダについても、証拠が残っていないからといって、当時は存在しなかったとは言えない」だ。これが正しい理屈。
結局、今回のプロジェクトは、とうてい成立しない理屈を理由に、「帆は使われなかった」と結論した。そのせいで、「帆船イカダを使った」という説を否定した。そのあげく、「帆なしのイカダでは無理だから、丸木舟だったはずだ」と想定した。
つまり、初めの想定が間違っていると、あとの結論はすべて間違う、という見本だ。親亀こけたら皆こけた、という感じ。
論理がメチャクチャだとすべては無意味化する、という見本だね。
→ https://twitter.com/koukaiprj/status/1148424764618182657
私の予想通りの時刻。
https://55096962.at.webry.info/201704/article_14.html
>三万年前の沖縄付近は陸橋で大陸と繋がっていた。
>「は?」って思いますよね。ええ。だったら舟でわたる意味なくね? って思いますよね。
>うん、そうなんだ実は。… 完全に繋がってる、もしくは浅い海が続いていた、というのが海底調査と生物の分布から導き出された現在の主流説なんですよ。
【これは酷い】草舟で古代人の航海を再現するプロジェクト、海を渡れないので竹舟に変更するかも?!
https://55096962.at.webry.info/201609/article_2.html
ここが詳しかったので貼ります。
 ̄ ̄
かつて「琉球列島は台湾や九州と陸続きだった」という「陸橋説」も唱えられた。だが、それなら黒潮も列島の東側だけを流れていたことになる。しかし近年の地質学や海底ボーリング調査などによって、それは否定された。
琉球列島はこの時代、決して陸続きではなく、黒潮も現在と同じように列島の西側に流れ込んでいたようだ。
https://courrier.jp/columns/45317/
かなり長い。帆 の話。