2019年07月07日

◆ 仁徳天皇陵が世界遺産に

 仁徳天皇陵(らしいもの)が、世界遺産に登録された。
 ついでに、天皇のルーツについても考える。

 ──

 仁徳天皇陵(らしいもの)が、世界遺産に登録された。記事は下記。(一部抜粋)
 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は6日、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理する「大山(だいせん)古墳」など「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を世界文化遺産に登録することを決めた。
 登録されたのは、国内最大の前方後円墳の「大山古墳」(伝仁徳天皇陵・墳丘長486メートル)や2番目の規模の「誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳」(伝応神天皇陵・同425メートル)など、4世紀後半〜5世紀後半に築造された49基。形や大きさも多様な古墳は、中央集権的な古代国家へと移行していく過程で、個人の権力の大きさや身分差が目に見える形で示されるようになっていった歴史を物語る物証として顕著な特徴があると認められた。
( → 世界遺産に「仁徳陵」など古墳群正式決定 [百舌鳥・古市古墳群]:朝日新聞

 この古墳については、下記に詳しい説明がある。
  → 大仙陵古墳(大山古墳) - Wikipedia





 では、この当時の古代日本とは、どういうものであったのか?
 実は、それがあまり良くわかっていない。このころはすでに文化や国家体制は成立していたのだが、文献が少ないのだ。

 さらに、それよりもっと古い時代になると、皆目わかっていないというありさまだ。ヤマト王権(旧称:大和朝廷)というものが成立して、これが天皇の系譜をつくることになるのだが、このヤマト王権というのがどういうふうにできたのかが、さっぱりわかっていない。ヤマト王権の前には邪馬台国があったらしいが、邪馬台国とヤマト王権との関係もわからない。そもそも、邪馬台国がどこにあったのかもはっきりとしていない。(九州か、畿内か。)

 そこで、この時代(仁徳天皇よりも古いころ。邪馬台国やヤマト王権のころ)について、歴史的な真相を探ってみた。それを、次項で示す。
 これは、「天皇はいかにして生じたか?」という謎の解明でもある。非常に重要なテーマだ。

  → 邪馬台国の謎: Open ブログ (次項)
 


 【 追記 】
 仁徳天皇は、実在していた可能性が高いと言える、最古の天皇であるようだ。
 その父である応神天皇は、実在性が少し疑わしいようだ。(その父は、生物学的には存在していたのだが、その父であるとされる応神天皇は、本当に応神天皇として存在していたのかどうかが、少し疑わしい。)
  → 応神天皇 - Wikipedia
 そのまた父である応神天皇は、実在性がかなり疑わしいようだ。
  → 応神天皇 - Wikipedia
 それ以前の天皇は、さらに実在性が疑わしくなってくる。特に、(初代の神武天皇のあとの)2〜8代の天皇は、実在性がかなり疑わしいようだ。
  → 欠史八代 - Wikipedia

 というわけで、ヤマト王権が確立してから大和朝廷のもとで、はっきりと天皇として認定されるのは、仁徳天皇のころからであるようだ。次の記述もある。
 ギネス世界記録では、神武天皇の伝承を元に、日本の皇室を「世界最古の王朝」としているが、発行物には「現実的には4世紀」と記載している。
( → 神武天皇 - Wikipedia

 仁徳天皇の在位は、4世紀または5世紀前半と推定されているので、時期的には概ね合致する。

posted by 管理人 at 23:57| Comment(0) | 一般(雑学)6 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ