プラごみを削減するために、レジ袋やストローの使用をやめよう、という運動がある。だが、効果が疑われる。
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海洋汚染の防止のために、プラごみを削減する、というのはいい。
では、レジ袋やストローの使用をやめよう、というのはどうか? それによって、プラごみを削減することができるのか?
そう疑って、私の行動を考えてみたら、「効果はまったくない」と判定した。理由は、次の通り。
・ もらったレジ袋は、家庭で使ってから、プラごみとして出す。
・ 飲食店で使ったストローは、飲食店でプラごみとして返却する。
いずれにせよ、レジ袋もストローも、100%回収されている。プラごみにはならない。とすれば、レジ袋やストローを廃止したところで、プラごみの削減にはならないのだ。もともとプラごみになっていないのだから。
( ※ 少なくとも私の場合にはそうだ。)
一方で、プラごみになるようなものは、何か? 考えると、次のようなものが想定される。
・ 外の会場で配布されたビニール袋(内容物あり)
・ 小さなペットボトル飲料
これらについては、処理がかなりあやふやである。私はともかく、不心得者だと、いい加減にポイ捨てしそうだ。
そして、こういうふうにポイ捨てされたものが、プラごみの大部分だと推定される。
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要するに、プラごみの削減を考えるには、「使用量を減らす」ことばかり考えていても駄目なのだ。「回収率を高めること」を重視するべきなのだ。
そして、個々の回収率を操作できないのだとすれば、「回収率の低い物品に限って使用量を減らす」というふうにすればいいのだ。
具体的には、こうだ。
・ 自販機のペットボトルを、金属や紙に変更する。
・ 弁当の容器を、プラスチックから紙に変更する。
これらの例では、「プラスチックの使用量を減らす」ということには、大いに効果があるだろう。いずれもポイ捨てされやすいものだからだ。
一方で、スーパーのレジ袋や、スタバのストローなどは、使用量を減らしても効果はほとんどない。どっちみち、その大部分は回収されて、プラごみとして処理されるからだ。(海洋には流れ出さない。)
環境保護を真に考えるのならば、「環境保護の意識を高めよう」とするよりは、「実際にプラごみの海洋流入を減らそう」とするべきだ。つまり、(エコ教という)宗教よりも科学の発想を取るべきなのだ。
そこまで考えれば、レジ袋やストローにとらわれる発想がいかに非科学的であるか、わかるはずだ。そんなことを考えるよりは、まずはペットボトルや弁当のプラスチックを削減するべきなのだ。
( ※ 昔は使い捨てで、木の弁当箱もあった。折り詰めだ。似たものを、今なら紙でも作れそうだ。)
2019年05月27日
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個人的な感覚ではありますが、
竹を加工してコンビニ用の弁当箱は作れないのでしょうかね?
竹なら成長が早いので、いくらでも作れそうな気がするのですが……。
でしょうか。