2019年05月27日

◆ 女性スポーツ選手の条件

 男性ホルモンの多い女性スポーツ選手を出場制限することは、妥当か?

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 女性スポーツ選手で、男性ホルモンの多い選手を出場制限するという方針がある。だが、これが物議を呼んでいる。国際競技団体はこの方針を取ったが、その後、選手が撤回を要求して裁判を起こした。しかし裁判所は選手の主張を退けた。
 男性ホルモンのテストステロン値の高い女性の出場を制限する陸上競技の規定撤回を求めた訴えを、スポーツ仲裁裁判所は今月、こう言って退けた。
 「差別的だが、必要だ」

 裁定は競技の公平性を、人権を守る公平性より優先させたことになる。生まれつき外見や体の器官が部分的に一般的な男女の特徴と異なる人を制限することになるからだ。
 女性への人権侵害的な五輪の性別確認検査が廃止されたのは1999年。性別変更した選手が手術なしに五輪参加を認められたのは2015年のことだ。 性別変更では、テストステロン値を下げることが条件になった。
 テストステロン値だけを物差しにすることに異論を持つ研究者もいる。
( → (社説余滴)テストステロンの呪縛 西山良太郎:朝日新聞

 これは朝日新聞のコラムだが、結論としては「人権重視」の方針を打ち出している。性的少数者にも出場資格を与えよ、という人道主義。いかにも朝日新聞らしい。

 ──

 では、私はどう考えるか? 人々の見失っている点をいつか指摘しよう。

 (1) 結果・影響

 「性的少数者を排除しない」という人道主義の立場は、それはそれで悪くない。しかし、そのことの結果を考えるべきだ。
 たとえば、檻の中のネズミに同情して、むやみやたらと餌をやれば、ネズミがネズミ算式に増殖して、檻の中が満杯になったあげく、ネズミは全滅してしまう。(増えすぎたミジンコのように。)
 こういうふうに、「可哀想だから」という同情で行動すると、最終的には相手をかえって苦しめる結果になることもある。
 本件でも似た事情にある。「性的少数者を排除しない」という人道主義を取れば、セメンヤ選手のように男性ばりの屈強な選手が有利なのは自明だ。実際、成績も他の女子選手に比べて圧倒的に上だ。(似た例では、ステロイド・ドーピングをしたフローレンス・ジョイナーの記録が何十年も破られていない例がある。)
 となると、将来的には、女子のスポーツ記録はすべて、このような性的少数者の記録だらけになってしまう。「女子スポーツ」という分類ではあるが、その記録はすべて性的少数者のものとなり、女子のものはなくなってしまうのだ。つまり、「女子スポーツ」とは「女子のものではない」というふうになるのだ。これは実質的には、「女子スポーツというカテゴリをなくす」というのに等しい。女子への圧倒的な差別となる。
 要するに、「性的少数者への差別をなくせ」という主張は、「女子を差別せよ」という主張と同じで、差別主義の発想なのだ。「差別主義はけしからん」と言っている人が最も差別主義にになってしまうのだ。自己矛盾。
 かつてアメリカでは、「黒人差別をなくせ」という運動のもとで、「黒人優遇」という制度が取られたことがあった。これに対して、「これは白人差別だ! 黒人優遇をなくせ!」と主張した白人がいた。一種のレイシストの発想だろう。朝日新聞の主張も、これと似ている。本人は意識していないのだろうが、「性的少数者を差別するな」という形で、女性差別を推進しているからだ。(女子スポーツ廃止論者となっているから。) 

 (2) 本質

 物事の本質を考えてもいい。セメンヤ選手は、男なのか女なのか? ネットで調べると、次の情報がわかる。
  ・ 卵巣がなくて、精巣がある。( → Wikipedia )
  ・ 女性と結婚している( → Wikipedia 英語版 )

 → セメンヤ選手の性別
 これらの点からして、セメンヤ選手はY染色体を持つ男性であると考えられる。ただしY染色体の発現が不十分であるせいで、男性器の形成が不十分となり、誕生後は女性として育てられたのだろう。
 これは「性分化疾患」という遺伝病の一種で、性的には「不完全な男性」(男性の一種)と見なすのが妥当だろう。古くは「両性具有」とか「半陰陽」とか分類されたものだ。
 ともあれ、生物学的に言えば、これは男性の一種であって、女性ではありえない。そう見なすのが妥当だろう。

 (3) 性別検査?

 セメンヤ選手を男性と見なすのであれば、そのための基準はどこに置けばいいか?
 以前は、外見チェックという方針を取ったこともあったが、これは「人権侵害」と見なされて、すぐに中止となった。
 その後は、性染色体をチェックする方針が主流になったが、誤判定で女性を男性と判定したこともあった。
 さらには、その後に染色体チェックそのものが「人権侵害」と見なされて中止となった。(1999年)
 その後に、「ステロイドの血中濃度」を一定値以下にすることを、女性の条件とするようになった。しかしこれには、「その数値を唯一の条件とするのはおかしい」という批判もあった。
 結局、いろいろと検査方法はあるのだが、どれを取っても満足のゆくものとはならなかったようだ。
 以上については、下記に詳細情報があるので、ぜひ読んでほしい。多くの知識を得られる。
  → 女を否定され、競技人生を絶たれたアスリート 性を決めるのは性器かホルモンか?

 (4) 私案

 現状では、どうにもうまい案がないようだ。そこで、私が自分なりの私案を出そう。こうだ。
 (i) 基本は、「ステロイドの血中濃度」とする。つまり、現行の制度と同様だ。
 (ii)ここで排除された選手は、抗議することができる。その際、染色体検査を要求できる。染色体検査で XX が証明された場合には、「ステロイドの血中濃度」のいかんに関係なく、女子として出場できる。

 これはつまり、「ステロイドの血中濃度」と「性染色体」の双方で「男性であること」が認められた場合のみに男性として認める、ということだ。どちらか一方で「男性でない」と認められたら、女性として認められることになる。これが原則だ。
( ※ セメンヤ選手の場合は、どちらでも「男性」として認められるので、女性とは認められない。)
 
 さて。この原則を取ると、次の場合が考えられる。
 「性染色体は男性なのに、ステロイドの血中濃度は女性である」
 この場合には、性染色体は男性であっても、ステロイドが多いという有利さはないので、女性として認めていい。
 実際、上記の記事でもこれは次のように紹介されている。
 完全型アンドロゲン不応症(CAIS)。これがマルティネス=パティーニョ選手の症状だった。Y染色体と精巣があっても、作られるテストステロン(男性ホルモン)を体で利用できないため、体つきは女性となる。だが、子宮はないため、妊娠はしない。
 マルティネス=パティーニョ選手は1988年のソウル五輪に女性としての出場は許されなかった。だが、著名な遺伝学者たちの支援を受け、染色体の規定について争った結果、1992年のバルセロナ五輪の出場をかけた大会へは出場が認められた。
( → 女を否定され、競技人生を絶たれたアスリート 性を決めるのは性器かホルモンか?

 というわけで、この場合も、先の原則を適用することが可能だ、とわかる。

 (5) 出場機会

 上の (4) のようにすれば、問題は解決する。
 しかし、セメンヤ選手にとっては、人生の一大事となるだろう。スポーツができなくなる、という感じになって、可哀想だ。
 そこで、私なりに、次のような措置を提案したい。
 「セメンヤ選手のような人には、女子としての権利を認めないが、出場だけは認める」
 要するに、「出場させてあげるが、記録は公認しない」ということだ。賞金なども与えない。ただし、試合に出場することだけはさせて上げる。(結果は非公認だが。)
 純粋に「スポーツをしたい」という思いがあるのであれば、その思いについては満たして上げる、ということだ。これならば、いくらでも自由に出場できるので、「人権侵害」にはならないだろう。また、人道主義を掲げる人々にとっても受け入れることが可能だろう。
 朝日コラムのような人々は、「人権」と「金儲け」とを混同している。人権を守りたいのであれば、出場させることだけで足りるはずだ。一方、セメンヤ選手のような人は、男性体質でありなながら、女性の分野に紛れ込むことで、ルールの穴を利用して、自分が金儲けしようとする。ここではあくまで金儲けが目的となっている。なのに「人権」という言葉で自分の狙いをゴマ化す。それに気づかないまま、口車にだまされた人々が、「人権」という言葉で、男性同然の選手を女性の枠で扱おうとする。詐欺師にだまされるようなものだ。
 そこで私が例によって、「詐欺師にだまされるな」というふうに警鐘を鳴らすわけだ。



 [ 付記 ]
 本文中では「性分化疾患」を「遺伝病の一種」というふうに扱ったが、最近ではこれを「病気ではない」と見なす立場が多いようだ。
 ゲームにのめり込んで日常生活に支障をきたすゲーム依存症が、国際的に「ゲーム障害」という疾患として認められた。25日、世界保健機関(WHO)総会の委員会で決まった。
 WHOの国際疾病分類の約 30年ぶりの改訂版「ICD―11」で、ギャンブル依存症などと同じ精神疾患に分類され、治療が必要な疾患と位置づけられた。改訂版は2022年に発効する。
 心と体の性が一致しない性同一性障害(GID)は精神疾患の分類から外れた。ジェンダーの多様性は病気ではなく個人の状態だという考え方を反映し、「性別不合」という名称になり、性の健康に関する分野に組み込まれた。
( → ゲーム依存は疾患、WHO決定 予防・治療、開発進展へ:朝日新聞

 治療可能でもないし治療する必要もない、という点では、普通の病気とは違うだろう。とはいえ、「遺伝子疾患」というものの多くは治療不可能なものであるから、そういうものだと思って、「広い意味の病気」ととらえるのも間違いではあるまい。(遺伝子操作によって治せるようであれば、治してしまうかもしれない。セメンヤ選手も、女にはなれなくとも、男にはなれるかもしれない。)

 ──

 ちなみに、「iPS細胞を使って、遺伝病を治す」という試みがなされるそうだ。「ナチュラルキラーT(NKT)細胞」と呼ばれる免疫細胞をうまくつくれない患者(一種の遺伝病)に対して、iPS細胞から作ったNKT細胞を移植することで、症状を改善するという。(がんの治療をする。)
  → iPS細胞使い、がんを攻撃 来春にも国内初の治験:朝日新聞

 とすれば、将来的には、iPS細胞でつくった精巣を移植することで、セメンヤ選手のような人々を男性化することができるようになるかもしれない。……これは、人間の改造というよりは、不完全な状態を治すというものであるから、治療の一環と見なせるだろう。その権利を尊重するべきだ。
( ※ やたらと人権主義になると、「性の多様性を認めよ。治療を認めない」というふうになる。これでは、患者の治療される権利が奪われる。過剰な人権主義は、患者としての権利をないがしろにする。善人の顔をしながら、悪魔になる。)

posted by 管理人 at 21:00 | Comment(0) | 一般(雑学)5 | 更新情報をチェックする
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