裁判員制度の現状について、朝日新聞が報告しているが、問題点もあるので、ここで指摘しよう。
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裁判員裁判の開始から 10年たったので、朝日新聞が現状についていろいろと報告している。なかなか有益な調査だ。じっくり調べている。
→ (見えた課題:4)審理参加、「無断欠勤」扱い 辞退率上昇、企業側に不備も
→ 200日の審理耐えられますか 裁判員裁判長期化の一途
→ (見えた課題:5)経験共有、守秘義務の壁 過度な自粛「社会的な損失」
→ 被告の保釈率、上昇 公判準備に配慮の流れ
→ 調書から公判中心へ 裁判員裁判10年、最高裁が報告書
→ 調書より証言、法廷に変化 裁判員10年、最高裁が分析
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ま、それはそれとして、私なりに見解を述べれば、次の二点が問題となるだろう。
(1) 制度の対象
制度の対象となるのは、殺人や傷害などの重罰になるものに限られる。そのせいで、軽い罪になるものは対象とされない。いかに冤罪の可能性があっても、だ。
特に、痴漢冤罪が問題だ。冤罪の事例が多発しているのにもかかわらず、裁判官の一方的な心証で、重罰が科される。これでは、「現状の裁判制度の問題点を正す」という本来の目的が達成されない。
これに対しては、
「軽い罪を含めると件数が多すぎて、対処しきれない」
という反論が来そうだ。しかし、違う。次のようにすればいい。
・ 重罰の罪でも、被告人が拒むなら、裁判員制度を取らない。
・ 軽罰の罪でも、被告人が望むなら、裁判員制度を取る。
これを基本とするべきだろう。(あとは適当に按分すればいい。)
ところが現実には、その逆だ。つまり、
・ 重罰の罪なら、被告人が拒んでも、裁判員制度を取る。
・ 軽罰の罪なら、被告人が望んでも、裁判員制度を取らない。
となる。つまり、やらなくてもいいことをやっていて、やるべきことをやっていない。何じゃ、これ。制度の欠陥と言えるだろう。
要するに、裁判員制度を、やりやすいところだけでやっていて、やるべきところ(必要性の高いところ)ではやらない。「やっています」というポーズを取っているだけだ。
笑い話。
ニューヨークのダウンタウンで殺人事件が多発した。そこで市長は声明をした。
「多数の警官を配備して、殺人事件を予防します」
その後、実際に多数の警官が配備された。しかし配備された先は、殺人事件の多発するダウンタウンではなくて、マンハッタンの高級住宅街という安全地帯だった。そこではもともと殺人事件などは発生していなかったのだが、金持ちセレブたちの要望に基づいて、大量の警官を配備することになった。
「もともと殺人事件のないところに警官を配備したって、殺人事件を抑止できないだろ!」
と市民は文句を言った。しかし警察はこう言った。
「大量の警官を配備したことで、まさしくこの地域では殺人事件の発生がゼロのまま保たれているんです。ゼロなんだから、大量の警官を配備したことの効果はあるんです。すばらしい!」
「しかしそれは、バケツに穴があいているときに、穴のあいていないところにテープを貼るようなものだろ」
「それでもいいんです。金持ちセレブの歓心を買うことが目的なんだから」
「何でそんなことをするんだよ!」
「金持ちセレブは高額の納税をするので、自治体が金儲けできるからです。一方、ダウンタウンなんて、納税しない貧民ばかりなんだから、貧民は死んだ方がかえって余計な費用がかからずに済むんですよ」
(2) 制度の限界
たとえ軽罰の罪が対象となったとしても、それでもまだ問題がある。
「交通事故で人を轢いても、罰されずに、執行猶予となる事例が多すぎる」
という問題だ。この件は、前に述べた。
→ 執行猶予を廃止せよ: Open ブログ
事例としては、この項目にある、吉澤ひとみ。他に、千野志麻。また、京都府亀岡市で集団登校の事故の犯人もそうだ。大量の死傷者を出しても、罰金 25万円だけ。これじゃ、実質的に無罪も同様だ。
→ 人を死なせても罰金 25万円: Open ブログ
こういう問題に対しては、対処策を述べた。
→ 執行猶予を廃止せよ: Open ブログ
つまり、全面的な執行猶予を廃止する。執行猶予をするにしても、「半分だけ」というふうに、部分的なものに留める。……こういう制度改革をするべきだ。
実を言うと、形式的には、このような制度改革はできている。ただし、実行が伴わない。
ここをきちんと取り決めて実施するようにするべきだ。それが、裁判員制度(というより裁判制度)に「公正さ」をもたらすことで、最も重要な点だろう。
( ※ 形だけ裁判員制度を導入すれば、それで「公正さ」がもたらさる、というようなものではないのだ。)
2019年05月17日
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