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原発には、賛成論と反対論がある。だが、そのいずれも嘘に塗りたくられている。
「原発は安全だ」というのは、長らく政府と電力会社の公式見解だった。それはもちろん嘘だった。
だが、政府と電力会社がそれほどにも嘘をついたのは、なぜなのか? それは、反原発論者が過剰に「原発は危険だ」と言い立てたからだ。
中村政雄は、1979年のスリーマイル島原発2号機の事故以降、日本国内では原発賛成が減って行った、と評している。
日本の反原発運動の大きな転換点は、1986年のチェルノブイリ原発事故である。チェルノブイリ原発事故は、その規模の大きさと深刻さから世界的に大きく報道された。原子力事故の危険や放射性廃棄物の処理問題など、それまであまり注目されることのなかった問題が注目されるきっかけになった。
1986年8月、広瀬隆は著書『東京に原発を!』の改訂版を出版し、続いて『危険な話』を執筆した。広瀬の著書は30万部を超える大ヒットとなり、広瀬の講演会は東日本を中心に頻繁に開催された。その一方で、1988年に日本科学者会議が開催したシンポジウムでは、複数の研究者が広瀬隆の主張内容を「誤りと扇情的な筆致の問題点」とし反論している。
2012年12月1日から2日にかけて朝日新聞が行った世論調査では、「原子力発電は今後どうしたらよいか」を3択で尋ねると、「早くやめる」が18%、「徐々に減らしてやめる」が最多の66%で、「使い続ける」は11%であった。
( → 原子力撤廃 - Wikipedia )
こういう議論では、賛成と反対の議論が先鋭化するばかりだった。反原発論者は「廃止せよ」と強硬に主張し、一方で、賛成論者は「そんなことをしたら数兆円もの損失が出るので、とうていやめられない」という現実主義から、あえて「安全だ」という嘘を言い張った。
ここでは、「安全だ」と言い張る方は嘘をついたが、「危険だ」と言い張る方も嘘をついていたと言える。
なぜか? 真実はその中間にあったからだ。それは、こうだ。
「原発は、原理的には危険なものだが、安全対策をすることで、危険度を大幅に引き下げることができる」
実は、これこそが真実だった。だから、共産党の原子力専門家である国会議員は、「安全対策をせよ」という正論を述べた。詳しくは下記。
→ 安倍首相が原発の事故対策を拒否: Open ブログ
この人は「京都大学工学部原子核工学科」の出身だから、原子力の専門家だと言える。バリバリの現役の専門家ではない(政治家が本業である)が、知識や発想は専門家だ。だからこそ安全対策を何よりも重視した。「そうすれば危険度を下げることができる」ということを知っていたからだ。
しかし、多くの人々は、そういう発想を取らなかった。原発については、「反対」か「賛成」か、そのいずれかしかなかった。
反対論者が強硬に反対すればするほど、業界や政府は頑強に「安全だ」と言い張った。少しでも危険性を認めれば、相手の論理につけいる隙を与えると思ったのだろうが、危険性をまったく認めずに、頑強に「安全だ」と言い張った。( → 上記リンク )
こうして、二つの極論が強く対立した。そのいずれもが、嘘だった。そのせいで、「危険ではあるが、安全対策をすれば危険度が大幅に下がる」という真実は、どちらの側からも受け入れられなかった。……かくて、福島では、津波対策がまったくなされないまま、大規模な被害が発生した。
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これが真相だ。しかるに、人々は今になっても、この真相を理解しようとしない。いまだに政府は原発推進にこだわるし、反対論者は「原発なんかを存在することそのものが間違いだ」というふうに述べている。「安全対策をして危険度を下げるべきだった」という発想には、なかなか至らない。
工学系の人ならば、危険度のある事象については、「フェイル・セーフ」こそが何よりも大事だ、と理解しているはずだ。しかるに、そういう発想は、政治や社会の世界ではないがしろにされている。
最近でも、朝日新聞では、原発についての検証記事が始まった。
→ (現場へ!)柏崎刈羽原発:1 脱原発派「希望の星」はいま:朝日新聞
しかしここでも、「原発なんかなければよかったのに」という結論となっている。そこでは、「原発には安全対策をするべきだった」「フェイル・セーフにするべきだった」という発想はまったく抜け落ちている。
こういう記事は、単に賛成と反対の対立を煽るばかりだ。そのせいで、かえって真実は見失われ、危険度はかえって高まってしまうのである。
反原発を唱えれば唱えるほど、原発の危険度が高まる、という皮肉。
二つの大きな嘘がせめぎあうとき、その間にある真実は、見逃されて隠蔽されてしまうのである。