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(滋賀県の)交差点の事故で保育園児が死傷した事件を、前々項で述べた。
→ 交差点の事故で園児死亡: Open ブログ
これについて、対策として、「ガードレールを付けるべきだ」という意見も出た。
なるほど。ガードレールを付けておけば、今回のような事故は起こらなかっただろう。だからそれが正解であるように見える。では、本当にそれが正解なのか?
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実は、通学路や交差点などにはガードレールを付けるべきだ、ということは、今になっていわれたことではなく、何年も前からずっと言われてきたことだ。
本サイトでも、次の項目では、そう結論した。(柵・ガードレールという用語で)
→ 京都府八幡市の交通事故: Open ブログ
柵やガードレールや杭を設置することで事故を防止する……というのは、別に、特別なアイデアではなく、昔からある凡庸な案なのである。当然な案だとも言える。
ではなぜ、その当然の案が実現しなかったのか?
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これについては、「金がないからだ」というのが、普通の回答だ。なるほど、たしかにその予算はない。予算がなければ、実現もしない。
しかしそれは真相ではない。
金がないというが、実は、予算化されていないだけのことだ。予算化される前の金なら、たっぷりとある。金はありあまるほどあるのだ。
ではなぜ、そのありあまる金が使われないか? その金は、歩行者のためでなく、自動車のために使われるからだ。
実際、自動車のためであれば、湯水のごとく金は使われる。本サイトでも論じたことがある。
日本橋の首都高の地下化に、3000億円もの巨額をかけるという。無駄の極み。
( → 高速道の地下化に3千億円: Open ブログ )
また、北海道の高速道路は、通行する自動車が少ないので、タヌキぐらいしか通らない……と言われたこともあった。( 10〜20年ぐらい前のことだが。)
要するに、自動車のために使う金ならば、滅茶苦茶にありあまっているのだ。(ガードレールの設置も、ありあまる金を使えば、可能となるはずだ。)
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すると、反論が来そうだ。
「道路建設費は、ガソリン税でまかなっているのだから、自動車建設のために使うのは当然だ」
と。しかし、残念でした。道路建設費は、ガソリン税でまかなっているわけではない。ガソリン税では足りないので、一般財源から投入して、いろいろとまかなっている。要するに、(自動車以外の)歩行者や鉄道利用者の金をふんだくって、道路建設に回しているわけだ。
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ここまで見れば、真相がわかる。こうだ。
「交差点にガードレールがない理由は、自動車優遇で、歩行者冷遇にしているからだ。国の金を、道路(車道)建設のために使うので、歩行者の命を守るための金はなくなってしまうのだ」
換言すれば、こうだ。
「交差点にガードレールがない理由は、自動車優遇で、歩行者を死なせるためである。歩行者の命なんて、もともと重視されていないのだ。大切なのは、自動車だけであって、保育園児のような歩行者のことなんかどうでもいいのだ」
そして、そういう政策を取っているから、まさしくガードレールは設置されずに、事故で死者が出るわけだ。……今回の事故の死者は、まさしく、狙い通りだったのである。
( ※ 歩行者を守るための太い杭を打つのが常道だが、こういうのがあると、歩行者の命は守られるが、自動車の運転手は死んでしまうかもしれない。それを避けるために、あえて太い杭を打たないのだ。今回も、歩行者には13人もの被害が出たが、運転手の命は守られた。人間が衝突の緩衝材になってくれたおかげで、運転手は命が助かった。自動車優遇の原理は成功した。しめしめ、というわけ。)
( ※ 今回の事故で、自動車は大破したから、自動車の販売が1台増える。自動車会社は儲かる。逆に、運転手が死んでいたら、自動車の販売ができなくなってしまうところだった。今回の事故で、自動車会社は「運転手が助かって良かった」と胸をなで下ろしているだろう。)
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では、どうして、そういう馬鹿げたことが起こるか? それは、こうだ。
「自動車会社が自民党にいっぱい献金をしているから、自動車優遇の政策が取られる」
逆に言えば、保育園児や歩行者は、自民党に献金しないから、冷遇されるのである。
結論。
歩行者の命を救いたければ、次のいずれかだ。
・ 歩行者が団結して、自民党に献金する。
・ 自民党を政権から引きずり下ろす。
そのいずれかを取ればいい。
[ 付記 ]
なお、人々が期待するのは、こうだ。
「政府は、自動車会社よりも、人を大切にする。お金よりも、人の命を大切にする」
しかし、残念でした。そういう方針を取った民主党は、国民の支持を得られずに、追放された。上のような方針は、国民によって否定されたのである。
「馬鹿な。おれは自民党なんかに投票していないぞ!」
と抗議する人もいそうだ。でも、そういう人はどうせ、投票所に行っていないでしょ。
【 関連サイト 】
→ 歩行者の死亡事故ダントツの日本、ドライバー厳罰化で解決できない理由
※ 今の日本は、自動車優先で、歩行者は軽んじられる、という趣旨。
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ガードレールの設置状況について:
→ 何度直しても壊されるガードレール : ふらふら関西
→ 大津・園児死亡事故めぐり「田舎の道路にガードレールがない問題」がTwitterで論議に
→ 【大津の事故】交差点にガードレールやパイプが無い理由は?
※ これは原因分析ではなく、ただの現状の紹介。
【 追記 】
「太い杭」は、「ガードポスト」という名称があるそうだ。そうだったのか。
本項のタイトルは「ガードレール」でなく「ガードポスト」という名称を用いるべきだったかも。
(小学校の通学路だから)
なぜこんなところで年何回もひん曲がることがあるのかって
思うほど運転手は上手くない
「何度直しても壊されていたが、そばに赤い三角ポールを設置して、運転手によく見えるようにしたら、ぶつけられなくなった」
とあります。
うちの近所は、殆どの交差点にガードポストが設置してあります。信号のある交差点では100パーセントです。
これを機に、ガードポストの設置が進むことを祈ります。
うちの近所もそうですが、それは都会だから。
問題となっているのは、金のない地方都市。
> 問題となっているのは、金のない地方都市。
場所によって違うのであれば、国策なんかじゃなく、まさに行政の怠慢じゃないですか。
ちなみにうちは都会じゃ無いですけど。
人口密度が高くて納税者が多い地域と、人口密度が低くて納税者が少ない地域では、同じ面積にかけられる金額が異なる。ちなみに道路では、都会よりも地方に多くの金額が補助される。地方の道路と、地方の歩行者対策とを、比較する。地方と都会とを比較しては駄目です。人口密度が違うんだから。
→ https://www.asahi.com/articles/CMTW1905221500002.html
国は何も対策してくれないが、自治体としてできることはやる、という方針。
ただし、対象は、管理下にある市道交差点に限られる。国道や県道の交差点は、管理外なので、できない。つまり、一番肝心なところはできない。
厚木市は、「国や県にも対策を求める」とのことだが、求めたところで、やるわけがないでしょ。莫大な金がかかるんだし。(県はまだしも、国がやるわけがない。)
かくて、事故のあとでも、危険な交差点はほとんどが放置される。
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なお、大津市の事故現場の交差点には、ポールのかわりにクッションが置かれている。
→ https://www.kyoto-np.co.jp/shiga/article/20190510000201
なるほど。これで自動車の運転手の命を守ろうとするわけだ。歩行者はどうせ死ぬだろうけど。
そうとも言い切れない。
なぜなら、左に述べる理屈も成立するからだ。
「ガードレールを設置すれば歩行者の命は守れる。しかし、ガードレールに衝突した車両の運転者、同乗者は確実に死傷するだろう。そうなると、歩行者の命と車両運転者及び同乗者の命の交換になってしまう。お金を掛けてガードレールを設置して守れる命の数が同じ程度なら、何のための税金投入か。」
だから私は言いたい。
「衝撃を吸収しつつ歩道への侵入を防止する防御柵を作ってほしい。」と。
しかし、恐らく現段階でそれは夢物語だろう。
殺人者が自分の命を守りたければ、自動ブレーキ車に乗ればいい。それだけ。