──
滋賀県大津市の交差点で、保育園児の死亡事故があった。死者2名、重症 10名ほど。
滋賀県警や大津市消防局などによると、園児 13人と保育士2人が搬送され、園児2人が死亡、2人が意識不明の重体となったが、うち1人は意識を回復した。
県警によると、この付近で、直進してきた軽乗用車と右折しようとした乗用車が接触。はずみで軽乗用車が園児らがいる歩道に突っ込んだとの目撃証言があるという。
( → 保育園児1人の意識回復 散歩の列に車、2人が死亡:朝日新聞 )
原因は、「アクセルとブレーキの踏み間違い」なんかではなくて、「接触事故で方向が逸れて、歩道に乗り上げた」ということのようだ。かなり不運の度が強い。
とはいえ、「不運だから」で片付けるべきではあるまい。物事の本質を突き詰めれば、不運以外の何かが見つかるはずだ。それを探れば、事故の再発を防ぐことができる。
そこで、じっくり考えてみよう。
──
まず、この手の事故は、今回が初めてではない。今まで何度も起こってきたことだ。これは、「運が悪かったから」では済まない、ということを意味する。(かなりよくあることだからだ。)
まず、2006年の埼玉県の事故。
埼玉県川口市内の市道で、脇見運転を行った乗用車が散歩中の保育園児の列に突っ込み、21人を死傷させた。
事故は2006年9月25日午前に発生した。川口市戸塚東2丁目付近の市道で散歩をしていた保育園児や引率の保育士など39人の列に対し、後ろから走ってきた乗用車が突っ込んだ。この事故で園児4人が死亡、他の園児と引率の保育士あわせて17人が重軽傷。
クルマは道路左側へ斜行して園児の列に衝突したが、男はは事故直前に助手席に置いていたカセットプレーヤーを操作しており、前方をまったく見ていなかったことが後に判明。
( → 埼玉の園児21人死傷事故、業務上過失の最高刑 )
こういう例があったわけだ。(参考: 判決文 )
2006年では古いと思うかもしれないが、もっと新しい記事もある。本サイトでは何度か扱っている。
以下、列挙しよう。
(1) 京都府八幡市の集団登校の事故。
→ 京都府八幡市の交通事故: Open ブログ
ここでは、「対策は通学路に柵を付けることだ」と結論づけている。
(2) 千葉県の集団登校の事故。
→ 千葉県の集団登校事故: Open ブログ
ここでは、「危険な主要道路を通らず、車の通らない裏道を通れ」と結論づけている。
(3) 京都府亀岡の集団登校の事故。
→ 集団登校は安全か?: Open ブログ
ここでは、「(太い車道を避けるための裏道がないから)裏道を整備せよ」と結論づけている。
(4) 横浜の集団登校の事故。
→ 横浜の集団登校事故/大川小の津波被災: Open ブログ
ここでは、「裏道があるのに裏道を通らなかったのは、遠回りをしたくなかったからだろう。面倒くさがらずに、危険な近道より、安全な裏道を通れ」と結論している。
以上で、4つの例(項目)を掲げた。
──
さて。ひるがえって、冒頭の例(本日の事故)ではどうか? 記事にはこうある。
搬送されたのはレイモンド淡海保育園(大津市)の園児ら。同園を運営する社会福祉法人檸檬(レモン)会(和歌山県紀の川市)によると、園児らは散歩中で、事故当時は現場となった交差点で信号待ちをしていたという。
ここでは、二つの問題点がある。「散歩」と「交差点」だ。
まず、交差点はここだ。
ここを散歩したとすると、どこに行こうとしたのか?
北方にある空地に行こうとしたのかもしれない。
あるいは、水辺に沿って散歩しようとしたのかもしれない。
いずれにせよ、交差点もあるし、車道もあるし、きわめて危険である。
では、どうすればよかったか? 先に本サイトの各項で述べたように、「裏道を通る」というのがお薦めだ。
では、それは可能だったか? 調べてみよう。
見ればわかるように、保育園から裏道への直接の通路はないのだが、途中に駐車場があるので、この駐車場を経由すれば、裏道に出ることは可能だ。
また、仮に駐車場を通らないとしても、表通りを短距離だけ歩くことで、裏道に出ることが可能だ。
かくて、「自動車がひっきりなしに通る危険な幹線路」なんかは取らずに、裏道だけを歩いて、散歩することはできたのだ。
にもかかわらず、保育園は、(比較的安全な)裏道を散歩することを避けて、(非常に危険度の高い)幹線路の歩道を散歩させた。……ここに、問題の本質がある。
そして、それはまた、先に示したいくつかの事故とも共通する事故原因だ。
つまり、ほとんどの集団登校の事故の原因は、「(危険度の高い)幹線路の歩道を通ること」なのである。あえて危険な行為をするから、まさしく危険にさらされて、死者が続出するわけだ。
比喩的に言えば、「自殺行為をしていたから、自殺するハメになった」というようなものだ。
ただし、ここでは、自殺した人と自殺させた人とは異なる。自殺するハメになった人は園児であり、自殺させた人は園である。……そういう食い違いが生じる。(ひどいものだ。)
( ※ 何でそういう危険な行為をしたかは、それぞれ理由が異なる。「ちょっとだけ近道だから」という例もあるし、「この先を散歩すると、見晴らしが良くて気持ちいいから」というような例もある。いずれも、小さなプラスに引かれて、大きなマイナスの危険を冒す。エビに釣られたタイみたいなものだ。小さなエサに釣られて、命を失う。)
──
ここまで見れば、対策もわかる。
「危険な幹線路を避けて、安全な裏道を通れ」(*)
ということだ。
ただし、そのことは、なかなか実現されない。私が教えても、誰も言うことを聞かない。
ならば、対策はただ一つ。こうだ。
「上の (*) のことを、国が指導して、強制的に実行させる」
国による強制実施だ。否応なしに、そうさせる。このことを守っているかどうかを、正確に報告させて、報告書をチェックする。(遵守しなければ補助金カット。虚偽報告ならば事業停止。)
こうすれば、(*)のことは実行されるから、危険なところに園児が出向くこともなくなる。かくて原理的に事故は大幅減となる。
この問題の解決は、「事故を不運だと見なして、不運にぶつからないように祈ること」なんかではない。「事故を確率の問題だと見なして、事故の確率を大幅に引き下げるように、歩く場所を変える」ことだ。
それこそが王道というものだ。危険路なんかを通るよりは、王道を進むべきなのだ。 (ダジャレ)
《 加筆 》
「裏道だって高速運転する自動車もあるから、危険なこともあるぞ。裏道ならば安全だ、とは言えない」
という反論があった。しかし誤読だ。本項は
「裏道ならば絶対的に安全だ」
と述べているのではない。「比較的安全だ」と言っているだけであって、「絶対に安全だ」と述べているのではない。あくまで、
「確率的に危険度を下げる」
というふうに述べているだけだ。
現地は、裏道周辺は田畑がいっぱいあって、人通りのほとんどない地域だ。こういう地域の裏道ならば、比較的安全だ。一方で、大量の自動車が通る幹線路は危険だ。そのどちらを取るべきか……という話だ。
「どちらも絶対的に安全だと言えないのなら、どっちも同じだから、ものすごく危険な道を選ぶ」
というのは、滅茶苦茶すぎる。
ともあれ、本項の趣旨は、
「危険な幹線路は避けよ」
「散歩するなら、自動車の交通量の少ないところにしろ」
ということなんだが、それを、
「裏道ならば、絶対的に安全であって、危険は皆無だ」
という趣旨だと誤読する人が多いのは、困りものだ。(揚げ足取りをすることを生きがいにする人が多すぎる。人の足をすくって喜ぶ人。)
なお、過去の事例(4つ)では、集団登校への事故はいずれも幹線路で起こっている。(1)〜(4) で示した通り。
日本における人数で言えば、生活道路を通学している例の方が圧倒的に多いはずだが、そういう生活道路を通学しているときの大事故はこれまで報道されていない。(私の知る限りは。)
その意味を考えてみよう。
* * *
本項の核心を言うと、こうだ。
「人は誰しも目先の利益を追う。時間の節約とか、快楽の追求とか。……しかし何よりも「安全性」を重視するべきなのだ。なぜなら生命こそが最優先されるからだ。なのに、人はそれを理解しない。ならば、民間任せにせずに、国が民間に介入して、安全第一を義務づけるべきだ」
これは、「規制緩和」とは逆の「規制強化」だ。時代の流れに逆行するようなので、これに反対する人も多いだろう。
しかし、こうでもしない限り、子供の命を守ることはできないのだ。なぜなら人間は、自分の利益を第一にして考える存在だからだ。
[ 付記1 ]
上記で述べたような危険な通路をたどる園は、多いようだ。
私の自宅のそばでも、たくさんの園児が大きな交差点を渡っていることがある。今にして思えば、危険な行為だったな。
繁華街に出向く用事がある大人とは違って、幼児は何の用事もなく、単に散歩のために、危険な場所を通るわけだ。しかし、命を危険にさらす価値のある散歩なんて、ないのだ。
園は、園児よりも自分の都合で、園児を危険にさらして、散歩する。そういう園の都合を厳しく取り締まることが、国の役割だろう。
[ 付記2 ]
重症者と重体の園児(重症者 10名ほどを含む)は、氏名が報道されていたが、リンクしようと思って見直したら、すでにページが削除されていた。(京都新聞社の記事を Yahoo が転載したもの)
どうやら、プライバシーや個人情報の秘匿ということで、情報が削除されたようだ。
[ 付記3 ]
事故の削減というと、「自動ブレーキ」という案も浮かぶ。だが、本件に関する限りは、自動ブレーキの義務化はほぼ無効だろう。
(i) 今回の事故は、1人の不注意によって起こったのではなく、2台の自動車の偶発的事故によって起こった。
(ii) この事故は、1台の自動ブレーキでは避けがたかった。(一方が自動ブレーキを搭載していても、他方が自動ブレーキを搭載していないと、衝突は起こっただろう。)
(iii) 日本中の運転手の全員に自動ブレーキ車を提供するには、自動ブレーキ車の台数が足りない。自動ブレーキ車を全員に義務づけるのは不可能だし、中年以上の半数に義務づけるのも不可能だ。せいぜい、70歳以上の高齢者に義務づけることができるぐらいだ。(当面は、だが。)
※ 70歳以上の高齢者に自動ブレーキ車を義務づける……という件は、次項で。
[ 付記4 ]
現地地図を見ると、保育園のすぐ北側に、児童遊園地がある。そこにある建物は「大津市立東部 子ども教育センター」だ。
児童遊園地と隣接していて、そこでいくらでも遊ぶことができるのだから、あえて危険な方面まで行く必要はなかったわけだ。
なるほど、川を渡った先には、素敵な水辺がある。そこに行きたくなる気持ちはわかる。
しかし、いくら魅力的な遊び場があるとしても、そこに行くまでの途中に危険があるのならば、そこに向かってはならないのだ。
できれば、そういうことを教える遊びがあるといいのだが。たとえば、こんな感じで。
「通りゃんせ 通りゃんせ。ここはどこの細道じゃ。行きはよいよい帰りは怖い」
そしてまた、そういう思想を園に教えるように、国は強固に指導するべきなのだが。「目先の楽しさよりも、安全性を重視せよ」と。
何度も読み返してみましたが腑に落ちません。
そもそも裏道が比較的安全というのは、一般的な今の現状をもってしてのことでしょう?
管理人さんのいう4つの例の通り例えば今後交通弱者が裏道を使うとします。通学や、高齢者や障がい者、部活の試合などで集団移動する中学生、ベビーカーを押して兄弟の手を引く母親など想定した場合、裏道はだいたい狭いので混み合ったり、はみ出したりと危険ではないでしょうか。
そして裏道は車にとっても便利であることが多いですよね。抜け道として制限速度を上回るスピードで走る車を目にすることもよくあります。
裏道に行き交う人々が集中し、車が通るとやはり事故の増加になりませんか?
場所が幹線道路から裏道に代わるだけかなと思いますし、親として子供に「危ないから裏道を通るようにしてね」と言って、事故に遭ってしまったらどれだけ後悔してもしきれないと感じました。
あくまで、今後全国的に裏道に人が集中したらという仮定の話ですね
自働ブレーキが進化しても車両が破損した状態で効くかは疑わしい。
1次原因である車両同士の事故自体をなくせばよい。ここで一気に自働運転であれば防げたというのは飛躍が過ぎる。
互いのドライバーが不注意であっても事故にならない仕組みはある。結論からいえば5Gの活用である。
車両間同士(複数台)で高速通信し右左折の優先度を即時に車両自体が判断し、スムースな交差を人間が介在しないで済ませる。
車両間通信が実現すれば可能なことは以前から分かっていたが通信手段がなかった(電波法やコストの問題)
しかし5Gを使えば遅延なく制御することは可能で、通信インフラの進化でようやく実用域に入った。
これは見通しの効かない交差点でも使えるし、霧の中での渋滞に突っ込む事故もなくなる。
自働ブレーキは前方を察知して動作するのに対し、車両間通信は相手が見えない状態でも動きや存在が察知可能である。
これらは夢物語でなく実現可能な技術で、完全自働運転時代の前に各車に装備すれば自働ブレーキと補完し大幅な事故防止策になりうる。
この視点で論じるマスコミはほとんどない。ヒューマンエラーを技術で補完し1次原因を除去するのが正道だと思う。
第一幹線道でも、歩道上の事故なのに、歩行者が悪いという理屈が不明。車道に出ていたわけでもないのに。
(裏道で)自動車がほとんど走っていなくて、走っていても低速であるなら、それだけで事故の確率は大幅に減ります。
もちろん、例外的なこともあって、裏道を高速で走る自動車もあります。ただしそういう例が稀であれば、(確率的には)それを過大視する必要はありません。
一方、抜け道になっていて、裏道を走る自動車が多数あるのであれば、そういう裏道は避けるのが当然でしょう。(例外的に)
例外を持ち出しても、意味がない。例外的な事象が稀にあるから、一般的な事象を否定する、というのは、滅茶苦茶だ。
「この薬はほとんどの人に有効ですが、稀に薬が効かないこともあります」
というのを聞いて、
「へえ。効かないこともあるんだ。それじゃ、その薬は使いません」
と言って死ぬようなものだ。
「ワクチンには副作用が稀にあるのか。だったらワクチンを使いません」
と言って、あえて死ぬようなものだ。
論理が滅茶苦茶。非科学的。
やたらと人の意見に反発する天の邪鬼な人は、正しい道を捨てて、あえて自殺への道をたどる。
駅のそばを除けば、日中の歩行者の量はものすごく少ないんです。たいていの人は建物の中にいるので気づかないが、たまに外に出て歩くとわかりますよ。
まして裏道なんて、人影はほとんどないです。都会でさえそうです。(駅のそばの繁華街は別だが。)
なお、今回の場所は、都会と言えるほどではなく、裏道の周辺は田畑がいっぱいある。地図を見ればわかる。
今回の事例では、特別に自動車の交通量の多い、特別に危険な幹線路を、あえて選んで歩いていたのが、根本的な原因だ。
「私は裏道でも時速60Kmで走れるくらい運転が上手いのですが、、」と自慢する書き込みを見たことがあります。掲示板を根拠とするのは難しいですがこういう人も(多分実際に)いますので裏道=安全とは言えません。
https://www.think-sp.com/2010/10/28/uramichinokiken/
https://mainichi.jp/articles/20140924/mog/00m/040/010000c
http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0858pdf/ks085810.pdf
本文中に
・死傷者数が最も多いのは生活道路であり、次いで一般国道となっている。
・7〜9歳は、幅員の狭い生活道路において単路横断中の事故が多いことが分かった。
とある
基本的に、「道路幅が狭いのに車歩分離ができていない」「辻に信号がない」「横断歩道が少ない」「主要道路に比して見通しが悪い場合が多い」等の点から、一概に裏道が安全とは言えないと考える。
状況を見る限り、右折車の判断ミスですが。
右直事故自体は昔から交通事故のかなりの割合を占めているのだから、交差点を安全にするのが、全体的としてメリットが大きいでしょ。
交通ルールを守っている歩行者に対策させる提案をしているから、あなたは批判されているのです。
裏道が安全とは言えないなんて当たり前のことを言っても建設的な話とは思えないんだけど??
幹線道路より生活道路の方が子供の関係する事故率が高いというデータは提示されていますが、逆はされていない。
> 死傷者数が最も多いのは生活道路であり、次いで一般国道となっている。
生活道路の量の方が圧倒的に多いんだから、そりゃ、当り前です。
> 幹線道路より生活道路の方が子供の関係する事故率が高いというデータは提示されています
それは嘘。「事故率が高い」ではなく、「事故件数が多い」です。道路の総距離で比較すれば、総距離の長い生活道路の方が「事故件数は多いが、事故率は低い」のは自明。
似た誤解の例では、
「(県別で)日本で一番交通事故が多いのは、東京都だから、東京都が最も危険だ」
「(人口の少ない)鳥取・島根では、交通事故がとても少ないから、すごく安全だ」
「高圧線の上から落ちた園児はいないから、高圧線の上が一番安全だ」
というようなもの。確率というものを理解できない人の発想。足し算ができるだけで、割り算ができない。
> 交通ルールを守っている歩行者に対策させる提案をしている
本文および《 加筆 》を読んでください。
歩行者(園児)を批判しているのではなく、歩行者に命令した側(園)を批判している。被害者ではなく、(真の)加害者を批判している。そのことで、事故の再発を防ごうとしている。
あなたは完全に誤読している。被害者と加害者を取り違えるなんて、致命的な誤読だ。
それはそうだけど、「交差点を安全にする」というのは、園の努力ではできない。それはそれでやっていいが、本項の話とは別のレベルの話。
日本料理店に行って、フランス料理を注文するようなもの。「別の店に行ってくれ」と言われるのがオチ。
→ https://togetter.com/li/1353034
→ http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1353034
上に、次のコメントがある。
《 うちの近所の県道は既に対策が進んでいて、半年前に「青→赤+右矢印→赤」だった信号機が全て「赤+直進・左矢印(この間は右折は禁止)→赤+右矢印→赤」に変わって、直進・左折と右折が完全分離化された。 》
> 状況を見る限り、右折車の判断ミスですが。
たいていの事故は、どこかにミスがあって生じるものだ。ミスと偶然のからみあいで、小さな不注意が大事故に至るものだ。
だいたい、交差点での危険な右折なんて、例は山のようにある。運転手なら誰だって、場面に出くわしたことはあるはず。
一方で近所でも保育園の散歩を見ていると、広い公園に行って遊部、というのを見ていて、もし琵琶湖岸の安全な場所まで行って遊ぶ、という動きであれば話は別。交差点に行くのは必須となる。
そもそも論で園庭がない保育園を認めるのが悪いのか、ガードレールすら設置されない道路管理が間違っているのかと、前提の置き方で話が変わるとおもう
ニュース報道は認知バイアスがかかるので、きちんと統計データで示して欲しいです。
学校の通学路でも、ちょっと調べれば危険かもしれないとわかるような経路を設定していることが見受けられます。
地図を見て適当に線を引いただけで、現地調査をまともに行っていないのでしょうね。
このコメントを出した意図が分からない。生活道路の方が安全だといいたいのであろうが、実際の住環境(幼稚園の周囲や小学校の校区の概念でもよい)で、環境範囲に含まれる生活道路と一般国道の距離は、生活道路のほうがはるかに長いのは当然の事実であろう。
そして、その比率は
http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0858pdf/ks085810.pdf
この統計調査の生活道路と一般国道の道路距離の比率に近似するであろう。
ならば、生活走路と一般国道で事故に遭遇する比率は、事故件数の比率に等しいといえるであろう。
今回の件が偶然この交差点で起きただけであって、同様のことはどんな道でも起こり得ますが。
あなたは、この事故が生活道路でおきていても同じことをおっしゃるのではないでしょうか?
言うと思います。
※私のコメントの最初に、道路の種類は別として…と書いてます。
要は、周囲の実状をきちんと把握しないままで経路を決めてはいけない、というのが私の考えです。
子どもを預かる以上、保育園は子どもの安全はすべてに優先して考えてもらいたいものです。
産経の記事では生活道路の方が危険という論調ですね
・大津市の事故現場は危険を想定しにくい場所だった
・生活道路では過去に保育園児4人が死亡、17人が重軽傷を負う事故があった
・幅の狭い道路の安全対策が課題であり、最高速度を制限するなどの対策を図っている
・今回の現場は(危険が想定される場所でないため)対象外だが、電柱の後ろで待つなど気をつけるべきだ
産経が掲げた川口市の記事は、本項でも前半で紹介している。そこで示された「判決文」によれば、事故の主因は運転手のひどい注意不足。カセットテープに気を取られて、前を見ていなかった。これじゃ、どこであろうと、事故は起こる。生活道路であろうとなかろうと。
「生活道路ならば安全だということはない」というふうに示しているだけだ。
いわく、ただ歩道を歩いているだけの人が次々にクルマにはねられるという現実の裏には、「歩行者軽視」の交通政策がある、だそうです。
https://diamond.jp/articles/-/201713
一事しのぎの対策(各自安全な道を選ぶ、無理な右折を試みたドライバーに厳罰を科す)
もよいですが、こういう物事の根底にある真の原因に対し手を打たなければいけないと思う。
それはごもっともなんですが、現実的には難しい面もある。
日本は人口が多くて、平地が少ない。人口密度で大差があるので、一概に比較できない。
日本では車の通行量が多すぎて、1台止まればそれで渡れるというわけじゃない……とか。1人を通すために、多数の自動車が停止する、というのは難しそうだ。
とはいえ、現実には、1人の歩行者のために自動車が停まってくれることも多い。私はしばしば体験している。(譲ってもらっている。)
日本のドライバーには、心優しい人が多いですね。交通量があまり多くなければ、歩行者は結構優遇してもらっています。
※ 交通量が多いところでは、どうしようもないが。せいぜい、信号機かな。
人口密度が多いと、あちらが立てばこちらが立たずで、なかなか親切にしにくいようです。
この点は [ 付記4 ] で解説しておきました。
隣に児童公園があるので、園庭のかわりになります。
散歩するには距離が足りないが、駐車場経由で裏道に抜ければ、いくらでも田畑のそばを散歩できたはずです。
やはり最大の動機は、「海辺は気持ちいいから」というピクニック気分でしょう。
前述のように「いくら魅力的な遊び場があるとしても、そこに行くまでの途中に危険があるのならば、そこに向かってはならない」ということを、理解できなかった。
>(裏道で)自動車がほとんど走っていなくて、走っていても低速であるなら、それだけで事故の確率は大幅に減ります。
具体的な統計データはあるのでしょうか?
ご提案されている道幅が狭い裏道での歩車分離は非現実的です。なお、路肩の歩道を色分けしている裏道を見かけますが、それは分離ではありません。
一方、国交省は基準に満たないから縁石にガードレールをつけることをやめていたという報道もありましたが、今回の事故は不幸にして横断歩道から歩道に侵入した車による事故です。
縁石にガードレールがあってもその隙間の横断歩道から歩道へ侵入する車を避けることは不可能です。これを避けるためにはすでに出されていますが、ガードポストで機械的に車が歩道へ侵入できない様にすることが最善の策だと思われます。
なのにエアバッグをはじめとして運転手の安全性だけが上がっているような気がします。
車というものが、ぶつけると自分の命(だけ)が危ない様なものであれば事故は大幅に減るのではないでしょうか。
または、歩道があるような道路(生活道路(国道県道市道含む))については、大幅な制限速度を下げることが必要だ。
稀に、例外的な道があるが、それは抜け道になっている場合。そういう道は、避ければいいだけ。
どちらかというと、生活道路については最高速度を 20km/h か 10km/h ぐらいにまで下げる方がいい。現状では、30km/h になっていることが多いが、これでは速すぎて危険だ。
→ http://openblog.seesaa.net/article/435849064.html
あと、道路に凸凹のバンプを付けたり、左右のうねりを付けたりして、速度を強制的に落とさせればいい。
あと、遠回りと言っても、通常は1割程度の増加にすぎないはずだ。その程度の増加も厭がるようでは困りもの。子供はちゃんと歩くべし。現代っ子は、歩行量が少なすぎる。ゲームのやりすぎか。
→ https://goo.gl/maps/63fLMcbi32QEZuRQ6
立ち位置からして、水辺の方向へ横断しようとしていた、とわかる。
やはり「水辺での散歩」が目的だったようだ。本文中で推測したことが裏付けられたと言えるだろう。
幹線道路の場合、歩道と車道の分離が明確で、また、信号機による交通整理も為されている。車両と歩行者がすれ違う度に気をもまなければならない裏道より余程安全と言える。
以上によれば「危険な裏道を避けて安全な幹線道路を通行した」保育園の判断は合理的であり、正しいこととなる。
この点「京都の人」が 2019年05月09日 23:18に投稿したコメントと同意見である。
それは「安全な幹線道路」です。安全な幹線道路があれば、そこは許容対象となります。本項が忌避しているのは「危険な幹線道路」です。
勝手に書き換えてはいけません。
> 車両と歩行者がすれ違う度に気をもまなければならない裏道
それは「危険な裏道」です。本項が推奨しているのは「安全な裏道」です。
勝手に書き換えてはいけません。
――
なお、本項で列挙した幹線道路は、すべて事故が起こっているので、危険な幹線道路です。歩車道分離していない例が大半です。
こんなに大事故が起こっている道路を「安全だ」と述べるのは、事実に反します。
なお、
> 幹線道路の場合、歩道と車道の分離が明確で、また、信号機による交通整理も為されている。
というのは、一般論では成立しますが、本件で述べた事例(大事故のあった例)では、その例外となります。
被告人は,
第1」の件を見てみよう。
「令和元年5月8日午前10時14分頃,普通乗用自動車を運転し,大津市ab丁目c番d号先の信号機により交通整理が行われている交差点を同市e方面から同市fg丁目方面に向けて右折進行するに当たり,対向直進車両の有無に留意し,その安全を確認しながら右折進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り,」と記載があり、ここから、同交差点が2021年12月18日 21時12分に申し上げた「信号機による交通整理」が為されている交差点に該当する。さらに、同判決文には「前記B運転車両の右前側部に自車右前部を衝突させて,同人運転車両を左前方に暴走させ,同車左前方の歩道上で信号待ちをしていたC(当時2歳)及びD(当時2歳)ほか14名の保育園児等の列に突入させ,」とあるから、同交差点は2021年12月18日 21時12分に申し上げた「歩道と車道の分離が明確」な交差点であると言え、安全性が高いルートの条件を満たす。
なお、ブログ投稿主はブログ本文でも「安全な裏道」を推奨するが、「安全な裏道」等存在しない。
歩行中幼児(未就園児・就園児)の衝突地点別死者数(平成22年〜令和元年合計)を見れば、その31%が非分離道路(中央線等により道路の中央が定められていない道路)(https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/bunseki/kodomo/020324youjijidou.pdf 令 和 2 年 3 月 2 4 日 警察庁交通局 交通企画課『幼児・児童の交通事故発生状況について』p2)だからである。右の「非分離道路」は間違いなくほどうと車道の区別はないと考えられるし、「幹線道路」とも呼べない。所謂「裏道」である。
さらに、歩行中幼児(未就園児・就園児)の死亡事故における相手当事者(原付以上)の危険認知速度別構成率(平成22〜令和元年合計)を見れば、52.4%が車両運転者が10km/h以下で走行時に危険を認知した際に発生しており(出典同じ)、速度を出し辛い「裏道」が安全とは言えないことが判る。
また、ブログ投稿主はコメントにおいて本件交通事故現場を「こんなに大事故が起こっている道路」(Posted by 管理人 at 2021年12月18日 22:46)と言うが、2020年中の交通事故活性件数は30万9,178件である(https://www.itarda.or.jp/situation_accidents 公益財団法人交通事故総合分析センター)。そして、日本の国土面積は約37万8,000平方キロである(https://www.mofa.go.jp/mofaj/territory/page1w_000011.html 外務省「日本の領土をめぐる情勢」)ので、1平方キロ当たり0.81793121693件の交通事故が発生する計算となる。となると、年間1件の交通事故が1.22259669187平方キロの面積で発生する計算となる。幼児と雖も、年間の行動面積が1.22259669187平方キロを下回る等あり得ようか。
このようにして見ると、「こんなに大事故が起こっている道路」(Posted by 管理人 at 2021年12月18日 22:46)だから危険であるという論旨は誤りである。
「存在しない」という命題を否定するには、存在する例を一つだけ示せば足りる。私の家のそばの住宅街の道は、とても安全ですよ。自動車はほとんど通らないし、通るときは時速 10km 以下で、自転車よりも遅い。
あなたの示した統計データは、平均データなので、それから逸脱する例外は、いくらでも見つけることができる。
「一般的には危険性のある裏道がある」
ということをたくさん示すことはできても、
「危険性のない裏道がある」
ということを否定できない。
論理学の問題ですね。 ∀ と ∃ を区別しましょう。
> こんなに大事故が起こっている道路
そういう例が一つあることは ∃ で示せる。
あなたの言っているのは、統計的な平均値であるにすぎない。
両者は別の話です。
論理学の問題ですね。 ∀ と ∃ を区別しましょう。
保育園の散歩も同じで、交通事故が起こる危険を承知で、それでも事故が発生しにくい歩道と車道の区別があり、且信号による交通整理が為されている所を選んでいるものと考えられる。
今回交通事故で園児の列に車両が時速60q前後と突入したのはまさに予見不能の事態と言うべきである。
なお、ブログ投稿主はブログ投稿主宅近辺の住宅街の道が安全である根拠の1つに車が「通るときは時速 10km 以下で、自転車よりも遅い」ことを根拠としているが、歩行中幼児(未就園児・就園児)の死亡事故における相手当事者(原付以上)の危険認知速度別構成率(平成22〜令和元年合計)を見れば、52.4%が車両運転者が10km/h以下で走行時に危険を認知した際に発生している(https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/bunseki/kodomo/020324youjijidou.pdf 令 和 2 年 3 月 2 4 日 警察庁交通局 交通企画課『幼児・児童の交通事故発生状況について』p2)ことを考えれば、少なくとも保育園児等の幼児の交通安全の観点からすれば、右根拠か根拠として成立し得ない。
車が「通るときは時速 10km 以下で、自転車よりも遅い」ことを根拠の1つとして「安全」とするのは、大人も含めた全年齢層が歩行者となった際のことである。
この場合は死亡事故における相手当事者(原付以上)の危険認知速度別は10km/h以下の時が全体の7.8%しかない(出典同じ)のだから、安全と言える。
しかし、保育園児の安全を考えるならば、むしろ車が「通るときは時速 10km 以下で、自転車よりも遅い」道路の方が危険である。
それは、幼児の飛び出しなどの場合であって、運転手にとっては不可抗力的な事故だ。
本項で言っているのは、自動車側の過失で集団に突っ込むという大事故の話。
普通のよくある小事故を予防することは、本項の対象外だ。
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そもそも、「事故の発生件数の多い場所が危険だ」というのは、統計の嘘にだまされる例だ。
日常の生活道路にいる時間が圧倒的に多いのだから、そこにおける事故が多いのは当然である。「事故が多いから危険だ」とは言えない。
逆に、高速道路の路上とか、踏切の途中とか、そういうところでの事故件数はとても少ないが、危険度は非常に高い。
事故件数が多いところが危険だと見なすあなたの発想は、統計の嘘にだまされている。
それは、幼児の飛び出しなどの場合であって、運転手にとっては不可抗力的な事故だ。」(Posted by 管理人 at 2021年12月19日 13:22)
果たして本当にそうだろうか。
歩行中幼児(未就園児・就園児)の法令違反別死者数(平成22〜令和元年合計)を見れば、32.2%が「違反なし」(https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/bunseki/kodomo/020324youjijidou.pdf 令 和 2 年 3 月 2 4 日 警察庁交通局 交通企画課『幼児・児童の交通事故発生状況について』p2)である。
さらに、車には死角がある(https://www.police.pref.saitama.lg.jp/documents/1573/kurumashikakucard.pdf 埼玉県警)が、幼児の身長(5歳6か月男児で110.5cm(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/syusseiji/tokubetsu/kekka03.html 厚生労働省 表3 平均体重・平均身長の推移))では容易く全身が自動車運転者の死角に入ってしまうと考えられる。
歩道と車道の区別がない「裏道」では歩行者たる幼児と自動車がすれ違う際、この「死角」に大人の歩行者相手以上に自動車運転者は注意せねばならないが、歩道と車道の区別があり、また信号機により交通整理が為されている道路であれば自動車の運転者としては「歩道に乗り上げないこと」、「駐停車等のために歩道を横切る際は徐行の上歩行者に注意すること」、「信号を守ること」に留意するだけで良く、幹線道路が安全であることは自明のことである。
それは自動車にとっての安全性。
歩行者にとっては、話が違う。「もともと自動車がほとんど通らない住宅街」の方が、自動車の多い幹線路よりも、安全に決まっているでしょ。
> 歩道と車道の区別がない「裏道」では歩行者たる幼児と自動車がすれ違う際、
自動車がほとんど通らない道では、すれ違うこと自体がほとんどありません。
では、聞くが、ブログ投稿主は歩道車道の区別ある道路を歩行中一体何回危険を感じただろうか。ブログ投稿主以外も、ここに閲覧しに来た人も考えてほしい。車と遭遇する度危険を感じただろうか。少なくとも私は歩道車道の区別のある幹線道路(滋賀県大津市大萱6丁目の丁字路のような)で危険を感じたことはない。
それは前述の通り「自動車の運転者としては「歩道に乗り上げないこと」、「駐停車等のために歩道を横切る際は徐行の上歩行者に注意すること」、「信号を守ること」に留意するだけで良く、」(Posted by 山城守 at 2021年12月19日 13:48)これを歩行者側から見れば車両運転者の故意又は重大な過失等が無い限り安全であることを指す。
「裏道」は自動車との遭遇は少ないが、歩車の区別がなく、歩行者と自動車がすれ違う際はかなり両者が近接する。当然、僅かな過失で歩行者を車両が引っ掛けてしまうこともあろう。大人なら軽傷で済むものも幼児なら死亡又は重傷に繋がる。
つまり、ブログ投稿主の論は1回の車両と歩行者の遭遇に掛かる事故のリスクを幹線道路も「裏道」も同列に扱っており、ここに重大な誤謬がある。
住宅街の外周の幹線路では、ガードレールがあるが、そこで十字路(交差点)の自動車事故がありました。タクシーの横腹に大型車が突っ込んで、タクシーは吹き飛ばされ、ガードレールみたいな柱に激突して、タクシーは く の字状に折れ曲がり、ほとんど二つに割れていました。
もしここを歩行していたら、歩行者は巻き込まれて死んでいたでしょう。しかしほとんどの歩行者は、住宅街を歩いているので、巻き込まれませんでした。
それに反するあなたがいたら、死んでいたでしょうけど。
これこそまさに、前述の「車両運転者の故意又は重大な過失等」(Posted by 山城守 at 2021年12月20日 10:28)による事故であり、例外というものだ。
実際、歩行中幼児(未就園児・就園児)の
衝突地点別死者数(平成22年〜令和元年合計)の内、歩道・路側帯でのそれは5%しかないし、全年齢で見ても、衝突地点別死者数(平成22年〜令和元年合計)の内、歩道・路側帯でのそれは3%しかない(https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/bunseki/kodomo/020324youjijidou.pdf 令 和 2 年 3 月 2 4 日 警察庁交通局 交通企画課『幼児・児童の交通事故発生状況について』p2)。
歩道にはガードレールが無い場所が多くあるにも関わらずだ。
例外中の例外を引いて論じるところにブログ投稿主の重大な誤謬がある。
――
統計のウソ 〜データが示すからといって鵜呑みにしてはいけない〜
この図は、第二次世界大戦中にアメリカ海軍が、敵の射撃による爆撃機の損失を抑える方法を検討するため、戦闘から帰還した爆撃機の被弾箇所をプロットした記録になります。
この記録から、あなたなら飛行機のどの部分を補強しますか?
https://ameblo.jp/urepuro/entry-12564571404.html
―― 引用、終わり ――
多く被弾した箇所は危険なのではなく、致命的でないことを示す。被弾していない箇所は、安全であることを示さず、致命的であることを示す。
――
事故が多発する箇所は、危険であることを示さず、安全であるがゆえに人が多くいることを示す。事故が少ない箇所は、安全であることを示さず、危険であるがゆえに人がいないことを示す。
あなたは統計の罠に 嵌まっている。
一方、交通事故は事故当事者が道路交通法72条違反をしない限り、警察に報告されるので、当然データ化される。爆撃機の例とは訳が違う。
本ブログ投稿主は明らかに滋賀県大津市大萱6丁目の丁字路で発生した交通事故を結果から後知恵で論じており、ここに重大な誤謬がある。