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そういう疑問を出した記事がある。
→ シマウマに騎乗できないのはなぜ? 数百万年続く、シマウマと人間の確執
ここには、こうある。
シマウマと馬が近い存在の生き物であることは分かっていても、なぜシマウマに乗馬している騎手がいないのか。
そういう疑問を出してから、いろいろと説明を試みる。
シマウマは進化の過程において、性格が悪くなってしまったのです。
シマウマは意地悪なので、……(略)
「性格が悪い」「意地悪」とか、まったく悪意のある評価だ。ここには、「動物は人間と親しむペットであるのが、本来の姿だ」という前提がある。(捕鯨反対論者や、[ベトナムの]犬食への反対論者もその一環かも。)……しかしそれは、あまりにも人間本位の発想だ。(白人にはありがちだが。)
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もうちょっと科学的な説明もある。動物は本来、家畜化されないのだ。家畜化されるのは、あくまで例外的である。このことは、ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」という著作に記してある。その要約から抜粋しよう。
家畜についてはどうか? ユーラシアでは家畜化が進んだのに、アフリカや南北アメリカ大陸では家畜化が進まなかった。その理由は、人間の側にあるのか、生物の側にあるのか? たとえば、ユーラシアの馬は家畜化されたのに、アフリカ大陸のシマウマは家畜化されなかったのは、なぜか?
答えよう。家畜化のためには、多くの条件が必要で、そのうちの一つでも適さなければ家畜化は不可能だ。ここで、気性などの生物学的な違いが大きい。気性の荒い種は、家畜化をしようと思ってもできない。家畜化がなされた種は、馬・牛・豚・羊などの14種にすぎない。その多くがユーラシア大陸にあった。地理的な偶然ゆえに、ユーラシア大陸には家畜化が可能な種が多かったので、ユーラシア大陸では家畜化が進んだ。一方、アフリカや南北アメリカ大陸では家畜化に適した種が少なかったので、家畜化が進まなかった。
( → 文明の歴史(銃・病原菌・鉄): 知的な書評ブログ )
こうして、「シマウマはもともと家畜化するには適さなかった種だ」というふうに結論づけられる。
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話はこれで終わりでもいいのだが、ここで終わりにしては詰まらない。物事の本質を探るのが本ブログなので、さらに考察してみよう。
まず、本サイト内で、以前の項目を見よう。
→ シマウマはなぜ縞がある?: Open ブログ
ここでは、シマウマに縞がある理由を探っている。そして、こう結論する。
オカピは森林で暮らしており、縞模様が森林で保護色となる。( → Wikipedia )
同様のことが、シマウマの祖先種にも成立したはずだ。つまり、シマウマの祖先種は、森林で暮らしており、だからこそ縞模様が保護色となった。
この点、子孫種であるシマウマはそうではない。シマウマは草原に出たので、縞模様は有利であるどころか、不利になった。
ではなぜ、シマウマには、不利なはずの縞模様が残ったか? これは、次のように考えるといい。
「シマウマの祖先種は、森林で暮らしていたので、縞模様が保護色となった。その後、シマウマの祖先種の一部が、草原に出て、シマウマとなった。ここでは、縞模様のある集団のなかで、一部が縞模様をなくした。その突然変異体は、
・ 全身が黒
・ 全身が白
のいずれかであった。いずれであっても、縞模様の集団のなかで、その〈黒一色〉または〈白一色〉の個体はきわめて目立つ。だから捕食者に捕食されやすい。こうして、その突然変異体は集団のなかで淘汰されてしまう」
ここでは、次の原理が成立している。
「縞模様の個体が1頭だけいれば、縞模様の個体が目立つ。しかるに、縞模様の個体がたくさんいて集団をなせば、縞模様の集団のなかで縞なしの個体はかえって目立つ」
こうして、祖先種にあった「縞模様」という形質が保全されたのだ。
ここでは、馬との比較も記してある。
簡単に言えば、次の生存戦略の違いがある。
・ シマウマ …… 集団生活をして、縞を持つ。
・ 馬 …… 単独生活をして、速い足を持つ。
馬は速い足があるので、単独生活ができる。だからこそ、縞がない。
シマウマは速い足がないので、集団生活をするしかない。だからこそ、縞をなくしては生きることができない。(捕食されやすい。)
このことを、本項の「家畜化」という概念と合わせて考えると、次のように言えるだろう。
「馬は、速い足を持ち、単独生活をする。単独生活をする馬は、一頭だけをとらえて、家畜化することも可能である。
シマウマは、縞を持ち、(縞を利用しながら)集団生活をする。集団生活が基本であるので、単独で人間と共に生きるということは原理的にできない」
シマウマは、縞を持つので、縞という「集団による保護色」のおかげで生きる。
シマウマが環境のなかで単独で生きれば、「(単独では)ものすごく目立つ」ということゆえに、生存の危機にさらされる。サバンナであれば、あっという間にライオンに食い殺される。それゆえ、「単独で生きる(集団から引き離される)ことはものすごい恐怖である」ということが遺伝子的に刷り込まれている。
とすれば、こういう生物を家畜化するということ自体が、生物学的に言っておよそありえないことなのだ。
( ※ 人間で言えば、素っ裸にされて、ライオンのいる檻に放り出されるような恐怖である。)
以上を簡単に言えば、こうなる。
「シマウマが家畜化されないのは、シマウマに縞があるからである。縞があることによる生物学的な原理によって、(集団の保護色で)集団行動を取ることが生物学的に決まっているので、それを逸脱するような家畜化は、原理的に不可能なのである」
同様のことは、集団行動をするすべての動物に当てはまるだろう。たとえば、下記。
・ ヌー
・ インパラ
・ トド
・ フラミンゴ
( → 写真 )
これらの生物は集団行動をする(群れになる)がゆえに、単独で生きることは本質的に無理がある。それゆえ、家畜にはなるはずがないのだ。
特に、シマウマの場合には、その縞ゆえに、このことがいっそう強く当てはまる。(単独では縞が目立ちすぎる。)
こうして問題には、回答が与えられた。
( ※ 「性格が悪いから」という理由は、不適。)
[ 付記 ]
「集団行動をすると、家畜化はされない」
と述べたが、逆( or 裏)は、必ずしも真ならず。
「集団行動をしないと、家畜化される」
というふうには言えない。
「集団行動をしないと、家畜化されることもある」
とは言えるが、「必ず家畜化される」とは言えない。たとえば、虎がそうだ。単独行動をするが、家畜化はされない。(「家畜化したつもりで虎と親しくした動物園の飼育係が食い殺された」という事例は、ときどき報告される。)
【 追記 】
羊は集団飼育することで家畜化されている、という指摘があった。(コメント欄)
なるほど。それもそうだ。そこで、
「集団飼育が可能である場合を除く」
というふうに修正しておきます。
※ とはいえ、そもそも家畜化されていない動物を集団飼育するというのは、ありえない。家畜化されたあとなら、集団飼育も可能だろうが、もともと家畜化されていなかったら、集団飼育も不可能だ。羊や牛なら、少数の個体をとらえて家畜化してから、集団飼育することも可能だろう。しかしシマウマでは、少数の個体をとらえて家畜化することができないから、集団飼育することも不可能だ。
※ そもそも野生種の羊は、集団行動をしない。せいぜい数頭の群れで行動するぐらいだ。( → Wikipedia 「アルガリ」)この程度の小さな群れなら、ライオンを初めとして、多くの動物がやっている。「集団行動」というほどではない。その意味で、羊が集団行動を取るのは、羊が家畜化されたからだ、と言える。「集団飼育をすれば家畜化が可能だ」というのは、話の順序が逆ですね。
一応まとめがありましたのでリンクを貼っておきます。
https://matome.naver.jp/odai/2140793071505601701
気性の荒いシマウマも、動物園では飼われているので、従順な個体をかけ合わせると家畜化できそうですが、シマが消えて普通の馬になるかもしれません。
→ http://siberiandream.net/topic/pet.html
羊は集団行動を取りますが、家畜化されてますよね。
>>これらの生物は集団行動をする(群れになる)がゆえに、単独で生きることは本質的に無理がある。それゆえ、家畜にはなるはずがないのだ。
この理屈もよくわからない。多頭飼育すればよいだけでは?
「集団飼育が可能である場合を除く」というふうに追記しておきました。
結局は、シマウマが生息する地域の住人に家畜化する用途(騎乗・農耕用・食肉等々)が無かったということであろうか。
それが本当だとしたら、シマウマが家畜化されなかった理由は、風土にあるのかも。
たとえば、現地には吸血バエがいるが、これがいるせいで、気性が荒くなって、家畜化されなかったのかも。これがいなければ、気性が荒くなることもなくなり、家畜化が可能となる……ということもありそうだ。
参考 https://atm.eisai.co.jp/ntd/africa.html
「家畜にする」というのは、「檻の外に出しても逃げていかない。自発的に檻に戻る」という条件が必要だ。シマウマの場合は、檻の外に出したら、逃げてしまって、戻ってこない。これが「家畜化できない」ということだろう。
もうひとつ、「手なづけられるほど従順だ」という条件もある。シマウマはたぶん、人に噛みついてくる。ライオンも同様。トラはときどき人を噛み殺す。これらは家畜化できない。飼育はできる。