2019年04月29日

◆ 大川小の津波被害の本質

 東日本大震災のときに大川小で多大な被害が生じたが、その本質を考える。
 
 ──
 
 この件を検証する記事がある。4月29日の朝日新聞。
 東日本大震災から8年余り。宮城県の石巻市立大川小学校では津波で児童ら84人が犠牲になり、学校管理下で起きた惨事の一つとされる。直前に迎えに来た母親と車で帰り、助かった当時6年生の女性(20)が学校で何が起きたのか、語った。

 カタカタカタ。3月11日午後2時46分、2階の教室で帰り支度をしていると、机が小刻みに揺れ出した。
 ガラスが割れるような音。オルガンが倒れ、棚の本が全部落ちてきた。悲鳴が上がった。3分くらい経っただろうか。いつもの訓練と同じように校庭へ移動した。
 学年ごとに整列した。曇り空にサイレンが鳴り響いた。「大津波警報が発令されました。海岸付近や河川の堤防などに絶対に近づかないでください」。防災無線が繰り返した。
 「裏山に逃げた方がいい」。クラスの男の子が担任に掛け合った。「今、話をしているから」。取り合わなかった。
 午後3時ごろ、(証言の)女性の母親が迎えに来た。「ラジオで警報が流れています。早く山に逃げてと言っています」と担任をせかした。「お母さん、落ち着いて」「でもね、先生」「大丈夫です」。母親はあきらめて女性を車に乗せ、避難した。
 後から聞いた話では、同級生たちはそれから20分以上、校庭にとどまった。午後3時半過ぎ、教頭は川近くの小高い「三角地帯」へ向かうことを決断したが、途中で津波に襲われ、84人が帰らぬ人となった。大川小の危機管理マニュアルは校庭の次の避難先を「近隣の空き地・公園等」としか決めていなかった。「避難訓練は校庭に出て終わりだった」と女性は振り返る。
 津波が来るかもしれないという想像力と早い判断、先の先まで避難場所を決めておく備えが大川小にあったら――。今、そう思う。


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( → 児童を守る、問われる備え 大川小、当時の6年生証言:朝日新聞

 これは、運良く助かった女生徒の証言だ。貴重な証言ではある。だが、最後の感想はどうか?
 津波が来るかもしれないという想像力と早い判断、先の先まで避難場所を決めておく備えが大川小にあったら、

 それがあったら、助かっただろうか? いろいろ考えると、とてもそうは思えない。

 (1) 津波が来るかもしれないという想像力

 そんなものは、なかったわけではない。テレビでも防災放送でも何度も繰り返していたのだから、想像力ぐらいはあったはずだ。バカじゃあるまいし。

 (2) 早い判断

 判断が早ければ、助かったか? いや、最終目的地は、小高い「三角地帯」だということなのだから、そこに早く達したところで、どっちみち助からない。むしろ、早く津波に呑まれて、死ぬ時間が早まっただけだろう。間違った判断をいくら早くやっても、意味がないし、逆効果なのである。

 (3) 先の先まで避難場所を決めておく

 避難場所を決めたとしても、その避難場所を間違えていたのでは何にもならない。今回も、じっくり時間をかけたすえに、小高い「三角地帯」に決めた。別に、決められなかったわけじゃない。決めたことは決めたのだ。ただし、その決めた場所が間違っていた。
 では、なぜ間違ったのか? なぜわざわざ危険な場所を選択したのか? ここには大いなる謎がある。この謎には、本質的な問題がある。

 ──

 さらに別の問題がある。再掲しよう。
 「裏山に逃げた方がいい」。クラスの男の子が担任に掛け合った。「今、話をしているから」。取り合わなかった。
 午後3時ごろ、(証言の)女性の母親が迎えに来た。「ラジオで警報が流れています。早く山に逃げてと言っています」と担任をせかした。「お母さん、落ち着いて」「でもね、先生」「大丈夫です」

 危険が迫っていても、まったく危機感がなかった。普通ならば、命の危機が備わっているんだから、非常に大きな危機感を持っていいはずだ。なのに、まったく危機感がなかった。「大丈夫です」という過度な楽観もあった。まったく馬鹿げている。こういう馬鹿げたことをしたのは、いかにも不思議であり、謎である。ここにも本質的な問題がある。

 ──

 結局、以上のように、大いなる謎が二つ残った。
  ・ あえて危険な「三角地帯」をめざした謎
  ・ 重大な危機が迫っていたのに楽観していた謎

 これらは非常に大きな謎である。いったいどうして、こういう不思議なことが起こったのか? まったくわけがわからない。困った。

 ──

 そこで、困ったときの Openブログ。うまく問題を解決しよう。この謎の真相は、こうだ。

 「学校側(つまり教師たち)は、津波よりも、もっと大切なことに心を奪われていたのだ」


 教師たちには、津波よりも、もっと大切なことがあった。生徒の命よりも、はるかに大切なことがあった。そのことにしきりに心を奪われていた。だから避難行動は二の次となった。

 では、大切なこととは、何か? 生徒たちの命よりも大切なものなどがあるのか? ある。それは……


       ↓


       ↓


       ↓

    ( 考えてね )

       ↓


       ↓


       ↓

 それは、学校側の「管理責任」である。(「自己保身」と言ってもいい。)
 彼らの発想では……
 これこそが何よりも大切なことだった。うまく命が助かっても、あとで「生徒がケガをした」と批判されたら、大変だ。「うちの子供が、逃げる途中に転んで、足をすりむいたのは、学校の責任だ。責任を取れ」なんて言われたら、大変だ。
 そこで、そういう責任を回避したい。そのためには、(転んだりしそうで)危険な裏山に登るのは、何としても避けねばならない。ケガをさせて親に文句を言われることこそ、最大限の努力で回避しなくてはならないのである。
 緊急時において、学校に何よりも求められるのは、安全管理だ。そのためには、絶対にケガをさせないことが大事であり、転ぶ可能性のある危険な経路を取ることは断じて避けねばならない。何よりも安全性を重視するからこそ、転ぶ危険のない安全な経路で、「三角地帯」をめざすべきなのだ。
 ……こういう発想を取った。

 こうして、彼らは最も安全性の高い経路を取ったつもりで、三角地帯をめざすことにした。その間、津波に呑まれるということなどは、まったく考えなかった。津波というのは海岸からゆっくり進んでくるものなのだから、いきなり危険が襲ってくることなどありえないと思っていた。「大変だ」と騒ぐ親を「不安になって平常心を失っている阿呆」と見なして、「落ち着いてください」などと言って、「自分は利口だ」と自惚れていた。危険性などはまったく認識しなかったから、「大丈夫です」と親をたしなめた(つもりだった)。

 ──

 こうして、物事の本質がわかった。
 「大川小の失敗の理由は、学校が 管理責任 を何よりも重視したからである」


 学校側は低脳な馬鹿だったのではない。何かを見失っていたのではない。むしろ、余計な知識に汚染されていたのである。「学校にとって何よりも大切なのは管理責任だ」と。
 そこから、「ケガをするような危険を冒してはならない」という発想が生まれて、「小さな現実的な危険を避けよう」とした。そのとき、「大きな危険の可能性」を見失ってしまった。
 目の前にある小さなものに目を奪われて、その背後から迫ってくる巨大な影に気づかなかった。
 そういうことは、凡人には、よくあることなのである。

 ここには、発想法ないし認識法の問題がある。それは決して「知識不足」という問題ではない。大川小の学校側は、決して無知だったのではない。むしろ、余計な知識に汚染されていたのである。── このことを理解しないと、被害はまた繰り返されるだろう。

 ※ こういうことが起こるのも、行政の側がいつも「管理責任」ばかりを口にしているからだ。かくて学校の校長や教師にとって、何よりも大切なのは、「生徒の管理だ」ということになる。教育などは二の次となる。
 ※ もちろん、例外もある。「津波てんでんこ」の自治体だ。(釜石市)……一方、大川小は、釜石市ではなく石巻市だった。



 【 関連項目 】

 「学校側が管理責任を最優先にしたのが根源だった」
 という話は、実は、今回が初めてではなく、前にも述べたことがある。
  → 横浜の集団登校事故/大川小の津波被災: Open ブログ (2016年10月28日)
 実は、これを読まずに書きはじめたのだが、あとになって気づくと、当時と同じ結論にたどり着いたことになる。
 二年半を経て考え直しても、ほとんど同じ結論にたどり着くのだから、たぶん、これが真相なのだろう。

 《 加筆 》

 ただ、細かい話を言うと、いくらか違いもある。本項では「管理責任」と述べたが、前出項目では「集団管理」というふうに述べている。つまり、こうだ。
 「裏山に入ると、各人がバラバラになるので、集団管理ができない。一方、三角地帯ならば、各人がバラバラにならないので、集団管理ができる。ゆえに、集団管理のたやすいところである、三角地帯をめざす」

 まとめると、次の差がある。
  ・ 本項 …… ケガをしない管理責任
  ・ 前出 …… 集団管理のしやすさ

 どちらも管理責任ではあるが、細かく見れば、いくらかの差はあることになる。




 [ 付記 ]
 「三角地帯」の現場。




 
 3D画像にするとわかるが、この場所はほとんど高さがない。気休め程度。津波回避の効果はゼロ同然。
 何でこんな場所を選んだのかと言えば、「津波からの回避のため」ではなくて、「管理しやすいから」だろう。



 【 追記 】
 では、学校側は、どうすればよかったのか? 「管理責任」にこだわることが駄目だとすれば、何をすれば良かったのか?
 それについては、前に書いたことがある。
  → (続)何のために勉強するの?: Open ブログ

 それは、(危機に際して)学校側が生徒の一人一人を管理することとは逆に、生徒の一人一人が自分自身で考えることだ。つまり、「津波てんでんこ」である。
 そして、それが成立するためには、日頃から生徒に「いざというときには自分で考えよ」ということを教育しておく必要がある。
 そのためには、生徒を家畜や囚人のように管理するのではなく、生徒を独立した人間として尊重することが必要だ。そこにこそ、教育の本質がある。
 大川小が失敗したのは、「教育とは何か」を本質的に理解していなかったことが原因だ、と言える。
 大川小の校長や教師は、たぶん、行政の管理職のつもりで生徒を管理していたのだろう。それこそが自らの業務だと思っていたのだろう。そこには「教育とは何か」ということへの根本的な誤解(または無理解)があったのである。
 そして、「教育とは何か」を真に理解したければ、上記項目を読むといいだろう。次の歌詞もある。
困ったときは 目をあげて
星を目あてに まっすぐ生きる

困ったときは あわてずに
人間について よく考える

困ったときは 手を出して
ともだちの手を しっかりつかむ

 
posted by 管理人 at 20:55| Comment(4) |  震災(東北・熊本) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
親や教育委員会が教師に過度の要求をしたため、
生徒が転倒することなどの、わずかなリスクさえ犯すことができず、
そのせいで、生徒の生命、そして教師の生命も失われてしまったのですね。

過度の要求があったのは、大川小だけではなく、
むしろ全国的な流れであったと思いますし、
その流れはまだ続いていると思います。
死亡者が出たのが、たまたま大川小であったということですね。

であれば、教訓を得るべきは、
過度な要求をしている、全国の親や教育委員会であるはずですが、
そのような話はないですね。



この事件を受けて、
各学校は専門家が作成したハザードマップに従うだけでなく、
自らの知見に基づいて、より適切な行動をするべきであるとの判決が出ています。
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201804/20180427_13024.html
これも、過度な要求の一つではないでしょうか。

今後、どこかの災害現場の、ある学校で、
関係者が自らの知見に基づいて、ハザードマップとは相違のある行動を行い、
(その行動は事前に検討・認証されたものであるかもしれません)
(しかし、事前の検討条件を超える災害もあり、それは検証不能です)
被害が拡大してしまうということが、あるかもしれません。
Posted by サク at 2019年04月29日 22:07
> 親や教育委員会が教師に過度の要求をしたため、

 過度の要求があったというよりは、校長や教師が管理責任を過大視したということです。親や教育委員会は普通であっても、校長や教師が(自らの出世や保身のために)管理責任を過大視しするということはあります。
 会社でもそうでしょ。やたらと重役の評価を重視して、部下に厳しくあたる上司がいる。上にはペコペコして、部下には厳しくあたる。部下の失敗には厳しく、部下の成功は自分の手柄にする。
 こういう上司は、部下を育てようという「教育」はまったくできません。
 それと同様のことが、大川小ではあった。
Posted by 管理人 at 2019年04月30日 07:28
 最後に 【 追記 】 を加筆しました。
 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2019年04月30日 07:29

> 校長や教師が管理責任を過大視した

なるほど。

昔は、教師の暴力も「今と比べると」容認されていたので、
過度にリスクを避ける教師の反応は最近のものかと思っていました。
しかし、生徒を管理に置きたがるという点では、
今も昔も変わりがないのかもしれませんね。

Posted by サク at 2019年04月30日 22:10
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