2019年04月14日

◆ 東大総長の式辞と上野千鶴子の祝辞

 東大の入学式で、式辞と祝辞が語られたが、驚くべきことに、その方向性は逆だ。

 ──

 前項では東大総長の式辞について解説したが、一方で、上野千鶴子の祝辞もある。これについて解説しよう。
 上野千鶴子の祝辞から一部抜粋する。
 
 あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
 世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
( → 平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 | 東京大学

 ここまではいい。(詳しくは次項で解説するので、本項では述べない。)
 そのあとに続く話が問題だ。
 あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

 この部分は、東大総長の話(前項)とは対照的だ。
 出会ったどの方も、東大の学生ということで、最初からきちんと話を聞いてくれた、それが大変ありがたかった、と振り返っています。東京大学の学生となった皆さんもこれから様々な場面で、そうした親切を経験されると思います。これは私達、東京大学のメンバーのとても大きな共有財産であり、大いに活用すべきです。
( → 平成31年度東京大学学部入学式 総長式辞 | 東京大学

 東大総長は、こう語った。だが、これは、結果的には詐欺師の手口となった。前項の話を再掲しよう。
 ここで示されているのは、ただの「詐欺の手口」であるにすぎない。「東京大学」というブランドを使って、箔を付けて、ただの絵空事にすぎない夢を、現実可能であるかのように見せかけて、大金を集める。これぞ、まさしく詐欺の手口だ。

   ̄ ̄
 こんなのをまともに信じるようでは、「詐欺師のカモになるだけだ」というしかないね。

 で、東大総長も詐欺師の口上にコロリとだまされてしまった。そのあげく、詐欺会社を称賛するという間抜けぶり。
 あまりにもひどい間抜けぶりには、口あんぐりというしかない。
( → 東大総長が詐欺会社を賛美: Open ブログ

 二つの話は対照的だ。
 上野千鶴子の話 …… 「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」というふうにに述べている。ここでは「エゴイズムの否定」とか「社会貢献」とかいう話になる。
 東大総長の話 …… 「自分の利益のために東大ブランドを使いましょう」というふうにに述べている。ここでは「エゴイズムのために東大を利用してやれ」という話になる。

 ──

 二つの話は、方向性がまったく逆である。正反対とさえ言える。
 上野千鶴子の話は、「恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」ということだった。
 東大総長の話は、東大ブランドを詐欺のために利用することを示している。(それを推奨している。)

 前者は「善」を推奨し、後者は(結果的には)「悪」を推奨している。

 ──

 ただし、総長の式辞そのものは、意図的に「悪をなすこと」(エゴにもとづく詐欺)を推奨しているわけではない。「悪」というよりは「愚」である。
 詐欺師が詐欺をしているのを見ても、それが詐欺であると気づいていない。おのれの無知ゆえに、他人の悪に気づいていない。かくて、悪人に東大ブランドを利用されたまま、悪人のお先棒をかついでいる。これは、「(倫理的に)悪い」というよりは、「頭が悪い」というべきだろう。「頭がおめでたい」とも言える。

 では、どうして、こういうふうになったか? 東大教授ともあろうものが、どうしてあっさり詐欺師にだまされるのか? そこが核心だ。

 ──

 そのわけを教えよう。それはこうだ。
 「エコという言葉によって、目を曇らされるから」


 一般に、エコというものは「善だ」と思われやすい。「多少のコストをかけたとしても、地球環境を守ることこそ正しいことだ」と信じる人が多い。
 そのあげく、盲目的に「エコは善だ」と信じて、そこにひそむ陰を見失ってしまうのだ。光の強さに目をくらまされ、そばにある陰を見る目をなくしてしまうのだ。

 エコという光のそばには、必ず陰がある。その最たるものは「コスト」だ。なのに、コストを無視して、莫大な金をかけてまでエコを推進することがある。(太陽光発電の FIT はその典型だ。)
 また、コストのみならず、効率を無視して、非常に非効率なエコを推進することもある。( エコキャップ はその典型だ。)

 こういうふうに「エコという光の陰」を見失う、という事例の一例が、ユーグレナである。メチャクチャに効率が悪いのだが、「エコだ」ということだけで、人々はこれを盲目的に信じる。科学性や合理性を無視する。
 科学性や合理性の観点で考えれば、ユーグレナなんてものはただのゴミであると気づくはずだ。なのに、気づかない。いつもは賢人である東大教授でさえ、まるで赤子のごとく無知蒙昧となって、だまされる。
 なぜか? エコという言葉のせいで、エコのすべてを高尚なるものだと信じ込むからだ。そして、そこにこそ、詐欺師のつけいる隙が生じる。

 ──

 教訓。

 東大総長の事例(詐欺師にだまされた事例)は、重大な教訓を与える。それは、次のことだ。
  ・ 自分の信じるものについて、盲目的に信じるな。
  ・ 自分の信じるものを疑え。自らの信念を疑え。
  ・ 多くの人々が信じているものを疑え。
  ・ 思考の基盤そのものを疑え。
  ・ 自分を客観的な視点から見よ。(メタ視点をとれ。)
  ・ 常に自己反省せよ。

 こういうことをすれば、思考の落とし穴にはまらずに済む。愚かな穴に落ちることもなく、詐欺師にだまされることもなくなる。
 そして、そのために最も大切なのは「謙虚さ」なのだ。謙虚さがあればこそ、自分の誤りを受け入れることができるので、自分の誤りを見つけやすくなり、大きな穴に落ちることを避けることができる。
 真実に至るために、最も大切なことは、「おのれの過ちを認める謙虚さ」をもつことだ。

 私が新入生に訴えるとしたら、そのことだ。そしてまたそれは、上野千鶴子が訴えたことでもある。
  → 上野千鶴子の話は何を意味するか?: Open ブログ (次項 )




   ※ 以下は、前々項から移転した記述です。



 [ 余談 ]
 無知というものは恐ろしい。東大総長がこんなありさまだと、東大は、最高学府ならぬ、無知学府と言うべきか。

 ──

 閑話休題。
 「最高学府」という用語については、下記項目のコメント欄の最後に記してある。
  → 民主党の科学大虐殺 1: Open ブログ

 一部抜粋。
最高学府とは大学を指す、確かにその通りだ。
だが我が国の歴史を紐解けば、元来大学とは只一つ「帝国大学」のみしか存在しなかった。
その後、幾度かの改名を経て帝国大学は東京大学となった。
つまり、単に大学と言えば東大のみを指す。
よって最高学府=東大の図式は誤りではないのである。

 つまり、大学は一つしかないので、
   最高学府 = (唯一の)大学 = 東大
 というふうになるわけだ。
 一方、
   最高学府= (普通の)大学
 という解釈は、明らかに誤り。理由は上記項目にある。

posted by 管理人 at 11:10| Comment(0) | 一般(雑学)5 | 更新情報をチェックする
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