──
大学の無償化は、金をばらまく人気取りの政策だが、問題がある。では、どこに問題があるか?
これについては、前に論じたことがある。
→ Fラン大学の無償化: Open ブログ
ここでは、以下のように述べた。
政府は「大学の無償化」を唱えるが、その実態は「底辺大学の無償化」( Fラン大学の無償化)である。なぜなら、それは「大学の無償化」ではなく、「低所得者に限定した、大学の無償化」であるからだ。
実は、低所得者が優良大学に進学した場合には、もともと奨学金が十分に得られる。したがって、このたび新たに優遇されるのは、「低所得者」かつ「優良大学でない大学」という2条件を満たした場合に限られる。結果的には「 Fラン大学に進学した低所得者」が優遇されるだけだ。こんなふうに「底辺層ばかりを優遇する」というのは、本末転倒だ。
むしろ、底辺層でない層(中位または中下位の所得層)に対して、優良な大学(特に国立大)に進学した場合への補助を出すべきだ。
つまり、馬鹿に資金援助するよりは、利口に資金援助するべきだ。
以上が、前に述べたことだった。
──
その後、新たな情報が出た。
Fラン大学 については優遇するくせに、優良な大学については冷遇するそうだ。(私の方針とは正反対だ。)
嘘みたいだが、ホントの話。優良な大学については、研究開発予算を大幅減にするという。
以下、引用。
文部科学省は、私立大学の目玉研究に最長5年間の継続支援をする「私立大学研究ブランディング事業」を計画途中で打ち切ることを決めた。
採択校はのべ 120校。早稲田、慶応、上智、立命館、関西、名城大など有名私大の多くが助成を受けてきた。
当初は計画通り5年間支援することを目指したが、財務省から「ブランドイメージではなく、教育・研究の質の向上に資する事業を優先すべきだ」として大幅な予算減額を迫られ、受け入れたという。
( → 私大への支援事業、計画途中で打ち切りへ:朝日新聞 2019年4月9日 )
どうしてこういう馬鹿げたことをするのか? 財務省が予算を削減したがるからだ。では、なぜ? その理由は、わかる。
Fラン大学の支援のために巨額の資金を投入しなくてはならないから、その分、どこかで削減しなくてはならないのだ。かくて、Fラン大学の支援のために金を出す分、一流大学の研究資金を削ることになるわけだ。
これはつまり、馬鹿を拡大して、秀才を縮小する、というわけだ。
ともあれ、こういう愚策がなされるのも、Fラン大学の無償化という馬鹿げた政策を取るのが根源だ。
では、政府はどうして、こういう馬鹿げた政策を取るのか? 政府だけが特別に馬鹿すぎるからだろうか? それとも、別に理由があるのだろうか?
──
ここで、面白い記事が出た。「大学の無償化」について、政府の方針とは違う代案を、高校生に考えさせる」というものだ。
国会でいま法案が審議されている、低所得者世帯の子どもが大学などへ進学する際の負担軽減策。いわゆる高等教育の「無償化」を進めるべきか。財源をどう確保するのか。高校生たちがグループディスカッションをしながら、「法律案」を作って考えた。
( → 教育無償化法案、高校生が作ってみた 対象は?財源は?:朝日新聞デジタル )
で、そこで最優秀賞を取った案の骨子は、こうだ。
・ 低所得者を優遇する無償化
・ 点所得者ほど大幅援助で、高所得者には少額の援助
・ 財源は、消費増税 0.25% と 医療費削減。
それぞれ 0.6兆円で、合計 1.2兆円
一生懸命考えたようだが、政府の案とほとんど変わらない。「財源をどうしようか」としきりに頭をひねった痕跡は見られるが、たいして意味がない(どっちでもいい)ことを考えている。
しかし、そんな帳尻合わせみたいなことをいくらやっても、物事の本質にはたどりつけないのだ。
では、本質とは?
──
この問題(大学の無償化)の本質は何か?
私が先に述べたこと(底辺層ばかりを優遇すること)は、本質の一端をつかんでいるが、本質そのものではない。「何かをしてはいけない」ということを示してはいるが、「何をするべきか」を示していないからだ。
では、何をするべきなのか?
ここでじっくり考えたすえ、ようやく本質がわかった。
これまでの大学の無償化は、親の負担の軽減のこと(金のバラマキのこと)ばかりを考えていた。しかし、大事なのは、親の都合ではなく、子の都合なのだ。「親がどれほど楽をできるか」ではなくて、「進学したい子が進学できるか」なのだ。
では、この二つは等価か? 一見、等価であるように見える。「どっちにしたって同じことだろ」と。「しょせんは、親が低所得で、子が進学したい場合に限って、援助すればいいだろ」と。
しかしながら、両者の食い違いが大きくなる場合がある。それは、次の場合だ。
「子の数が多い場合。子の数が2人以上の場合」
子の数が2倍、3倍になれば、必要な教育費は2倍、3倍になる。(当り前だ。)
ところが、既存の案では、ここがまったく考慮されていない。子の数が1人であろうと、2人であろうと、援助の額は同等である。(下記の公式文書でわかる。)
→ 高等教育無償化の制度の具体化に向けた方針の概要 - 文部科学省
ここでは、あくまで親の所得だけが基準となる。金を必要とする子供の数(つまり必要額の増額)は、まったく考慮されていないのだ。
これで最も割を食うのは、次の場合だ。
「援助をろくに得られない中位以上の所得層で、子の数が2人以上である場合」
この場合には、援助をろくに得られないまま、高額の教育費がかかることになる。大変だ。
こうなると、中位の所得層では、対抗策は一つしかない。
「子供の数を増やさないこと。子供は一人っ子にすること」
これだけが有効な対策である。こうしなければ、教育費の負担が多大となって、家庭の生活水準を大幅に引き下げねばならないからだ。
──
結論。
政府がやろうとしているのは、「低所得者層を優遇する」ことであるのだが、それは同時に、「子だくさんの中所得者層を冷遇すること」になっている。
そのせいで、結果的に、日本を少子化に誘導している。つまり、政府がやっているのは、「日本をあえて少子化にすること」なのである。そして、その政策が見事に結実した。政府の狙い通り、日本は少子化がどんどん進行している。

出典:内閣府

出典:人口ピラミッド - Wikipedia
しかし、今日の経済衰退の主因のひとつが「若年人口の減少」であることからすると、上記のような「少子化の推進」策が、まさしく亡国政策であることがわかるだろう。
要するに、今の政府はせっせと亡国政策(経済を衰退させること)をやっているのであり、それを推進するための具体策が、「一人っ子の推奨」をめざす「大学教育費の高騰化」なのである。
そして、それを解消しつつあるように見える「大学の無償化」は、「低所得の家庭を援助する」ことをめざしているせいで、「子だくさんの家庭を援助する」ということができなくなっている。そのせいで、結果的に、少子化推進の政策がまったく是正されないのだ。
ここに問題の本質がある、とわかる。
──
なお、この点では、上記の高校生の最優秀案は、まったく無効である。
一方で、私が先に述べた「Fラン大学の無償化は駄目だ」という話は、「所得中位層の子が国立大学に進学する場合を援助せよ」ということであったから、まさしく正解にたどり着いていたことになる。
ただ、その正解がどうして正解であるかを、先の項目では示さなかった。(論拠不足だった。)
その論拠を、本項ではうまく示せたことになる。「ものごとの本質を示す」という形で。
【 関連項目 】
次の項目も重要だ。
→ 少子化と高等教育費: Open ブログ
大学の無償化は、完全に無償化するのが年収270万円。一部無償化も年収 380万円。だが、年収 380万円以下に該当するのは、国民の4割ぐらいで、残りの6割は「一部補助」の対象外となる……という話。
グラフがあるので、グラフを参照のこと。

(縮小グラフ)
教育とはそれを受ける当事者である子供の問題、先ずは子供に着目してその状況を確認せよ、でした。お偉いさんは何故気が付かないのでしょうか。とても残念です。
ここに本質があって、Fラン大学の存続、既得権化が真の目的であって、低所得者世帯に大学教育の機会が与えられるのは、その付随する結果では、とみています。
私学という圧力団体が自身の既得権を維持し強固にするための名目としての”大学の無償化”です。これまで優良〜Fランまでが一枚岩であったためこういった政策が実現に至ったかと。
しかしながら、「私立大学研究ブランディング事業」の打ち切りなどは、新たな予算投入ではなく”一つのパイを分け合う”ことを意味します。この、パイの分けあいが、今後奪い合いへと激化していけばもう少し実のある制度へと向かうのではないかと考えます。
「大学無償化法」に広がる懸念 対象狭く中間層負担増に(Yahoo!ニュース 産経新聞)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190729-00000562-san-soci