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ゴーンがやっただけでなく、ゴーンがやったことを見逃した経営陣にも責任があるから、経営陣の責任も問うべきだ……というわけだ。たとえば、下記に多くの見解がある。
→ はてなブックマーク - 日産自:ゴーン被告の子供4人の米大学授業料を負担していた
朝日の社説も同様だ。
今回の内容で経営の立て直しに十分とは、到底いえない。特別委は「ガバナンスの改善」に目的を絞っており、事実認定や前会長ら以外の経営責任について、踏み込んだ検討や説明をしていないからだ。
最大の問題は、現経営陣の責任の有無に言及しなかったことだ。西川広人社長兼CEOは 05年に副社長に就き、ゴーン体制下で経営を担ってきた。不正があったとすれば、自ら関与していないにしても、経営者として看過した責任は免れない。
日産は会社としても起訴されている。その他の役員も含め、取締役としての務めを十全に果たしてきたのかを不問にしたままでは、いくら組織を整えても経営の刷新は無理だ。
( → (社説)日産企業統治 組織を整えるだけでは:朝日新聞 )
しかし、私はこれには賛成しない。理由は三つ。
(1) 論理的矛盾
内部にいてゴーンの独裁方針に反対した人は、ゴーンの逆鱗に触れて、みんな左遷させられてしまった。残っているのは、ゴーンに対して黙っている人だけだった。このことは、朝日新聞自身が報じた。
→ スルガ銀・レオパレス/ゴーン: Open ブログ
だとすれば、残った重役がゴーンに反対することなどは、論理的にあり得ないのだ。仮に反対しようとすれば、その瞬間に、左遷させられてしまうので、異を立てることなどはあり得ない。
朝日の社説担当者は、論理的にあり得ないことを望んでいる。論理的思考ができないのだろうか? それとも、朝日新聞の記事を読んでいないのだろうか? いずれにしても、馬鹿すぎる。
(2) 内部告発
今回、ゴーンの不正をただした重役陣は、内部告発をしたことになる。ただし、「自分の関与した分については免責する」というふうに免責を保証されている。免責されるからこそ、これまではあり得なかったような内部告発が可能となったのだ。(このことも朝日新聞で報道された。)
なのに、内部告発者を「クビにする」(経営の刷新をする)というふうにしたら、内部告発者を処罰することになるので、内部告発それ自体を萎縮させる効果がある。
不正を暴露した人が、褒められるのでなく処罰されるのであれば、誰も暴露したがらなくなるだろう。
比喩。暴力団の幹部が警察にタレ込んだ。「うちの組長が殺人を命令しました。私がその場に居合わせて聞いたのだから、間違いありません。それを証言します」
すると警察は言った。「おまえもその場に居合わせて、反対しなかったのだから、暗黙の共謀があったことになる。おまえも殺人の共犯で逮捕する。刑務所で臭い飯を食え。懲役3年だな」
こんなことになったら、不正を告発する人はいなくなる。朝日新聞の主張は、「正直者が馬鹿を見る」ということであり、「不正は隠蔽するのが正解だ」ということだ。……そして、こういう土壌があるからこそ、東芝のような不正が長年、見逃されてきたわけだ。
( ※ 今回は、「免責」制度が新たに導入されたからこそ、摘発に結びついたわけだが。)
冒頭のゴーン容疑者の逮捕劇の裏側では、以上のような公益通報と司法取引という両制度がうまく組み合わさって働いたと言われています。公益通報制度だけでも、日産自動車内部での自浄作用が働かなければ今回の逮捕劇にはつながらなかったでしょうし、司法取引制度だけだったとしても、そもそも通報がなければ、今回の逮捕には至っていないでしょう。本件の行方がどうなっていくのかはまだ分かりませんが、通報者の行動が世界中に流れる大事件となるほどに、社会を大きく動かしているのです。
会社内部での通報や共犯者についての供述は、捉えようによっては、「仲間を売る」「裏切り行為」とも捉えられるかもしれません。でも、その仲間のしていることが不正な行為であったり、さらには犯罪行為であったりするような場合には、勇気をもって事実を伝えることは大切です。
事実を伝えることによって、より不利益を受けるなど、正しい行いが封じられてしまうような風潮の世の中であっては、悪事は暗躍し続けてしまうでしょう。
( → 日産のゴーン前会長逮捕劇も「内部告発」が発端。会社の不正を安全に暴くには?【連載】FINDERSビジネス法律相談所(7)|FINDERS )
朝日社説の主張は、過剰に正義を求めている。そのあまり、小さな悪を許さないので、かえって大きな悪を見逃すことに結びつく。
自分が善人だと過度に自惚れることで、かえって巨悪を見逃す結果になるのだ。自分が何をしているかも理解できないありさまだ。
(3) おせっかい
社説にはこうある。(再掲)
その他の役員も含め、取締役としての務めを十全に果たしてきたのかを不問にしたままでは、いくら組織を整えても経営の刷新は無理だ。
しかし、法律違反について問うならともかく、経営の刷新なんていうことはただの経営の問題であるにすぎない。そんなことに他人が口を挟むのは、おせっかいというものだ。
フランス政府はルノーを通じて、日産の経営に介入しようとしている。それと同様に、朝日新聞は正義の旗を掲げて、日産の経営に口出ししようとしている。いずれも、おせっかいというものだ。民間企業の経営に、他人は口を挟む必要はないのだ。(特に朝日新聞は、株主じゃないんだから。)
口出しするのなら、法律違反かどうか、ということだけでいい。経営の問題には、口出しする必要はないのだ。……ここでも、朝日は過剰に正義感を振りかざしている。過剰に自惚れすぎているな。ちっとは鏡を見ろ、と言ってやりたい。
小さな親切、大きなお世話。
[ 付記 ]
そもそも、外部の人があれこれと口を出さなくとも、西川社長は近い将来の退任を表明している。
西川社長はこの日、ルノー取締役会終了後の午後10時ごろから横浜市の日産本社で開いた会見で一連の問題について「私も含めて過去の経営陣の責任は重い」と発言。その上で「そのあとの体制を作らないといけない。会社を軌道に乗せてバトンタッチすべきであると思っている」と話した。定時株主総会のある「6月うんぬんではなく、できるだけ早く私の果たすべき責任を果たして次に引き継げる状態にしたい」と考えているとも述べた。
( → 日産の西川社長が退任示唆、ゴーン前会長巡る一連の問題で責任 - Bloomberg )
今は日産社内でゴタゴタが続いているのだから、あわてて社長が退任する必要はないのだ。当面はゴタゴタを片付けるのが重要であり、その後の長期的な経営展望は、次の社長に任せればいい。また、次の社長を決めるのにも、じっくり腰を据えればいい。ここで西川社長が辞任するのが1〜2カ月ぐらい早まったところで、ほとんど何の意味もない。そんなことのために社説を書くのは、馬鹿げている。
ただ、社説の執筆者は、「西川社長がすでに退任予告を表明した」ということを、知らないのかもね。また、社説をチェックする部内者も、それを知らないのかもね。
朝日の社説は、自らの無知をさらけだしただけかも。ゴーン事件については、ろくに知りもしないくせに、偉そうに威張って書いたわけ。赤っ恥。
概ね、”残っているのは、ゴーンに対して黙っている人だけだった。”というのはその通りなんでしょう。
検証すべきは、ルノーとの提携を通じてゴーンに日産の再建を託した、及び、その後の業績回復でゴーン独裁の道を許した旧経営陣の判断や責任ではないかと。
悪かったのはその後に不正をしたこと。それはゴーン自身の責任であり、他人の責任ではありません。犯罪者の犯罪はあくまで自分に責任があります。その責任を他人になすりつけることはできません。
成果を上げ続けたため、天狗になり、諫言を排除、イエスマンを集めだす。やがて暴走、不正に走ると。
”昔はそんな人じゃなかった”
規模こそ大きいものの、昔からワンマン会社によくある図式ではあります。で、やはりどの時点でどうすべきだったかが検証されるべきではないかと。
暴走が始まってからではこれを止めるのが困難なのは明らかです。経営のチェック機能を機能させてその芽をどう摘み取るか、そんなことは不可能なのか...ただ、この部分を何とかしないと類似事案の再発は避けられないとみています。
他人が口出ししなくても、すでに日産自身がやっている。朝日の社説担当者は、それを知らないのでしょう。たぶん、新聞をろくに読んでいないんだろう。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49560120Y9A900C1000000/
本項の [ 付記 ] では、退任を示唆していたのに、退任しないできたのだから、公約違反気味であったが、ようやく実行することになったようだ。