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昔の考え方では、「心は心臓にある」と見なされた。heart という言葉は、「心」と「心臓」という二つの意味で理解された。(これはたぶん、心が熱くなると、心臓がドキドキするせいだろう。)
近代以降では、「心は脳にある」と見なされた。これが近代的な科学観だ。
そこでは、「脳が(神経系を通じて)全身を支配する」という認識がなされた。
ところが、NHK の番組によると、それは妥当ではないそうだ。「脳が全身を支配する」ということはなく、脳を経由せずに、人体の各部がたがいに協調的に機能していることがある。そのとき、人体の各部は(神経伝達のかわりに)メッセージ物質を放出して、たがいに関連する。
たとえば、腎臓からメッセージ物質が出て、それが心臓の機能に影響するということがある。また、腸から出た「インクレチン」というメッセージ物質が、全身に影響する。
このことは、下記に記されている。
→ NHKスペシャル「人体」 命を支える“神秘の巨大ネットワーク”
一部抜粋しよう。
このインクレチンのように何らかの“メッセージ”を伝える物質が、人体のあらゆる臓器や細胞から放出されていることが、いま次々と発見されています。医学の世界では、そうした物質を「ホルモン」や「サイトカイン」、「マイクロRNA」などさまざまな名前で呼んでいますが、今回の「人体」シリーズでは、よりわかりやすく“メッセージ物質”と呼ぶことにしました。その数は、数百種類にものぼると言われています。これまで、脳などごく限られた臓器がそうした“メッセージ物質”を出していることは知られていましたが、実は脳からの指令を待たずして、全身の臓器たちは直接メッセージをやりとりし、情報交換しながら、私たちの命や健康を支えていたのです。
その一方で、「全身が脳に影響する」つまり「肉体が精神に影響する」ということがある。これは、「脳が全身に影響する」のとは逆のことだが。
たとえば、うつ病っぽい人が、睡眠や運動を通じて、肉体を健全化することで、精神もまた健全化していく。スポーツの練習で肉体を厳しく鍛錬することで、不良だった生徒が真面目になっていく。(漫画でも「あしたのジョー」がそうだ。)
物質が精神に影響するという点では、ホルモンがある。
人は何らかの行動を取ることで、ホルモンの分泌がなされることがある。たとえば、こうだ。
・ 見つめあうことで、オキシトシンが出る。( → 前項 )
・ ネットで悪口を言うと、ドーパミンが出る。( → 前項 )
・ いじめをすると、ノルアドレナリンが出る。( → 検索 )
その一方で、オキシトシンや、ドーパミンや、ノルアドレナリンには、それ自体に精神的な効果がある。落ち着かせたり、興奮されたり、いろいろだ。
ここで、「ドーパミンには快感を与える効果がある」ということから、「人が悪口を言うのは、ドーパミンによる快感を得るためだ」というような説も出た。( → 前項 )
しかし、それはおかしい。そもそも「快感を得るため」という目的論がおかしい。それは生物にとって利益とならないからだ。
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そもそも「快感」というものが生物に備わっているのは、それが生物にとって生存に有利であるからだ。たとえば、
・ 満腹感の快感 → 食事を促す
・ 交尾の快感 → 交尾を促す
こういうふうに生存や繁殖という生物的な原理に影響する。だからこそ、強い快感が得られる。
特に、交尾では、オスの側で強い快感が得られる。命を賭けるほどにも強い快感が得られる。それは、昆虫でも同様であって、交尾のために生命を賭ける昆虫の例は多い。具体的な例としては、ミツバチ、カマキリなどの例が有名だが、下記番組では、カゲロウの例が示されている。
→ NHK「ダーウィンが来た」第581回「数百万匹の大乱舞 奇跡の絶景!ティサの開花」
数百万匹のカゲロウの大発生が始まった。残された命は2時間ほど。オスたちは競うように水面近くへ下りメスを探した。多いときには30匹が1匹のメスを奪い合うという。メスに群がるオスが花のようにみえることからティサの花と呼ばれている。
( → [ダーウィンが来た!]の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版) )
オスは交尾のために必死に行動する。それは交尾で強い快感が得られるからだ。ではなぜ、強い快感が得られるか? 強い快感自体が目的だからか? 違う。生物が交尾するのは、交尾そのものが、生物の生存戦略にとって必要不可避だからだ。(交尾しなくては、その生物種は滅びてしまうからだ。)
そして、そこでは、交尾は「命を代償として提供する」ことが要求される。オスは、個体としての自分が生きるためだけならば、交尾をしないでのんびりと長生きした方がいい。しかしそれでは、交尾しないままで、次世代が生まれずに、生物種は滅びてしまう。そこで、命を代償としてまでも、交尾に突き進む必要があるのだ。そうさせるものが「快感」ないし「(快感を得る前の)飢餓感」なのである。
つまり、「快感」ないし「(快感を得る前の)飢餓感」というものは、それ自体が最終的な目的ではなくて、一種の「目標」なのである。
それは、「獲物を釣るためのエサ」のようなものなのだ。パン食い競争のパンのようなものなのだ。それを見せつけて、それに食いつかせることを狙っている。とすれば、それは、個体の真の目標ではなく、個体の真の目標であると見せかけるための錯覚物なのだ。
実は、交尾をしても、オスは何も得られない。動物ならば、どんな食物も得られない。人間ならば、どんな金も富も得られない。そういうふうにオスは何も得られないのだが、それにもかかわらずオスは死にものぐるいで交尾する必要がある。そこで、「交尾は素晴らしいものだ」と錯覚させる必要がある。そういう錯覚をもたらすものが、「快感」なのだ。
※ ここでは「性的快感」のこと。
オスは交尾をすると、快感を得られる。だから、快感を得ようとして、必死に交尾する。そこで、「快感を得ることこそが最終目的だ」と思う人が多い。
しかし、違う。「快感を得ることこそが最終目的だ」ということはない。「快感を得ることこそが最終目的だ」と感じる錯覚があるだけだ。その錯覚に従って、オスは必死に交尾する。実際には、何か具体的に有益なものを得るわけではなく、むしろ、激しいエネルギー消費をして体力を消耗するだけなのだが。
ここでは、「実際には損をするのに、得をしたと見せかける」という錯覚のために、快感というものがある。
これが生物における「快感」の原理だ。
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以上の原理からすると、「ドーパミンによる快感を得るために行動する」という理解が不十分である、とわかるだろう。
たとえば、ネットで悪口を言って、ドーパミンによる快感を得るとしても、それは行動原理にはならない。「ドーパミンによる快感を得るために、ネットで悪口を言う」という主張は成立しない。
・ そんなことで快感を得ても、生物的に利益にならない。
・ 生物的に利益を得るための錯覚をもたらさない
この意味で、食欲や性欲における快感とはまったくのものだということがわかる。(ドーパミンの快感は)
ドーパミンの快感とは何か? 実はそれは、「神経系の活性化」ということぐらいの意味でしかない。たるんでいた神経を活性化して、精神の状況をアップさせる。疲労感の減少という効果もある。
こういう点では、一番よく似ているのは、カフェイン(コーヒー)だろう。コーヒーを飲むと、頭が冴えて、気分が良くなる。ドーパミンの効果というのも、それと似ている。
ただ、そういうことがあるからといって、「ドーパミンの快感を得るために、ネットで悪口を言う」というのは、論理の飛躍だ。それはいわば、
「コーヒーを飲むために、コーヒーの万引きをする」
「コーヒーを飲むために、金を盗む」
というような論理だ。換言すれば、
「コーヒーの万引きをするのは、コーヒーを飲むためだ」
「金を盗むのは、コーヒーを飲むためだ」
というような論理だ。そこには論理の飛躍がある。
ここでは、ある種の相関性や関連性はあるとしても、一挙に因果関係にまでは結びつかないのだ。
「コーヒーの万引きをする」とか、「金を盗む」とかの行為は、「コーヒー(カフェイン)による快感を得るため」という単純な論理では済まない。もっといろいろと個人的な事情や背景があるはずだ。
ネットで悪口を言うことと、ドーパミンによる快感も、同様だ。そこには、ある種の相関性や関連性はあるとしても、一挙に因果関係にまでは結びつかないのだ。個別の例では、もっといろいろと個人的な事情や背景があるはずだ。
ネットで悪口を言うような人には、家庭の事情や不幸感など、いろいろと背景があるはずだ。そこでは、ノルアドレナリンによる「いじめ」の効果や、アドレナリンによる「攻撃性」の効果や、オキシトシンの不足のよる幸福感の不足など、いろいろとホルモンの影響があるはずだ。また、運動不足とか、野菜不足とか、睡眠不足とかも、影響しているだろう。
人間の精神というのは、複雑なものである。脳が体に影響し、体が脳に影響する。その際、さまざまなホルモンなどが介在して、複雑でダイナミックな統御システムを構築する。そのうちのほんの一部として、「ドーパミンの影響」もある。
ただし同時に、ノルアドレナリン、アドレナリン、オキシトシンなども影響するのだ。他にも、セロトニンのようなホルモンも影響する。
脳内麻薬と言えば、ドーパミンだけでなく、それ以外のものもある。
脳内麻薬とは、モルヒネなどの麻薬と似た作用を示す物質で、脳内に自然状態で分布しているものを指す。脳内麻薬様物質とも呼ばれ、これまでに約20種類の物質が見つかっており、β-エンドルフィン、ドーパミンなどが代表的とされる。
( → 脳内麻薬 - Wikipedia )
とにかく、こういうホルモンを含めて、さまざまなメッセージ物質が人体では影響しているのだ。
なのに、それを「脳内麻薬による快感を得るため」というふうに単純化して理解するのは、あまりにも見当違いだ。
それは、二つの点で根本的に狂っている。
・ 複雑な話を単純化している。
・ 快感の意義を根本的に理解できていない。(錯覚のこと)
たとえば、ジョギングを 20分以上続けると、β-エンドルフィンが出て、快感を得ることができる。
→ ランナーズ・ハイとは?セロトニン・βエンドルフィンの効果
しかし、だからといって、「β-エンドルフィンによる快感を得るために、人はジョギングをする」というのは、論理の飛躍だ。人がジョギングをするのは、あくまで健康のためだ。なのに、それを「β-エンドルフィンによる快感を得るため」と説明するのは、いわば、「犬がシッポを振る」というのを「シッポが犬を振る」と表現するようなものだ。根本的な誤認がある。
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人間の心を、物質レベルで理解するということは、科学としては十分に有益なことだ。
しかし、それで一つの真実を発見したからといって、その一つが真実の全体像だと思うのは、あまりにも論理が飛躍している。それは「群盲象を撫でる」に等しい。自分の知った範囲だけで、「これはヘビのようだ」などと勝手に解釈しているが、そんな勝手な解釈をしたところで、全体像は理解できないのである。
真実の全体像を理解するには、細かな断片をいくつか取り上げればいいのではない。「自分は断片しか理解していない」とわきまえて、「広い全体像を知ろう」と視野を広げることが大切だ。
こういう方針は、科学においてはとても大切なことだ。
[ 付記 ]
断片にとらわれず、「広い全体像を知ろう」と視野を広げることが大切だ……ということは、科学において成立するだけでなく、将棋や碁のようなゲームにおいても、成立する。
碁については、前に述べたことがある。アルファGO の話で。それを抜粋しよう。
人間が部分的な勝利をめざしている間に、AI は最終的な全体勝利をめざして、せっせと石を置いてきたのだ。そして、人間が気がついたときには、AI の置いた石の多くが急に意味を持ち始めて、一挙に AI の全体的な勝利に至る。
結局、人間がめざしたのは部分的な勝利の蓄積であり、AI のめざしたのは最終的な勝利だった、という違いがあるわけだ。
( → AI とディープラーニング 2: Open ブログ )
これは、私が当時記したことだが、それから何カ月かを経たあとで、プロの棋士も同様のことを示したことがある。
( p.s. 上の項目のコメント欄に、その記事の URL が記してある。)
【 関連サイト 】
NHK の番組(メッセージ物質の話)についてのサイト。
→ 生命誕生の神秘!臓器をひとりでに生み出す"メッセージ物質"の働き | NHK健康チャンネル
→ 驚異のメッセージカプセル「エクソソーム」 | NHK健康チャンネル
→ 生命誕生の神秘!臓器をひとりでに生み出す"メッセージ物質"の働き | NHK健康チャンネル
→ 臓器たちは“会話”している?健康常識が変わる新シリーズ NHKスペシャル「シリーズ人体〜神秘の巨大ネットワーク〜」 |NHK_PR|NHKオンライン
→ Nスペ「人体」 臓器たちは“会話”している!?あなたの健康常識が変わる | NHK健康チャンネル
→ 【NHKスペシャル 人体 最終回】メッセージ物質「エクソソーム」が長寿のカギを握っていた!
関連:
→ 子宮頸がんワクチンとエクソソーム: Open ブログ
【 関連項目 】
本項は、前項の続きです。
さらに、次項に続きます。
→ 目的論と結果論: Open ブログ

根本的な解決ではないとしても、緊急避難的に被害者を保護するための選択肢として排除すべきではない、と考えます。
交尾の理由としては本能による衝動だけで充分だと思うのですが。
「快感」ないし「(快感を得る前の)飢餓感」
とある通りで、「(快感を得る前の)飢餓感」と見た方がいいでしょう。
本能による衝動と言っても、同じことです。別に、わけもなくそうしているのではなく、そうしたいからそうしているのだ、と理解すればいい。で、「そうしたい」という気持ちを考えれば、文中のような説明となる。