有糸分裂はいかにして出現したか? その起源を探る。
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前項では、真核生物の誕生について、「核膜よりも有糸分裂が先に出現したはずだ」と述べた。
では、有糸分裂は(原核生物において)いかにして出現したか? それを考える。
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いきなり結論を言えば、次の順番であったはずだ。
・(両極に引っ張る)糸の出現
・ DNA が環状から線状になる
・ 線状になった DNA が折り畳まれる
以下では、その理由を述べよう。
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まず、最後に来るものは、次のことだろう。
「線状になった DNA が折り畳まれる」
なぜか?
これが起こる前に「 DNA が環状から線状になる」ことは論理的に必然だ。(当り前だ。さもなくば線状の DNA が存在しない。)
次に、
・(両極に引っ張る)糸の出現
・ DNA が環状から線状になる
の先後を考えよう。どちらが先か?
これは、「糸の出現」が先であるはずだ。なぜなら、糸が出現しないまま、DNA が環状から線状になったなら、その線状の DNA が途中でもつれてしまって、こんぐらがって、原核生物の分裂が困難になるからだ。
原核生物の DNA が環状であることには、きちんとした理由がある。「もつれない」ということだ。環状でも線状でもどちらでもいいのではなく、環状であることの方が明らかに有利であるから、原核生物の DNA は環状であるのだ。
その後、(両極に引っ張る)糸の出現があった。すると、「もつれにくい」という性質が生じた。このあとでようやく、DNA は線状になることができた。
DNA は線状になることができた。ただし、その時点では、特に線状であることのメリットはなかった。そのまま、環状のタイプと線状のタイプが、どちらも共存しただろう。特に一方が有利ということもないまま、両者は共存しただろう。
しかし、その後に変化が生じた。線状の DNA の方は、「 DNAが折り畳まれる」という形質を有するようになったのだ。すると、それは、「 DNA が巨大化する」ということが可能となった。なぜなら、たとえ巨大化しても、細胞分裂のときに折り畳まれることで、コンパクトになって、もつれずに両極に移ることができるからだ。
仮に「 DNAが折り畳まれる」ということがなかったなら、細胞分裂のときに、巨大な DNA がもつれてしまうので、DNA は巨大化することができない。しかし、細胞分裂のときに折り畳まれれば、DNA は巨大化することができる。(しかも、糸があるので、巨大化することのデメリットは生じない。)
かくて、「 DNAが折り畳まれる」という形質をもつものは、DNA が巨大化できた。つまり、大幅に進化することができた。
ここでは、「大幅に進化する能力をもつ」という形の進化が起こったのだ。
※ なお、糸がないままだと、巨大化することはできなかっただろう。折り畳まれた DNA が両極に向かって動きにくいからだ。
※ 原核生物で、環状の DNA が両極に向かって動くことには、特定のタンパク質が作用している。[この件は、本項末の (1) の図を参照。]
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結局、こうなる。
原核生物において、
・(両極に引っ張る)糸の出現
・ DNA が環状から線状になる
・ 線状になった DNA が折り畳まれる
という順番で、有糸分裂が出現した。このことで、有糸分裂をするタイプの原核生物は、大幅に進化する能力を獲得したのである。
ただし、この時点ではまだ、大幅な進化は起こっていない。「大幅な進化をする能力を獲得した」だけであって、大幅な進化そのものはまだ起こっていない。
しかるのち、実際に大幅な進化が発生したのだろう。つまり、DNA がどんどん巨大化していき、遺伝子がどんどん増えていったのだろう。
その後、核膜が出現した。このとき、真核生物が誕生した。こうして、今日の多種多様な真核生物の原型が誕生したことになる。
( ※ これ以後は、真核生物の話になる。前項を参照。)
[ 付記1 ]
真核生物が誕生した時点では、真核生物はまだ原核生物と大差なかった。染色体の数もひとつだけだった。(今日の大腸菌も、染色外の数はひとつである。)
その後、染色体の2倍体や3倍体などが(突然変異の形で)出現するようになったのだろう。さらには、それぞれの染色体が変化することで何本もの染色体が出現するようになったのだろう。
[ 付記2 ]
真核生物には、核がある。これによって、何が有利になったか?
「原核生物に比べて、巨大な DNA を持つことができるようになったことだ」
と思いがちだが、そうではない。巨大な DNA を持つことができるようになったことは、真核生物の出現(核の出現)以前に、有糸分裂の出現の段階でなされているのだ。そのことが本項で判明した。だから、上のことは、「核があることの有利さ」ではない。
そこであらためて考え直すと、核があることの有利さは、次のことだろう。
「真核生物では、核で RNA が形成されて、RNA によって核の外の細胞構造が形成される。このことで、細胞構造の進化に多様な試行錯誤が可能となって、細胞構造がどんどん進化していった。つまり、生体(個体)がどんどん進化していった。特に、多細胞生物の出現が可能となった」
このことを理解するには、「原核生物ではそれが不可能だった」と考えるといい。原核生物で同じことをしようとしても、細胞構造を変化させようとしたとたんに、細胞壁が破れて、DNA がバラバラに飛び散ってしまいやすい。これでは突然変異を起こしにくい。
一方、核があれば、細胞壁に何らかの脆弱な変化が生じたとしても、DNA がバラバラに飛び散ってしまうこともなく、核のなかで保たれている。そのままいろいろと突然変異の試行錯誤をしたあとで、あるとき突発的に、きわめて有利な突然変異の組み合わせが生じる。こうして、多様な突然変異の試行錯誤のあとで、重要な進化が出現する。
つまり、核があることで、多様な試行錯誤が可能となって、進化が起こりやすくなったわけだ。
このように推定できる。
[ 付記3 ]
「糸の出現」が最初であったことには、傍証がある。
仮に「糸の出現」が最初でなかったなら、「糸がないままの真核生物」というものが多様に存在するはずだ。そのような真核生物は、「無糸分裂」をするタイプとして分類できるはずだ。1大カテゴリーをなしていいはずである。
そこで、生物界を調べると、「無糸分裂」をするタイプの生物はたしかに存在する。かつてはこれを「有糸分裂をする生物とは対極的な生物群」と見なしたこともあった。
しかし今日ではこの考えは否定されている。真核生物の基本は有糸分裂であって、無糸分裂をする生物は何らかの病的な生物であると見なされている。
つまり、いったん有糸分裂をする生物として出現したあとで、進化の途中で、なぜか糸を形成する性質を失った(病的になった)ので、糸を形成しないだけだ……というわけだ。(これは、比喩的に言えば、生物におけるアルビノみたいなものだ。本来ならばメラニン色素を形成するはずなのに、病的にメラニン色素を形成できなくなったので、メラニン色素を形成する能力を進化の途中で失った、というわけだ。)
多細胞生物の一部に見られる無糸分裂は、むしろ病的な現象と考えられるようになっている。したがって真核生物の細胞分裂は有糸分裂が原則であると考えられており、無糸分裂を有糸分裂と対立させる意味合いは現在はなくなっている。
( → 無糸分裂 - Wikipedia )
というわけで、真核生物の基本は「糸のある分裂」である。このことからして、「糸は途中で加わった」のではなく、「糸は最初からあった」と見なせる。つまり、「糸の出現」があったのは、順序的に最初である。
こうして、傍証が得られた。(理論的根拠でなく、事実による根拠。)
【 関連サイト 】
(1)
原核生物の分裂については、Wikipedia の図が役立つ。
→ Wikipedia の図
この図を理解するには、次のページが参考になる。
→ 原核生物の細胞分裂 - 生物史から、自然の摂理を読み解く
(2)
有糸分裂については、Wikipedia の説明が役立つ。
→ 有糸分裂 - Wikipedia
DNA が折り畳まれてコンパクトになる現象は、染色体凝縮と言われる。( → 同上 )
→ 染色体凝縮 - Wikipedia
これにはクロマチンが関与する。
→ クロマチン - Wikipedia
染色体を引っ張るときの両極は、「紡錘体極」と呼ばれる。( → 同上 )
両極に引っ張るときの「糸」にあたるものは、「微小管」と呼ばれる。( → 同上 )
→ 微小管 - Wikipedia
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過去記事。 → http://j.mp/2ACkIz1