2018年12月30日

◆ 忠臣蔵の真相

 世間で知られている忠臣蔵は、実はインチキであって、真相は異なる……という NHK の番組が放送された。

  ※ 最後のあたりに 【 追記 】 を加筆しました。


 ──

 たまたまテレビをつけたら放送されていたので、最後の方だけを見たのだが、世間で知られている忠臣蔵と、真相は、まったく異なるそうだ。

 忠臣蔵は、よく知られている通りだが、物語名が「忠臣蔵」で、歴史事実は「赤穂事件」と言われるそうだ。
 赤穂事件(あこうじけん)は、18世紀初頭(江戸時代)の元禄年間に、江戸城松之大廊下で高家の吉良上野介(きらこうずけのすけ)義央に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)長矩が切腹に処せられた事件。さらにその後、亡き主君の浅野長矩に代わり、家臣の大石内蔵助良雄以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央、 小林央通、 鳥居正次、 清水義久らを討った事件を指すものである。
 この事件は、一般に「忠臣蔵」と呼ばれるが、「忠臣蔵」という名称は、この事件を基にした人形浄瑠璃・歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の通称、および、この事件を基にした様々な作品群の総称である。これら脚色された創作作品と区別するため、史実として事件を述べる場合は「赤穂事件」と呼ぶ。
( → 赤穂事件 - Wikipedia
  
 この事件が起こったのは、斬りつけた事件に対して、「喧嘩両成敗」にならず、赤穂藩だけに「お家取りつぶし」の裁定が下ったことだ。これに怒り狂った家臣が、「あまりにも一方的な裁定で、不公平だ」と騒いで、「喧嘩両成敗」を求めたのだが、実現しないので、勝手に私刑を加える形で、吉良を討ったわけだ。

 ──

 この件では、「不公平に扱った幕府が悪い」という同情が多くて、「理不尽な不公平な裁定に反発して、討ち入りするのは当然だ」という俗信が主流だった。その当時もそうだし、それ以後の物語「忠臣蔵」でもそうである。
 なお、物語「忠臣蔵」では、斬りつけられた吉良は賄賂をもらったとか何とか、いろいろと悪巧みをする極悪人に設定されているが、それは物語だけの話。現実には、吉良が斬りつけられた理由は判明していないそうだ。
 また、「喧嘩両成敗」を求めるというのも理不尽であって、そもそも斬りつけたのは浅野の方だけであって、吉良の方は単に斬りつけられただけなのだから、一方的な加害と被害があるだけであって、喧嘩にはなっていない。だから「喧嘩両成敗」を求めるという忠臣蔵のストーリーそのものがおかしいわけだ。(というか、浅野の側ばかりを善人に仕立てすぎている。)
 現実的には、殺人未遂の犯人とその被害者がいただけなのだから、前者だけが責められて当然だ。特に、被害者が幕府の家臣であったとすれば、なおさらだ。
 ところが、どういうわけか、当時の世論も以後の世論も、浅野の側ばかりが善と見なされ、吉良の側ばかりが悪と見なされるようになった。( NHK の番組によると、どうやら赤穂浪士の側がうまく世論を操作して、自分たちを正義の義賊というふうに見せかけるように誘導したらしい。そこのところ、詳しい話は見損ねたが。)
 で、最後には、赤穂浪士が吉良邸に入って、吉良を殺した。その後、赤穂浪士は全員が切腹と相成った。

 ここまではまあ、わかるのだが、NHK の番組では最後のエピローグみたいな話が強調されていた。
  ・ 赤穂浪士の側は被害がほぼゼロだが、吉良の側は死者が多数。
  ・ その理由は、赤穂浪士の側は鎧のような装備を付けていたので、安全だから。
  ・ 一方、吉良の側は鎧もなく、一方的に大勢が惨殺された。
  ・ 幕府の事後裁定は奇妙なものとなった。
  ・ 一方的に殺された吉良の側は、「武士道に反するので、卑怯である。正々堂々と戦うべきであった」というもの。
  ・ こうして吉良の側には厳しい処分が下った。お家取りつぶしに近い形。
  ・ 結果的には、吉良の息子も病死で、お家断絶。
  ・ 赤穂浪士の側は「切腹」という「名誉ある死」で称賛された。
  ・ 総合的には、吉良には不名誉、赤穂浪士には名誉、という対照的な処分。
  ・ 「これで喧嘩両成敗になった。正義は果たされた」と世間は満足。
  ・ 幕府も世間に迎合して、世間の評価を高めた。


 ──

 何だこれ? メチャクチャだ。まるで、「悪党である安倍首相は、悪をなしたがゆえに支持率を高めて、政権安泰になった」というような感じだ。
 そしてその理由は、「とんでもない暴走集団が、自分の殺人を善だと見せかけて、世間をだましたからである。だまされた世間は、暴走した殺人犯を正義のヒーローと見なして、拍手喝采した」というわけだ。
 これが忠臣蔵の正体だ……というわけ。

 あまりにもひどいので、口あんぐりだ。

 ──

 忠臣蔵については、これを「ただのテロ事件だ」と見なす見解は、前からあった。
 「強力に武装した武士集団が、大量に集まって襲撃して、非力な老人を惨殺した」
 というふうに見なす見解だ。

 それはまあ、それで、特に間違っているわけではないのだが、今回の NHK の番組では、最後の幕府側の裁定があまりにもひどいので、呆れてしまった。

 この件は、Wikipedia では次のように記述されている。
 赤穂浪士の切腹と同日、吉良家を継いだ吉良左兵衛義周を信濃高島藩主諏訪安芸守忠虎にお預けとされた。
 幕府が義周の処分を命じた理由は、義父・吉良義央が刃傷事件の時「内匠に対し卑怯の至り」であり、赤穂浪士討ち入りのときも「未練」のふるまいであったので、「親の恥辱は子として遁れ難く」あるからだとしている。ここで注目すべきは吉良上野介の刃傷事件の時のふるまいが「内匠に対し卑怯」であるとしている事で、幕府は赤穂浪士の討ち入りを踏まえ、刃傷事件の時は特にお咎めのなかった上野介の処分を実質的に訂正したのである。
 義周はその後20歳余りの若さで亡くなり、ここに吉良家(西条家、義央系)は断絶する事になった。
( → 赤穂事件 - Wikipedia赤穂事件 - Wikipedia

 ちょっとわかりにくい記述ではあるが、私が上に書いたことを裏付けている。

 ともあれ、こんなことがあったということで、NHK の番組にはびっくりした。というわけで、その内容を本項に記しておいた。
  ※ 他には、ネット上に記事が見つからないので。
    NHK のサイトでも内容紹介は見つからない。



 【 追記 】
 再放送があったので、それを見た上で、加筆しておく。番組の前半では、次の話があった。
  ・ 番組製作に当たっては、新資料がいくつか見つかった。
  ・ 斬りつけ事件のあと、吉良の側は事を穏便に済まそうとした。
   (乱心・心神喪失を理由として、殺意を否認した。)
  ・ 浅野の側は、乱心を否定して、明白な殺意を認めた。
  ・ 討ち入りに際しては、綿密な軍事的計画があった。
     扉を釘打ちして、扉を開かせなくした。
     (これで百名ほどを部屋に閉じ込めた。)
     鎧みたいな鎖帷子(くさりかたびら)を着用した。
     1人の敵に、正面の他、背後2名で斬りかかった。
     敵の刀に対して、多人数の槍で圧勝した。
     槍は「十字槍」という最強の武器を使った。
   以上によって3倍の人数に対して圧勝した。
  ・ 討ち入りの動機を「忠義」として、正当化した。
  ・ 「忠義による仇討ち」という主題で、世間の支持を得た。


 このあと、世間や大名による「大石擁護」の声を受けて、幕府の側も方針を転換した。最初の斬りつけ事件に遡って、裁定を改めた。「無抵抗で殺されたのは武士としてけしからん」というメチャクチャな裁定が下った。それというのも、すべては大石のプロパガンダが成功したから。(これは、すでに記したとおり。)

 ともあれ、「忠臣蔵」というのは、「テロリストが大量殺人行為を自己正当化するために、忠義という名分を唱えたら、世論がみんなだまされてしまって、テロリストを正義の味方として賛美するようになった」という物語だ。
 かくて、ただの殺人犯を「忠臣」と呼ぶようになったわけだ。「忠臣である内助」を賛美するという形で、「忠臣蔵」という題名が付けられた。

 こうして日本人は洗脳され続けてきたわけだ。

( ※ 「テロリスト」という言葉はやや不正確で、「大量殺害犯」と呼ぶのが正しいだろう。ただし、攻撃側は 47人もの集団で、いずれも正規軍の精鋭である。被害側も正規軍だが、150人ぐらいいる。……これほど大規模になると、ただの殺人事件ではなく、テロ並みの規模だと言える。)




 【 関連サイト 】

 → 忠臣蔵は大正時代にも飽きられていた

 これは、最近話題になっていたページ。
 ただし、話は不正確だ。忠臣蔵は、平成ではすっかり不人気だが、昭和のころ( 20年ぐらい前まで)では年末には毎年のように放送されていたものだ。
 私は全然興味がないのでちっとも見なかったが、父はよく見ていたようだ。
 忠臣蔵が飽きられていたというが、マンネリ化した物語というのはそういうものだ。それでいて、けっこう人気があったのである。それは「水戸黄門」みたいなマンネリ化した物語と同様だ。飽きられていても、高齢者には人気があったのだ。
 私は忠臣蔵の番組を見たことはいっぺんもないのだが、今回は「忠臣蔵の真相」という話なので、興味深く歴史の真相を見聞きしていた。

posted by 管理人 at 23:02| Comment(7) | 一般(雑学)5 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
苦手な芸人が出ていたので速攻チャンネル変えたんですが、山本博文先生が出ていたので史実に沿った(あくまでも現存する史料による)内容で放送していたのではいかと勝手に思ってます・・・
が、歴史というのは、受け取る側の解釈によって如何様にも変化するので面白いです。
Posted by 名無し at 2018年12月31日 01:53
虚構や虚偽が恰も事実であったかのように一人歩きし、既成事実化した一例でしょう。歴史に限らず枚挙に暇がありません。歴史分野では司馬遼太郎作品、社会問題では山崎豊子作品が該当するんじゃないかと。”江戸しぐさ”の話も耳新しいところです。

ただ、(そんな意図はなかったとしても)実在の人物とトピックスを援用して、全てが恰も事実であったかのように視聴者に思い込ませる手法を多用しているのはNHKです。大河や朝ドラで見事に用いられています。エントリで取り上げられた番組は視聴していませんが、もし批判的な論調が織り込まれていたとしたら、正に”天に唾する”といった感が否めません。
Posted by 作業員 at 2018年12月31日 09:39
 最後のあたりに 【 追記 】 を加筆しました。
 タイムスタンプは 下記 ↓
Posted by 管理人 at 2018年12月31日 13:25
一手別手に一向二裏。
どちらもGoogle変換には出てきませんね。
Posted by 先生 at 2018年12月31日 16:54
伊達騒動にも見られるように、当時の幕府は、隙あらば親藩以外の藩は全てお取り潰しを狙っていた訳で、この事件で二つも潰したのは、根拠はともかく、結果として当時の官僚である幕臣は優秀だったようです。残念ながら、現代の官僚はふるさと納税で五月蝿い地方自治体を弱らせようとしていますが、上手くはいってないので劣化しつつあるということでしょうか。
Posted by 新道 at 2018年12月31日 17:06
お邪魔します。
 太平の江戸の世になっても、「戦場で多くを殺せば英雄」の戦国時代の「殺らねば殺られる」「殺られる前に殺れ」「目障りなものはぶっ潰せ(相手方の殺害も厭わない)」の気風は中々改まらず、旗本奴や町奴といった「法なんかよりも、舐められ侮られる事を恐れる」連中による喧嘩や抗争は絶えませんでした。その気風の一掃を目指したのが綱吉の生類憐みの令でしたが、当然それは少なくない人間の反発を買います。そういった中で「(主観的に)やられた(と思った)らやり返せ」を実践した(と見なされた)赤穂浪士達が喝采を浴びたのではないかとも思われます。一旦気風が一掃されてしまうと、かつて自分達がそうであった事など忘れ、綱吉を「犬フェチの馬鹿将軍」とみなす一方で、赤穂浪士達への称賛「だけ」が残ったのではないかと。
Posted by ブロガー(志望) at 2019年01月02日 23:14
風聞は真実を隠しもするが、
恨みの無いところに殺傷も無いのも常。

平和が続き、形骸化した武士の守り役の中に、
些細な意地悪が、面子の衝突を産み
正義大儀の分別もなく、目には目をとなったか。

三国志の漢が宦官もろとも朽ちていく国家の腐敗は世の常。
質素倹約と国力増強を常にする国家しか継続できないもの。

赤穂浪士の一件で幕府が再び一丸となったのか、
以降100年以上江戸幕府が続いていくのもの、ひとつの結果かも。
倹約を進めたところに、マウンター氷河時代が到来、
夏でも雹が降る大飢饉が到来して国力が弱るも、中国大陸からの侵略は無く。

史実と異なったとしても、正義を貫く性善説前提の粋をもつ国の存在こそが、
一目置かれるクールジャパンの存在そのものかと。

古都や仏閣を焼かずに置いたマッカーサーの粋も相当なものだと思いますが、
それこそが尊敬される古い日本の善さかとも思います。

赤穂の一件がなければ、
韓国王朝や清王朝のように、腐敗と賄賂まみれのあげくに欧米に占領され、
米国語でも喋っている我々かもしれません。
と思えば、貴重な一件だったのではないか?とも思います。
Posted by メルカッツ at 2019年01月03日 22:15
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