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安倍首相が(消費税増税の不評をなだめるために)「幼児教育の無償化」を打ち出した。そのときは、認可外保育所は無償化の対象外とされたが、「ただでさえ認可保育所に入れなかった人を、さらに虐待するのはおかしい」という反発を受けて、認可外保育所も無償化の対象に入れた。
ただし、その無償化の財源のうち、かなりの部分を自治体に負担させることにしたので、自治体が反発した。「国の勝手な施策で、どうして自治体が金を出さなくちゃならないんだ」と。
すると財務省は「消費税増税で、自治体にも分配金の収入が入るんだから、その金でまかなえ」と言い張った。それでも自治体は反発した。
認可施設に入れずに認可外施設を利用する保護者や与党からの批判が強まり、5年間の経過措置として、指導監督基準を満たしていない認可外なども対象とする方針に転換。
これに対し、全国市長会などは「劣悪な施設に公費を投入することは耐え難い」と反発した。
( → 幼保無償、条例で限定案 認可外で地域差の可能性 政府:朝日新聞 2018-12-05 )
最後の「劣悪な施設に公費を投入することは耐え難い」という箇所が問題だ。これはおかしい。
話の趣旨は、次のことだろう。
「劣悪な施設に公費を投入するのは、劣悪な施設を推奨することになるので、問題だ」
なるほど。一理ある。
だが、よく考えれば、これは論理が破綻している。なぜなら、「劣悪な施設」というのは、「経営が駄目だから劣悪である」のではなく、「公費の投入が少ないから劣悪である」だけだからだ。
※ 認可外施設は、認可施設に比べて、公費投入の額が圧倒的に低い。そのせいで、サービスが著しく低い。
「劣悪な施設に公費を投入するべきではない」と思うのであれば、公費の投入をどんどん減らせばいい。しかし、そうすればそうするほど、劣悪さはいっそうひどくなる。
だから、論理的に考えれば、「劣悪な施設に公費を投入することは耐え難い」のではなく、「劣悪な施設にはもっと公費を投入するべきだ」となるはずだ。
比喩で言えば、こうなる。
病気で薬の治療を受けている患者がいる。彼は貧しいので、必要な薬の半分しか買えない。
これを見て、国は言った。「薬が半分しか買えないのでは、かわいそうだ。公費を投入して、薬を全量与えよう」
すると、自治体が反発した。「薬を半分しか使えないのでは、劣悪な治療だ。劣悪な治療に公費を投入するのは耐えがたい。ゆえに、薬を全量与えるのには反対だ。むしろ、薬への補助金を全廃するべきだ」
……しかし、こんなことをやったら、患者は死んでしまう。
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今の日本では、なすべきこととは正反対のことをやって、それが正義だと持っている人が多すぎる。
その代表が、「保育所不足だから、保育を無償化する」(そしてますます保育所不足にする)という方針を取る安倍首相だ。
しかし、安倍首相よりも、もっと頭がイカレているのが、自治体だ。もはや頭が錯乱していると言える。論理というものができないらしい。
「必要なものが不足するのは困る。だから(不足させないのでなく)全廃にしてしまえ」
「おなかが減ると困る。だから(おなかを満たすのでなく)飢え死にさせてしまえ」
という狂気の発想。
今の日本(の官公庁)は、もはや全国レベルで錯乱状態にあるようだ。