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普通の「国語」なら、論説文と文学作品(小説・詩歌)をともに学ぶ。
ところが、国語改革によって、新たに「論理国語」と「文学国語」に分けて、どちらか一方のみを選択させることにしたそうだ。
これは、比喩的に言うと、次のような感じだ。
・ 数学は、幾何学と代数学のうち、一方だけ。
・ 物理学は、力学と電磁気学のうち、一方だけ。
・ 体育は、陸上競技と球技のうち、一方だけ。
このように、「片方だけ学ばせて、他方は学ばせない」というのは、きわめて偏った教育である。明らかに異常だ。いったいどういうことだろう?
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そこで実状を調べてみた。
まずは「論理国語 文学国語」という語で検索すると、次の三つのサイトが見つかった。
→ 高等学校学習指導要領 国語科の概要 | 大修館書店 WEB国語教室
→ 分けられるのかな?「論理国語」と「文学国語」 | あすこまっ!
→ 2020年、次期学習指導要領〜国語科はどう変わる
その要旨は、こうだ。
従来の「国語」と同様の科目として、「現代の国語」「言語文化」という二つの基礎科目が必修となる。各2単位で、計4単位。
その上に、次の四つの科目が選択科目として与えられる。
・ 論理国語
・ 文学国語
・ 国語表現
・ 古典探究
とすると、基礎的な科目(「現代の国語」「言語文化」)は、ちゃんとしているわけだ。ここは問題ない。
ただしその上に、選択科目がある。ここでは、選択したもの以外は修得できない。そこが問題となる。
ここでは、「選択させたもの以外は学ばせたくない」という強い意思を感じることができる。
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では、どうしてそういうことになったのか? 資料となるのは、次の PDF だ。
→ 高等学校学習指導要領解説 国語編 - 文部科学省( PDF: 2.6MB )
ここでは、各科目の意義が示されている。それを読めば、各科目の必要性はわかる。だが、「選んだもの以外は学ばせなくする」という不必要性はわからない。どうして他の科目(分野)を排除したがるのか、わけがわからない。
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そこで推測すると、次のことが思い浮かぶ。
「論理国語を深く学ばせることで、論理力を付けさせる。同時に、古典を排除して、古典学習という無駄な勉強をなくす」
これはまあ、目的としては、わかる。特に、古典を排除するのは、悪くないだろう。
とはいえ、文学作品を排除するのは、方針がおかしい。文学作品を読むことで、感受性を高めれば、言語力が増すし、そのことで論説文を読む力も高める。文学作品を読ませなくするというのは、「国語力全般を引き下げる」というのと同様だ。そんな馬鹿げたことをする理屈がわからない。
今回の方針は、「国語力を上げるつもりで、実際には国語力を下げる方針を取っている」という自己矛盾の方針だ。いったい、どういうことなのか?
ここには謎がある。
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そこで、名探偵の登場だ。この謎を解決しよう。
文科省の方針は、次のキーワードで説明できる。
「選択と集中」
これだ。これこそ、文科省の方針だ。
たとえば、学術研究では、「広く浅く」という方針が大切なのに、「特定の分野に資金を集中して、他の広い分野では研究を枯渇させる」という方針を取った。研究開発という学問の分野で、投資効率という金儲けの方針を取った。まったく矛盾した方針だ。まるで料理の分野で裁縫の方針を取るようなものだ。トンチンカン。
ともあれ、文科省は「選択と集中」という方針を取るようになった。ノーベル賞受賞の研究者からも批判されているように、まったく馬鹿げたことなのだが。
そして、学術研究の分野で「選択と集中」という間違った方針を取ったように、教育の分野でも「選択と集中」という方針を取ったのだ。国語力・言語力を高めるには、論説文と文学作品をともに学ぶことが大切なのだが、論説文だけを学ばせることで、論説文の理解力が高まるだろうと期待したのだ。
( ※ 比喩的に言えば、球技の選手を養成するときに、一日中ボールを持たせてばかりで、基礎トレーニングを一切禁止するようなものだ。当然、体力アップは望めないが。アンバランスな練習というのは、そういうものだ。)
かくて、「論理力を高めよう」という方針の下で、「選択と集中」という原理によって、アンバランスな教育が推進されたのだ。それが教育を破壊することになるとは気づかないまま。
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さらに、もう一つの理由がありそうだ。
大学入試では、論説文の問題だけがあれば十分であり、文学作品の問題は不要だ。「登場人物の心理を示せ」というような問題は不要だ。この件は、前に私が述べたとおり。
国語の問題は、原則、論説文にするべきだ。
一方、小説の心理問題は駄目だ。
「このとき作中人物Aはどんな思いでいたか?」
なんて、絶対に駄目だ。
( → 2013年センター試験・国語は悪問: Open ブログ )
国語と文学とは、はっきり区別するべきだ。国語の試験で文学を扱うべきではない。
国語の試験では、「登場人物の心理を問う問題」があってはならないのだ。それは国語の能力を測る問題ではないからだ。
( → 国語と文学を区別せよ: Open ブログ )
入試では、論説文だけを使うべきだ。
ここで、「入試では、論説文だけ」ということから、「それなら国語学習も、論説文だけ」というふうになったのだろう。そう推察できる。
( ※ 入試の都合が、教育という本体を振り回したわけだ。いわば、シッポが犬を振るようなものだ。本末転倒。)
しかし、これは非論理的な考え方だ。入試においては論説文だけでいいが、教育においては文学作品も扱うべきなのだ。
比喩的に言えば、陸上競技の試合は、競技形式でいいが、競技のトレーニングは、筋トレなどで基礎体力の向上をめざすトレーニングをする。試合が競技形式だからといって、練習も競技形式にする必要はないのだ。
サッカーだってそうだ。試合で勝つためには、試合形式の練習だけをすればいいのではない。シュート練習やドリブル練習という地味な練習を繰り返すことが必要なのだ。
ところが、それを理解しない阿呆は、「試合で勝つためには、試合形式の練習だけをしていればいい」と思い込む。「選択と集中さ。試合の練習ばかりをしていれば、試合が上手になるのさ」と思い込む。
このことからしても、「選択と集中」なんて発想を取るのは阿呆だけだ、とわかるだろう。
そして、文科省は、そういう発想を取ったのだ。だからこそ、文科省は、「論理国語」に集中させようとしたのだ。……ちょうど、学術研究の分野で「選択と集中」を実行したせいで、(かえって)多くの基礎研究を干上がらせたように。
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人は貧しくなると、目先の損得ばかりを考えて、長期的な計画ができなくなる。そうやってリストラばかりやって研究費を削減してきたのが、日本企業の 30年だった。その結果、かつては隆盛を誇った日本の家電各社や、IT各社は、こぞって破滅的な結果となった。
シャープ、サンヨー、パイオニア、東芝、日立、NEC、富士通。……いずれも惨憺たるありさまだ。
日本全体をこういうふうにしよう……というのが、文科省の「選択と集中」という方針だ。
その方針は、学術研究の分野で、どんどん成果を上げつつある。(日本学術研究のレベルの低下はひどいものだ。見事に文科省の方針が結果を出している。)
その失敗をもう一度繰り返すために、今度は国語の分野で「選択と集中」を実行しようとしているのだろう。それが文科省の国語改革だ。
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安倍首相は「残業手当ゼロ」という労働改革で日本の労働者を荒廃させ、死屍累々たる状況にしながら、外国人労働者を導入しようとしている。日本を外国人に売り渡すようなものであり、一種の売国政策だろう。
それと同様に、文科省は、日本人の国語力を低下させ、日本語というもの自体を衰退させようとしている。これもまた一種の売国政策だろう。
「日本を衰退させて、亡国の道を取らせる」
というのが、文科省と安倍首相の方針だ。その意味では、方針は見事に一貫しているわけだ。
ただし、やっている本人は、それとは逆の方向に進んでいるつもりでいる。下を向く方針を取っているくせに、上に向かって進んでいるつもりでいる。
まあ、阿呆というのは、そういうものである。あっち向いてホイ。
【 関連サイト 】
話題のきっかけは、次のツイート。
文藝春秋11月号。大学入試の国語に記述式が加わるが、読まされるのは駐車場の契約書などで、高校の国語は高2高3は「文学国語」か「論理国語」のどちらかしか選択できなくなる、入試を考えてほとんどの高校が「論理国語」を選択するだろうと。高校から文学作品が消えようとしてる。亡国まっしぐら。 pic.twitter.com/jrSA04HtGj
— ミスターK (@arapanman) 2018年10月27日
[ 付記 ]
文学作品で考えるべきことがあるとしたら、「文章の技術・技巧」である。
仮に試験で問うなら、「ここではどういう文章技巧が使われているか」「この比喩はどういうことを意味しているか」というようなことだ。「登場人物の心理はどうか」なんかではない。
その意味で、センター試験の国語の問題は、全然ダメだ。前に述べたとおり。
→ 2013年センター試験・国語は悪問
→ 国語と文学を区別せよ: Open ブログ
※ いずれのリンクも前出。(本項の本文中)
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なお、本サイトの話は、たいていが論説文だが、比喩がやたらと頻出する。その意味では、論説文でも、比喩表現について学ぶことは大切だし、若者が文学を学ぶことも大切だ。
そういうことがわからない阿呆が、文科省なんだろう。論理力以前に、思考力がどうしようもなく劣っているね。
[ 補足 ]
ついでだが、論説文と論理とは違う。論説文だからといって、論理がふんだんに使われているわけではない。
論説文は、論理的な文章ではあるが、論理そのものが主要であるわけではないのだ。論理はあくまで補助的な一部にすぎない。論説文から論理だけを抜き出しても、ほとんど何もないのに等しい。
論理とは、中身ではなく、接続状態なのである。言葉で言えば、名詞や動詞ではなく、助詞や接続詞のようなものだ。あくまで補助的なものにすぎない。
「論理国語」という言葉を使うとき、そこでは「論説文」を扱おうとしているのだろうが、「論説文」を「論理国語」と呼ぶのはメチャクチャすぎる。言葉遣いがデタラメだ。
こんな言葉遣いをするメチャクチャな頭の人が国の教育方針を決めようというのだから、呆れるしかない。道化師に国の方針を委ねるのも同然だ。
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文系は国語の単位数(授業時間数)が多いので、「論理国語」必修とし、「国語表現」と「文学国語」と「古典探究」の中から2つ選択させることになるのではないでしょうか。
「文学国語」の内容が国公立大学の入試に出る場合は、理系生徒も「文学国語」を勉強することになるでしょう。各国公立大学の理系学部が国語の入試科目をどう決めるかにかかっているわけです。
ところで、管理人さんは、国語力を高めるのには「国語表現」と「文学国語」と「古典探究」のどの科目が有効だと考えられますか?
それとも、「国語表現」と「文学国語」と「古典探究」は駄目だ!
私が決めるこんな科目を実施しろ!というものがあれば、教えてください。
本文に書いてある通り。全部を少しずつやるべきです。
ちなみに、英語で「ヒアリング」と「スピーキング」と「ライティング」と「リーディング」を分けて、どれか一つか二つを選択させる、という愚行をする人はいないでしょう。
いや。文科省のことだから、そのうち、やりかねないぞ。
英語だってそうですけどね。
それというのも大学の教員たちのせいなんですね。
管理人さんもふくめて「小説の登場人物なんてわかるわけないだろ−」と怒る現/元受験生は多いんですが、わかるんです。ロラン・バルトの批評技術を知っていれば。
もちろんもっと新しい批評技術もあるんですが、少なくとも大学入試の国語で問われているのはロラン・バルトの批評技術なんです。
でも多くの受験生はそれを知らされずに問題を解かされているんです。
これを受験生が勉強できるのは受験予備校だけ。なので東大の文系の合格者は理系の合格者とくらべて都会出身者の比率が多いんです。
指導要領には「ロラン・バルトの批評技術を身につけさせること」なんて書いてありませんから、日本の多くの高校生は習わず、ゲームのルールも知らされずゲームをしないといけない。
こういう不公平な現状を野放しにしてきた国文学、国語教育業界の責任はとても大きなものがあります。
・ わかるかわからないか
・ 点数を取れるかどうか
ではなくて、
・ 回答の一意性
です。
だいたい、小説を書いた本人でさえ満点を取れないような問題なんて、意味がないでしょう。
現代文の小説の問題は、一定のルールに従って典型的な回答を正解とするものです。それで点数を取ることはできますが、物事の真実を突き止めるのとはまったく別のところに行き着きます。「真実らしい嘘」をつかんだ人が満点となる……という状況。それを私は批判しています。
「真実らしい嘘をつかむ方法」を知っているかどうかは、論点ではありません。
具体例は、下記で示しています。そちらを読んでください。
http://openblog.seesaa.net/article/435849753.html
そうなんです、ルールを知らないとそう思ってしまうんですね。
人の気持ちなんてわかりません、管理人さんのいうとおり嘘かもしれないしあるいは本当かもしれない。
だからそこの判断はしないで読む側がFrame of Referenceを用意して判断しよう、と提唱したのがロラン・バルトなんです。
近代的な「物語の読み方」は大なり小なりこのルールに則っています。それを学校で教えてくれないから「登場人物の気持ちなんかわかるもんかー」となってしまうんですね。ご同情申し上げます。
私の言いたいことは、本項ですでに述べたとおりであるので、再論はしない。
要するに、「訓練すること」と「評価すること」とは別なのである。投手で言えば、投手としての評価は、実践で投げてみればわかる。しかし、投手としての能力を高めるには、投球訓練だけをしていればいいのではない。ランニングなどで基礎体力を高めることが必要だ。
国語教育もまた同じ。国語力を汁には、論説文でテストするだけでよく、文学でテストする必要はない。しかし国語力を上げるためには、論説文だけを読んでいればいいのではなく、文学作品も読んで基礎力を上げる必要がある。
訓練と評価は同様ではないのだ。
「「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育」
https://diamond.jp/articles/-/245339