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「最大 15.7メートル」の津波対策について、武藤副社長(当時)が堤防建設を先送りした、と部下が証言していたのだが、武藤副社長は公判でこれを否定した。
第30回公判が16日、東京地裁(永渕健一裁判長)であり、元副社長の武藤栄被告(68)に対する被告人質問が行われた。公判では、2008年に現場から提案された「最大15.7メートル」の津波対策についての判断の評価が争点となっているが、武藤氏は「(提案の)根拠があいまいだった。先送りと言われるのは心外だ」と述べ、対策を怠ったという見方を強く否定した。
これまでに行われた証人尋問などを通じては、国の専門機関がとりまとめた地震予測「長期評価」に基づいて東電の子会社が福島第一原発で予測される津波を算出したところ、主要施設の高さを超える「最大15.7メートル」だったことが明らかになっている。原子力・立地本部の副本部長だった武藤氏は08年6月にこの数値の報告を受けており、検察官役の指定弁護士は「翌7月に、津波対策を先送りし、土木学会に検討を依頼するよう指示した」と主張している。
被告人質問で武藤氏は、長期評価について「報告した社員自身が『信頼性がない』と説明した」と述べ、「会社として決定できる水準ではなく、自分に権限もなかった」と主張。土木学会への検討依頼は「分からないことが多すぎて情報を集める必要があった。ごく自然で、他の選択肢はなかった」として、「先送り」という認識を重ねて否定した。
公判で証拠採用された東電元幹部の供述調書によると、経営幹部らが参加した08年2月の「御前会議」でも長期評価に基づいた津波対策の必要性が報告されていた。会議では簡易計算した「7.7メートル以上」の津波予測と対応策が記された資料が配られ、3被告はいったん了承したという。
武藤氏はこの会議について「福島第一原発の津波の報告は一切なかった。話題にならず、資料は見ていない」と語り、「報告・了承」を否定。会議の性格については「情報共有が目的で、何かを決定する会議ではなかった」と説明した。
( → 津波対策、先送りを否定 元副社長「根拠あいまい」 東電・強制起訴裁判:朝日新聞 2018-10-17 )
部下はそろって。「津波の危険性」と「堤防の必要性」を示したのだが、武藤副社長はそれを否定した。そもそも津波関連の報告があったことすらも否定した。
これは、健忘症でなければ、自分が「なかった」と主張することで、あったことを「なかった」ことにしようとしているわけだ。
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同じ日の別記事には、こうある。
福島第一原発事故をめぐり、東京電力の旧経営陣3人が強制起訴された裁判は被告人質問が始まり、審理の山場を迎えた。16日は、元副社長の武藤栄被告が質問に答え、津波対策をめぐる「報告・了承」や「先送り」を否定。武藤氏の判断を「予想しない結論」「方針変更」と受け止めた元部下たちの証言と対立する構図となった。
■15.7メートル予測「再検討は自然」
公判で最大の焦点は、東電の子会社が2008年3月に算出した「15.7メートル」の津波予測に対する対応だ。福島第一原発の主要施設の敷地の高さは10メートルで、これを超える結果だった。
武藤氏によると、この数値を初めて聞いたのは同年6月10日で、「唐突な感じがあった」という。担当者に根拠を尋ねると「信頼性がない」「新しい知見が出たわけでない」と説明され、「根拠があいまい」だと感じた、と供述した。
数値の根拠になったのは、国が02年にまとめた地震予測「長期評価」だ。三陸沖から房総沖のどこでも大きな「津波地震」が起こる可能性を指摘するが、福島沖での過去の例は知られておらず、専門家の間でも評価に濃淡がある。
08年当時、国は原発の地震対策を「最新の知見」に基づいて見直すよう求めており、東電は09年6月までに報告書を提出する予定だった。これまでの公判で部下らは「長期評価は権威があり、採り入れざるを得ない」「長期評価を覆すのは難しく、審査を通らない」と証言しており、武藤氏と異なる認識を示している。
武藤氏は15.7メートルの報告を受けてから約1カ月半たった08年7月31日、ただちに防潮堤などの対策には着手せず、津波地震の想定手法について土木学会に検討を委ねるよう、部下たちに指示した。16日の公判では「これまで土木学会でやってきたのでもう一度お願いして扱いを決め、必要な工事をするのは自然」とし、対策の「先送り」や審査への「根回し」にはあたらないと反論した。
この時の様子について元部下は「予想しない回答だった」「力が抜け、その後の会議の記憶が残っていない」と証言しており、やはり認識が食い違っている。会議では、防潮堤建設には数百億円の費用がかかることが報告されたことも明らかになっているが、武藤氏はコストを理由に判断したという見方も否定した。
■方針報告「聞いていない」
「15.7メートル」の津波予測が出る前の時点では、長期評価に基づく津波対策をすることが東電社内でいったん「方針決定」されたのではないか、という点も主要な争点だ。
公判で証拠採用された東電の山下和彦.地震対策センター所長(当時)の供述調書によると、武藤氏ら3被告を含めた経営幹部が出席した08年2月の「御前会議」で「長期評価を採り入れる方針が報告され、了承された」という。会議に提出された資料には、津波の高さは「7.7メートル以上」になるとの記載があった。
長期評価を踏まえた簡易計算の結果だが、武藤氏は16日の公判で「説明を受けていない」「聞いていない」と述べ、方針決定を強く否定した。
理由としては、御前会議では全ての資料について説明があるわけではなく、「聞いていたなら(その後、詳細計算の)15.7メートルの数値を聞いた時、違いを尋ねたはずだ」と述べ、山下氏の調書については「本当にそんな供述をしたのか」と疑問を呈した。
検察官役の指定弁護士は、東日本大震災が11年3月に発生するまで、武藤氏が津波対策の検討状況をどれだけ把握していたのか、繰り返し質問した。東電社内では10年8月以降、部門横断で対策を検討する「津波対策ワーキング」の会議が4回開かれていたが、武藤氏は「事故後まで(会議の存在を)知らなかった」と供述した。
社員らの証言では、10年末から11年春ごろには、土木学会の検討でも「13.6メートル」の津波を想定せざるを得ない状況だったという。公判では、武藤氏が検討状況を把握しなかった点を「注意義務違反」と捉えるかも争点になりそうだ。
( → 元部下証言と全面対立 東電元副社長、津波対策巡り 強制起訴裁判:朝日新聞 2018年10月17日 )
部下は説明したのに、「説明を受けていない」「聞いていない」「知らなかった」と語るばかり。報告を受けても、すべて頭を素通りしてしまったことになる。
脳味噌が白痴状態だったと告白しているのも同然だ。(本人は「聞いていなかったのだから、そんなものは存在しない」と言い張りたいのだろうが、複数の部下が証言しているのだから、それが存在していたことは明らかだろう。
以前の裁判では、自分の発言について「記憶にありません」と言ってゴマ化す例が目立った。
今回の例では、「聞いていません」「知りません」でゴマ化そうとしているわけだ。しかし、そんなことをすればするほど、自分が白痴状態であったことを示すだけだ。
それにしても、自分が白地であったと告白することで、罪を免れようとする……というのは、新たな「罪逃れ」の方法なのかもしれない。
※ 「そんなことはありません」と嘘をついていた財務省の局長が、国税庁長官に栄転したことからして、「嘘つきは優遇される」という体制が、現政権だ。そのせいかもね。
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ついでだが、10月20日の記事では、もう一人の副社長である武黒副社長の話が出ている。こちらも似たり寄ったり。
東京電力福島第一原発事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電旧経営陣3人の第32回公判が19日、東京地裁であり、元副社長・武黒一郎被告(72)に対する被告人質問が行われた。検察官役の指定弁護士は、武黒氏が事故の3年前に部下から津波対策の「先送り」の報告を受け、了承したのではないかとただしたが、武黒氏は否定した。
裁判では元会長・勝俣恒久(78)、元副社長・武藤栄(68)の両被告も強制起訴されている。
指定弁護士の主張では、旧経営陣は国の地震予測「長期評価」に基づく津波対策を08年2月の「御前会議」でいったん了承したものの、武黒氏の直接の部下だった武藤氏が同年6月に福島第一原発での津波予測が「最大15.7メートル」になると聞き、翌7月に対策の「先送り」を現場に指示したとされる。また、武黒氏は翌8月、武藤氏から「先送り」の報告を受け、了承したと指摘している。
武藤氏は16日の被告人質問で「先送り」を否定しつつ、08年8月の武黒氏への報告については詳述。「『高い水位が出た。土木学会に検討を依頼している』と説明すると、自席で書類を読んでいた武黒さんは一言『今度は津波か』と言った」と述べていた。
19日の公判で武黒氏はこの場面について「記憶はないが、あってもおかしくはないと思う」とあいまいな答えにとどまった。ただ、この際に「15.7メートル」とは聞いていないと主張。「(報告があったとしても)専門家に議論を委ねるならば不審には思わない」と述べ、武藤氏と同様、「先送り」の認識は否定した。
武黒氏の被告人質問はこの日で終わる予定だったが、30日の次回公判も続くことになった。30日は勝俣氏も質問を受ける。
( → 武黒元副社長も否定 津波対策先送り「了承」巡り 東電裁判:朝日新聞 2018-10-20 )
※ 記事で事実報道の部分のみ、転載しました。
朝日の独自報道の部分は、削除しました。
読みたければ、朝日の記事でお読みください。
【 関連動画 】
[ 付記 ]
それにしても今ごろになって公判があるなんて、遅すぎる。2011年に地震があって、それから7年半もたっている。検察はいったい何をやっていたんだ?
こんなに時間がたったら、記憶も薄れてしまうだろうし、そもそも本人もボケかかってしまう。検察の責任は重いね。
「津波さえかぶらなければ大丈夫だった」と断定できるに足る証拠は、どうやって見つけたのでしょうね。
もう年数が経ちすぎて、証拠も急速に劣化していそうですし。