2018年10月12日

◆ スルガ銀行の不正と金融庁

 スルガ銀行の不正の背後には、根源的な問題があった。それは金融庁の基本姿勢だ。

 ──

 これを示唆・指摘する記事があった。朝日の社説だ。一部抜粋しよう。
 ようやく処分を下したとはいえ、不正の蔓延(まんえん)を見抜けなかった金融庁の責任も重い。森信親・前長官は昨春、スルガ銀の高収益を肯定的に紹介していた。
 金融庁は近年、「処分から育成へ」を掲げ、行政を転換していた。地方経済の縮小や低金利の長期化の中で、地域金融機関の経営環境が厳しくなっていることが念頭にあった。
 現実を直視した経営改革を促すことは、長期的な金融システムの安定にもつながり、金融庁の問題意識は理解できる。問われるのは、行政能力を過信していなかったか、という点だ。
 2年前の金融行政方針には、「優良な取り組み」をしている金融機関を金融庁が公表・表彰するとの内容を盛り込んだ。最近は「経済成長への貢献」との視点も強調している。だが、何が優良なビジネスであり、経済成長に資するかは、行政が簡単に見いだせるものではない。金融庁の役割は「金融の安定と利用者の保護、金融の円滑化」であることを再確認すべきだ。
( → スルガ銀処分 「育成」の限界、直視を:朝日新聞(社説)2018年10月10日

 記事の趣旨にはおおむね賛同できるのだが、隔靴掻痒というか、物事の本質を外している感じがしなくもない。

 まず、「森信親・前長官は昨春、スルガ銀の高収益を肯定的に紹介していた」という件は、私も前に指摘していたとおりだ。
 スルガ銀行の不正融資では、国が詐欺に引っかかったも同然だ。詐欺師を国が称賛するという間抜けぶり。

 金融庁の森信親長官は昨年5月の講演で「他行が貸さないところに貸す特異さで、継続して高い収益率を上げている」と称賛した。

 まるで疑いを知らない、無知な子供である。呆れた。

( → スルガ銀行で、国が詐欺に加担: Open ブログ

 ここでは、金融庁の愚かさ加減に呆れている。だが、この愚かさの根底には、より本質的な問題があった、と判明したのだ。

 何か? それは、金融庁の基本方針だ。
 そもそも、金融庁はどういう形で発足したか? バブル崩壊後に(不良債権処理などで)金融システムの不安定さが生じたことから、金融業界への行政を統合する形で発足したのだ。
 これまでの行政では、金融業界への検査・監督をする金融監督庁と、金融行政をになう大蔵省金融企画局とがあった。これを統合する形で、強力な金融庁が発足した……というふうになってる。
 《 <<金融庁発足に当たって金融庁発足に当たって金融庁発足に当たって>> ── 宮本金融再生総括政務次官 》
我が国は近年、深刻な金融不安を経験しました。これにより、安定的な金融システムの重要性が広く認識されるようになりました。安定的で活力ある金融システムを構築していくためには、民間金融機関と行政がそれぞれの課題に積極的に取り組んでいかなければなりません。
こうしたなか、本年7月1日に、金融機関に対する検査・監督を担ってきた金融監督庁と、金融制度の企画立案を担ってきた大蔵省金融企画局とが統合されて、金融庁が設立されました。新たに発足した金融庁は、制度の企画立案から検査・監督・監視までを一貫して担当するとともに、銀行、保険、証券等の業態を横断的に所管する官庁となります。
( → 金融庁「広報コーナー」創刊号 (PDF)

 ここでは、金融行政と監査とが車の両輪のように重要だ、というふうな趣旨で述べられている。
 ところが、である。冒頭の記事(社説)で述べられたように、近年の金融庁は、「金融業界の育成」ということばかりに熱心になって、肝心の「金融業界の監査」がなおざりにされてしまった。これでは「初志を忘れた」と言われても仕方あるまい。

 そもそも、行政というものは、経済面ではあまり出しゃばらないことが大切だ。古くは「夜警国家」という概念もある。自民党の方針からして、自由放任経済であって、国家統率の社会主義とは違う。
 なのに、金融庁は、それとは正反対の社会主義的な方針を取ろうとした。「金融業界の育成」ということを本筋として、「金融業界の監査」をなおざりにした。

 これでは本末転倒と言われても仕方あるまい。ここでは、「本来なすべきこと」を見失っており、「本来は二の次であるべきこと」に熱中しているのだ。まるで本業を忘れてアルバイトに熱中するように。
 ここに今回のスルガ銀行の不正の本質があった、とわかる。

 スルガ銀行の不正は、「1地方銀行の1オーナーが暴走した」というだけの問題ではない。「そうした暴走を監査するべき金融庁が指導できずに、むしろ称賛していた」ということから、「金融庁というシステムが麻痺していた」という問題なのだ。それは国家の基本システムにおける重大な問題なのだ。これはまあ、ほとんど福島の原発事故にも匹敵するような大問題だとも言える。
 福島の原発事故は、単に地震で津波が来たというだけの問題ではない。その根底には、危険性の警告を無視して、原発の安全対策を故意に放置した、という東電の重大な経営ミスがあった。それが地震の発生とともに発覚しただけだ。
 同様に、スルガ銀行の問題も、単にスルガ銀行で問題が発覚したというだけの問題ではない。その根底には、金融庁のシステムが金融業界のミスをほとんど故意に放置してきたという、監査システムの麻痺があった。それがスルガ銀行の不祥事とともに発覚しただけだ。

 ここでは、非常に大きな問題が根底にあったのだ。

posted by 管理人 at 20:00| Comment(1) | 一般(雑学)5 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本の金融行政は伝統的に「護送船団方式」とかつて称されていたようにガチガチの社会主義的というかパターナリズムですよ。今回の件はきわめて日本的だなと思いました。

金融監督庁などというものは比較的最近のもので、それ以前は大蔵省銀行局が総元締めだったのです。金融庁はかつての大蔵省銀行局とほぼイコールです。一応現在の金融庁は財務省から独立した存在とされていますが、いまだに金融庁長官は財務省から出ています。

かつての銀行局は、経営内容はもちろん頭取の女性関係、行員の給与から広告に出す女優の人選まで口を挟むというくらいそれはそれはうるさいものでした。「それならキチンと監督していたじゃないか!」といいたくなるでしょうが、これはあくまでポーズ。
MOF担とかノーパンシャブシャブ接待事件とかご記憶にありますでしょう?現場の検査官と金融機関はズブズブだったのです。

それではまずいということで銀行局を金融企画局と金融監督庁にわけ、監督権限のある金融監督庁を内閣府所管にしたわけですが、「育成」という旨みのない金融監督庁のいうことなど金融機関がいうことを聞くわけもなく、結局金融企画局と金融監督庁を合体させて現金融庁ができた、というのが経緯なんですよ。
まあこんなことホームページをいくら読んでも出てきませんけどね。

日本経済が右肩上がりのころは今回のスルガ銀行のようなことをしてもまあ大したことなかったのですが、今のご時世だとね…ということです。
Posted by とおりがかり at 2018年10月13日 02:17
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