2018年08月20日

◆ 人類の進化史(絶滅の人類史)

 「絶滅の人類史」という本があり、人類の進化史を新たな観点から捉えている。その新説を検討する。

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 「絶滅の人類史」という本があり、人類の進化史を新たな観点から捉えているそうだ。



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 これについて、朝日新聞に書評があった。
  → (売れてる本)『絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか』 更科功〈著〉:朝日新聞 2018年8月18日

 紹介文を読んだところ、興味深い一文があった。
 人類進化の類書は多々あるが、この〈謎解き度〉は本書(特に前半)がピカイチである。 なんといっても、大小取り混ぜての謎の組み合わせがうまい。たとえば、人類の特徴である直立二足歩行と犬歯の小型化。一見まったく関係なさそうな両者が、実は出産育児という生物にとって最も大事な現象を介して密接に絡み合っていることが、徐々に解き明かされていく。

 では、どういう内容なのか? とりあえず、ネットで情報を探してみたところ、次の書評ページが見つかった。
  → 更科功『絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか』 - logical cypher scape

 ここには、かなり詳しい内容紹介がある。それで十分だという気がしたので、書籍を購入することなく、以下では批判をすることにする。

 ※ 以下では、上記の書評ページに基づく。

 ──

 全般的には、「新しい説」とは言えるが、よくある進化論の説と同様で、「独りよがりな思いつき」であるにすぎない。絶対的に必然性のある新説ではなく、「こう考えれば説明が付く」という仮説を出しているだけだ。
 しかも、その仮説は、面白いといえば面白いが、まともに議論を経たとは思えず、独りよがりな思いつきにすぎない。「誰かに批判してもらわなかったのか? 議論をしなかったのか?」と疑いたくなる。

 以下では、個別に論じることにするが、共通する難点もある。それは、進化の説明を、「目的論で説明している」ということだ。つまり、
 「これこれの有利さがあるから、そういう方向に進化した」
 という論旨だ。たとえば、
 「脳が発達すると有利だから、脳が発達するように進化した」
 というふうに。
 しかし、進化というものは、目的論で説明するべきことではない。なぜなら、目的論で説明すると、その途中過程では進化が中断してしまうからだ。

 例1。
 「魚が地上に上がると、足が生えて有利だから、魚は地上に上がった」
 → 魚が地上に上がると、まだ足が生えていないので、魚は干からびるだけだ。

 例2。
 「恐竜が空に飛び出すと、翼で飛べて有利だから、恐竜は空に飛び出した」
 → 恐竜が空に飛び出すと、翼はまだ不十分だから、恐竜は墜落して死ぬ」

 いずれにせよ、進化の途中では、まだ進化が不十分だから、新たな環境への進出は、有利であるどころが不利なのだ。
 こういうわけであるから、進化の原理として、「これこれの目的のために進化した」という「目的論」は正しくない。かわりに、「これこれの変化があったが、それがたまたま環境で有利だったから、その方向に進化した」という「原因説」が正しい。
 ただし、原因説の場合には、新たな変化が起こったとしても、それは一般的には有利でない。ごく限られた領域で有利であるにすぎない。つまり、ニッチにおいて小規模な集団で進化があったにすぎない。

 例3。
 「魚のヒレが足になると、通常は不利だが、ごく一部の領域では、それが有利になった。こうして、魚のヒレが足になった集団が、小規模に誕生した」

 例4。
 「恐竜の翼は、空を飛ぶためにあるのではなく、保温のため( or 地上を速く走るため)にあるだけだったが、一部の小型恐竜では、たまたま翼が大型化したせいで、(少しだけ)空を飛ぶ能力を獲得することができた」

 この二つの例では、たまたま足や翼ができたら、結果的に、歩くことができたり、(少しだけ)飛ぶことができたりしたのだ。そこでは、「歩くため」「飛ぶため」に足や翼ができたのではない。つまり、目的のために進化が生じたのではない。……このことを理解してほしい。

 ※ 具体的な例で言うと、鳥型恐竜には翼(みたいなもの)があるが、空を飛べるわけではない。空を飛ぶわけでもないのに、翼(みたいなもの)があった。これは「空を飛ぶために」という目的論では説明できない。

 ──

 では、以下では個別に論じよう。(上記の解説ページからの引用。)

 (1)

 イースト・サイド・ストーリーは今では否定されている。

 これは妥当であろう。特に問題はない。

 (2)

 直立二足歩行がどのように生じたのかの仮説が述べられている。
 まず、チンパンジー類と人類の違いとして、人類は犬歯が尖っていないということがあげられる。
 犬歯は、闘いに使われる。人類は、類人猿の中では珍しく一夫一婦の社会へ移行したことにより、群れの中での争いが減り、武器としての犬歯がなくなったのではないか、と。
 そのうえで、直立二足歩行は、自由になった腕によってえさを持って帰るために進化したのではないか、という食料運搬仮説が提示される。

 「直立二足歩行は、自由になった腕によってえさを持って帰るために進化したのではないか、という食料運搬仮説」というのは、前に NHK の番組でも紹介されていた。下記項目を参照。
  → NHK 人類誕生 1(講評): Open ブログ

 ここに、次の説明がある。
 《 番組によれば、時期的に乾燥化の時代だったそうだ。乾燥化が進んだときには、森から草原に出ると、二足歩行だと長距離を歩けるので、草原に落ちている果物を拾えるようになった。これは、四足歩行をする猿よりも有利だった。だから、二足歩行のラミダス猿人だけが生き残って、四足歩行の猿人は絶滅してしまった……というふうにことらしい。(仮説) 》


 こういうふうに紹介した上で、この仮説を否定している。詳しくは上記項目を参照。

 ただ、それとは別に、この説を批判する理由がある。こうだ。
 「果物というものは、原則として樹木にできる。ならば、森林にたくさんあるはずだ。草原に果物がたくさんあるはずがない。果物を得るために森林から草原に進出した、ということは、原理的にあるはずがない。つまり、仮設の大前提が成立しない」

 本書の説にせよ、NHK で紹介した説にせよ、「草原に果物がたくさんある」ということを前提としているが、そんなことがあるはずがないのだ。
 なるほど、この時代には、森林が縮小していった。そういう事実はある。しかし、だからといって「草原に進出した」とか、「草原には果物がたくさんある」とか、そういうことはあるはずがないのだ。
 ちなみに、現在のアフリカでは、森林が減少しつつあるが、だからといって、「森林に住む動物が草原に進出して、草原にある果物を取るようになった」なんてことは成立しない。森林が減りつつあるときには、草原もまた痩せ衰えつつあるのだ。「森林が減りつつあるときには、草原に進出すれば有利だ」ということなど、あるはずがないのだ。(草食獣を食う肉食獣ならばともかく、もともと果物を食べていた猿にとっては。)

 (3)

 では、正しくは? 
 私が妥当だと思えるのは、「水辺に進出した」ということだ。
 そもそも、動物が生きるためには、水が必要である。草を食べる草食動物なら、草からも水分を取れるが、猿は草食動物ではない。とすれば、初期の人類は、水を得るために、水辺に生きるしかない。
 そして、水辺には、魚介類という豊富な食料が見つかることもある。しかも、魚介類を取ることができるのは、手を持つ猿、つまり、直立二足歩行をする猿だけだ。そのライバルはいない。ゆえに、水辺に進出した初期人類は、魚介類という豊富な食料を独占することができた。
 そのそばには、カバや水牛などもいただろうが、そのいずれも、手を持たないがゆえに、魚介類を獲ることはできなかった。しいてライバルがいるとしたら、ラッコぐらいだろう。





 だが、ラッコは戦闘能力が低くて、他の肉食獣につかまってしまうので、あまり繁栄はできない。
 というわけで、水辺に移った初期人類は、水辺で繁栄することができた。この件は、下記でもいくらか言及した。
  → 人類進化の水辺説(半・水生説)

 なお、ここで人類は無毛になった。なぜなら、水に濡れる動物は、毛があると、体温を奪われて、不利だからだ。カバであれ、水牛であれ、アシカであれ、イルカであれ、水辺や水中に生きる哺乳類は、いずれも無毛である。(例外は、ラッコ・ビーバー・カワウソ。)
 同様に、初期人類もまた、水辺で過ごすことで、ほぼ無毛になった。
  ※ 完全な水生動物ではないので、頭部は有毛。

 結局、初期人類の進化の場は、草原ではなく、水辺だったのだ。
 長距離を走るとなると、体温調節が必要になる。効率よく体温を下げられるのは汗で、汗による体温調節をするために無毛化していった、とも考えられる。

 本書では、無毛の理由をこう説明しているが、これもまた目的と原因とを混同している。
 「長距離を走ると有利だという目的のために、無毛になった」のではない。「(あらかじめ水辺で暮らして)無毛になったから、(そこから結果的に)長距離を走ると有利になった」のだ。

 だいたい「長距離を走ると有利だという目的のために、無毛になった」というのであれば、多くの動物が無毛になっていいはずだ。(たとえば、犬。)……しかし、そのようなことは成立しない。
 また、そもそも最初の時点では、(骨格からして)長距離を走る能力がないのだ。ならば、単に無毛になっても、長距離を走る能力がないまま、体温維持機能を失うだけだ。これでは、有利どころか、不利になるだけだ。
 先にも述べたが、進化の途上では、進化はまだ未完成なのだから、そのような方向での進化はありえないのだ。
 無毛になったのは、長距離を走ると有利だからではなく、単に「水辺で過ごしたから」というだけのことなのだ。

 (4)

 ネアンデルタールは……脳の容量が平均で1550ccとかで、人類の中では一番でかい(ホモ・サピエンスは平均で1350cc)

 ネアンデルタール人の脳の大きさについて。
 筆者は、あとには残らないような能力があったのではないか、と推測している。
 例えば、記憶力がとてもあったのではないか、とか。言葉がまだあまり発達していなかったので、記憶力が必要だったのでは、と。

 ネアンデルタール人の脳については、面白い話があるので、これは次項で独立して述べる。

 → ネアンデルタール人の脳 (次項)



 【 関連サイト 】
 
 犬歯の退化については、次のページで言及されている。
  → 人類水生進化説 序章 誰も語らない犬歯退化の謎 | 永築當果のブログ
  → 人類の誕生と犬歯の退化 第2幕 大地溝帯への移動 - 永築當果の「男と女の不思議」
 犬歯が退化したのは、約300万年前の猿人のとき。これは人類が水辺で過ごしたころ。

 なお、冒頭の著書は、直立二足歩行と犬歯と一夫一婦制をからめているが、上記ブログ(1番目)によると、「文化人類学の知見からしても、一夫一婦制は、歴史上非常に新しい制度です」とのこと。
posted by 管理人 at 23:41 | Comment(0) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
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