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記事は下記。編集委員・大野博人という署名コラム。1票の「格差」について論じたあげく、「不平等」という用語を使え、と噛みついている。。
《 (日曜に想う)1票の「格差」か、1票の「不平等」か 編集委員・大野博人 》
問題のより本質的でより正確な名前は1票の「不平等」であって「格差」ではあるまい。取り組まなければならないのは、「格差」の縮小というより「不平等」の解消のはず。「不平等」には、本来実現しなければならない「平等」が損なわれている、という含意がある。「格差」ではそれが置き去りにされがちだ。
「不平等」から「格差」へ。この言い換えは、1票の重みについてだけ見られるわけではない。ほかの多くの問題の語り方にも入り込んでいる。
たとえば経済協力開発機構(OECD)のリポートで英語の原文が「所得の不平等」でも、邦訳では「所得格差」になる。
( → 朝日新聞 2018-07-29 )
「不平等」には、本来実現しなければならない「平等」が損なわれている、という含意がある……というが、その通り。ゆえに、経済については「不平等」という言葉は使われない。なぜなら、所得について「平等であるべきだ」というのは、共産主義の発想であるが、そんな発想は自由経済の社会では採用されないからだ。
国家管理の経済ならば、所得は「平等」であるべきだが、国家管理でない自由経済の社会では、所得は「平等」であることは要請されない。そんな権利も法的に認められない。したがって、経済については「平等」も「不平等」もない。(そんな概念はない。)あるのは「不均等・不均衡」ないし「格差」だけだ。
こんなことは誰もが気づくことなのだが、この著者は違う。あげく、トンデモな主張を言い出す。
経済協力開発機構(OECD)のリポートで英語の原文が「所得の不平等」でも、邦訳では「所得格差」になる。
馬鹿を言わないでほしい。OECD)のリポートで英語の原文は、「所得の不平等」ではない。そもそも英語の原文は、日本語ではない。英語の原文は、「 Income inequality 」だ。該当のレポートは下記。
→ Income Inequality and Poverty - OECD
Income inequality の和訳は、「所得の不均等・不均衡」または「所得格差」だ。どこで翻訳しても、そうなる。
これを勝手に「所得の不平等」と約しているのは、上のコラムの著者だけだ。彼が英語力不足であるがゆえに、勝手に誤訳しているだけだ。で、自分の誤訳を元に、勝手に勘違いした記事を大々的に書いているわけだ。
呆れる。朝日の校正・校閲 担当者は、何をやっているんだ。日本語だけをチェックして、英語をチェックしないのか? 困りものだ。
[ 付記 ]
この著者はけっこう偉いらしい。フランスから勲章をもらっている。
→ 朝日新聞編集委員の大野博人氏が国家功労勲章を受章 - La France au Japon
偉い人の間違いを指摘できないのか? 猫の首に鈴を付けられないのか? ……ま、そうかもね。そんなことをするのは、私ぐらいか。
【 追記 】
わかりにくいかもしれないので解説すると、本項の趣旨はこうだ。
「同一の英語でも、分野が違えば、意味が異なることがある。その場合には、日本語では別の訳語になることがある。それを混同してはならない」
事例で言うと、law という英語には、法律・法則という二つの意味がある。社会分野では「法律」の意味だが、自然科学の分野では「法則」の意味だ。当然、訳語は異なるので、この両者を混同してはならない。
同様に、 inequality という語は、人権の分野では「不平等」と訳されるが、経済の分野では「不均等」「格差」と訳されることが多い。どうしてかというと、意味が異なるからだ。
どういうふうに意味が異なるかというと、人権の分野では「平等」が当然であって、格差などはあるべきではない。一方、所得の分野では、「不均等」「格差」はある方が好ましい。これがなくて、 equality(均等)になることは好ましくない。
なぜか? それは、「所得は少ない方がいい」と望むことがあるからだ。具体的な例では、「少なく働いて、少なく稼ぐ方がいい」という人だ。換言すれば、「いっぱい働いて ぜいたくをするよりは、休んで遊んでいる方がいい」という人だ。特に、専業主婦になりたがる人がそうだ。男でもヒモと呼ばれる人はそうだ。(自分については無所得を望む。)
要するに、人の所得や労働時間については、多いタイプと少ないタイプとに、好みが分かれる。それは人の生き方の問題だ。だから、無理に「労働時間も所得も同じにする」というような方針は好ましくない。かといって、「労働時間を変えても所得を同じにする」というふうにしたら、もっとまずいことになる。(誰も働かなくなり、国家が滅ぶ。)
結局、所得については、 equality (均等)になることは好ましくないのだ。それは、望ましい状況ではなく、あってはならない状況なのだ。その意味で、人権の「平等」とはまったく異なる。
訳語を変えれば、その違いを理解できる。一方、訳語を混同すると、人権についての用語を、経済に適用することで、地獄を天国と見なすような倒錯が起こる。そういうことをしているのが、この朝日の著者だ。
《 本来実現しなければならない「平等」 》
こんなことを言っている時点で、この人の理想とするのが、昔のソ連や中国のような共産主義社会であることになる。自分で何を言っているのか、自分でも理解できていない状況だ。(その根源は、用語ミス・訳語ミスにある。)
※ 不均等・格差が問題視されるのは、それが「過剰に大きくなりすぎる」という場合に限られる。多少の不均等・格差があるのは、かえって好ましいのだ。それは、人間の性格や体格が多様であるのと同様だ。「誰もが同じ性格や体格であるのが好ましい」という発想を取ると、全人類がクローンになってしまう。それは非常に気持ち悪い。あってはならないことだ。人間においては、多様性こそが好ましいことであって、 equality (均等)になるのは好ましくないことなのだ。そこを理解できないのが、朝日の著者だ。

【Inequality】
不同,不等,不平等,不公平,不平等な事柄,(表面の)粗いこと,(表面の)ざらざら,起伏,不等(式)
※ weblio英和和英辞書
それに、所得の「平等」って言葉は経済の教科書で当たり前に出てきます。「平等または機会均等」は近代経済学でも政策目標の一つで。
大野博人氏は正しく、管理人さんが誤りです。
辞書と教科書に目を通してから書き込むことをお勧めします。
> 不同,不等,不平等,不公平,不平等な事柄,(表面の)粗いこと,(表面の)ざらざら,起伏,不等(式)
同一の英語に複数の日本語が当てられることがある。どれでもいいということではない。
たとえば、 law には「法律」と「法則」の双方の意味があるが、日本語では両者はきちんと区別される。この区別をきちんとすべし、というのが本項。「どっちでもいい」と深海誠さんが思っているのなら、それは誤り。
辞書に書いてあることを盲信するようでは困ります。きちんと選択しましょう。
> 「平等または機会均等」
それは「平等」が「機会均等」である場合でしょう。結果としての「所得の均等」は要請されません。(原始共産主義社会でなければ。)
大野氏が言っているのは、文章を読めばわかるように、「1票の格差の是正」のように結果の平等です。それを所得に援用して考えている。そこが問題。
大野氏の発想の理由は、「どちらも Inequality で同じ用語だから、どちらも同じ概念だ」ということ。
しかし、どちらも Inequality という用語を使っているが、Inequality という用語の意味は両者で異なっている(一方は不平等であり、一方は不均等である)というのが、私の指摘。(結果の均等は要請されない。)
それに対して、深海誠 さんは、「どちらも Inequality だから、どちらも同じ概念だ」と主張する。それは大野氏の主張そのものだから、大野氏の意見が正しいように見えるのでしょう。
しかしその発想だと、「法律と法則を区別するのは誤りだ。なぜなら両者は law という同一概念だからだ」という結論になる。
同一の英語に複数の異なる日本語が対応する(別々の訳語になることがある)という基本原則から、理解してください。
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なお、「結果の平等」は、そもそも目標になりません。それは不幸な状況だからです。
たとえば中国では、昔はみんな貧しく下平等だったが、今ではものすごい所得格差が生じている。だったら昔のように平等な社会が良かったか、と言えば、誰もが否定的でしょう。
ともに貧しくなるというような、相対的な水準で見た場合の貧富をなくした平等は、意味がないんです。自分自身が豊かになるという、絶対的な水準での豊かさだけが意味を持つんです。他人がもっと豊かになるとしても、自分自身が少しでも豊かになれれば幸福を感じることができる。
今の日本人が不幸だと感じているのは、格差が大きくなっているからじゃない。豊かになる他人がいるからじゃない。自分自身が貧しくなっているからです。(いまだにリーマンショック以前の水準を取り戻していない。)
あと「平等と機会均等」は確かに別物ですが、経済政策の目標としてはどちらも有意味です。冷戦以降、資本主義社会が「平等」についてもそれなりに目配りしてきたからこそ社会の安定を保つことができた。これも経済史をひもとけば自明のことです。
もちろん、完全平等を突き詰めれば共産主義になって失敗しますが、朝日はそんなこと言ってない。私もそうでない。ただ、平等を放棄すれば資本主義はただの弱肉強食となってこれもまた失敗します。
やはり、辞書と経済の教科書を読みなおすことをお勧めします。
全然違いますよ。「中和政策」とは、「減税したあとの増税」です。イメージ的に言えば、アルカリ液を入れたあとで酸性液を入れて、中和する。
「負の所得税」に似ているのは大幅減税だが、似て非なるし、「負の所得税」なんて、全然関係ない。負の所得税なんてものを主張する気にはなれないし、どちらかと言えば反対です。(私が主張するのは一律減税です。金持ちにも同額を減税する。)
どうも、人の話を根本的に誤読しているようですね。
今回もまたしかり。私の話をちゃんと読みましょう。論点をずらして勝手に誤読していますよ。
思うに、どうも、あなた、朝日の有料記事の全文を読んでいないと思えるのだが。ちゃんと全文を読んだの?
> 朝日はそんなこと言ってない。
意見としては主張していないようだが、その部分の文章ではそう言っているんですよ。書き方が下手なのかもしれないが。
だから私は「意見が間違っている」と述べているのではなく、「用語が間違っている」と述べている。
「全文読んでるの?」なんてまるで炎上中のどこかの国会議員ですね。そうすれば全文読んでない読者を煙に巻けると思ってる。中身で反論できないほどそういう手法を取るんですな。
ま、これ以上本件に突っ込むのは「生産性」(笑)がなさそうなのでやめときますね。
よい一日を(^^)
プライド高すぎるのは損します。(私も同じような部分多いので損することがあります)
スポーツライターの広尾さんもそういう部分が無ければ凄いライターだとは思うのですが・・・残念。
本文の説明。理解できない人向けの、ていねいな解説。
そうでない場合の格差は、格差というより不平等
トータルの所得は差があっていいけど、1労働には1所得を与えるという意味での均等性は自由経済でも求められると思うし、それを平等と言っても間違いではない
、、となんとなく思いました
経済のことはほとんど知らないので的外れの可能性が大ですが
それをやると、頭を使って工夫する人がいなくなる一方、工夫しないで無駄働きする人ばかりが増えて、生産性はどんどん悪化する。
職場でエクセルのマクロを使って、作業を能率化した人がいる。生産性を大幅にアップさせた。だが、褒められるかわりに、非難された。……という話は、よく聞く。
平等なんてことを考えるから、こういう馬鹿げたことが横行する。
同じ結果を出したのに差があるのは不平等、という意味
それはもっとまずい。歩合給ならばいざ知らず、一般の企業では、労働時間に応じて給料が出ます。
能率が低いからという理由で給料カットを認めるようになると、たいていの職場は成立しなくなる。たとえば派遣社員が「時給 1500円」で契約したのに、「生産性が悪いから」という理由で給料カットしたら、労働基準法違反。
特殊な職場を除いて、歩合給なんかにしたら、社員がいなくなります。
歩合給が成立するのは、特別に高給な職種だけ。たとえば、プロ野球選手。
たぶん管理人は、
自由経済社会には「不均等」はあるが「不平等」はない、なぜなら不平等は本来平等であるべきものが達成されていないという意味があるから
と言っておられると理解したのですが、
均等の意味として、平等で差がないという意味があるようです
だから不平等がないなら不均等もないかと
私の意見としては、第一に、
「不」と付く以上、そのあとが平等だろうと均等だろうと、そちらを念頭においた表現になってしまうので、単に「格差」でいいかと
第二に、不平等という語が経済的に合わないとしても、
それをわざわざ取り上げるということはそれを少なくする方向に行きたいという意志があるのだろうから、
不平等といってもたいした問題ではないだろうということ
つまり不平等でも格差でも何でもいい
と書いたのは、朝日の著者、ご本人。
そのつもりで書いたのであれば、経済に「不平等」という用語を使うのは矛盾している、という趣旨。
理由は、「本来実現しなければならない「平等」が損なわれている」ということはないから。
私の見解との食い違いを示して、私の見解の方が正しいと主張している……のではない。ご本人の主張のなかに自己矛盾がある、という趣旨。(原始共産制をめざすのならば別だが、そうでないのだとすれば。)
これは何ですか?
それに対して、じゃあ不均等もないのでは? と思ったわけです
なんで不均等はあるのか分からない
ポルポトは パスカル 好きだったのかな
経済 政治 その段階での人間の 意識 生活
Equality I spoke the word 結婚式の誓いのように
個人が生きていく 否応なく他者とかかわり感情を持つ 革命の<腐った>同伴者 なんですかね
金 地位 女 すべて享受した人間に 不平等 なんて 言われても 反応しにくいのですがね
管理人さんの趣旨 大野の<朝日>的コメントもですが 改めて 考えさせてもらいます
管理人さんはマルクスあるいは吉本でかんがえたこと ないでしょうね
個人の意識は 経済 政治にどうかかわるのか 大野は彼なりに 明確な答え 出してますよね その生き方として
サボると、ボーナスが減る。
しかし、大野博人さんの
「たとえば経済協力開発機構(OECD)のリポートで英語の原文が「所得の不平等」でも、邦訳では「所得格差」になる。」 という文は、
「原文の Income inequalityは「所得の不平等」の意味で使われているので、邦訳で「所得格差」としてはいけない。」「1票の「不平等」を「1票の格差」と言い換えてはいけないのと同じだ。」という意味で書かれていると思いました。
大野さんは、普通は「所得格差」と訳すIncome inequality だが、この経済協力開発機構(OECD)のリポートでは「所得不平等」の意味で使っていますと言っているのだと思います。(少なくとも大野さん本人がそう思っているし、私も文脈上は「所得の不平等」= 正当ではない所得の格差 だと思いました。)
朝日の記事ではその辺が説明不足で分かりにくいと思いますが、格差の中には不平等な場合が含まれます。私は、正当な理由づけができない格差は不平等だと考えます。
以上の理由で、大野さんがこの朝日の記事から英語力不足であるとは言えないと考えます。
派遣社員はそもそもボーナスなんて貰えないのがほとんど
そもそもこれは「英語力不足」なのか
不足で言うなら、「翻訳力不足」「日本語力不足」「経済知識不足」「論理力不足」とかのような気がする
いちいち言わせないで。当り前なんだし。
平たく言うと阿呆
で、
質問の不均等のところは何故か答えないというね