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今回、野村ダムの水量管理では、豪雨の開始時にダムを空っぽにしなかった。(貯水量をゼロにしなかった。ダムの貯水能力を最大化しなかった。治水力を最大化しなかった。)
つまり、持てるパワーを最大限に発揮せず、出し惜しみしたわけだ。
これは、たとえて言うと、宇宙戦艦ヤマトが、巨大レーザー砲のパワーを 100にすれば敵を撃破できたのに、エネルギーを出し惜しみして、60ぐらいで済ませていたせいで、敵を撃破できなくて、負けてしまった……というようなものだ。(戦力の逐次投入で負けた、というような感じ。)
とにかく、こういう戦略を取ったせいで、ダム管理者は豪雨に負けてしまった。地元は洪水に流され、死者5人。惨敗である。
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ではどうして、ダム管理者は「能力の出し惜しみ」みたいなことをしたのか? なぜダムの貯水能力を最大限に発揮しなかったのか? なぜ豪雨の直前にダムを空っぽにしなかったのか?
その理由は、こうだろう。
「気象庁の予想が外れて、豪雨にならなかったことを恐れた。ダムを空っぽにしたあとで、雨が降らないと、水不足になってしまって、大惨事となる。それを恐れた」
これをひとことで言えば、こうだ。
「気象庁の予報を信頼しなかった」
では、これは妥当か?
15年前ならば、妥当だったかもしれない。気象庁の 48時間予報は、外れることが多かった。しかしその後、スパコンの発達につれて、予報の精度が上がるようになった。
本サイトの前身である「小泉の波立ち」でも述べたことがある。(2003年)
「気象の予測が当たった割合」というのは、各国の気象庁の予測を検証したデータがある。それによると、おおむね、スパコンの性能が高いほど(つまりモデルの格子点の密度が細かいほど)、結果は正確になる。優秀なスパコンを使った国では、「明日の降水確率は 80% です」という言明はだいたいその通りだと信頼できるが、劣悪なスパコンを使った国では、「明日の降水確率は 80% です」という言明はまるで信頼できない。……実際、「スパコンによる数値予報」というのが始まった当初は、スパコンの性能も劣悪だったので、そのスパコンがいくら「明日の降水確率は 80% です」と結論しても、その言明はまったく信頼ができなかった。
( → ニュースと感想 (3月26日) )
これは 2003年の記事だが、その後、スパコンの性能は急激に向上していった。特に、ここ数年の性能向上はめざましく、天気予報の数値予報が、人間の「勘と経験による予報」を大幅に上回るようになった。
特に、48時間ぐらいの短期予報では、きわめて精度が高く、予報はほとんど外れないと言っていいくらいだ。
ズレるとしても、地域や時間が少しずれるぐらいで、大幅なズレは起こらないようになった。
特に、今回の豪雨のように、広域な豪雨であれば、「どこもかも豪雨」なのだから、「(降雨の)地域が違った」というような恐れもなかった。
要するに、気象庁の短期予報は、きわめて信頼性が高くなったのである。48時間ぐらいなら、たいてい当たるし、24時間とか、12時間とかなら、まず外れることはない。それほどにも信頼性が高いのだ。これが近年の常識である。
しかるに、ダム管理者は、その常識を知らなかった。いや、知っていても、あえて無視した。「豪雨になるぞ」と誰もが思っているときでも、ダム管理者だけは「もし雨が降らなかったら」と心配した。ものすごい心配症。ほとんど「天が落ちたら大変だ」と思うようなもので、杞憂である。
杞憂。これこそが、今回の氾濫の被害をもたらした真の理由である。
ダム管理者の愚かさの根源は、ダム操作を知らなかったことよりも、「もしかしたら」と悪夢を恐れるような、心の弱さにあった。「もしかしたら、もしかしたら……」と、ありもしないことを疑心暗鬼で恐れた。誰もが恐れないことを、ダム管理者だけは恐れた。誰もが気象庁の予想を信じて、豪雨の心配をしているときに、ダム管理者だけは「雨が降らなかったら」という心配をした。倒錯的に。狂人のように。無知蒙昧の非科学的な阿呆のように。
そのすべては、彼らの知性の低さによるのではなく、彼らの心の弱さによるのだ。過剰な心配症。
豪雨の前夜に、自民党の政治家は、宴会で浮かれていた。豪雨に対して、あまりにも楽観的だった。
一方、ダム管理者は、逆方向に悲観的だった。人々が「豪雨になりそうだな」とか、「豪雨になっても大丈夫さ」と思っているときに、「もし雨が降らなかったら、どうしよう。大変だ、大変だ」と心配していた。
だから私は言うのだ。
「豪雨の前に水不足を心配するな」
と。それはまた、
「杞憂をもつな」
ということでもある。
そして、そのためには、
「気象庁の予報を信頼する」
という科学的リテラシーさえあればいいのだ。なのに、その科学的リテラシーがないから、科学的な数値予報というものを信じきれないのである。非科学性。
これはまあ、呪術で雨乞いをする未開民族と同様だろう。その非科学性(科学的リテラシーの不足)が、疑念をもたらして、ダム下流に多大な被害をもたらした、と言っても良さそうだ。
【 関連動画 】
気象庁の会見。豪雨を予報している。(前者は 7月5日。後者は 7月6日 )
次の画像もある。7月5日。
→ 過去めったにない大雨 滝のように数日続く(日直予報士 2018年07月05日) - 日本気象協会 tenki.jp

水は供給できるのではないか
本当にダムは必要なのか
http://www.skr.mlit.go.jp/nomura/yakuwari/index.html
天気予想に応じて変えられるような規則になっておらず、時期によって若干洪水調整容量が変わるくらい。
信じるとか信じないとか、そういう次元の話ではなくそもそも利水容量が決められてしまっており、現状の規則では天気予報によってそれを変える事ができるようになっていないことが真因でしょう。
これを機に、他のダムも含めて操作規則の見直しが進むことを期待しましょう。
でもそれだと人は死なないけど、小規模の水害が多発してさらにダムが空なのに放水するとは何事だ!と下流の住民から強い苦情が出たんですね
それで今の規則ができて貯水量40パーセント以下では放水まかりならぬとなった
これだと数十年に一回の大雨には対応できないけどそれでいい、数十年に一回の大雨より毎年洪水が起きない方がいいというのが住民の回答でした
22年水害がおきなくなりましたけど、20年前に危惧したとおり対応できなかった。それでいいというのが希望なんですし、毎年洪水おこすより何十年に一回洪水おきて人が死ぬほうがトータルの損害はすくなくていいんじゃないですか
そういうこともありましたね。だけどそれは、放流の量が急激で大量だったから。
私の言うのは、もっと長時間をかけて、少しずつ放流することです。氾濫は起こさないように注意する。この件は下記で述べました。
http://openblog.seesaa.net/article/460514887.html
http://openblog.seesaa.net/article/435850116.html
過去の失敗例に過剰に反応して、一切をやめてしまう……というのは、「あつものに懲りてなますを吹く」の例。
> 毎年洪水おこすより何十年に一回洪水おきて人が死ぬほうが
被害ゼロが一番いいです。その方法を提案しています。
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ところで、毎年 罰金 3万円を取られるのと、30年にいっぺん殺されるのと、どちらがいいかと言われたら、……言うまでもないですよね。
「毎年3万円を取られない方がお得さ!」なんて思う人がいたら、朝三暮四の猿以下だな。
それをいったのが今回死んだ高齢者達だね、毎年の小規模の水害はなくなるけど、数十年に一回の大雨に対応できないというのにそれでいいと20年前に言ったからねつまり彼らは猿以下だったわけだ
今回の水害も管理人の論理でいえば猿以下がたくさん死んだだけだね、自分達の意思で死ぬほうがいいと選んだのだからその地域に住んでないよそ者の管理人があれこれいうのは余計なお世話でしかないね
言ってないでしょ。あなたの脳内妄想でしょう。
だいたい、「銃殺されるのと、毒殺されるのと、どっちがいい?」なんていう選択肢を出す方が間違っている。(あなたの言う)質問自体が無効。
住民は「殺されたくない」と答えるに決まっている。
そこで、その方法を出したのが私。
それを勝手に曲解しているのが、あなた。
それに毒殺と絞殺とか何のたとえにもなってないし、たとえじたい単なる詭弁だね詭弁のガイドライン張ってあげればいいのかな
住民は毎年のように起こる小規模の人死にがでない水害をおこさないようにしてくれそのためなら数十年に一回の水害は対処できなくてもいいとの要望で規則が今のに変わったけどどれが絞殺でどれが毒殺かどういう理由でそうたとえたのか説明してくれるかな
前者では不愉快だし後始末も大変でよくおきたけど人死には出なかったのになにがとうして毒殺とか絞殺になるのかな
そんな要望があるわけがないでしょう。全国各地で個別に住民の意見を聞くはずがない。日本全国で統一ルールです。
したがって、個別の住民の意見は聞きません。政府が勝手に開いた公聴会の意見はあったかもしれないけどね。そこには今回の住民の全員が参加したはずがないし、住民の意見がすべて一致したはずもない。たいていの人は何も意見を述べていないはずです。
というか、そもそも、その最初の質問自体が無効だ、と言っているでしょ。「どっちにしても選びたくない選択肢」だ。絞殺や毒殺と同じ。
ちゃんと「被害は毎年ゼロ」という選択肢を含んでおかないと、質問自体が無効。
なお、その選択肢は、私が出している。