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氾濫は、河川の水が堤防を越えることだ。このとき、河川の水位は最大値を保つ。(今回の事例では荒瀬で 6メートルぐらい、五郎で 10メートルぐらい)……この場合、被害は床下浸水ぐらいで済むので、最小限で済む。
決壊は、堤防が壊れて、河川の水が外に流出することだ。このとき、河川の水位は、地上高と同じになるので、おおむね1メートルぐらいだろう。(川底からの値)……この場合、被害は家屋流出などを含み、最大限となる。
この二つを区別するべきだ。その上で、次の方針を取るべきだ。
「たとえ氾濫が起こっても、決壊だけは絶対に防ぐ」
では、今回はどうだったか? 野村ダムの管理者の方針は、次の優先順位だったようだ。
1.ダムの決壊を防ぐ
2.河川の氾濫を防ぐ
この二つだけを狙って水量を調節したと思える。特に初期は、「氾濫を防ぐ」ことだけを狙っており、放流量はずっと 300 t/s を維持していた。つまり、絶対に氾濫が起こらないように、安全を見込んで、少なめの放流量に留めていた。
そして、この際、「堤防の決壊を防ぐ」という発想はまったく欠けていたのだ。
そのせいで、「氾濫を防ぐ」ということは、最後の最後まで維持していた。しかるに、いざ氾濫が起こったら、氾濫から決壊まで一挙に進んでしまった。

《 緊急報告:西日本豪雨/下 愛媛・西予肱川が氾濫 ダム放流、人災の声 》
この日朝、同地区中心部を流れる肱川(ひじかわ)があふれ、ユリ子さんら59〜82歳の男女5人が死亡、約650戸が浸水した。複数の住民によると、午前6時半ごろから川は一気に増水。津波のような濁流が押し寄せ、同7時半ごろには住宅の屋根まで水が及んだ。
和矢さんは「何のためのダムなのか。小出しにするとか、もっとやり方があったのでは」と怒りを口にした。
( → 毎日新聞 )
野村ダムから洪水発生地(野村小付近)との距離は、川の長さで 2.5km ぐらい。このくらいの距離を水が流れるのはごく短時間だろう。ダムの放流拡大のあと、30分もたたずに現場に水が達したと推定される。かくて、
「午前6時半ごろから川は一気に増水。津波のような濁流が押し寄せ、同7時半ごろには住宅の屋根まで水が及んだ」
というふうになった。
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ではなぜ、「いざ氾濫が起こったら、氾濫から決壊まで一挙に進んでしまった」というふうになったか? それは、堤防決壊の理由を知ればわかる。
→ 堤防決壊の原因と対策: Open ブログ
水が堤防を越えて、堤防の裏側に達すると、水が堤防にしみこんで、堤防の土壌を弱くする(崩れやすくする)。
さらに、堤防の上から滝のようにこぼれ落ちる水が決定的だ。この滝のような水が、堤防の裏側をどんどん削っていく。それは恐ろしいほどの規模だ。まるでシャベルで掘るように、堤防の土を削っていく。そして一挙に、堤防を決壊させる。
では、なぜそうなったか? ここで、
「氾濫と決壊とは違う」
ということが重要となる。
堤防を越えた水がある。それが少量であれば、土手の次を湿らせるだけだ。しかし、それが大量になると、ものすごい水の勢いがシャベルのように働いて、土手を削っていくのだ。
だから、ここでは、「水が堤防を越えるかどうか」が問題なのではなく、「(滝のような)大量の水が堤防を越えるかどうか」が問題となる。
つまり、堤防を越える水の有無が問題なのではなく、堤防を越える水の量が問題となる。その量が少なければ、土手は削られない。その量が多ければ、土手は削られる。(そして決壊に至る。)
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ここまで見れば、物事の本質がわかる。
「堤防の決壊を防ぐには、水が堤防を超えること(氾濫すること)を防ぐことは必要ない。かわりに、大量の水が堤防を超えることを防げばいい」
では、大量の水が堤防を超えることを防ぐには、どうすればいいか? もちろん、大量の水が川を流れることを防げばいい。換言すれば、川の流量の最大値(ピーク値)を、一定限度以下に抑えばいい。
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こうして、正解と不正解がわかった。
《 正解 》
川の流量のピーク値を、一定限度以下に抑える。
そのためには、小規模な氾濫を許容する。
《 不正解 》
川の氾濫を抑える時間を、できるだけ長く取る。
氾濫が起こったら、堤防の決壊を許容する。
正解の方法を取れば、氾濫は起こるが、堤防の決壊は起こらない。
不正解の方法を取れば、氾濫を起こさない時間は長く取れるが、一定時間後に、堤防の決壊が起こる。
現実には、どうなったか? 「不正解」の方になった。そして、それは、まさしく狙い通りのことだったのである。「氾濫の時間を少しでも長く取ろう」ということばかりを考えていた。それが狙いのすべてだった。そのとき、「堤防の決壊を防ぐ」という発想はまったくなかった。堤防の決壊はすべて天災であると見なして、人災の要素を否定した。
一方、私は「正解」の方を提案する。それは、現実には取られなかったが、その方法を取っていたら、「決壊」は避けられただろう。なぜなら、ここでは「決壊を防ぐこと」だけが至上目的となっているからだ。(かわりに氾濫と床下浸水は起こりやすくなる。)
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ここには発想の違いがある。
不正解の方法は「少しでも事故を減らそう」という方針だ。これはかなり一般的な方針である。
正解の方法は「事故が起こっても被害を最小化しよう」という方針だ。これは「フェイル・セーフ」という発想でもある。しかし、この発想は、一般的ではない。工学の世界ではかなり知られた発想だが、治水という分野ではまったく普及していないようだ。だから、「氾濫を防ぐこと」ばかりを目的として、「被害を最小化する」ということが目的とならないのだ。その結果、「被害が起こる時間は遅くなったが、いったん被害が発生したら、被害は最大化する」というふうになる。……それが今回の事例だ。
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今回の事例は、いろいろと教訓になる。
治水の分野では「被害の最小化」という「フェイル・セーフ」の発想が必要だ。なのに、そうなっていないから、「事故の発生をなくす」「氾濫をなくす」ということばかりを狙う。そのせいで、「いったん被害が起こったら、被害は最大化する」というふうになる。
ダムの操作では、発想そのものを根本的に転換する必要がある。さもないと、今後も何度も、同じような大規模被害が発生するだろう。「安全を狙って操作したせいで、かえって被害の程度が最大化する」というふうに。
[ 余談 ]
本項では「フェイル・セーフ」という発想がいかに重要であるかを示した。
通常、航空機事故や自動車事故などの例で、「フェイル・セーフ」という発想が大事だ、というふうに示される。それがないせいで大規模な事故になったこともある。
一方、治水(や地震対策)という例でも、「フェイル・セーフ」という発想は大事なのだ。しかるに、その発想は、この分野ではまったく普及していないのだ。残念なことに。
この問題を本項では指摘している。しかし、これが受け入れられるには、大きな抵抗が生じそうだ。実際、コメント欄でも、しきりに従来の発想を唱える人々が反発してきた。そして、今回の多大な被害を正当化した。「このような多大な被害をもたらす方法は正しいのだ」というふうに。
大規模な被害から何一つ教訓を得ようとしない人々が多い、という点で、抵抗勢力がいかに強力であるかがわかる。事態の改善には、道は遠いようだ。
ついでだが、毎日の記事でも、抵抗勢力の意見が強い。
京都大防災研究所の角哲也教授(河川工学)は、予測を上回る降水時のダム操作の難しさを「ちょうど良く運用するのは神業」と表現。
「現場の切迫感を、いかに早く住民に伝え、避難行動につなげてもらうかが大事」とし、非常時にどう動くのか日ごろから想定しておく重要性を訴える。
( → 緊急報告:西日本豪雨/下 愛媛・西予肱川が氾濫 ダム放流、人災の声 - 毎日新聞 )
上の話の後段では、「避難行動の重要性」を唱えている。その点では、私の主張と同じだ。
しかし、それを治水の専門家が語るのは、お門違いだ。治水の専門家は、堤防の決壊を避けることを最優先とするべきだ。なのに、その発想もないまま、「ちょうど良く運用するのは神業」なんて言っている。
しかし、「ちょうど良く運用する」のは目的ではない。「被害を最小化すること」が目的なのだ。その目的すらも理解していないということで、人々が真実に至る道は程遠し、というしかない。

タイムスタンプは 下記 ↓
小規模な氾濫ですら浸水するような場所に住んでるのが悪いのにね。
事例
https://www.asahi.com/articles/ASL7B7X2DL7BPLZB03L.html
https://goo.gl/maps/qCmer5ur9hm
しかし実際にはそんなの神様にだって分からない。
今回のも、ダムが満水になる前に雨が止んでいれば制御成功だったわけで。
たとえば小規模氾濫させたはいいけどたいして雨降らなくて、しっかり絞っておけば氾濫させずに済んだのに、っていう事態も考えられるし、
または予想よりも遥かに総雨量が多くなって、早めに多めに放流して小規模氾濫させたけど結局満水になって決壊まで行く事態も考えられる。
いろんなケースを想定したら、被害を抑えられるのはやはり、始めは氾濫させない程度で放流するのが最適だと思います。
まず、最初から氾濫前提で放流しちゃったら、避難が困難になってしまいます。氾濫だけで済めばいいですが(よくないけど)、決壊までいっちゃったら目も当てられません。
> しかし実際にはそんなの神様にだって分からない。
近年は、72時間ぐらいなら、天気予報の精度がとても高くなっています。(コンピュータの性能向上で。)
https://weathernews.jp/s/topics/201807/040255/
これを見ればわかるように、四国南部では 500ミリ以上の豪雨が予報されています。実際、そうなりました。
なお、総雨量がわかっている必要はありません。単に「いっぱい」ということだけで十分。その場合には、「ダムをあらかじめ空っぽにしておく」というふうにするだけだ。ある程度以上の雨量に対しては、取るべき対策は同じになります。総雨量が正確にわかっている必要はない。
> 氾濫前提で放流しちゃったら
そうじゃないです。氾濫しないギリギリの値。
換言すれば、安全率をあまり高く見込まない、ということ。それだけ。
「絶対に氾濫を避ける」
というような厳しい安全マージンを取らない、というだけ。
今回の例で言うと、5日の0時から放流を始めていれば、400〜500 t/s ぐらいで済んだはず。これならたぶん氾濫は起こらなかったはず。
人間一般の傾向として、自分の今までやってきたやり方を他人が変えようとすると反発します
それは論理的に正しい場合でもです
(それが良い悪いとかじゃなく、現実としてそういう傾向にあるということ)
論理的に正しいことを言うのが目的ならともかく、死者を減らすのが目的なら、やり方がまずいかと
コメント欄を盛り上げるためにわざとやっているなら別ですが、客観視できていないのだとしたら、と思ってコメントしました、
本筋とは関係ないので気に入らなかったら申し訳ありませんでした
それは正しいです。私が生意気すぎるんですね。 (^^);
> 人間一般の傾向として、自分の今までやってきたやり方を他人が変えようとすると反発します
ダム管理者や国交省は、私の意見なんか読まないと思います。本ブログを読むとはとても思えない。(読んだら出世できなくなるはず。)
どこかの別項で、本サイトに書いてあることを「正しい」と信じて職場で訴えたら、浮いてしまった(出世に不利になった)……という事例がありました。
その項目では、私は「正しいと思っても、黙っていた方がいい。長いものには巻かれろ、だ」と指針を示していたのに、その読者は、ついつい、私の教えに逆らって、正しいことを主張しちゃったんです。
本サイトの目的は、「真実を明かすこと」なので、「現実に人命救助の効果があるかどうか」は、二の次です。
私が真実を明かしたあとで、何十年後かに、誰かがその方法を取ればいい。その誰かが実行するまでは、目的が実現しなくても、仕方ないです。
なお、国交省は「おだてられたら、方針転換して、正しい道を取る」というようなことはないでしょう。
「世間に批判されて、渋々ながら方針転換して、正しい方針を取る」ということならば、ありそうだが。尻をたたかれる形。
それは分かってますけどね
私が言いたかったのは「真実を明かすことのみが目的ならともかく」ということです
もう少し相手の感情を考慮した言い方をすれば真実を明かすことと現実に人を救うことという2つの目的をともに達成できるだろうに、と思ったわけです