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放送時間は、2018年5月13日(日) 午後9時00分〜 9時49分
再放送は、2018年5月23日(水) 午前0時40分〜 1時29分
サイトは下記。
→ http://www.nhk.or.jp/special/jinrui/
→ http://www.nhk.or.jp/special/jinrui/archive.html#onair2
全体の感想を言えば、こうだ。
前回のは、NHK の番組担当者の妄想炸裂という感じで、素人の面白おかしいストーリーばかりを示していた。学術的にはデタラメの極みだった。下記で述べた通り。
→ NHK 人類誕生 1(講評): Open ブログ(前回の項目)
一方、今回は、学者の説を紹介するという形になっていた。NHK の独自見解というものは特になくて、どれもが学者の意見の紹介という形だった。学者自身が登場して、自分の口で語っていた。その意味で、前回のようにひどいものではなくて、それなりに妥当ではあった。
とはいえ、学者の説とはいえ、「正しい説だ」とまでは言えない。学界で公認された事実というよりは、未公認(非公認)の仮説という段階だ。
で、その仮説が正しいかどうかというと、…… NHK は「これらの仮説は正しい」という方針で述べているが、私としては「これらの仮説は間違っている」と認定したい。
つまり、NHK の見解と私の見解とは、対立している。どちらが正しいかは、読者の判断に任せるが、とりあえず、私としては、「 NHK の番組の見解は間違っている」という方針で、以下で詳しく述べていこう。
※ NHK の番組を紹介して、それに反論するという形。
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全体のテーマは「ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の関係」だ。これについていろいろと示している。
共通祖先
「ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、共通祖先から分岐した。ネアンデルタール人は子供のころには、ホモ・サピエンスに似ている」
と番組では示していた。
これは、学界の主流の考え方であり、特に「間違っているぞ」と批判するつもりはない。
しかしこの説からは、謎または不整合が生じる。
・ 共通祖先から分岐したというが、その共通祖先とは何かが不明。(ハイデルベルク人?)
・ 共通祖先は滅びたのか? 残っているのか?
・ ネアンデルタール人は子供のころにはホモ・サピエンスに似ているが、それはなぜか?
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一方、私は次のように考える。
「ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、共通祖先から分岐したのではない。ホモ・サピエンスはネアンデルタール人から分岐したのだ」
より正確に言うと、こうだ。
ネアンデルタール人は、初期ネアンデルタール人と早期ネアンデルタール人と後期ネアンデルタール人とに分けられる。
初期ネアンデルタール人から早期ネアンデルタール人を経て後期ネアンデルタール人へ至る進化は、1つの種を保っている正常進化である。つまり、両者は「ネアンデルタール人」という種を保っている。
一方、初期ネアンデルタール人からホモ・サピエンスへの進化は、別種の誕生(新種の誕生)という進化であり、種を越える(種を変える)進化である。つまり、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとは別の種である。
ネアンデルタールとホモ・サピエンスは、「共通祖先」があったとしても、その「共通祖先」とは、ハイデルベルク人のことではない。初期ネアンデルタール人こそが共通祖先である。ここから、早期ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが誕生したのだ。
そして、こう理解すれば、「ネアンデルタール人は子供のころにはホモ・サピエンスに似ている」といいうことも理解できる。なぜなら、ホモ・サピエンスは、初期ネアンデルタール人が幼形成熟したものだからである。
※ 幼形成熟については、下記を参照。
→ Google 検索
幼形成熟とは何か、ということまでは、ここでは説明しないが、この概念を理解しておけば、謎が解決するとわかるだろう。
アトラトルと石器
「ホモ・サピエンスは、アトラトルという道具や、鋭利な石器を使った」
と番組では示していた。
これはただの歴史的な事実である。事実であり、学説ではないので、あえて異を立てるようなことではない。
簡単に紹介しておくと、……
(1) アトラトル とは、投げ槍の効果を高めるために、投げ槍の尻に付けるための道具。これによって、腕が長くなったのと同様の効果が生じるので、投げ槍を強く遠くまで飛ばすことができるようになった。このことで狩猟の効率が大幅にアップした。
(2) 石器は、ホモ・サピエンスでは、時代を経てどんどん向上して、鋭利になっていった。一方、ネアンデルタール人の石器は、何十万年たっても変わらなかった。
以上の (1)(2) で、「ホモ・サピエンスには知性や文化があった」ということが判明する。
ではなぜ、そうなったのか? それを次で考える。
集団性の有無
「ホモ・サピエンスには知性や文化があったが、それは、ホモ・サピエンスには集団性があったからだ」
と番組では示していた。
つまり、ネアンデルタール人は滅びて、ホモ・サピエンスは滅びなかったが、その差をもたらしたのは、集団性の有無だった、というわけだ。集団性の有無が、種の絶滅の有無を左右した、というわけだ。(集団性があれば、新技術が集団内や集団外に伝わりやすいから、技術が発達する、というわけ。)
これはまあ、ちょっともっともらしいが、珍説の一種だろう。それでもまあ、番組ではこの説にこだわって、次のような例を掲げている。
(1) シベリアの遺跡では、ホモ・サピエンスの死者のための副葬品(埋葬品)が見つかったが、これは、原始的な宗教があったことを意味する。
(2) 原始的な宗教では、儀式や祭りがあったはずだ。そこでは人々の連帯感が生じただろう。こうして宗教的なものが大集団をもたらした。
(3) ちょうどこのころ、ハインリッヒ・イベントによる、気候の大変動があった。そのせいで森林の消失や生物の激減など、生存環境が著しく悪化した。
(4) 環境の変化があると、どうなるか? 小集団では耐えにくいが、大集団では耐えることができる。なぜなら、(温かで豊饒な)遠隔地の食糧を受け取ることもできるからだ。かくて、大集団のホモ・サピエンスは生き残り、小集団のネアンデルタール人は滅びた。
以上では、「ネアンデルタール人の絶滅」という現象を説明していることになる。もっともらしい理屈だが、どうみても珍説であろう。「(宗教性による)集団性の有無が、気候への耐性を左右した」なんて、およそありえそうにない。
(a) 宗教性が大集団をもたらすということは、ありえそうにない。むしろ、逆だろう。大集団があったから、そこには宗教性が生じたのだ。
(b)「大集団がないから絶滅した」というのであれば、他の多くの生物種(特に哺乳類)も、同様の理由で、同時期に大量絶滅していたはずだ。だが、そんな歴史的事実はない。番組の理屈は、ネアンデルタール人だけが絶滅した理由にならない。また、気候変動は、いくらかはあったとしても、ネアンデルタール人を絶滅させるようなものだというものではあるまい。
(c)ネアンデルタール人を絶滅させたものは、(私見では)感染症だ。ホモ・サピエンスは家畜や家禽を飼っていたことで、感染症を帯びた。だが、手洗いや加熱などの文化を持っていて、衛生状況が良かったので、人口減を免れた。一方、ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスと近縁種であるがゆえに、同じ感染症を帯びたが、人口減を免れなかった。なぜなら、手洗いや加熱などの文化を持っておらず、衛生状況が悪かったからだ。……ここでは、文化をもたらす知性が、両者の存否を決定的に分けた。
( ※ ネアンデルタール人は、単独で生きていたころには、特に問題もなかったのだが、汚いホモ・サピエンスが病原菌やウイルスをもってきたせいで、病気で滅びてしまったのだ。)
なお、この件は前に別項で述べた。
→ ネアンデルタール人の絶滅: Open ブログ
→ サイト内検索
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なお、アトラトルや石器の違いは、集団性の有無によるのではなく、単純に「脳容量の差」によるのだろう。
なるほど、単純に頭蓋骨の大きさを調べた限りでは、ネアンデルタール人もホモ・サピエンスも、脳容量はほとんど同じだ。しかし、ネアンデルタール人の脳は、(脳の後半が大きいので)小脳ばかりが大きかった。一方、ホモ・サピエンスは、(脳の前部が大きいので)大脳が大きかった。
つまり、脳は脳でも、大脳の量に大きな差があったのだ。ホモ・サピエンスの方は、大脳の量がずっと上だったから、知性がずっと上だったのだ。
※ ちなみに、原始人も、現代人も、遺伝子レベルでは大差がないので、原始人の知性も、現代人の知性も、生物レベルでは同程度である。後天的に学んだ教育や学習の分を除いて考えれば、原始時代のホモ・サピエンスは、現代人と同程度の知性をもっていたと言えるのだ。
ともあれ、ネアンデルタールとホモ・サピエンスには、大脳の大きさに決定的な差がある。ゆえに、「両者の差をもたらしたのは、集団行動の有無だ」なんていう珍説は、とうてい受け入れられない。行動以前に、脳のレベルで大差があるのだ。
ネアンデルタール人との交雑
「ネアンデルタール人とホモ・サピエンスには、共有される遺伝子がある。これは、ネアンデルタール人との交雑があったからだ。とすれば、ネアンデルタール人は完全に絶滅したわけではなく、その遺伝子の一部はホモ・サピエンスに受け継がれているのだ」
と番組では示していた。
共通する遺伝子の割合は、
・ アジア人や欧州人では 2%
・ アフリカ人では 0%
というふうに示されていた。
このことから、次のように結論した。
「アフリカ人では共通遺伝子がないのに、アジア人や欧州人では2%も共通遺伝子がある。これは、ホモ・サピエンスがアフリカから出たあとで、中東においてネアンデルタール人と交雑したからだろう」
さらに、次のように説明した。
「共通する遺伝子は、現代人にとっても役立っている。たとえば、次の遺伝子だ。
・ ヨーロッパ特有の病原菌やウイルスへの免疫遺伝子
・ 寒冷地に役立つ、白い肌の遺伝子
こういうふうに有益な遺伝子があって、現代人にとっても有益になっている。これはネアンデルタール人と交雑したおかげだ。ネアンデルタール人と交雑したことは、とても素晴らしいことなのだ」
番組では上のように説明されていた。これは、番組において特有の見解ではなく、今日の進化論において主流の考え方であろう。
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しかしながら、上記のような考え方を、私は全面否定する。理由は、以下の通り。
(1) 共通遺伝子の原理
遺伝子が共通する原理は、交雑ではない。「共通祖先から引き継いだこと」である。つまり、いちいち交雑なんかしなくても、ネアンデルタール人との共通遺伝子は、古い共通祖先から引き継ぐことができるのだ。
たとえば、人間とチンパンジーとの遺伝子は 99%が共通する。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスなら、99.9%ぐらいが共通するはずだ。
その意味で、「アフリカ人との共通遺伝子が0%だ」というのは、正確ではない。勝手に 0.1% ぐらいの差分遺伝子だけを見ているから、「アフリカ人との共通遺伝子が0%だ」というふうに見えるだけだ。差分遺伝子の取り方しだいでは、どうにでもなるのだ。
遺伝子が共通する原理は、こうだ。
「ユーラシア人は、ネアンデルタール人と交雑して共通遺伝子を獲得したのではなく、古い共通祖先から共通遺伝子を引き継いだだけだ。一方、その遺伝子を、アフリカ人では消失してしまった」
この件は、前に詳しく述べた。そちらを参照。
→ ネアンデルタール人との混血はなかった: Open ブログ
要するに、アフリカ人だけで独立的に消滅してしまった遺伝子がある。それが2%ぐらいあるわけだ。……そして、それがユーラシア人には残っているのを見て、「もともと共通祖先から受け継いだものだ」とは思わずに、「ネアンデルタール人と交雑して獲得したものだ」と思うわけだ。
(2) 証明の方法
では、このことは証明できるか? できる。私は前に、次のようにして証明できると述べた。
「私の説によれば、アフリカ人で消失した遺伝子は、消失しても構わないような無益な遺伝子であったからだ。とすれば、どちらの説が正しいかは、共通遺伝子の形質を調べることでわかる。
共通遺伝子の形質が圧倒的に有利な形質であれば、交雑によって急激に種全体に拡散したと言えるので、交雑説が正しい。
共通遺伝子の形質が不要な形質であれば、アフリカ人には不要だから消滅したと言えるので、私の説が正しい」
この点については、すでに研究報告が出ている。欧州人やアジア人にある共通遺伝子は、その多くが「発現が抑制されている」というふうに、不要な遺伝子なのである。少なくとも、有益性はほとんどない。
→ ネアンデルタール人との混血はなかった(証拠): Open ブログ (後半・引用部)
さらに今回、NHK の番組では、それを補強する事実が出た。次の二つの形質だ。
・ ヨーロッパ特有の病原菌やウイルスへの免疫遺伝子
・ 寒冷地に役立つ、白い肌の遺伝子
これらは、欧州人にとってはいくらか有益だろうが、アジア人にとってはほとんど有益ではない。その意味で、「アジアにおいてもその遺伝子が急激に拡散した」ことの理由にならない。
また、これらの遺伝子は、アフリカ人にとっては何の役にも立たないのだから、アフリカ人にとっては遺伝子が消失したことの理由になる。
つまり、NHK の番組が示した二つの形質は、「交雑したことの証拠」ではなく、「交雑しなかったことの証拠」なのだ。この番組では、「ちょっとだけ有利だという証拠を見つけた」と鼻高々なのだが、実は、それは、正しさの証拠ではなく、間違いの証拠なのだ。
なぜなら、「ちょっとだけ有利」というのは、「ものすごく有利だから急激に大陸全域に拡散した」という説を否定しているからだ。一方で、「アフリカでは全然有利でなかった」(消失しやすい)ということを肯定しているからだ。
結局、「これぞ自分たちの正しさの証拠」と思って示したものが、実は、「これぞ自分たちの間違いの証拠」となってしまったわけだ。
( ※ そして、本人は、それに気づかないでいる。「自分は間違っている」と証明してしまったのに、「自分は正しいと証明した」というつもりでいる。一種の悲喜劇だね。)
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だが、何よりも可哀想なのは、間違った「交雑説」なんかを信じている人類(ホモ・サピエンス)だ。どうも人類は、あまり知性のない生物種であるようだ。
人類が真実にたどりつけるのは、いつのことになるやら。人類ではない、新たな別種が生まれるまで、待つしかないのだろうか。……その別種にはとりあえず、ホモ・サイエンスと名付けておこう。
ホモ・サイエンスならば、「ホモ・サピエンスとネアンデルタール人との混血があった」というような、馬鹿げた珍説を信じることもあるまい。
[ 付記1 ]
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、遺伝子的にかなり違っているので、子供が産まれるとはとうてい思えない。万一、生まれたとしても、生殖能力のない子供だろう。それはちょうど、ライオンとトラの混血で生まれたものが、生殖能力をもたないようなものだ。
こういうことが起こるのは、生物には「ゲノム・インプリンティング」という仕組みがあるからだ。
→ 異種間交雑が起こりにくい理由(ゲノム・インプリンティング): Open ブログ
逆に言えば、「ゲノム・インプリンティング」という仕組みがあるからこそ、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人から分岐して、別の種になることができた。
仮に、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人との間で、「ゲノム・インプリンティング」という仕組みが働かなければ、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人とは、交雑可能だっただろう。しかしその場合には、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人から分岐することはできないので、ホモ・サピエンスという種そのものが誕生しなかったことになる。
逆に言えば、ホモ・サピエンスという種が誕生したのは、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人との間で、「ゲノム・インプリンティング」という仕組みが働いて、両者の交雑を不可能にしたからだ。
その意味で、ホモ・サピエンスという種が存在すること自体が、両者の間で交雑は不可能であることを意味している。それが科学的な結論だ。
こんなこともわからない人が、「異種間交雑」なんていう馬鹿げた理屈を信じているわけだ。生物学は昔に比べて退化しているとすら言える。
[ 付記2 ]
交雑説が間違っていることを証明するための、決定的な方法を思いついた。こうだ。
「アフリカ人のみにおいて消失した遺伝子」(A)
というのを調べたからこそ、
「ユーラシア人とネアンデルタール人との共通遺伝子」(B)
というものが見つかった。( A と B は同じもの・同義)
ならば、同様にして、
「ユーラシア人のみにおいて消失した遺伝子」(C)
というのを調べればいい。そういう遺伝子が見つかるはずだ。
そのときには、
「アフリカ人とネアンデルタール人との共通遺伝子」(D)
が見つかったことになる。( C と D は同じもの・同義)
とすれば、ここでは、前の場合の交雑論と同様に、「アフリカ人とネアンデルタール人が交雑した証拠」が見つかったことになる。
こうして、二通りの交雑論がどちらも成立してしまうことになるので、交雑論は自己矛盾に陥って、破綻する。
( ※ この論理を理解するのは、ちょっと難しい。論理に弱い生物学者レベルでは、理解できないかもね。わからなかったら、行と列のある図表でも書けば、論理を理解できるかもね。)
[ 付記3 ]
※ すぐ上の話の補足。読まなくてもいい。
「ユーラシア人のみにおいて消失した遺伝子」(C)
というのは、どのくらいあるか? 推計してみよう。
(初期の)ネグロイドと(初期の)コーカソイドが分岐したのは、17万年ぐらい前らしい。( → 別項 の推計)
コーカソイドとモンゴロイドが分岐したのは、10万年(弱)ぐらい前らしい。( → 別項 の推計)
ネグロイドは、17万年かけて、2%の遺伝子を独自に消失した。
ユーラシア人は、10万年(弱)ぐらいをかけて、P%の遺伝子を独自に消失した。
計算すると、
P = (2×10弱)/17 ≒ 1.2
したがって、 1.2 %( or 1%強) という数値を得る。これが、ユーラシア人において、独自に消失した遺伝子の量の推定値だ。
( ※ 実際には、コーカソイドとモンゴロイドがそれぞれ独自に同じ遺伝子を失った場合もあるから、量はもう少し多くなるかもしれない。それでも、1.5% ぐらいだろう。)
というわけで、
「ユーラシア人のみにおいて消失した遺伝子」(C)
について、その量をここであらかじめ予想しておいた。あとは、遺伝子を調べれば、結果はわかるはずだ。
【 関連サイト 】
番組の要約。
→ 【反響要約】NHKスペシャル 人類誕生 第2集
→ NHKスペシャル「人類誕生」2、「ネアンデルタール人謎の絶滅人類」
補足的な話。重要な話ではないので、読まなくてもいいです。