──
集団的自衛権については、
「自衛権とは本来、個別自衛権のことであって、集団的自衛権は含まれない」
という主張がある。本サイトでも下記で示した。(自然権としての自衛権、という発想。)
→ 9条改憲の目的は?: Open ブログ
これに対して、
「国連憲章は集団的自衛権を認めているぞ」、
という反論がある。
この問題について論じよう。
国連憲章との関係
国連憲章と集団的自衛権との関係について説明しよう。
(1) 認めていない
該当の国連憲章を引用しよう。
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。
( → 集団的自衛権 - Wikipedia )
ここでは「個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と記してある。それだけだ。
つまり、各国が「自国は個別的・集団的自衛の権利を有する」と宣言した場合、国連はそれを阻害することはない、ということだ。
この規定は、国連が各国に「個別的・集団的自衛の権利を与える」ということを意味しない。「やりたきゃ勝手にやれ。邪魔はしないよ」という意味だ。
比喩で言うと、消費税について、「導入したければ勝手にやれ。邪魔はしないよ」ということであって、「導入するべし」と命じているわけではない。単に「介入しない」と言っているだけだ。
というわけで、「集団的自衛権は国連憲章で認められている」という認識は、誤りであるわけだ。単に「邪魔されていない」だけである。(「容認」されてはいるが、「認可」されてはいない。)
(2) 歴史的経緯
歴史的経緯はどうか? これについては、Wikipedia に記述がある。
個別的自衛権(自国を防衛する権利)は同憲章成立以前から国際法上承認された国家の権利であったのに対し、集団的自衛権については同憲章成立以前にこれが国際法上承認されていたとする事例・学説は存在しない。
( → 集団的自衛権 - Wikipedia )
このことからして、比較的新しく導入された概念だとわかる。その意味で、本サイトで述べたような「自然権」という概念では説明されない。
せいぜい「国連という機関ではたまたま採択された」というだけのことだ。当然ながら、国連未加盟国には適用されない。(たとえば、2002年以前のスイスには適用されない。)
国連で認められたというのは、「絶対的な真実である」というよりは、「国連という内輪だけで成立する内部ルールである」ということにすぎない。
その証拠に、「国際連合加盟国に対して」という限定が付いている。再掲しよう。
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。
( → 集団的自衛権 - Wikipedia )
これはあくまで国連内部だけの話であって、内輪のルールであるにすぎないのだ。
集団的自衛権の真意
国連という内輪だけのルールを離れて、より本質的に考えよう。
個別的自衛権は、自然権として成立すると考えられる。これはたいていの法学者の一致することだ。
( ※ 仮にこれが成立しないとしたら、攻撃されても反撃できないことになり、人間の生存権が脅かされる。社会はメチャクチャとなる。社会の秩序を成立させるための方が、逆に、無法社会を成立させるために働く。これでは自己矛盾だ。)
(11) 近隣集団
集団的自衛権はどうか? 歴史的には、それは、「近隣集団の全体的な自衛権」として成立した。たとえば、隣り合う村同士とか、隣り合う都市国家同士とか。
現代的にこれを言うなら、次のような例が成立する。
「西欧諸国の集団的自衛権」
これは、初期の EU (西欧諸国のみ)が、国家の集団として自衛権を成立させることに相当する。ここでは「西欧諸国」という近隣集団における「集団的自衛権」が成立することになる。
これが集団的自衛権の本来の姿であった。これならば、個別的自衛権の延長として、素直に受け入れられるだろう。
(12) NATO
現実にはどうか? 「欧州の近隣集団による集団的自衛権」というものは、それ単独では成立しなかった。かわりに、「米国を組み込んだ集団的自衛権」というものが成立した。それが、NATO(北大西洋条約機構)である。
NATO では、欧州諸国の間だけで見れば、集団的自衛権だと言える。
しかし、欧州と米国では、大西洋という巨大な距離で隔てられており、「近隣集団」とは言えない。
これは、本来の「集団的自衛権」とは別のものである。では、何か? それは「同盟」(軍事同盟)と呼ぶのがふさわしい。
集団的自衛権と同盟とは、どう違うか?
集団的自衛権では、近隣集団は一体化していると見なせば、ここのどこかに攻撃が仕掛けられたときに、他の国が反撃したとしても、それは「自衛」と見なしていいだろう。国レベルを超えた一種の「超国家」が自衛権を発動するわけだ。それはそれで、おかしなことはない。
同盟は、どうか? 欧州と米国は一体化していないので、「超国家」が存在しているわけでもない。したがって「超国家による自衛権」というのも成立しない。
では何が成立するかというと、「自衛」のかわりの「反撃」(攻撃の一種)である。たとえば、ソ連がドイツを攻撃したときに、米国がソ連を攻撃する。これは、「反撃」という攻撃であって、「自衛」ではない。ドイツが攻撃されることは、米国にとって「自分が攻撃されたこと」にはならないから、「自衛」にはならないのだ。(もちろん「超国家の自衛」でもない。)
結局、NATO のような制度は、欧州だけで見れば「集団的自衛権」で説明できるが、欧州と米国との関係で見れば、「集団的自衛権」ではなく「同盟」で説明される。「集団的自衛権」はあくまで自衛の一種だが、「同盟」は攻撃の一種である。
(13)日本の集団的自衛権
では、日本の集団的自衛権はどうか?
安倍首相は、「米国の軍事活動に協力することは集団的自衛権で可能だ」と主張する。
だが、他国を攻撃する権利などは、自然権としては有しない。つまり、自然権としての自衛権では、「他国を攻撃する権利」としての権利は、自然権に基づく自衛権では、認められないのだ。
この意味で、安倍首相のいう「集団的自衛権」という言葉は、用語に欺瞞がある。
そもそも「集団的自衛権」という言葉は、本来は近隣諸国における「超国家集団における自衛の権利」であった。なのに、安倍首相は、「同盟を結んだ国家における攻撃の権利」という意味で使っている。(用語の曲解ふう。)
たとえば、ホルムズ海峡で何がどうなっても、日本という領土が攻撃されたわけではないのだから、「日本にとっての自衛」には当たらないのだが、「よその領域が攻撃されたから」という理屈で、「自衛のため」と言い張る。これではまるで、ホルムズ海峡が自分の領土だと言っているようなものだ。
仮に、このような屁理屈(ジャイアンみたいな屁理屈)が通るのであれば、世界中のどの地域をも攻撃できてしまう。たとえば、「盧溝橋の治安は日本にとって死活的に重要だ」というような理屈で、盧溝橋を攻撃することが許されてしまう。「中国の治安は日本にとって死活的に重要だ」というような理屈で、中国の全都市を侵略することが許されてしまう。……しかし、こんなことは、「自衛」という名の下で許されるはずがない。
(14) まとめ
まとめて言おう。
集団的自衛権というのは、近隣集団における自衛のためだけにある。それは超国家的な集団が一体化して生存するためのものであって、自然権の一種と見なしてもいい。
同盟というのは、地理的に離れて一体化していない国同士が、共同で敵国を攻撃する協定である。それは自衛のための協定ではなくて、攻撃のための協定だ。たとえ本来の目的が自衛であるとしても、実際にやることは攻撃なのである。なぜなら、地理的に離れた友邦が攻撃されたからといって、自国(または超国家)が攻撃されたことにはならないからだ。
日本と米国は、地理的に大きく離れているし、国としても一体化していない。とすれば、ここでは、「集団的自衛権」などは成立せず、「同盟」だけが成立する。
そして、「集団的自衛権」については自然権と見なすことはできても、「同盟」については自然権と見なすことはできない。
その意味で、「自然権」を理由とした説明では、「集団的自衛権」を(法律以前に成立するような)合憲と見なすことはできないのだ。
また、国連憲章で示されているのは、「国連によって害されることはない」というだけのことであって、「国連によって認可されている」ということではない。つまり、「日本の集団的自衛権は国連によって認められている」というようなことはないのだ。ここを曲解してはならない。
(15)対案
では、日本は、集団的自衛権を導入してはいけないのか? いや、そんなことはない。
・ 自然権では認められていない
・ 国連憲章でも認められていない
というだけのことであって、導入することが禁止されているわけではない。だから、安倍首相の言うような集団的自衛権(本当は同盟)を導入したければ、そのように憲法を改正すればいい。次のように。
憲法9条
1.2.3. (略)
4.日本は軍事同盟を結ぶことができる。軍事同盟を結んだ相手国が攻撃された場合には、その相手国を防衛するために、日本は軍事活動をすることができる。この場合、日本の自衛のためである必要はない。
これはつまり、敵対国に対して、日本が先制攻撃をすることができる、ということだ。
たとえば、朝鮮有事の時に、日本が攻撃されていなくても、日本は北朝鮮に対して先制攻撃をすることができる。北朝鮮にしてみれば、韓国や米国を攻撃しているだけで、日本は相手にしていないつもりだったのに、日本からいきなり攻撃されてしまうわけだ。(宣戦布告もなしに。)……こうなったら当然、北朝鮮としても、テポドンなどを日本にぶち込むしかあるまい。
要するに、日本が先制攻撃をすれば、日本は参戦することになるから、自動的に敵国から攻撃される結果になる。これがつまり、軍事同盟という関係だ。「一蓮托生」というやつである。
こういうことは、軍事的には馬鹿馬鹿しいことである(少なくとも日本にとっては)。……だが、世の中には頭の悪い人が多いから、「攻撃しても攻撃されない」と思い込む。「朝鮮有事で米国に協力すれば、日本の死活的な安全に役立つ」とだけ思い込む。かくて、北朝鮮の攻撃を浴びてしまう。そのときになって、「攻撃されるとは思わなかった」と言って、あたふたとする。(真珠湾攻撃をした日本軍みたいなものだ。攻撃することばかりを考えていて、日本の本土が攻撃されることを考えていない。)
ま、ともあれ、安倍首相の言うように「集団的自衛権」(本当は同盟)を導入したいのであれば、そのことをきちんと憲法に書くべきだ。そのために、憲法を改正するべきだ。
一方、憲法には何も書かないまま、「自衛隊を認める」とだけ書いて、それで(集団的自衛権の名の下で)同盟関係を導入しようというのは、一種の裏口入学である。ペテンだとも言える。詐欺だね。
こういう欺瞞が、安倍首相の狙っていることだ。
[ 付記 ]
安倍首相は、モリカケ問題でも、残業代ゼロ法案でも、とにかく何でもかんでも、嘘ばかりついてゴマ化して、自分好みの法律を成立させようとする。
そこで、その欺瞞を明らかにするのが、本項だ。
【 関連項目 】
安倍首相が「集団的自衛権」の名の下でやろうとしているのは、具体的にはどんなことか? それは、たとえば、ホルムズ海峡封鎖や、朝鮮有事や、グアムへのミサイル攻撃について、米国の軍事活動に協力することだ。
だが、このような形での協力は軍事的には無意味だ(無効だ・有害だ)ということを、私は前に指摘した。下記。
→ 備蓄の大切さ(石油): Open ブログ
→ 朝鮮半島有事シミュレーション(読売): Open ブログ
→ 集団的自衛権のミスリード: Open ブログ(朝鮮有事)
→ 北朝鮮のグアム攻撃を阻止するな: Open ブログ
──
実は、これらのことが軍事的に無効であることには、理由がある。それは、「日本がもともと攻撃能力をもたないこと」である。自衛隊はもともと専守防衛であって、攻撃能力をもたない。こういう状況で「敵国を攻撃する軍事同盟(集団的自衛権)」などを行使しても、実効性がないのだ。
日本が軍事同盟(集団的自衛権)を行使して、米国の忠犬として働きたいのであれば、まずは、敵基地攻撃能力のような、軍事的な攻撃力を軍備として備える必要がある。たとえば、爆撃機を大量配備するとか。あるいは、テポドンみたいな地対地ミサイルを大量配備するとか。……そういう兵器も用意しないで、口先だけで集団的自衛権(軍事同盟)を口にしても、実質的には無効になるのだ。上記のように。
日本のように一国では平和が維持できない国には、集団的自衛権が必要です。
弾道ミサイルの時代です。
「近隣集団でなければならない」とうのはナンセンスだと思いますよ。
自国が射程範囲になっている脅威を除去する先制攻撃は「攻撃」ではなく「防衛」です。
専守防衛の日本には、敵基地攻撃能力は必要でしょう。
その本質を 無化する思想 手に入れたいです
9条 その解釈 なんでもありなら 言葉なんて
学者さん達の論には、どうやったら国を守れるか、という観点が欠けているように思えます。
日米安保が必要なのであって、集団的自衛権は有害無益です。
日本の武器は日本を守るために使うべきであって、米国を守るために使うべきじゃない。
> 法律を守った結果国が滅びてしまったら本末転倒です。
逆です。
集団的自衛権とは、日本を守ることではなく、米国を守ることです。そのために武器を使うので、日本を守る能力はむしろ減ってしまいます。
【 関連項目 】に記してあるので、リンク先を読んでください。特に、グアムの箇所。グアムを守るために迎撃ミサイルを使い果たしてしまうので、肝心の日本を守るための迎撃ミサイルがなくなってしまいます。
集団的自衛権を行使すれば、米国は守られますが、日本は逆に滅びやすくなります。
集団的自衛権とは、米国を守るために日本を滅ぼしてもいい、という売国政策なんですよ。
> どうやったら国を守れるか
日米安保条約があるでしょ。何のために米国に毎年、莫大な金を支払っているんだ。さらに、基地の被害をあちこちで受け入れている。横田や厚木でも被害を受け入れている。
あなたの発想だと、軍事的なことは何もかも忘れて、単に「忠犬になること」だけが生き延びる方法になりますね。そして、「忠犬になって、ご主人様を助けるために、敵の前で わが身を犠牲にする」となる。
本末転倒。自殺政策。
それは個別的自衛権でも法的に対応できる。
現実的に対応できない分は、米軍に頼ればいい。日米安保。
集団的自衛権は不要。
あなた、どうも、日米安保と集団的自衛権を混同していますね。
日本が集団的自衛権で守ってもらうのは、米国の集団的自衛権です。これは必要です。
一方、今話題になっている集団的自衛権は、日本の集団的自衛権です。これは、米国を守ることであって、日本を守ることではありません。
両方を混同しないでください。
──
上記の反論を見ると、集団的自衛権の賛成論者は、集団的自衛権を日米安保と混同しているようだ。米国の集団的自衛権(日本を守ること)と、日本の集団的自衛権(米国を守ること)とを、混同しているようだ。
米国を守るために日本を犠牲にする集団的自衛権なんてものに賛成する人の気が知れなかったが、勘違いが理由らしい、と判明が付いたことになる。
────────────
そもそも、本項は「集団的自衛権を行使してはいけない」という趣旨ではありません。「集団的自衛権は、現状では憲法違反だから、やりたければ憲法にきちんと書け。そのために憲法改正せよ。書かずに裏口入学をしてはいけない」ということです。
だから、反論するなら、「集団的自衛権は必要だ」と書くのではなく、「憲法には書かずに、憲法違反の形で、こっそり裏口入学で導入せよ」と書くべきです。つまり、「憲法に集団的自衛権を導入するべきではない」(それでいて集団的自衛権を実施する)というふうに書くべきです。
つまり、「法律で嘘つきになるべきだ」と書くべきです。それは、安倍首相ならばお得意でしょう。あれだけ嘘をつき続けているんだから。
管理人さんの意見では、
日本国にとって、日本国が集団的自衛権を行使するのは得策ではなく、
米国が日本国のために日米安保条約に従って同盟国としての武力(管理人さんはこれを集団的自衛権とは呼ばない)を行使してくれることが得策だと、
いうことでしょうか?
そして、安倍総理は、米国と対等な(米国が他国から攻撃されたときに、日本が攻撃国を攻撃できる)軍事同盟を結べるようにしようとしているのに、言葉の上では、軍事同盟ではなく集団的自衛権ですと、ウソをついていると、いうわけですね。
どこの国もさ
> 米国が日本国のために日米安保条約に従って同盟国としての武力(管理人さんはこれを集団的自衛権とは呼ばない)を行使してくれることが得策だと、
ちょっと違います。
「基本的な自衛権」としての集団的自衛権は、日米関係においては日米のどちらでも成立しません。日米関係においては同盟だけが成立します。ゆえに安倍首相のいう集団的自衛権は、憲法には違反する、ということ。これは法律論・手続き論。したがって、正式に改憲すれば、同盟(集団的自衛権)は実現可能です。
日本が米国を守るのは損だ、というのは、軍事的な損得。改憲しようが何をしようが、日本の軍備は日本を守るためにあるのであって、米国を守るために無駄遣いするべきじゃない。そもそも日本の戦力は米国の数十分の1しかない。それをむやみに無駄遣いしたら、必要なときになくなってしまう。比喩的には、弾切れみたいなもの。
こういうロジックで日本を守ることになると思います。
そう思うのなら、きちんと改憲してから、やりましょうね。勝手に憲法違反をして「合憲だ」と言い張るのは、法治主義の否定です。ただの独裁主義。
そもそも、それは「同盟」なんだから、正式に同盟を結ぶべき。日米安保条約を改定するべき。
条約も何もないまま、勝手に参戦するのは首相による権限の濫用です。首相が勝手に戦争を始める権利なんかない。(憲法で交戦権は否定されている。)
あと、あなたの理屈だと、日本はアメリカのやる戦争にすべて参加する必要がある。たとえば、アメリカが勝手にベトナムやイラクやシリアを攻撃しているときに、「アメリカが敵軍に攻撃されたから」という理屈で、日本も参戦することになる。
いま話題になっているのは、そういうこと。朝鮮有事もそれと同じ。アメリカ本土が攻撃されているわけじゃない。
http://nando.seesaa.net/article/395777565.html
これならシリアやベトナムで戦争に巻き込まれることはないでしょう。
本筋とはずれますが、
あわせて自衛隊の能力をもっと高めるべき。
現状では無駄が多い(オスプレイ買うとか)。
人、物、金の配分先を効率化すればもっと防衛能力が高まると思います。同予算で。
まずはまともな軍隊つくることが大国と対等な関係を築く第一歩。
そんなこと書いてありませんよ。語順が逆になっていますよ。ちゃんと読みましょう。