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放送時間は、4月8日(日) 午後9時00分〜9時49分
サイトは下記。
→ http://www.nhk.or.jp/special/jinrui/
全体の感想を言えば、こうだ。
レベルが低いし、素人っぽい。「偶然が進化をもたらした」というテーマで、勝手におもしろおかしく物語を作ろうとしているが、真実からはどんどん離れてしまう。科学番組というより、科学テイストの娯楽番組に成り下がってしまっている。
あまりにもひどいので、是正も含めて、講評しよう。
人類の全体
冒頭では
猿 → 猿人 → 原人 → 現生人類
というような直線的な流れを否定して、
・ 複雑な枝分れ(分岐)があった
・ 分岐したものの多くは絶滅して、残ったのは1経路だけ
(かくてホモ・サピエンスだけが残った)
というふうに説明している。つまり、
「多様な種の絶滅があった」
というふうに説明している。
このこと自体は妥当だが、これを「新しい科学的な知見」というふうに述べているのはおかしい。こんなことは大昔からずっとわかっていたことだ。
(上述の)直線的な流れというのは、ダーウィニズムの発想だが、そもそも、ダーウィニズムの発想そのものがおかしいのだ。
・ 多様な枝分れ
・ 多様な種の絶滅
というのは、進化上のどこにでも見られることだが、そのすべてはダーウィニズムとは異なっている。
(上述の)直線的な流れというのは、ダーウィニズムの発想のなかにだけあるものであって、科学的な進化論とは違うのだ。
当然ながら、科学的な進化論というのはずっと前からあるのであって、最近になって急に判明したことではない。(上述の)直線的な流れを信じていたのは、番組制作者だけだろ。自分が無知だっただけのことだ。(自分がダーウィニズムという間違ったものを信じていただけのことだ。)
図式的に言えば、こうだ。
・ 直線的な進化 = ダーウィニズム = 間違い
・ 複雑な分岐と絶滅 = 科学的進化論 = 正しい
ラミダス猿人
ラミダス猿人は二足歩行をしていた。また、森林で生活をしていた。このことは、本サイトでも前に詳しく紹介したことがある。(2009年)
→ 最古の人類(ラミダス猿人): Open ブログ
さて。番組によるとどうか? 骨盤が横型なので、ラミダス猿人は二足歩行をしていたとわかるそうだ。
また、(俗説のように)草原に進出したから二足歩行をするようになったのではなく、二足歩行ができたから草原へ進出するようになったらしい。
これは、妥当だろう。この件は、私も前に述べた。(上記リンク。)
番組によれば、時期的に乾燥化の時代だったそうだ。乾燥化が進んだときには、森から草原に出ると、二足歩行だと長距離を歩けるので、草原に落ちている果物を拾えるようになった。これは、四足歩行をする猿よりも有利だった。だから、二足歩行のラミダス猿人だけが生き残って、四足歩行の猿人は絶滅してしまった……というふうにことらしい。(仮説)
しかし、この仮説はまったくの間違いだ。
(1) 四足歩行の猿人は滅びたとしても、四足歩行の猿はいっぱい生き残っている。ゆえに、仮説は不成立。
(2) 四足歩行が不利だと言われているが、そんなことはない。走るだけなら四足歩行の方が早い。ニホンザルは時速 30〜40キロぐらいで走れて、人間よりもずっと早い。
(3) 二足歩行が有利なのは、手で荷物を運べること。番組でも見せている。
(4) しかし、手で荷物を運べるとしても、果物が地上に落ちているはずがない。落ちているとしたら、腐っているはずだ。果物を取るなら、木に登って取る方がいい。
(5) どちらかと言えば、地上で歩いて、手を器用に使えるようになった、ということぐらいだろう。猿だって手を器用に使うが、二足歩行をする猿人なら、いっそう手を器用に使えるから、いろいろと便利なことがあった、というぐらいだろう。
アウストラロピテクス
ラミダス猿人のあとに、アウストラロピテクスという猿人が来る。なかでも、アウストラロピテクス・アファレンシスというのが代表的だ。
→ アウストラロピテクス - Wikipedia
→ アウストラロピテクス・アファレンシス - Wikipedia
番組では、「草原に進出すると、肉食獣に食い殺されやすくて、不利だった。しかし集団行動を取ることになったので、生きながらえた。それでも食い殺された」というふうに説明されている。
しかし、これは誤りだ。
(1) 集団行動なんて、ほとんど意味はない。「集団行動を取れば生き残れる」なんて、鳥や草食獣ぐらいのものだろ。どちらにしても、肉食獣から逃れるだけの圧倒的な速度がある。基本的には逃げることが可能だが、不意打ちには弱いので、不意打ち対策として、集団行動を取るだけだ。
一方、猿人が肉食獣に襲われたら、皆殺しになるだろう。集団行動なんて、無意味だ。それがわからないのなら、集団行動でサファリパークにでも行けばいい。一挙に皆殺しになるはずだ。そこで自説の誤りを理解すればいい。
(2) 人類の仲間が草原に進出することができるとしたら、それは、肉食獣に対する対抗手段をもっていたからだ。では、対抗手段とは? 棍棒みたいな棒だ。そのことは、番組内でも動画で示している。(アウストラロピテクスも、ホモ・ハビリスも、棒を使っている。)
棍棒みたいなものが肉食獣への対抗手段となった、ということは、前にも述べた。
→ 人類の直立歩行:樹上説: Open ブログ
現実の事例としては、次の物語に詳しく解説されている。
→ 荒野の呼び声 (岩波文庫) | ジャック ロンドン
ま、現実的には、アウストラロピテクスは草原にはあまり出なかったと思う。なぜなら、水がないからだ。生きるためには水が必要であり、どうしても水辺または森林で生きるしかない。草原には、たまに出る程度だっただろう。「草原で、落ちた果物を拾って生きた」という番組の話は、荒唐無稽というしかない。
なお、参考として、次の項目もある。
→ セディバ猿人と二足歩行: Open ブログ
ホモ・ハビリス
アウストラロピテクスの次に、最初のホモ族であるホモ・ハビリスが現れる。これについては、前に述べた。
→ ホモ・ハビリスの共存: Open ブログ
番組によると、ホモ・ハビリスが石器を使っていたという証拠があるそうだ。だからホモ・ハビリスが有利になって、ホモ・ハビリスだけが生き残った、ということらしい。
ま、ホモ・ハビリスが石器を使っていたという事実はあるだろうが、それが一般的だったとも思えない。そういうこともあった、という程度のことだろう。
実は、猿でさえ、道具を使いことがある。のみならず、石を加工することもある。
→ 10月25日:猿も道具を使うだけでなく、石を加工する(Natureオンライン版掲載論文)
こういうことがあるからといって、「猿が一般的に石器を使う」とか、「だから生存に有利だ」とか言うことはできない。
道具を使うだけなら、鳥でさえ、道具を使って果物を割ることがある。
→ 鳥 道具を使う - Google 検索
こういう事例があるのだから、「道具を使う」ということを特別視して、「それゆえ進化のなかで生き延びた」というような過剰な認識をするべきではあるまい。
進化というものは、「何らかの知恵を身に付けたから生き残った」というような単純なものではないのだ。もっと遺伝子レベルでの劇的な変化が必要なのだ。
遺伝子を離れて、「何らかの行動を取ったから進化した」なんていうのは、ほとんどラマルク説に近い非化学的な発想だ。
NHK はとうとう非科学のレベルにまで落ちてしまった。
ホモ・エルガステル
番組によれば、ホモ・エレクトスには急激な脳の拡大があった。これはまあ、よく知られた事実である。
これほど急激な脳の拡大があると、ホモ・エレクトスの全体を同一種としていいかどうか、議論の余地がある。
そこで、ホモ・エレクトスのうち、初期のものを「ホモ・エルガステル」と呼んで、別種ふうに扱う見方もある。
番組では、ホモ・ハビリスから、急にホモ・エレクトスができたように言われていたが、その間にホモ・エルガステルを含んでもいいのだ。この考え方なら、進化に不自然なほどの急激な跳躍はなくなる。
詳細は
→ ホモ・ハビリスはなかった?: Open ブログ
ホモ・エレクトス
番組によれば、ホモ・エレクトスは、大きな特徴があったそうだ。それまでの猿人が毛だらけであったのに対して、ホモ・エレクトスは無毛になった。(現生人類と見かけ上はほとんど変わらない。)
無毛になったことで、発汗機能と相まって、体温上昇を防ぐことができるようになった。おかげで、長距離走ができるようになった。一方、他の動物は、無毛ではないし、発汗機能もないので、長距離を走ると、体温が上昇して、熱中症状態になってしまって、倒れてしまう。だから、人類は長距離で獲物を追うことで、獲物を倒すことができて、うまく狩りができるようになった……ということだ。
また、骨盤の形から、大殿筋(大臀筋)の付き方がわかって、長距離走ができるようになっている、とも判明するそうだ。
この話は、とてもいい話だ。うまい説明になっている。
ただし、である。「無毛だと有利だから無毛になった」ということは成立するまい。「無毛の個体集団ができたが、その個体集団は狩りが上手なので、進化上で有利になり、個体数を増やした」ということならば成立する。
では、どうして無毛の個体集団ができたのか?
その疑問には、「水生説」(アクア説)が有効だ。「人類は水辺で生活したから、水中生活で有利な無毛になったのだ」というわけ。実際、水生生物はみな無毛である。
私としては、「半分水生生活をした」という「半水生説」を取った。
→ 人類進化の水辺説(半・水生説): Open ブログ
この項目では、「半水生」になった時期として、「ホモハビリスまたはホモエレクトス」といったん示してから、それを否定した。その後、「ホモ・サピエンスのころ」とも推定した。
だが、今回の番組によれば、「無毛になったのはホモ・エレクトスのときからだ」ということなので、「人類が半水生になったのは、ホモエレクトスの時期からだ」と言って良さそうだ。
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番組では、歯のない化石があったことから、「仲間に対する優しさがあった」という推定をして、「ホモ・エレクトスのころには優しい心を持つようになった。それは脳が発達したからだ」というふうに説明している。しかし、これは妥当ではない。
ここでは「仲間への優しさ」というものを「心がある」ということの証拠と見なしているが、実は、そのくらいの心なら、親子愛として、(脳が小さい)鳥のレベルですらある。つまり、脳の大きさから「優しさ」を導き出すのは、論理の飛躍だ。
また、脳の拡大をもたらしたのが、(狩りによる)肉食のおかげで栄養摂取できたからだということだが、肉食が脳の拡大を招いたというのは短絡的だ。栄養の改善ぐらいで脳の拡大が起こるはずがないからだ。たとえば、大量の栄養摂取なら、恐竜だってなしていた。また、肉食獣だってなしていた。しかし、これらの生物に脳の発達があったわけではない。
どちらかといえば、肉食による栄養が骨盤の拡大を許容したから、産道の拡大をもたらして、脳の大きな赤ん坊が誕生できるようになった、と見なす方がいい。また、ここでは、栄養だけでなく遺伝子の変化がともなったはずだ。
一般的には、脳の拡大の制約要因は、産道の大きさである。人類はこれ以上はできないというほどまで、赤ん坊の脳の容量が大きくなっている。そして、それを制限するのは、産道のサイズだ。
ホモ・エレクトスでは、初期には産道が小さかったはずだ。その産道が大きくなるにつれ、脳の容量も拡大していった。そこには遺伝子の変化が決定的に重要だった。そこを指摘する必要がある。
( ※ 一方、単に「栄養が増えたから脳容量が拡大した」なんていう話は、あまりにも単純すぎて、馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。)
ホモ・ハイデルベルゲンシス
ホモ・エレクトスのうちの最も後期に属するものが、ホモ・ハイデルベルゲンシスだ。ここから、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが生じた。
番組でも、そう説明している。そこまではいい。だが、その先の説明が問題だ。
番組では、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、それぞれ、ホモ・ハイデルベルゲンシスから独立的に生じたそうだ。しかし、これはありえない。
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、遺伝子的にとてもよく似ている。遺伝子的にとてもよく似ているものが、同時期に別地域で独立的に生じるはずがない。
ひとつかふたつの遺伝子が共通していたというのならまだしも、莫大な数の遺伝子が、別種で同時に同一の突然変異を起こしたなんていうことが、あるはずがない。それはいわば、別々の場所でサイコロを振ったら、「 100万回のうちで 90万回で、まったく同一になった」というようなものだ。確率的に、とうていあり得ないことだ。
いや、「 100万回のうちで 90万回」どころか、もっと大幅に一致率は高そうだ。「 100万回のうちで 99万回」ぐらいかもしれない。というのは、番組の宣伝に寄れば、次回放送の番組では「ネアンデルタール人との混血」という主張をするようだが、別種で混血が可能になるとしたら、遺伝子の一致率が「99.99%」ぐらいは必要だからだ。(99%ぐらいの一致率では混血は不可能となる。)
これほどにも一致率が高いのに、それがすべて偶然(突然変異)で起こった、ということは、ありえそうにない。
つまり、「ホモ・ハイデルベルゲンシスから、ネアンデルタール人への進化」および「ホモ・ハイデルベルゲンシスから、ホモ・サピエンスへの進化」は、それぞれ、独立的に別個になされたはずがない。
では、真相は? ネアンデルタール人とホモ・サピエンスには、共通祖先がいるはずだ。そしてそれは、ホモ・ハイデルベルゲンシスではない。
下記の記事もある。
ゴメス・ロブレス氏らによって再生された現生人類とネアンデルタール人の最後の共通の祖先の歯は、ホモ・ハイデルベルゲンシスの歯と一致しない。
( → ネアンデルタール人との共通祖先は? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト )
では、共通祖先とは何か? それは、ホモ・ハイデルベルゲンシスではないとしたら、何なのか?
「それは、早期ネアンデルタール人である」
というのが、本サイトの見解だ。
→ サイト内検索
早期ネアンデルタール人には、ホモ・サピエンスに似た形質がある。つまり、後期のネアンデルタール人よりも、初期のネアンデルタール人の方が、いっそうホモ・サピエンスに近いのだ。これは一見、「進化の逆行」のように見えて、矛盾に見える。
しかし、矛盾ではない。ホモサピエンスは、後期のネアンデルタール人から進化したのではなく、初期のネアンデルタール人から(横に分岐して)進化したのである。……こう考えれば、何も矛盾はなくなる。
ホモ・サピエンス
番組によれば、ホモ・サピエンスは1万人にまで種の個体総数が減ったという。その理由は地球の寒冷化だったそうだ。そして、生き延びたホモ・サピエンスは、アフリカの南端にある南アフリカのピナクルポイントまで来たそうだ。そこでは貝類があったので、うまく生き延びることができたという。
南アフリカのピナクルポイントにホモ・サピエンスの遺跡があったというのは事実だし、そこで貝類があるというのも事実だろう。しかし、だからといって、「人類がそこだけにいた」というのは論理の飛躍だ。
そもそも、ホモ・サピエンスの個体数が大幅に減ったというボトルネック説はあるが、それは、「出アフリカによる」というのが妥当だ。
「アフリカ東海岸から出アフリカをした集団」という小範囲の集団の子孫のみが世界に拡散して繁栄した。だから世界中の人類の遺伝子プールはごく小さい。
一方、出アフリカをしなかったアフリカのホモ・サピエンスの遺伝子プールは、かなり大きい。
このような差異は、「出アフリカ」という概念によってのみ説明される。「南アフリカのピナクルポイント」なんていう説では、説明不可能なのだ。
さらに言えば、「地球寒冷化による人口のボトルネック」という説はあるが、それは、「トバ噴火による」というのが普通だ。
しかるに、「トバ噴火による人口激減などはなかった」というのが、私の見解だ。詳しくは下記。
→ トバ・カタストロフはあったか?: Open ブログ
ここでは、「寒冷化」という説そのものを否定している。寒冷化は、あるにはあったが、たいした影響はなかったのだ。
そもそも、ホモ・サピエンスは、火を使っていたし、衣服も使っていたはずなので、寒さぐらいは防げるはずだ。
さらに言えば、寒冷化の時期に、熱帯を抜け出して、アフリカで最も寒い地域に移動する、というのが、論理的に矛盾している。
これではまるで、「寒くて困るから、九州から北海道に移住する。そうすると、うまく生き延びることができる」というようなものだ。メチャクチャの極み。
そりゃまあ、たしかに、北海道には海の幸が豊富ですよ。だけど、あそこはすごく寒いんだ。「寒いのは駄目だから、九州を脱出して、北海道に行きましょう」なんて、メチャクチャすぎる。しかも理由として「海の幸が豊富だから」なんて言い出すのでは、最初の「寒いのが駄目だから」というのを、忘れてしまっている。
頭のネジが狂っているとしか思えない。
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というわけで、今回の NHK の番組は、最初から最後までデタラメばかりだ。「デタラメを笑ってください」というジョーク番組並みだ。あるいは、「間違い探し」というゲームかな。
【 関連サイト 】
内容紹介(かなり詳しい)
→ NHK-G SP「人類誕生」#1「こうしてヒトが生まれた」詳細
最近 くだらない話が多すぎます