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岡潔という天才数学者のドラマが放映された。
→ 天才を育てた女房 (公式)
→ 天才を育てた女房 - Wikipedia
前から知っていた名前ではあったが、その人となりは初めて知った。こんなに変人だとは思ってもいなかった。びっくり。
若いころにはすぐに京都大学の講師になったが、途中でクビになって、広島大の助教授になったり、親の金で留学したりして、あとは無職の時代が続いて、48歳になってようやく大学教授。といっても、奈良女子大学・理家政学部教授。(帝大ではない。)……というわけで、職業的には、悲惨を極めた。ドラマの最後のころでも、(自分以外の)家族がそろって畑仕事をしているありさまだ。一家の本業は農業であったようだ。
で、そういう貧困な状態で、数学の研究に専念したが、なかなか業績が出ないで、長らく「論文ゼロ」の時代が続いた。それがようやく実ったのが 41歳のときだが、それも学界では認められないままだ。(このとき第二次大戦勃発。)
ようやく日本で評価されたのは、戦後の 1951年、学士院賞を受賞したときらしい。
ドラマによれば、日本ではまったく理解されず評価もされなかったが、妻の渾身の訴えで、論文が海外に渡った。その出発点は湯川秀樹。
湯川秀樹(米国留学) → 角谷静夫(プリンストン) → アンドレ・ヴェイュ → アンリ・カルタン
という経路で、学界の巨匠であるアンリ・カルタンが渡り、そこで好意的評価を得たらしい。
このときはまだ問題の解決は不完全だったが、その後に問題は完全に解決された。しかし、それに至るまでには、長い長い時間がかかった。普通の天才数学者が、若い時代に業績を上げるのとは、かなり違っている。
で、そんなに時間がかかったのは、なぜか? 岡潔の頭が悪かったからか? いや、そうではなく、問題があまりにも大きすぎたせいらしい。
これに近いのは、ABC予想を証明して、宇宙際タイヒミュラー理論を提出した、望月新一だ。彼もまた、完成までに非常に長い時間をかけたが、そこでなし遂げた業績もまたあまりに大規模だった。また、たいていの数学者にはとても理解できないものだった、という点でも共通する。
問題があまりにも大規模になると、こういうことが起こるものだ。(長年の時間と、理解のされがたさ。)
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岡潔の凡人離れした点については、Wikipedia にも記述が見られる。
まず、彼の基本業績は、こうだ。
フランス留学時代に、生涯の研究テーマである多変数複素函数論に出会うことになる。当時まだまだ発展途上であった多変数解析函数論において大きな業績を残した。一変数複素関数論は現代数学の雛型であり、そこでは幾何、代数、解析が一体となった理論が展開される。現代数学はこれを多次元化する試みであるということもできよう。解析の立場から眺めると一変数複素関数論の自然な一般化は多変数複素関数論であるが、多変数複素関数論には一変数の時にはなかったような本質的な困難が伴う。これらの困難を一人で乗り越えて荒野を開拓した人物こそ岡潔である。
あれやこれやと大業績を上げたが、その詳細は素人にはチンプンカンプンだろうから、略しておこう。初心者向けには、次の説明が基礎理解となる。
→ 虚数とは何か?: Open ブログ
ともあれ、ここで上げた業績の偉大さについては、こう説明されている。
その強烈な異彩を放つ業績から、西欧の数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは当初信じられず、「岡潔」というのはニコラ・ブルバキのような数学者集団によるペンネームであろうと思われていたこともある。
( → 岡潔 - Wikipedia )
また、その数学的センスについては、こうある。
広中平祐が33歳でコロンビア大学教授に就任が決まったとき、当時未解決の大問題であった代数多様体の特異点解消問題について日本数学会で講演した。その内容は、一般的に考えるのでは問題があまりに難しいから、様々な制限条件を付けた形でまずは研究しようという提案であった。その時、岡潔が立ち上がり、問題を解くためには、広中が提案したように制限をつけていくのではなく、むしろ逆にもっと理想化した難しい問題を設定して、それを解くべきであると言った。その後、広中は制限を外して理想化する形で解き、フィールズ賞の受賞業績となる。
( → 岡潔 - Wikipedia )
また、天才は天才を知る、というような話もある。
京都大学時代には湯川秀樹、朝永振一郎らも岡の講義を受けており、物理の授業よりもよほど刺激的だったと後に語っている。
( → 岡潔 - Wikipedia )
以上は Wikipedia からの抜き書きだが、もっと変人じみた逸話も多いようだ。面白おかしい話がいろいろとある。下記に詳しい。
→ 【変人】孤高の数学者 岡潔の逸話がいろいろとすごい
というふうに、いろいろと興味深い話があるわけだ。
[ 付記 ]
実は私は、岡潔という人物を、あまり評価していなかった。どうしてそうなのか、忘れていたが、Wikipedia を見て、思い出した。
Wikipedia の最後の方に書いてある通り、岡潔は晩年にはいろいろと、数学以外の面で著作活動をしていた。随筆など。
で、これらの随筆を読んだとき、若き日の私(大学生)は、「ひでえ」と呆れはてたのだった。「世間では高名な数学者の話だとして紹介されている本だが、何ともひどいものだ。話している内容もひどいし、文章もひどい悪文だ。とても読めたものじゃない。いくら高名な数学者だとしても、その日本語の文章はメチャクチャすぎる」
こう感じて、一気に嫌いになってしまったのだった。
だけど、それは、随筆などの話。数学はまったく別だ。
で、このたび、ドラマを見て、「数学の面ではものすごい業績を上げた」という歴史を知ったわけだ。
「業績を知りもしないで、馬鹿にしてごめんなさい。ぺこり」
と謝りたい心境だ。 m(_ _)m
【 関連サイト 】
岡潔の業績については、下記に解説がある。
→ 【世界を驚かせた日本人】岡潔氏 三大問題を解決し世界を驚愕させた大数学者
人となりなどの詳しい情報は、下記。
→ 「天才を育てた女房」原作は?モデルの数学者・岡潔はどんな人?
【 関連動画 】

法隆寺・夢殿と同じ八角円堂の
北円堂を知らない人が多いですね。
岡潔が後半生を暮らした奈良が舞台の小説です。
こんな記事を観る。
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≪… 茶器どもを獺の祭の並べ方 正岡子規 …≫の本歌取りで、
ヒフミヨを獺の祭の並べ方 (十牛図)
刀札獺の祭の並べ方 (剣神社の絵馬)
五蘊指獺の祭の並べ方 (岡潔に奉句)
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岡潔流(?)に数学の基となる自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))を大和言葉の【 ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と 】の平面・2次元からの送りモノとして眺めると[数のヴィジョン]になるとか・・・
岡潔数学体験館で、自然数のキュレーション的な催しがあるといいなぁ〜