2018年01月22日

◆ 正しい教育政策とは?

 正しい教育政策とは、どんなものか? それを過去の事例から学ぶ。

 ──

 教育政策は大事だ。そこで、どんな教育政策がいいのかが問題となる。この件で、過去の事例に学ぶことができる。

 (1) 巨額の資金投入

 教育の改善には、金が必要だ。そこで、巨額の金を一挙に投入することで、劣悪な環境を一挙に改善しよう、という試みがなされた。
 ザッカーバーグは当時、ニューヨーク近郊にあるニューアークという都市の教育機関にたいして、1億ドルの寄付をすると決めていた。
( → シリコンバレーのエンジニアが語る、誰にも悪気はなかった話 | 上杉周作

 フェイスブック創始者のザッカーバーグが、小規模な都市に1億ドルの寄付を決めた。他からの1億ドルとあわせて、合計2億ドル。この巨額の金を、一挙に投入した。
 その結果は? みじめな大失敗だった。
 州の学力テストの結果が出たとき、絶望の淵に追いやられた。
 あれだけ先生が努力したリニュースクールの8校は、それ以外のニューアークの学校より学力テストの点数が悪かった。さらに学区全体の平均点は、アンダーソンが来てからの2年間で、すべての学年において国語・算数ともに下がったのである。
 どうしてそうなったかは分からなかった。
 貧困の連鎖を止めようとしたら、子どもの学力が下がりました。働き方から変えよう、地方から変えようとしたら、何も変わりませんでした。
 合計2億ドルがニューアークに流れ込んだ。では、そのお金は最終的にどこへ行ったのか。
 約9000万ドルは、雇用改革に使われた。
 約6000万ドルは、チャータースクールの初期投資に使われた。
 約2000万ドルは、コンサルタントの報酬に使われた。
 2億ドルは、ニューアークの学力向上にほとんど寄与しなかった。寄与するどころか、公立校の学力テストの点数は下がっている。雇用改革も中途半端に終わり、「成功モデルを作り、アメリカ全国に広める」ことも、掛け声に終わった。
 もしもこの2億ドルが現場に使われていたら、ニューアークの子どもたちの人生は、いったいどう変わっていたのだろうか。

 2億ドルは現場には届かず、途中の中間経路で使い果たされてしまった。

 この事例からの教訓として、筆者はこうまとめている。
 では、ニューアークの失敗の本質はどこにあるのだろう。
 月並みな感想だが、教育を変えるには、やはり時間がかかるものだ。
 「数万人規模」の子どもを対象に無茶な目標を押し付けて、大多数がついてこれると思ったら大間違いだ。
 全てが上手くいって教育環境が良くなったとしても、喜ぶのはまだ早い。それが子どもの学力となって現れるのにもまた、時間がかかるからだ。


 (2) フィンランドの成功例

 上記記事では、続けて、フィンランドの成功例を示している。
 日本ではよく、フィンランドの教育が話題になる。宿題やテストが少ないのに、2000年代では学力が世界トップクラスだったことで有名だ。
 フィンランドの教育が成功した最も大きな理由は、すべての政党が40年近く、教育を政府の最重要課題に指定したからだという。
 フィンランドでは、教育レベルが低迷していた1970年代から、20以上の政権が生まれ、約30人が教育大臣を務めた。だが、全政権・全教育大臣が「『公』教育の質を『底上げ』しよう」と目線を合わせ、教育行政の方向性が安定していた。「私立と競争させよう」とか「トップの生徒を伸ばそう」といった考えに、だれも浮気することはなかったのだ。
 教育を変えるには時間がかかるということを、フィンランドは政治と行政レベルで理解していた。
 世論に揺さぶられて「ゆとり」と「詰め込み」を行ったり来たりし、英語教育やICT化で右往左往する日本の教育行政とは大違いである。

 フィンランドでは「教育の質の向上」こそが、教育政策の基本だった。それが何十年もずっと続いた。だから、「教育の質の向上」が実現したのである。

 ──

 ちなみに、日本ではどうか? 日本の政権はずっと自民党だった。自民党政権の基本原理はずっと「金儲け」だった。したがって、教育効果よりも経済的収支の観点から、次の政策が取られた。

  ・ 教育で重要なのは、教師の人件費の削減。
  ・ 教師の人員カットと残業の強制。(無償残業)
  ・ 教師には夏休み中も、勤務を義務づける。(無駄働き)
  ・ 教師を徹底的に疲弊させる。(質の向上とは正反対。)
  ・ 親も PTA で無駄働きさせる。(ベルマークなど)
  ・ 金の使途で優先されるのは、教育施設の建設。(箱物)
  ・ 首相のお友達には無駄な新設を認める。(加計学園)
  ・ 無意味な底辺校(Fラン)にも、莫大な補助金を出す。
  ・ 優秀な学生には、ろくに金を出さない。( → グラフ


 これらの政策は、まさしく成功した。実際、政府支出における教育的経費の占める割合は、日本は先進国では傑出して低い数値を取る。


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高等教育に対する公財政支出の対GDP比(文科省)


 日本政府がずっとめざしていたのは、教育費用の削減だったのである。そして、それはまさしく実現した。
 一方、フィンランドでは、教育の質の向上をめざした。そして、それはまさしく実現した。

 そして、どちらの国も、めざしていたことをまさしく実現させたのである。その意味で、どちらも成功したと言えるだろう。ただし、めざすものが違っていただけだ。

 いやしい人間は、ケチになろうして、ケチになる。
 かしこい人間は、利口になろうして、利口になる。
 めざすものが違えば、到達するところも違うところになる。

 日本の悲劇は、「教育費の削減」を何よりもめざしておきながら、「教育の質をめざしている」と錯覚したことだ。つまり、自分が何をしているか、理解できなかったことだ。鏡に映る自分の姿を見なかったことだ。
 これはまあ、裸の王様のようなものである。この愚かさが、日本を「真実の直視」から遠ざけたのだ。

posted by 管理人 at 19:15| Comment(4) | 一般(雑学)4 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
所詮、教育も金儲けの道具に過ぎないのですね。

目先の利益しか興味のない今の日本人に、教育を再生するのは不可能のように思えます。

“教育にもコスパを”などとのたまう人々が目に浮かびます。
Posted by 反財務省 at 2018年01月23日 12:43
教育も、医療も、福祉も、
『金儲け』の観点で統一されていますね。
しかも、儲けるのは教師や医師や従事者じゃなくて
政治家、監督官庁、メーカー、建設業者ばかり。
しかも、メーカーや建設の社員には流れ込まない。
目標は、完全に達成されていますね。
Posted by けろ at 2018年01月24日 10:51
お邪魔します。
 日本人は「教育は教師と生徒がいればそれだけでできるもの。だからそんなに金がかかるはずがない。」という考えではないかと思われます。つまり「人の時間や労働力や資質・適正といった、目に見えない・物理的な実体が無いものに価値を見出し難い」という事で。一方自民党は金儲けというよりも「仲間内の利害調整が政治」という考えで、それを専ら「でかい声(数が多いとは限らない)に従い、折りやすい方を折る」というやり方で実現してきたのではないかと。教育も「折りやすい方」だったのでしょう。それで教育の世界ランキングが高くなかったりすると、教育を高々「個々の教師の個別の努力で達成可能であり達成すべきもの」ぐらいに考えていないから、現場の教師の無能もしくは怠慢だとしか考えられないわけで。
 話変わってオリンピックのメダルの数の目標とか言っていますが、オリンピックでメダルを取るとすれば、それは大部分選手本人の資質でしょう。日本人が「人種として」他を圧倒しているわけでもないのに。
Posted by ブロガー(志望) at 2018年01月27日 20:51
教育への投資をケチる理由は、
教育に投資をしても、政治資金(と言う名の賄賂)が貰えないからに他ならない。政治家にとって旨みがないから。ただそれだけのように思います。
Posted by 反財務省 at 2018年02月13日 02:21
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