2017年12月21日

◆ 阿蘇噴火の危険性

 伊方原発の訴訟で、運転差し止めの判決が出た。理由は「阿蘇噴火の危険性」だ。これは妥当か? 

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 伊方原発の訴訟で、運転差し止めの判決が出た。理由は「阿蘇噴火の危険性」だ。
 四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)をめぐり、住民が求めた運転差し止め仮処分の抗告審で、広島高裁(野々上友之裁判長)は13日、広島地裁の決定を覆し、運転を禁じる決定をした。阿蘇山(熊本県)が過去最大規模の噴火をした場合、火砕流の影響を受けないとはいえないと判断した。原発の運転を差し止めた司法判断は高裁では初めて。
 大規模地震のリスクについて、「四電の想定は不十分」とする住民側の主張を退けた。一方、伊方原発から約130キロ離れた阿蘇山など火山の影響を重視。現在の科学的知見によれば「阿蘇山の活動可能性が十分小さいかどうかを判断できる証拠はない」とし、原子力規制委員会の審査内規に沿い、160キロ先に火砕流が到達した約9万年前の過去最大の噴火の規模を検討した。
 その場合、四電の想定では火砕流が伊方原発の敷地内に到達する可能性が小さいとはいえず、同原発の立地が不適切だったと認定。この点で、東京電力福島第一原発事故後にできた新規制基準に適合するとした規制委の判断は不合理だったとし、「(住民の)生命身体に対する具体的危険が推認される」と述べた。
( → 伊方原発3号機、運転禁じる仮処分 阿蘇噴火の影響重視:朝日新聞 2017-12-2

 阿蘇山噴火の影響があるので原発を停止するべきだ、という判決。これを、どう評価するか? 





 考えようかと思ったが、そもそも、こんな大事なことを本サイトが言及していないはずがない。そこで過去記事を検索すると、すぐに見つかった。
  → 川内原発と噴火の危険: Open ブログ

 伊方原発でなく、川内原発の話だが、やはり阿蘇噴火の危険性を論じている。

 ここを読めばわかるように、次のことが言える。
 (1) 阿蘇噴火の可能性は、1万年に1回ではなく、10万年に1回ぐらい。現生人類の歴史が 20万年だから、あまりもに低頻度だ。次の噴火が起こるころには、人類は滅びて、新人類が繁栄しているかもしれない。そんな先のことを考えても仕方ない。
 (2) 阿蘇噴火ほどの巨大噴火でなければ、もっとしばしば発生するが、それらは巨大噴火ではないから、大きな心配はいらない。
 (3) 阿蘇噴火はあまりにも巨大すぎるので、原発の心配は必要ない。噴火が起こったときには、周辺の人間はとっくに絶滅している。九州一帯にいるのは、人間ではなくて、人間の死体だけだ。そんな状況で、原発の放射能の影響など、考える必要はない。死体が放射能が浴びても、死体が死ぬことはないからだ。(死体の健康被害もない。)
 ※ 全員が死ぬという話は、上記項目を参照。
 (4) 現実には、阿蘇噴火は、あるとき突発的に起こるのではなく、予兆があって、少しずつ大規模化する。大噴火の前には、群発地震や小噴火が頻発する。だから、その時点で逃げれば大丈夫。
 心配するなら、数百万人もの人間を移動させる交通手段の確保だろう。それだけを考えていればいい。
 原発は? 危険になった時点で、運転停止すれば、十分に間に合う。運転停止したあとで、大量の火山灰が降ったとしても、火山灰まみれになるだけだ。別に、溶岩がやってくるわけじゃない。(阿蘇山の溶岩が来るほど、阿蘇山には近くない。原発はずっと遠いところにある。)

 ──

 結論。

 原発について、阿蘇山の爆発の心配をする必要はない。心配症の人々は、「阿蘇山の危険性を過小評価するべきではない」と思っているのだろうが、過小評価しているのは、自分たちだ。阿蘇山の危険性(規模の大きさ)は、人々が思っているのよりも圧倒的に大きい。雲仙岳の火砕流被災のようなものではない。むしろ「人類絶滅」を想像した方がいい。
 こういう大規模な危険のときに、「原発さえ運転停止しておけば助かる」と思うのは、あまりにも楽観的すぎて、浅はかだというしかない。阿蘇山の爆発のときには、(逃げなければ)死ぬしかないのだ。原発のことを考えているなんて、あまりにも能天気すぎる。

posted by 管理人 at 23:19 | Comment(1) |  放射線・原発 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小松左京の小説のように、この列島が沈んだらどうしようもありませんね。
Posted by 京都の人 at 2017年12月22日 14:48
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