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前原には、年来の持論がある。「9条改憲」だ。これを実現するために、彼は民進党を(実質的に)解体したらしい。
「民進党は左傾化し、共産党や社民党との違いが分からなくなった」と指摘される度に、私は忸怩たる思いに、さいなまれました。
一つ例を挙げれば、憲法改正です。かつての民主党は、憲法改正についても臆せず議論し、自ら提案していく気概がありました。一方、民進党内では、他党への配慮から改憲論議すらできない雰囲気になりました。
( → 前原誠司さんのツイート )
前原は、特に経済政策や福祉政策があるわけではなく、国防・安保で「タカ派の主張をすること」ことだけが年来の方針であった。
こんなことなら自民党にいればいいと思うのだが、どういうわけか民主党・民進党に属して、「改憲・国防強化」ばかりを主張してきた。その延長で、「民進党解体」という方針に進んだようだ。
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さて。改憲という方針自体は、特に悪いことではない。実質的に自衛隊が国防軍として存在しているのだから、その現実を憲法で明確に表現する、ということは、法律の明確さからして、好ましいことだとも言える。
だから、安倍首相が「自衛隊の明記」を唱えることも、特に悪いことだとは思えない。(その魂胆は別として。)
問題は、別のところにある。そのことによって、集団的自衛権の容認にまで踏み込もうとしていることだ。(これが真の魂胆だ。)
枝野もこの点を指摘している。
憲法によって縛られているはずの内閣が、自ら積み重ねてきた解釈を勝手に変えた。論理的に整合性のない形で勝手に変えた。
それに基づいて、自衛隊は日本の領土や領海を守るけれども、外国に出て行って戦争はしないんだという第二次世界大戦の教訓を踏まえた、先人たちが積み重ねてきた私たちの国是が、変えられてしまっている。これが安保法制です。
( → 枝野氏演説全文(10月3日) )
現状の自衛隊は、次のようにして認められる。
「自衛のための戦いは、正当防衛に当たるので」
「自衛のための戦いは、憲法以前に認められるので」
この件は、前に詳しく論じた。
→ 9条改憲の目的は?: Open ブログ
ここには、「自分を守る」という意味の「自衛」には相当しないこと(自分でない他者である米軍を守ること)は、認められない。これがつまり、「現行憲法では集団的自衛権は認められない」ということだ。枝野の主張とも一致する。また、ほとんどの法律学者の見解とも一致する。また、内閣法制局の見解とも一致する。
つまり、集団的自衛権を認める安保法制は、完全に違憲である。
ならば、次のようにするべきだ。
「集団的自衛権を認める安保法制を廃止する」
それが気に食わないのであれば、こうするべきだ。
「安保法制を認めたければ、集団的自衛権を認めるように改憲する」
つまり、保守派の人々がどうしても集団的自衛権を認めたいのであれば、集団的自衛権を認めるように改憲するべきなのだ。これが法的合理性というものだ。
なのに、集団的自衛権とは関係のない自衛隊の存在を改憲で実現したいということは、それを隠蔽するものだ。その狙いは、こうだ。
《 正当防衛に基づく自衛権によると、集団的自衛権は認められない。そこで、裏口入学みたいな形で、集団的自衛権をこっそり容認するようにしよう。それには、「正当防衛に基づく自衛権」というのを廃止すればいい。これとは別に、単独で「自衛権」を認めればいい。そうすれば、「正当防衛」という概念が不要となる。となれば、「正当防衛」以外の点でも自由自在に使える軍備を導入できる。これによって、ただの自衛のほか、あちこちで攻撃のできる強力な軍を保有できる。 》
要するに、9条改憲というのは、「自衛隊を合憲にする」という名目のもとで、実際には、それ以上のことを狙っている。つまり、「正当防衛以外の目的に使える軍を保有すること」=「攻撃や侵略のできる軍を保有すること」が狙いなのだ。
歴史的な事例で言えば、ヒトラーが外国を攻撃することを目的として、事前にあれやこれやと準備をしたが、それと同様だ。今後は大幅に攻撃能力を持つことを狙いとして、日本が自衛以外の目的でいくらでも戦争ができるようにすることが、本当の目的なのだ。
だからこそ、枝野のように「自衛のためだけの軍備」という主張をする人を、「左派だから切り捨てる」と主張する。前原も小池も、安倍と同じで、「自衛のためだけの軍備」という主張を許容できないのだ。
これを読んだ読者は、「嘘つけ」と思うかもしれないが、さにあらず。仮に、保守派の人々が「自衛のためだけの軍備」だけを認めるのであれば、改憲の必要はさらさらないからだ。単に現状維持をしていればいい。
なのに、現状維持を否定して、改憲してまで大幅な戦争の権利を求めるのは、「自衛のためだけの軍備」以上のことを狙っているからだ。
この事実を隠しているという点で、改憲派の人々は、(だまそうとしている)詐欺師である。
彼らが改憲をしたいのだとすれば、「9条改憲」を唱えるとき、「自衛隊を合憲にする」だけでなく、「集団的自衛権を合憲にする」「自衛隊がわざわざ国外に出向いて米軍の攻撃に参加する」というふうに唱えるべきなのだ。そう唱えないという点で、彼らは(国民をだます)詐欺師である。
また、「改憲なしに安保法制を認めている」という点では、方針が矛盾している。
・ 自衛隊の存在については、はっきりと合憲にしたい。
・ 集団的自衛権については、違憲状態のまま容認したい。
こういうのは、二枚舌とも言えるし、二重基準だとも言える。どうしても改憲したいのであれば、まずは「集団的自衛権を認めるために改憲する」と唱えるべきだ。
そうしないで、「自衛隊を合憲にする」という形の改憲をして、そのあとで、「だから集団的自衛権も合憲になります」なんていうふうに言いくるめようとするのは、ペテンというものだ。
前原も、小池も、安倍も、すべては詐欺師。改憲詐欺。
[ 付記 ]
現状の「自衛のための軍備」は、「専守防衛」を意味しない。「敵基地の攻撃」は容認されるだろう。
これは、比喩で言えば、刃物を持って攻撃してくる人の、刃物を打ち払うことに相当する。また、足を払うぐらいのことも容認される。
一方、刃物を持っている人の家族(女や子供)を攻撃することは、「自衛」には当たらない。これは「侵略」に当たる。
ただし、相手の家族(女や子供)を攻撃すれば、相手はそちらに気を取られるので、戦いの上では、自分にとって優位になるだろう。
テレビのドラマでも、似たことがある。警察に逮捕されそうになった犯人が、そばにいる女や子供を人質にとって、「おれの言うことに逆らうと、人質を殺すぞ」と言って、人質の首にナイフを突き立てる。卑怯なやり方。
こういうことをやりたい、というのが、改憲派の狙いだ。ただの自衛以外のことまでやりたがる。
一方、相手の攻撃から自衛する(そのために相手の攻撃力を攻撃することもある)というのが、護憲派の主張だ。これは「あくまで正々堂々と戦う」というのに似ている。
日本を守るためだけであれば、「自衛」を容認する現状だけで足りる。「それではとても足りない」と思う臆病な人々が、自衛以上のこと(余計な攻撃)にまで踏み込もうとするのが、改憲だ。
詐欺師にご注意。
そうでなければ、集団的自衛権を明確に謳っている国連に入っていることが奇妙なことになってしまいますから。
以下の文献に目を通されることをおすすめします。
↓
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/pdf/073002.pdf
この文献が作成されたのは民主党政権時代ですから、安倍政権への「忖度」の可能性は限りなく少ないでしょう。
そうです。わかっています。
ただし、これは、国連の枠内の話。国連憲章で、加盟国には、集団的自衛権が認められる、ということ。該当箇所は下記。
> この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。
http://j.mp/2ywkZ7s
個別的又は集団的自衛の固有の権利は、一般的に、国家に認められる。
ところが日本の場合は例外的に、「戦力を保有しない」「交戦権を認めない」という規定(憲法)がある。
これに抵触しないという形で、自衛隊が認められるとしたら、それは個別的自衛権の場合のみになる。……それがつまり、歴代政権の解釈であり、内閣法制局の解釈。
まとめると、国連の規定では集団的自衛権(の保有)も認められるが、日本では憲法の規定ゆえに集団的自衛権(の行使)は認められない。認めるためには憲法改正が必要だ。(憲法を改正すれば認められる。絶対的に認められないわけではない。)……ということ。
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ついでだけど、安倍首相が「集団的自衛権」という言葉で狙っているのは、本当の集団的自衛権ではなくて、アメリカの海外武力行使に日本も参加したい、ということ。たとえば湾岸戦争のときに、日本も軍隊を送って、いっしょに参戦したかった、ということ。
一方、日本近辺で戦うときには、日本は個別的自衛権だけで足りるので、日本が自分を守るためには、集団的自衛権は必要ない。(米軍の艦船と共同行動をするときでさえ、個別的自衛権で足りる。)
34ページにあるように、日本国憲法への改正時、吉田茂元首相は「戦争放棄に関する規定は、直接には自衛権を否定していないが、第 9 条第 2 項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、交戦権も放棄した」と答弁していました。しかし、昭和29年12月に成立した鳩山内閣は「自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)を保持することは禁じられない」という見解を出して、自衛隊を合憲とする解釈を出したわけです。念のためですが、このあいだに日本国憲法は一文字も変わっていません。
それ以後、その解釈を否定する勢力が議会の過半数を占めることがなかったことから現在も自衛隊が存続し続けているわけです。
こうした解釈変更による手続きはすでに「前例」があるわけです。
今回の集団的自衛権も同じ文脈なわけです。
吉田茂→安倍晋三
自衛権→集団的自衛権
とすれば、あら不思議、今回の安保法案とまったく同じになってしまいました。
とりあえず、今回の選挙がひとつの試金石にはなるでしょう。あの解釈変更が妥当なものなのかどうか、自民と公明が過半数を占めるようであれば、まずは国民は解釈変更を是としたということになるでしょう。もちろん、今後さらに時を経て、「やはりあの解釈変更はおかしかった。あの安保法案は廃案にしよう」という勢力が議会の過半数を占めれば、解釈変更に疑義が生じることになるでしょう。
ご参考までにもう一点参考文献をば
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/document/2006/200605.pdf
というのは、安倍首相の理屈ですが、そういうのを法律無視の独裁というんです。
自衛権としての自衛隊というのが合憲だというのは、私がリンク先(9条改憲の目的は?)で述べたので、そちらを読んでください。
自衛隊が合憲だというのは、誰かが勝手に決めたことではなくて、法律の世界では過半数の支持を得ています。
一方、集団的自衛権が合憲だというのは、ほとんどの法律学者が否定しています。
「どっちも解釈変更だから、どっちも同じだ」
というのは、あまりにも乱暴な理屈です。本質的に白と黒の差があることを理解していない。単に手続き論だけで白黒を決めようとしている。
《 比喩 》
吉田 …… 真っ白なものだけが白だ。
鳩山 …… ほぼ白であれば、真っ白でなくても白だ。
安倍 …… ほぼ黒であっても、真っ黒でなければ白だ
1番目は理想論で、2番目はただの「現実的対応」だが、最後のはもはや理屈ではない強弁でしかない。
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なお、本項の話を読むのなら、ちゃんとリンク先まで目を通してください。
自然権に含まれる自衛権を「個別自衛権」のみとかつまみ食いはやめてくださいね。すでに管理人さんは「日本国が個別自衛権と集団的自衛権を有する」ことは認めていらっしゃるのですから。
ちなみに学者の意見だけでいうならば、
憲法学者122人(「憲法判例百選」の著者200人あまりの約半数)のうち116人が安倍安保法制を違憲としています。その一方、自衛隊を違憲としたのが50人、違憲の疑いとしたのが27人ともしています。
たしかに違憲と考えるのが97%という数字は大きいですが、その一方で自衛隊も60%近い学者が違憲ないしはその疑いがあると考えていることになります。(実名回答している人なら60%以上)
管理人さんがどこの法律の世界についておっしゃっているのかわかりませんが、みつかるかぎり60%近い憲法学者は違憲の疑いありとみているわけです。
50%ギリギリではなく60%というとこれはそれなりの数字ですよ。
実名回答している人のなかのデータは二次的なものですが、以下にあります。
↓
https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20150722-00047752/
アンケートが2年前に行われたので一次URLがないのは残念ですが、リンクを念のため。
http://www.asahi.com/articles/ASH797JMJH79ULZU01W.html
http://www.asahi.com/topics/word/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E6%B3%95%E6%A1%88%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88.html
個別自衛権は憲法9条に抵触しないが、集団的自衛権は憲法9条に抵触する、ということです。「禁じている」(禁止が明文化されている)というのとは違います。
リンク先を読んでも理解できないなら、仕方ないですね。
> つまみ食いはやめてくださいね。
つまみ食いをするべきだ、という理屈をちゃんと書いているんですけど。そこを理解できないのなら、仕方ないですね。
たぶん、読んでも無視しているのでしょうが。
> 60%近い憲法学者は違憲の疑いありとみているわけです。
わかっています。その意味で、私は「改憲してはいけない」と述べているわけではありません。
私が言っているのは、「個別自衛権を憲法に書いてはいけない」(改憲してはいけない)(護憲が正しい)ということではなくて、次のことです。
「集団的自衛権を合憲とするように改憲したいのならば、集団的自衛権を合憲とするというふうに改憲するべきである。個別自衛権を合憲とするという改憲をして、集団的自衛権を合憲にするというはダメだ」
つまり、「裏口入学はダメだ」ということです。「嘘をついてはダメだ」ということです。改憲したければ嘘をつかずに正々堂々とやれ、ということです。個別自衛権や集団的自衛権を合憲とするように改憲すること自体は、否定してはいません。正々堂々とやるのならば構いません。
あなたはここを誤解しているので、ちゃんと読んでください。
国連憲章では「個別自衛権・集団的自衛権」がともに認められています。これは「国連憲章で認められる」という意味であり、法的な意味です。
一方、日本国憲法では、「個別自衛権・集団的自衛権」のいずれも規定されていません。無規定です。一方で、「戦力や交戦権を保有しない」という条項があります。このまま素直に読むと、「個別自衛権・集団的自衛権」も有しないように見えますが、ここで法律以前の「自然権」という概念が生じると、「正当防衛」の概念から、「個別自衛権」は許容されます。一方で、「集団的自衛権」は「正当防衛」の概念からはどうか? 問題があります。
法的には「他人への正当防衛」も「正当防衛」として容認されます。しかしこれは法的な意味です。「自然権」(生まれながらの権利)として保有しているわけではありません。
国家レベルではどうか? 「他国への正当防衛」は認められていないようです。たとえば国連で PKO 活動をするときも、シリアで武力活動をするときも、国連の決議が必要とされます。どこかの1国が勝手に紛争に介入することは認められていません。その意味で「集団的自衛権」を「(他国への)勝手な正当防衛」の形で用いることは認められていません。
この意味で、「集団自衛権」は「自然権」として認められているとは言えないでしょう。したがって、憲法の言う「戦力や交戦権を保有しない」という条項の枠外であるとは言えなくなります。つまり、「集団自衛権のための戦力や交戦権」は、日本国憲法によって否定されます。これが私の主張です。
一方、自衛隊を単独で承認すれば、もはや「自然権による例外」という概念は消滅するので、自衛隊は単独で承認されると同時に、集団的自衛権への制約もなくなります。ただし、「戦力や交戦権を保有しない」という条項と矛盾するようになるので、「戦力や交戦権を保有しない」という条項を廃止する必要があるでしょう。さもなくば、矛盾状態となります。
「ネトウヨはバカだ」と指摘したところで、「左翼は正しい」と主張しているわけではありません。
なお、本サイトの軍事力についての方針は、「軍事力を強化せよ」です。オスプレイや F-35 や 陸上イージスという、無駄な戦力はやめて、もっと強力な武装をするべきだ、と主張しています。
オスプレイや F-35 や 陸上イージスを支持するネトウヨは、日本の軍事力の弱体化を狙っているわけで、中国のスパイも同然です。あるいは、無駄なゴミ武器を米国から買うだけの、米国の犬。
右翼も左翼も売国奴だ、というのが本サイトの基本方針です。