2017年09月19日

◆ 公文書廃棄の本質

 公文書廃棄の問題が話題となっている。(自衛隊の日報や、森友・加計学園)……その本質を考える。

 ──

 公文書廃棄の問題が話題となっている。たったの1年で公文書を廃棄してしまうのは問題だ、という趣旨。(自衛隊の日報や、森友・加計学園)
 そこで、この現状をいくらか改めよう……という方針もあるようだ。(真っ黒な現状を少しは白くしよう、という方針。真っ白にしよう、という方針ではない。)
 《 公文書保存、実効性は 内閣府、あすにもガイドライン見直し案 森友・陸自日報でも問題 》
 加計・森友学園や陸上自衛隊「日報」の問題で、ずさんな公文書管理の実態が明らかになる中、内閣府は20日にも、各省庁の意思決定過程を記した公文書の廃棄を防ぐため、ガイドラインの見直し案を示す。だが、「公文書」に対する安倍政権の後ろ向きな姿勢が目立ち、どこまで実効性を持たせられるかが焦点だ。
 ■「1年未満」焦点
 ガイドライン見直しの最大の焦点は、保存期間が「1年未満」と分類される文書の扱いだ。
 見直しの議論では、省庁の意思決定の過程をたどれる文書は「1年未満」に分類しないと定めることが固まった。……公文書の具体的な基準を示し、省庁の裁量の余地を狭める方向で議論が進んでいる。
 ■省庁、後ろ向き姿勢も
 だが、公文書の取り扱いをめぐる問題点はこれだけにとどまらない。保存すべき文書の範囲をことさら狭く捉えようとする省庁の姿勢も目立ち、……(略)
( → 朝日新聞 2017-09-19

 上記は記事の一部抜粋だ。
 朝日新聞は、この「ガイドライン見直し案」についていろいろと詳報しており、問題点を浮かび上がらせようという姿勢が見られる。それ自体は好ましいことだ。
 しかし、ここでは、一番大事な確信または本質が抜けている。比喩的に言えば、殺人犯を起訴するときに、殺人行為には目を向けずに、泥棒とか交通違反とかの、どうでもいいことににばかり目を向けているようなものだ。
 そこで、この問題の本質を考える。

 ──

 朝日の記事は、「官公庁は物事を隠そうとしている」という方向で報道している。なるほど、それはそれで問題だ。
 しかし、本当の問題は何か? 真実を隠蔽することか? 都合の悪いことを隠すことか? 
 違う。それは表面的なことであるにすぎない。本質は別にある。では、本質とは? 
 それは、悪を隠すことではなくて、正当性を明かさないことだ。
 それは、黒を隠すことではなくて、白を明かさないことだ。
 
 そもそも、行政組織が何らかの行政の業務をするのならば、それが正当な業務であることを、国民に明らかにするべきだ。つまり、行政の業務の正当性を示すべきだ。
 仮に、そうしないとしたら、政府や自治体は、(主権在民の)ご主人である国民に、まともに説明をしないで、勝手に行政の業務をしていることになる。
 それはほとんど反逆に近い。

 要するに、加計学園などで安倍政権がやっていることは、
 「自分のやっていることの正当性を示さないこと」
 であるが、換言すれば、自分で好き勝手にやっていること」
 でもある。
 それはつまり、独裁も同然だ。そしてまた、「主権在民」を原理とする民主主義の否定でもある。

 ──

 結論。

 公文書を隠蔽するということは、都合の悪いことを隠すということではない。政府が自らの正当性を示さないということだ。
 それは、国民の意思に反して好き勝手なことをやっているということだ。つまりは、国民の意思に反する独裁をしているということだ。

 これを防ぐために、憲法には「国政調査権」が規定されているのだが、これを自民党は無効化している。野党が国会で(公務員の)証人喚問などを要求しても、要求をことごとく拒否して、国政調査権を無効化している。
 これは、れっきとした憲法違反であり、憲法無視の独裁だ。
 そういう深い問題が、ここにはあるのだ。ここに本質があるということを、理解しよう。



 [ 付記 ]
 なお、行政組織が勝手に逸脱してはいけないということは、法的にも規定されている。
 そこで、ここでは、行政行為の適法性を判断する基準について考えてみましょう。
 まず、その基本は、行政行為が行政裁量を逸脱したり、裁量権の行使の濫用があった場合は、その行政行為は違法となることです。逸脱・濫用のない行政行為は、裁量の範囲として、行政庁の自由な判断に任され、当・不当の問題が発生するのみです。

 では、具体的に裁量権の逸脱や行使の濫用といえる場合とはどんな場合でしょう。
 目的違反または動機違反です。
 具体的には、行政庁の判断が法が授権した本来の目的から逸脱した判断をしたとか、不正な動機に基づく場合には、行政処分は違法となります。
( → 第114回 行政裁量権の逸脱・濫用の判断基準 | 独学お助け隊の行政書士講座

 つまり、「裁量の範囲」というものは、あるにはあるのだが、それは法律で指定された、狭い幅の範囲であるにすぎない。
 だから、「業務のすべてについて、根拠をまったく示さないで、勝手なことをしていい」ということにはならないのだ。

 そもそも、文書が残らなければ、その決定に正当性があるかどうかもわからない。本来の業務そのものが正当性を示せなくなる。……これではもはや文明国家とは言えまい。



 【 関連動画 】



posted by 管理人 at 22:46| Comment(2) | 一般(雑学)4 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんか管理人さんらしくなくマスコミに騙されて無いですか?

加計学園問題なら、特区会議議事録はちゃんと公文書として残っているし公開されています。公開されている文書を追うだけで経過は十分明らかになってる。前川氏やマスコミが騒いでいるのは文科省内部のなんのチェックも入らないメモ書きで、こんなものが何かの証拠になるならいくらでも捏造し放題です。

それよりも豊洲も築地もと決めた意思決定過程を示す公文書見せて欲しい。前より悪いブラックボックスになってる気が?
Posted by dawn at 2017年09月21日 02:08
> 加計学園問題なら、特区会議議事録はちゃんと公文書として残っているし公開されています。

 本項の話題の主題は、「公文書が1年未満で廃棄されてしまう」という原則論です。
 一方、加計学園問題は、その実例ではありません。(特区会議議事録は廃棄されていません。) 
 問題となっているのは別のことです。問題とされている箇所は、リンク先に示されています。そこから転載すると、

> 例えば、加計学園の獣医学部新設問題で、萩生田光一・内閣官房副長官(当時)が文部科学省幹部に対応を迫ったとされる文書。担当の文科省課長補佐が、萩生田氏が話したとされる内容を同省幹部から聞き取って作ったもので、同省のパソコンの共有フォルダーに入っていた。しかし、文科省は「個人的なメモ」だったと説明した。 ガイドラインは、個人的メモでも「国政上の重要な事項に係る意思決定」などに関わる場合、行政文書として保存すると規定する。だが、当時の松野博一文科相は7月、「共有すべきでない個人メモがフォルダーやメールで共有され、外部に流出した」として事務次官ら幹部3人を口頭で厳重注意の処分にした。対象には萩生田氏の発言に関する文書も含まれるとみられる。

 ということです。
 これは、公文書が廃棄されたことが問題視されているのではなく、公文書になるべき個人メモがマスコミにバレてしまったことで、「安倍首相にとって都合の悪い真実がバレてしまった」という理由で処分したこと(隠蔽体質)が問題視されています。

> 加計学園問題なら、特区会議議事録はちゃんと公文書として残っているし公開されています。公開されている文書を追うだけで経過は十分明らかになってる。

 経過が明らかになっているからよろしい、のではない。経過が明らかになってしまったことで安倍首相にとって不都合になった。そのせいで公務員が処分されてしまった。その隠蔽体質が問題視されています。
 これは、本項の話題とは別のことです。
 朝日の記事には、本項の話題とは別の話題も記述されています。

> 前川氏やマスコミが騒いでいるのは文科省内部のなんのチェックも入らないメモ書きで、こんなものが何かの証拠になるなら

 これも同様。何かの証拠になると言っているのではない。

> いくらでも捏造し放題です。

 証拠になるのではない。もともと非公開であることが前提の内部文書であるにすぎない。捏造しても、何の意味もない。
 ここでは「保存したから処分」という隠蔽体質だけが問題視されています。「公文書は隠蔽すべし。隠蔽しないと処分」という暗黒体質が問題視されています。

Posted by 管理人 at 2017年09月21日 07:59
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