2017年09月03日

◆ 何がヒトラーをもたらしたか

 (前項 の続き)
 ヒトラーを生み出したのは、ヒトラー自身ではなく、ドイツ国民の意思だ。では、何がドイツ国民をそうさせたのか?

 ──

 「ヒトラー賛美はけしからん」という意識の延長で、次の意識もある。
  ・ 「ヒトラーのやったことはすべて悪いことだ」
  ・ 「当時の悪い出来ことはすべてヒトラーのせいにしてしまえ」


 たとえば、こうだ。
  ・ ヒトラーは、(良いことの例として)景気回復やアウトバーン建設もやったのだが、こういうことをも否定する」
  ・ ユダヤ人差別などを、ヒトラーのせいにして、ドイツ国民の責任を忘れる。


 後者については、前項で示した。「ヒトラーを支持したドイツ国民の責任を忘れるな」という趣旨で。

 ──

 さて。ドイツ国民は、ヒトラーを支持した。では、なぜそうだったのか? 
 類例として、トランプを支持したアメリカ国民がある。これは、白人貧困層の困窮や怒りが根底にあった。
 では、ヒトラー時代のドイツ国民はどうであったか? 

 ──

 当時のドイツの事情は、簡単に言えば、こうだ。
  ・ 第1次大戦の終了で、敗戦国になる。
  ・ 戦後の経済は次第に回復するが、巨額の賠償金の支払い義務。
  ・ そのために通貨の無限発行で、ハイパーインフレに。
  ・ 国家経済の破滅。
  ・ レンテンマルクの発行と賠償緩和で、経済は安定化する。
  ・ 1929年の世界恐慌で再び崩壊の危機に瀕する。
  ・ ヒトラーが選挙で勝ち、権力を握る。さらに独裁化。


 もう少し詳しい話は、Wikipedia 。
政治
 第一次世界大戦敗北後、北ドイツの軍港・ヴィルヘルムスハーフェンに次いでキールにて水兵が総蜂起、これが帝政廃止や民主化などを求める労働者や市民を巻き込む一大運動となった。ドイツ革命である。
 その後、皇帝ヴィルヘルム2世の退位とオランダへの亡命が成り、社会民主党党首のフリードリヒ・エーベルトへの宰相委譲が宣言されると、同党幹部のフィリップ・シャイデマンがヴァイマル共和政の成立を宣言。
 ヴァイマル共和政は世界初の社会権を盛り込んだヴァイマル憲法を生み出したものの、革命の急進化を阻止する政府の動きが却って極左、極右両勢力を刺激し、その勢力拡大が進行する事態となる。フランスとベルギーによるルール占領が行われた1923年には政情不安定はピークに達し、破滅的なインフレーションとミュンヘン一揆などの政治的混乱が発生した。しかしシュトレーゼマンやヒャルマル・シャハトの尽力もあり、政治や経済は相対的な安定期を迎えた。1925年のロカルノ条約締結によってドイツは国際社会への復帰を果たし、1926年には国際連盟への加盟が認められた。しかし1929年の世界恐慌以降、経済悪化が社会不安を呼び、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の台頭を招いた。1933年、ヒトラーの首相就任とその後の権力掌握によってヴァイマル共和政は終焉する。
 
 経済
 第一次世界大戦で莫大な出費を強いられつつ敗戦国となったドイツは、終戦後の1919年に経済が最低に達しており、ヴァイマル共和政は経済的苦境の中発足する。その後賠償景気を経て、1922年には工業生産が戦前の7割にまで回復。
 しかし、ドイツがヴェルサイユ条約により課せられた、1320億金マルクの賠償金支払猶予を戦勝国に要請した事から、フランスとベルギーがイギリスの反対を押し切りルール地方を占領。ルール地方支援に莫大な支出を余儀無くされたため、政府も通貨の無制限発行を行い、マルクの暴落とハイパーインフレーションを招く事となる。
 1923年11月には、対ドル交換比率が1ドル4兆2000億マルクとなり、マルクが通貨としての機能を喪失。その中で国内の農・商工業資産を担保にし、金を基準とする新紙幣レンテンマルクを発行するに至る。発行額を限定した上で、1レンテンマルクを1兆マルクとする試みは功を奏し、記録的なインフレーションは急速に収束した。その後はドーズ案・ヤング案による賠償支払いの緩和やアメリカなどの外資導入もあって、経済は相対的安定期を迎えた。しかし、1929年の世界恐慌を機に再び崩壊の危機に陥る。共和政末期の1932年には失業率が29.9%となった。
( → ヴァイマル文化 - Wikipedia

 以上を整理すれば、こうだ。
  ・ ヒトラーをもたらしたのは、彼に権力を与えたドイツ国民である。
  ・ ドイツ国民がそうしたのは、経済が困窮化したからだ。
  ・ ドイツ経済が困窮化したのには、二つの理由がある。
     ・(減額されてもなお大きい)戦時賠償
     ・ 世界恐慌


 つまり、戦時賠償と世界恐慌というダブルパンチが、ドイツ経済を悪化させ、ヒトラーをもたらした。
 これは、トランプをもたらした米国経済の状況に、ちょっと似ている。しかも、規模ははるかに大きい。

 ──

 二つの理由のうち、世界恐慌というのは世界各地であった。日本でも、経済不況のせいで、2・26事件があって、軍の台頭を招き、急激に軍事国家となっていった。民主主義は抑圧されていった。
 ドイツではさらに、戦時賠償ものしかかった。この効果は大きかった。ヒトラーは戦時賠償の支払いを拒否して、その分、経済状況は大幅に好転した。このことで国民の大きな支持を得た。
 だが、戦時賠償の支払いは、第1次大戦の勝利国との戦争の危険を高めた。ヒトラーは自ら戦争を始めたが、仮にそうしなければ、(戦時賠償の支払い拒否を理由に)他国から侵略されていただろう。つまりここでは、「戦争をするか、されるか」という二者択一で、どっちみち戦争は避けられなかった。だとすれば、先制攻撃をした方が有利なのは自明だ。
 ここでは、「どっちみち戦争は不可避だった」ということが重要だ。

 ──

 以上の本質は、こうだ。
 「ヒトラーの台頭を招いたのは、敗戦国に莫大な賠償金を課した戦勝国である」


 敗戦国に莫大な賠償金を課したこと。このことが、ドイツを苦しめて、「窮鼠猫を噛む」という形で、ドイツに戦争開始を強いることになった。

 実は、このことをよく理解していたのが、経済学者のケインズだ。ケインズはこのことを理解して、第1次大戦後の失敗を繰り返さないために、戦時賠償(戦争賠償・戦後賠償)の制球をしないようにと奔走し、それを実現した。
 ジョン・メイナード・ケインズは、戦争賠償の国際経済に与える影響は破滅的であると指摘した。
 ヴェルサイユ条約でドイツが課せられた賠償金は疲弊したドイツの経済問題をさらに悪化させ、その結果生じたハイパーインフレはワイマール共和国を失敗させ、ナチスとヒトラーの台頭をもたらした。
 第一次世界大戦の戦後処理の失敗の教訓は第二次世界大戦後の戦後処理において生かされ、戦勝国はドイツからは賠償金ではなく動産や機器による賠償を受けた。
( → 戦争賠償 - Wikipedia

 ケインズは、第1次大戦の直後から、戦時賠償の問題を指摘した。
  → 第一次世界大戦の賠償 - Wikipedia
 世界がこれを聞き入れていたら、ヒトラーの台頭はなかっただろう。しかし現実にはそうならず、戦時賠償は巨額化して、ヒトラーの台頭を招いて、第2次大戦が発生した。
 その後は、世界はようやくケインズの主張を聞き入れた。ただし世界がそれを聞き入れたころ、ケインズは永眠した。1946年4月21日没。
 死せる孔明、生ける仲達を走らす。
 死せるケインズ、生ける戦勝国を走らす。
 かくてケインズの遺志により、世界は戦時賠償の愚を繰り返さずに済んだ。その後は長い平和の時代が続いた。

( ※ 経済的困窮はまたしても発生したが、せいぜいトランプや安倍を生むぐらいで済む。ヒトラーの再来はない。)
( ※ 例外的なのは、イラクだ。ブッシュがイラクの政治体制を徹底的に破壊したせいで、政治的空白にIS[イスラム国]というテロ集団が勃興した。ちょっとだけ似ている。)







posted by 管理人 at 10:32| Comment(3) | 一般(雑学)4 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
戦勝国、特にフランス、ベルギーの敗戦国ドイツに対する厳しい追い込みに世界恐慌が拍車をかけて、ドイツ国民のヒトラー支持に繋がった、というのは間違いないところです。この時、偶々かもしれませんが、ヒトラーが強烈な差別思想、優生思想の持ち主で、それを具現化してしまったことに忌み嫌われる根源があると捉えています。
この格差が生み出す差別、或いは差別が生み出す格差は未だ世界各地に根付いていて紛争の火種はつきません。ただ、搾取と非搾取の関係が国の発展の原動力の一つとするならば避け得ない話かも。社会が賢くなるためにまだまだ時間が必要です。
Posted by 作業員 at 2017年09月03日 11:56
ヒトラーはドイツ国民の意思を酌んで、ユダヤ人排斥を行っただけであり、彼自身はユダヤ人差別意識は特に無かったのではないですか。
Posted by 七氏 at 2017年09月04日 17:34
ヒトラー自身がユダヤ人差別意識を特にもっていなかったとはとてもいえないでしょう。政権を取る前の著書「わが闘争」でもユダヤ人排斥を強く訴えていますからね。

ただ、ユダヤ人差別、排斥の動きはヨーロッパ全体に根深く存在していたものでした。(ドレフュス事件はフランスで起きたものですし、これに類するユダヤ人排斥事件は全ヨーロッパで枚挙にいとまがありません)
アメリカでも自動車Big 3のひとつであるフォードモータスの創設者フォードはヒトラーの有力な支持者のひとりで、ドイツに工場建設を積極的に行ったり、政治献金をしています。フォードも名うての反共主義者でした。(ながらくフォードモータスでは労働組合の結成がみとめられていなかった)

さらに共産主義国ソ連に対する恐怖から、西欧諸国、アメリカは反ユダヤ・反共のヒトラーに反共の砦としての役割を期待したのでしょう。そのためには第一次世界大戦前程度の領土回復は認めてやる(ただし西欧側ではなく、東欧側に)程度の妥協をし、またヒトラーもそれに満足するだろうと思っていたのでした。

ところがヒトラーはそれに満足することなく、ソ連、フランスへの侵攻を現実に行いました。これは当時の西欧の予想を超えていたのでした。

今からみればイギリス首相であったチェンバレンは宥和主義者と若干ネガティブな呼ばれ方をしてしまいますが、第二次世界大戦がはじまるまでは「穏健な現実主義者」であり、ヒトラーの危険性を訴えていたチャーチルの方が「好戦的なネトウヨ」的な扱いを受けていたのです。
Posted by とおりがかり at 2017年09月04日 18:40
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