2017年08月07日

◆ トロッコ問題を解決する

 サンデルの「トロッコ問題」が難題とされるが、これはあっさり解決できる。

 ──

 サンデルが紹介した「トロッコ問題」というものがある Wikipedia から引用しよう。
 まず前提として、以下のようなトラブル (a) が発生したものとする。

 「(a) 線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう」

 そしてA氏が以下の状況に置かれているものとする。


 「(1) この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか」
( → トロッコ問題 - Wikipedia

 これは難題とされるが、どう解決するべきか? 


torocco.jpg

 ──

 ここでヒントとなる話題がある。
 「自動運転車はトロッコ問題にどう答えるか?」
 
 つまり、次の選択肢のいずれを選ぶべきか?
  ・ 直進する。運転手は穴に落ちて、死ぬ。
  ・ 脇に逸れる。歩道上の歩行者が、轢かれて死ぬ。


 これについては「交通法規を守るだけでいい」という基本原則を回答とした。詳しくは、下記項目。
  → 自動運転車とトロッコ問題

 この基本原則を理解すれば、線路上のトロッコ問題についても解決ができる。

 ──

 線路上のトロッコについても、「交通法規を守るだけでいい」という基本原則を取るといい。ここで、交通法規は、線路には適用されないかもしれないが、会社の内規などがあるはずだ。それに従えばいい。

 すると、次の法規または規則があるとわかるはずだ。
 「線路上で作業するときには、衝突事故を避けるように、作業者は必ず見張りを立てること」


 つまり、トロッコが接近してきたら、見張りの人が警告をするので、事故は起こらない。
 とすれば、分岐器のそばにいる人は、「見張りの人が警告するはずだから、自分は何もしなくても大丈夫。何もしなくても死者はゼロだ」とわかる。一方で、「自分が分岐器を動かせば、別路線の1人が死ぬ」ともわかる。この場合には、分岐器を動かすことは、1人への殺人行為である。

 だから、選択は次の二者択一だ。
  ・ 放置して、見張り人に結果を委ねる。
  ・ 分岐器を動かして、1人を殺す。


 前者は死者ゼロで、後者は死者1人なのだから、前者が正解だとわかる。何も迷うことはないはずだ。

 これで済むはずだ。ではなぜ、トロッコ問題は生じたか? 「見張りの人がいるかどうかわからない」または「見張りの人がいないとわかっている」からだろう。
 しかしこの場合は、見張りを立てずに作業していた5人が悪い。あるいは、そうさせていた現場監督が悪い。これらに責任があるのだから、分岐器の人は5人が死んでも何ら責任を負わない。

 さらに重要なことがある。

 (1) 第1に、(見張り人がいるかどうかという)状況がわからないとしたら、何か特別のことをするべきではない。わからないのであれば、「法規や規則は守られている」つまり、「見張り人はいる」と推定して、何もしないのが正しいだろう。

 (2) 第2に、見張り人がいなくても、作業者は自分で気づいて逃げるかもしれない、と期待できる。常識的には、「音で気づいて逃げる」と推定するべきだ。この場合も、何もしなくていい。

 (3) 第3に、「見張り人はいない」かつ「作業者は気づかない」と知っている場合だ。つまり、「被害は必ず出る」と知っている場合だ。……そして、この場合が、冒頭の問題の条件となっている。
 しかしながら、「被害は必ず出る」と知っているとしたら、それは、推定を越えた予知能力を持っていることになる。推定ならば、「見張り人か作業員自身が気づく」という推定ができるのに、どういうわけか「被害は必ず出る」と知っている。それは、予知能力があるということであり、超能力を持っているということだ。
 しかし、予知の超能力を持っていることを前提としたら、もはや、オカルトだ。問題自体がオカルトを前提としているので、無意味となる。
 あるいは、超能力を持っているかわりに、全知全能の神であるのかもしれない。つまり、分岐器を操作する人は、神であるから、「このままでは作業員5人は全員死ぬ」と知ることができるわけだ。しかし、これは「あなたが神であったら」という問題であるから、質問自体がナンセンスである。

 結局、トロッコ問題とは、「あなたが予知能力を持つ超能力者か、全知全能である神であれば」ということを前提とした問題である。だから、そんな問題は、ナンセンスなのだ。どうせ超能力者や神であるならば、「トロッコを念力で停止させる」というのが正解となるからだ。
 そして、あなたが超能力者でも神でもないとしたら、正解は「法規や規則を守ること」だけで済む。つまり、「何もしないこと」が正解だ。
 そして、その場合には、次のいずれかが起こるだろうと期待される。
  ・ 見張り人が警告して、作業員が退避する。
  ・ 作業員自身が気づいて、全員が退避する。

 そういう期待を持って、何もしないでいればいい。
 そのあとは? たぶん、上の二つのいずれかになるだろう。そして、たとえそうならなくても、その責任は作業員自身にある。「法規や規則を守ること」という原則を破っているからだ。自分自身が違法行為をして死ぬのであれば、それは仕方がない。

 一方で、あなた違法行為をして、勝手に分岐器を動かして、別路線の1人を死なせたら、それは、罪なき人を死なせるということであり、明白な殺人だ。
 だから、そんなことはするべきではない。

 以上で、結論は明らかだろう。



 [ 付記1 ]
 結論の背景は、こうだ。
 「死者の数で、良し悪しを決めるべきではない。

 たとえ死ぬ数が1であっても、罪なき人を故意に死なせることがあれば、それは殺人という悪である。
 たとえ死ぬ数が5であっても、それが自らの違法行為による過失死であれば、それは自分自身の招いた結果であるから、死ぬ本人に責任がある。外部にいる第三者には責任がない。したがって外部にいる第三者は介入する必要はない。特に、その介入が違法行為である場合には、介入してはならない。

 ひとことで言えば、こうだ。
 「法律や規則を守るべきだ。その際、結果で死ぬ人の数を見る必要はない」


 典型的な例で言えば、こうだ。
 「テロリストの命を 100人救うのと、人質の命を1人救うのは、どちらが正しいか?」

 功利主義者ならば、「1人より 100人の命の方が大切だ」と言うだろう。しかし本項の主張に従えば、命の数は問題ではない。テロリストは自殺行為をしているのも同然なのだから、テロリストの命をことさら守る必要はないのだ。特に、たとえ1人分であれ、人質の命を犠牲にするべきではない。(テロリスト 100人の命を守るためには。)
 大事なのは、命の数ではなく、「法律や規則を守ること」なのである。

( ※ なお、これは、「義務を守る」という趣旨ではない。「法律や規則を守ること」には責任がともなう、ということだ。それを守らないせいで死ぬ人がいるとしても、そんな逸脱者の命を守ることをことさら優先するべきではないのだ。)

 [ 付記2 ]
 本項で示された結論は簡潔だ。なのに、これが素直に理解されにくい。なぜか?
 それは、「死ぬ数が少ないほどいい」というふうに、人々が思い込んでいるからだ。「命は何よりも大切だ。だから、死ぬ数をなるべく減らすべきだ」というふうに。
 実は、その思い込みは、正しくはないのだが。……結局は、人々が誤った思い込みを信じていることが、この問題が難題に見えることの理由だ。
 「死ぬ数が少ないほどいい」とか、「人の命はみな平等だ」とか、そういう思い込みを捨てさえすれば、解決は簡単なのだが。



 [ 余談 ]
 このことをテーマにした映画がある。

映画「藁の楯」

http://amzn.to/2veq6Vb


 【 物語 】
 あまりにもひどい凶悪犯が、死刑になる前に、殺害予告された。その殺害予告に対抗して、警察は自らの威信をかけて、殺害予告を阻止しようとする。しかしながら次々と攻撃の手が襲いかかるので、凶悪犯の命を守ろうとする警官(有能な SP )が、次々と殉職してしまう。死刑になる殺人犯の命を守るために、まじめな警官がどんどん死んでいく、という矛盾。

 これはまあ、フィクションなので、是非を論じても仕方がない。ただのナンセンスな虚構である。

 ともあれ、「法律違反をした阿呆の命を救うために、他のまともな人の命を無駄にする」というのが、いかにナンセンスなことであるか、よくわかるだろう。

 ──

 結論としては、「トロッコ問題」というのが、そもそもナンセンスな問題なのである。「法律違反をした阿呆の命を救うために、他のまともな人の命を無駄にする」ということを論じているからだ。そして、そのナンセンスな問題に対しては、「法律や規則を守れ」と言うことで、あっさり解決してしまうのだ。



 【 関連サイト 】
 次のページが、はてなブックマークで人気。
  → 食人鬼とトロッコ問題と権力勾配
 トロッコ問題の正解は「こんな問題を解かせようとするサンデルを殴りに行くこと」だ。

 これを結論とするが、呆れたものだ。
 たしかに、問題自体はナンセンスだが、それに対して、出題者を殴るというのでは、ただの阿呆である。むしろ、どこがおかしいかを、きちんと指摘するべきだろう。
 自分が問題を解けないと、出題者を殴りに行くというのでは、ジャイアンよりももっとひどいな。まるで、トランプだ。



 【 関連項目 】

 サンデルについての話。
  → 正義とは何か? : nando ブログ
  → 悪とは何か? : nando ブログ
posted by 管理人 at 23:04| Comment(9) | 一般(雑学)4 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>B氏が1人で作業しており、

というのも、「線路上で作業するときには、衝突事故を避けるように、作業者は必ず見張りを立てること」とあるであろう法規または規則に違反していることになります。
 
Posted by 作業員 at 2017年08月08日 18:03
 B氏は、そのままでは死なないのだから、たとえ違反していても、大丈夫。
 B氏が死ぬのは、分岐器のところのA氏に「B氏を死なせよう」という意思が生じた場合のみ。それは、B氏の責任ではないし、B氏の自業自得ではない。
Posted by 管理人 at 2017年08月08日 18:45
トロッコ問題の解は納得ですが、映画の件ではSP達は法規を厳格に守ろうとして死んでいっているので、最初のトロッコ問題より若干問題が難しくなっているように思います。つまり、死刑囚を守らないという結論では、多くの命(SP達)を守るために、法規違反をするということになるのでは?
Posted by w at 2017年08月08日 19:41
「結論としては」のところにある通りのことを書かれているのでしょうが、この項はトロッコ問題を「解決する」ではなく「回避する」ですね。
Posted by M.S. at 2017年08月08日 20:36
> 映画の件ではSP達は法規を厳格に守ろうとして死んでいっている

「死刑囚を守るために SP を派遣する」というような法律もルールもありません。単に警察が自分のメンツのために完全防護しているだけです。

 SP 個人としては「組織の命令に従う」というのが正解だけれど、そもそも組織が「SPを派遣する」というのがルール逸脱なんだから、それをやめればいい。そうすれば、SP は殉職しない。

> 死刑囚を守らないという結論

 そうじゃなくて、普通に守るだけでいい。
 ただしその場合、死刑囚はあっさり殺されてしまうので、映画にならないな。映画開始してすぐ、冒頭で話が終わってしまう。

 だから、これはフィクションだ、っていったでしょ。
Posted by 管理人 at 2017年08月08日 21:55
> この項はトロッコ問題を「解決する」ではなく「回避する」ですね。

 解決していますよ。二つの選択肢のうち、どちらを採るべきかを、明白に示しています。「どっちでもない」なら回避だけど、一方を示しているのだから回避ではない。

 また、それが「解決」である理由としては、人々の思い込み(前提)が狂っていることを示している。 [ 付記1 ] [ 付記2 ]を参照。
Posted by 管理人 at 2017年08月08日 21:58
この記事が管理人にとって悲劇(読み手にとって喜劇)になっているのは、「トロッコ問題」という名称が原因かもしれない。

トロッコ問題の目的は、倫理学・心理学・道徳上の実験、あるいは研究であって、決して正解を求めるべき「問題」ではない。メソッドであってプロブレムではないのだ。

トロッコ問題に対する回答は人それぞれだし、それはそれでいい。絶対的な正解があるわけではない。いや、逆に絶対的な正解がないからこそ、回答者それぞれの判断理由が研究テーマになり得ている。

> サンデルの「トロッコ問題」が難題とされるが、これはあっさり解決できる。
と書かれているが、それはそれでいい。管理人がこう思うのであれば、それは管理人にとっての正解なのだ。

しかし、もしそれが普遍的に多くの人が受け入れるべき「正解」だと主張したいなら、それはあきらかに「トロッコ問題」の存在意義をはき違えている。

たとえば、誰かが、ロールシャッハテストの一葉の絵について、「これはあきらかにコウモリの姿だ。羽を持っているところから空中を飛ぶものであることは間違いない。飛ぶものと言えば鳥類を連想するが、この絵の場合、あきらかにほ乳類であることが分かる。その理由は・・・・・・」などと理論展開していたなら、滑稽に感じないだろうか。

この記事も同じようなものだ。


Posted by yumiyoshi at 2017年08月08日 22:01
管理人の世界では解決している。しかし世間一般の世界では管理人の主張は何も解決していない。なぜなら管理人は問題の本質に答えていない。

管理人の理論によれば5人もB氏もどちらも違法行為をしているため、どちらが死んでも自業自得であり本質的に両者に差はない。

管理人の理屈に従い何もしないという選択をすれば後で後悔するだろう。ということが一般の多くの人々は容易に想像できてしまう。もちろんB氏を死なせても後で後悔するだろうと想像できてしまう。このジレンマが問題だ。

きっと管理人は5人を死なせてもそれはそいつらが悪いのさと考えて、自分の選択の結果に対して全く良心が痛まないのであろう。だから簡単に解決した。などと言えるのだ。
Posted by ななし at 2017年08月08日 22:33
 上の二つのコメントには、次項で答えています。
 つまり、「トロッコ問題の本質にどう答えるべきか」ということ。本質的な話題は、次項で。

 一方、本項では、「トロッコ問題は、問題そのものが不完全だから、正解が生じてしまう」というふうに示しています。これは、形式的な解決。
 
 本項の主題は、「トロッコ問題の本質的な正解はこうだ」ということではなくて、「トロッコ問題は問題が不完全なので、正解が出てしまう」ということ。
 本質について知りたければ、次項をお読みください。
Posted by 管理人 at 2017年08月08日 22:40
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